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御子柴かきょう
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032.#わたしのこれから

こんにちは。御子柴かきょうです。

今日はpixiv FANBOXの3周年記念企画で、#わたしのこれから というタグで投稿する企画がありましたので

この一年を振り返りながら、わたしのこれからについての考えを書き記したいと思います。



先日、5月6日にわたしの初の商業配信作品が配信スタートとなりました。

一年前を振り返ると、まさかそういった機会をいただけるとは思っていなかったなぁ、と改めて感じます。


一年前、2020年4月。

わたしは2020年の1月ごろからなんとなく、今年はちゃんと絵を頑張っていこう、という気持ちになっていました。

2019年の夏に、久々に同人誌を発行してイベントへ参加するということをきっかけに、

「やっぱり自分の人生には絵が必要だ」「絵を描いている時間が一番ワクワクして楽しくて心地よい」と改めて思って

それ以降の人生をぼんやりと、「絵を描きながら生きていけるようになりたい」と思っていました。

つまり、仕事に忙殺されて絵に割ける時間も体力も無くなってしまわないように、

そして、もし家庭を持つということになったとしても、わたしが好きな絵を大切にするということを、同じように大切にしてもらえるように、と。

そんな人生を歩んでいきたいと思って、どういった方法があるのか、それを調べたり、環境を整えたりするということを行なっていました。


そこで冬に出会ったのが、アニメ私塾の室井康雄先生の本「最高の絵と人生の描き方」です。

そこで、絵を学ぶということが今からでも遅くないこと、挑戦できるということ、

そして自分は絵に対してどういうスタンスで向き合っていきたいのか?

人生をかけたいのか?

そういうことを、自分に問い直すきっかけになりました。


その本を通して、4月よりアニメ私塾ネット村に参加すること、

そして同時に、東京ネームタンクが主催する、やさしさ創作村というクリエイターのコミュニティに参加するということも決めました。


二次創作を中心に活動していた自分には、その二つのコミュニティに所属したことは大きな変化で、同時に、

当時の自分は持ち合わせていなかった「描きたいもの」と「伝えたいこと」のビジョンを得ることになります。

どちらのコミュニティでも、それぞれのクリエイターの方が、それぞれの創作物に真剣に取り組んでいて、それをより良くするために努力している。

そんな姿を毎日毎日見ていくうちに、わたし自身も、

「これをやってみたい」「挑戦してみたい」「もっとこうしてみたい」というような思いを抱き、多くの刺激を受けることができました。


「オリジナルの作品を作りたい、それを完成させて、同人誌にしたい」


そう明確に思い出したのは、ちょうど今から一年位前のことです。

5月、全国に緊急事態宣言が発令されて、初めてどこにも行かないゴールデンウィークを迎えました。

そして給付金の支給。

わたしは、そのふたつを利用して、東京ネームタンクの「ネームできる講座」の受講と、モノクロレーザープリンタを購入します。


レーザープリンタは、好きな漫画を拡大して、模写用の自習教材を制作するため。

ネームできる講座で、漫画の基礎と、そして模写を行うことで画力を向上させる。

そのどちらもを学んで上達に向かいたいという思いでした。


ネームできる講座のテキストに従って、初めて描いたオリジナル作品のプロット。ネーム。

それらをネームサポートサービスといって、講師の先生にご覧いただいて、コメントをもらう進捗サポートを受けながら、モチベを上げつつ、モリモリと前向きに作品づくりを行なっていました。

それが、5月〜6月ごろのこと。


会社員の仕事の雲行きが怪しくなる

7月ごろ。

会社員の仕事の雲行きが怪しくなっていきました。

社内SEに近い立場で仕事をしていたのですが、社内で使用しているシステムの全容を理解して構築や連携を担当できる社員がわたし一人しかおらず、

上司も全く理解をしていない、理解しようともしていない、そして役員はなおさら。

かといって、500名を超えるシステムの使用ユーザーとなる現場社員が理解しているわけでもなく。

ちょうど、PCの入替業務や、新システムの本格稼働を前にしたトレーニング、他の部署からの依頼や問い合わせ などなど。

今考えるとマジであり得ない量の業務を一人で抱えていました。

もう何個のプロジェクトを掛け持ちしていたか、わかりません。

コロナによるソーシャルディスタンス確保のために、勤務スペースも2ヶ月単位で建物すら変わって引っ越しが発生するわ、インフラ整備が必要となるわ、てんやわんやでした。

だけども、絵を描く時間と体力は確保したくて、毎日可能な限り早くタスクを終わらせて、全力で仕事してから、夕食をとって一息ついた後、日付が変わる頃まで絵を描く。

そんな生活を毎日、繰り返していました。


その中で、7月末、当時お付き合いしていた方と喧嘩別れすることになりました。

きっかけは、わたしが制作した絵の資料に、彼が色々と指摘をしてきたこと。

その前から、あることがきっかけで仲は不安定だったのですが

LINEで言い合って、それきり。

結婚したら、結婚するとしたら、そんな話もたくさんして、二人で夢を描いていたつもりでした。でもそれも終わった。


必死に仕事も絵も取り組んでいたこと。それだけが自分のアイデンティティな気がして、虚しくなっていました。

そして8月、社内で起こったある出来事をきっかけに、わたしの仕事へのモチベーションはボキッと折れてしまい、心が複雑骨折した感じ。

盛大な虚無感、それでも対応しないといけないタスクが増え続ける日々、上司のサポート、後輩・新入社員のサポート、真にわたしの仕事内容を理解した上で心配してくれるのは取引先のSEの方のみ、そんなストレス過多の中で、ついに心が折れてしまいました。


集中できない時間が増える、眠れない時間が増える、

息の吸い方がわからない、常に胸が詰まっている感じ、

めまい、頭痛、二週間以上下がらない微熱

どんどんと増え続ける希死願望


うつ病を発症した

9月下旬。続く抑うつかんと体調不良で出勤できなくなって、数日。

寝ても覚めても続く息苦しさに「不安神経症なんじゃないか」と思い始めて、心療内科に行こうかな、と友達に相談しました。

そこで友達が返してくれたのは「一人で行きづらかったら車出してあげるし、一緒に行こ〜先生合わんなって思ったら別の病院行けばいいし〜」という、いつもと同じゆるいLINEでした。

自分の車を持っていないわたしは、平日に市外へ足を伸ばすことがなかなかできず、友達が車出すで〜って言ってくれたのは、めちゃくちゃ助かりました。

まあ、ドライブして飯でも食いに行こ、くらいのテンションで、連れて行ってくれた心療内科。

何個かテスト?みたいなものをして、これまでの人生についても書いたり、丁寧にヒヤリングを受けて診断されたのは、うつ病でした。

程度は、重度。といっても、重度の軽い方だと思いますが、希死願望と10年近く同居し続けていて、当時はかなり強く感じていたので、それが大きかったんだと思います。


不安神経症かな、と思って受診したら、重度のうつ病だった。

かなり衝撃的でしたが、書いてもらった診断書でとりあえず1ヶ月は休職できる。

追い詰められて、明日には出社できるんだろうか、出社してどうするんだろうか、生きて帰れるんだろうか、どうなるんだろうか、

そういった恐怖に日々取り憑かれていたわたしには、それがただただありがたくて。


初めての抗うつ剤の薬の感覚にも慣れず、最初の一週間は身体のだるさと眠気でほぼ何もできず。

二週間目は、自分を叱咤しながら少しつづ活動する。でも何にも集中できなくて、何も楽しくなくて、ただ焦って、つらくなって。

そんなことの繰り返しでした。


一番辛かったのは、会社を休んで時間があるのに、全く絵が描けないこと。


創作意欲は、死んでました。

むしろ恐怖さえあったかもしれない。

とにかく嫌なこと、辛いこと、そんな思い出や感情、未来への恐怖や焦り、不安

そういったものがたくさん浮かんできて、ものの10分も集中することができない。

そしてそんな不甲斐ない自分に、また悲しくなる。

そうなりたくないから、絵を描くということにすら、取り組みたくなくなってしまっていて。

もう何もない。何もできない。

わたしは、一番好きだったことすら、人生で大切にしたかったことすら、できなくなってしまった。

これからどうなってしまうんだろう。

どうしていくのがいいんだろう。

こんな状態で生きていけるんだろうか。


そんな日々でした。


認知行動療法で少しずつ変わり始める

10月いっぱいは、人と話すのも、街を歩くのすら怖くなって、何もできずにつらく悲し日々が続きました。

そしてこれからどうすればいいのか、先の見えない不安に押しつぶされそうになって。

そんななか、主治医が勧めてくれたのは病院で行っている認知行動療法のクラスへの参加でした。

そこでは、ACTという方法で認知行動療法を行なっていて、

これは「正しいか、正しくないか」という価値判断ではなく、

「自分が大切にしたいと思うことに、近づけるか否か」という観点で、行動を自分で選択していけること、そしてそれを試してみてどうだったか、修正して、感じたことを受け止めて認める、

それを繰り返して、自分が大切にしたいと思うことへ近づいていく、ということに取り組む方法です。


そこで改めて、わたしは絵を描くこと、作品を作ること、

そして家族と、自分自身と、

学びと創造と

そういったものを大切に思う自分自身に、改めて気づきました。


それらを大切にするために、どの行動を選択するのか。

「正しいか、正しくないか」といった判断で自分を裁いて「こうしなくては」「こうあらなくては」「〜せねば」「〜でなければ」と思い込んでいたことを

少しずつ、少しずつ解きほぐして

今までやってこなかったことを挑戦してみたり、

言わなかった言葉を言ってみたり、

やっていたことをやめてみたり

小さなことから大きなことまで、一つ一つ、行動しては振り返る、そんなことを繰り返しました。


10月の末ごろから、ようやく、初夏からほったらかしにしていたオリジナル作品に向き合い始めます。

描けないし、集中も続かないし、辛いと思っても、とにかくやってみて

少しずつ、できたことを積み重ねていく、そんな日々を続けました。

ちょっとずつではありますが、楽しいことも増えてきました。

自分に対して、裁く強い気持ちも、まずは気づいて認めてあげる。

今目の前で起きていることを一生懸命やること、それが日々の目標で。

長い冬でした。


そしてついに完成した「竜の番」

1月の上旬。ついに完成した初めてのオリジナル作品が「竜の番」です。

今できる全力をぶつける。その思いで描いて。

DLと同人誌版と、たくさんの方に読んでいただき、本当に嬉しかったです。

この作品を完成することができたこと、それは、わたしにとって大きな成功体験だなあと感じます。


そして、ダメもとでもいいや!やってみなければわからない!そんな気持ちで、複数の出版社さんに持ち込みという形で作品をお送りさせていただきました。


その結果、1月末に秋水社様よりご縁をいただくことができ、

同人誌の電子配信、という形でお世話になることになりました。


まさかご縁を賜われるとは思っておらず、本当に嬉しくて。

でも身内以外にはこっそりしていました。

2月からは、電子配信に向けての扉絵の制作や、書き下ろしの制作などを始めていました。

なんとなく、絵を描くことができるようになっていて、

10分もペンを握っていられなかった頃に比べたら、かなり回復している自分自身にも気づいて嬉しくなりました。


そして、もっと描きたい、もっと作品を作りたい、と思っている自分自身にも気づき始めて。


わたしは、ところどころでお話ししているのですが、両親がわたしが絵を描くことや、絵の道を志すことに厳しい人で

例えば学校の成績が良くなかったら、絵を描くことができなかったり

美術系の学校に通うなんて言語道断、美術部にすら入部できませんでした。

プロなんかになれないんだから、絵を描くのやめなさい、とか。

下手とか、意味がわからないとか、なんでそんなのがいいと思うの?とかとか。

肯定的にとられられてこなかったので、「絵の道に進みたい、もっと描きたい」「自分が大切にしたいと思うことを、大切にできるようにしたい」と思う気持ちが強くなればなるほど

両親という、幼少期から向き合ってきた高い壁が近づいてきて

その壁の圧に押し潰されてしまう感覚がして、怖くて。


ある種のトラウマのような、両親とのあれこれを約1ヶ月〜2ヶ月くらいかな?

心理療法士さんの支えのもと、ときほぐしていく日々が始まりました。

2月、3月は本当に辛かった。週3回くらい通っていたんですが、普通に週3で心の古傷を切り開いて見ては、半日くらい泣いて。

それでも不思議なもので、段々と人は感情と距離を取れるようになってくるんですね。

少しずつ、自分の大切なものへ向かう行動をとれるようになってきて。


両親と良い関係のまま、今年の4月からは京都芸術大学のイラストレーションコースに入学して、絵を学ぶ道を歩むことができるようにもなりました。


もうね、この両親とのあれこれに向き合っているときは、とにかく必死でした。

っていうか、もうこの一年ずっと必死だったな〜っていう感じなんですけど。

本当に大丈夫なのか、どうなるんだこれ、すごく不安でした。

でもなんか、いい感じに纏まりました。と、わたしは思っている。

両親も、わたしを見てか、変化してくれたようにも感じます。

絵を大切にしたいと思う、わたしの気持ちを認めてくれたというか。

今では、絵を描きすぎているわたしの、体の健康を気遣ってくれています。ありがたいです。


そしてこれから

さて、もう時間がないのでスッキリと。

4月から、大学での学びも始まって

イラストと漫画、その両方のプロを目指す形で、人生の舵取りをしたいと思っています。


5月から、商業での配信もスタートして、

これからは、担当編集さんへ新しい読み切り作品のネタ案だしを行なって、新作の制作に取り組んでいきます。


漫画の制作と、技術の向上はもちろん

同時にイラストの制作と、技術の向上も。

中庸という言葉が、中国古典にあります。これは会社で学んだ言葉なのですが。

二極あるものの、どちらか一方のみを選ぶのではなく、両方を選んで、その両軸を展開していく、それでバランスをとっていくという姿。

それが目標です。


漫画だけじゃなく、イラストも。

イラストだけじゃなく、漫画も。


どちらも全力で取り組める、そういった人間になるため努力していく。

そんなこれからでありたいです。



勤めていた会社は、まだ休職という扱いではあるのですが、今夏おそらく、退職することになるかなと思います。

こんなことになるとは思ってなかった。一年前。

本当に大きな変化の一年でした。


そして5月26日には、わたしの誕生日になります。

ちょうど今日は10日前ですね。

26日は満月の日なのだとか。何かいいことがありそう。


辛いこともたくさんあったけれど、嬉しいこともたくさんあって

多くを乗り越えて、挑戦した今まででした。

これからもそうでありたい。


そんな #わたしのこれから です。


最後まで読んでくださって、ありがとうございました!

それではまた。


2021.05.16

御子柴かきょう

032.#わたしのこれから 032.#わたしのこれから

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