報知器の点検が、自分の人生を揺り起こす。
それは、梅雨の終わりが近づいたある日のことだった。
マンションの火災報知器点検。よくある通知。
これまでは書面アンケートの「今回は都合がつきません」の項目にチェックを入れて、さりげなくやり過ごしてきた。
だが今回はそうもいかなかった。
管理室のシステムが更新されたとかで、すべての部屋の装置確認が必須になったという。
逃げ場がなくなった私は、いよいよ観念して、長らく封印していた書庫の扉を開けた。
かつて地震で本棚が崩れ落ち、その無残な姿を写真に撮って投稿したことがある。
あの部屋だ。あのときから、この部屋はほとんど変わっていなかった。
片付ける必要があることはわかっていた。
だが、私は創作活動を優先して、それを先延ばしにしてきた。
生活の中で、何かを省く必要があるとすれば、それは整理や片付けだったのだ。
だが今回ばかりは、選択肢がなかった。
幸いにも連載の締め切りに追われることもなくなったことだし、やるしかない。
湿り気を帯びた紙の匂いが立ち上るなか、私は本の山に手を伸ばした。
一冊一冊を手に取るたびに、忘れかけていた自分自身の一部が呼び起こされる。
役に立ったのか立ってないのかわからない自己啓発本には、漠然とした願望や不安が貼りついていた。
短期間勤めた専門学校講師時代の教材ファイルや資料本には、意欲に欠ける生徒たちと、情熱と諦めの間で揺れながら向き合った日々が詰まっていた。
時代劇漫画のために集めた和装や江戸時代の資料。だが、生粋の金髪美女好きである私には、やはり日本髪を結った町娘より、ブロンドの髪をなびかせた美女の方がしっくりくる。
過去の夢、過ぎた情熱、形にならなかったプロジェクトたち。
大量のコミックスも、もはや電子書籍で事足りるだろう。
それらを、まるで遺品のように扱いながら、私は段ボールに詰めていった。
古本引き取りサービスの申し込み画面を見つめながら、どこかで「これでいい」と自分に言い聞かせていた。
ダンボールにして6箱。たいした金額にはならないだろうが、それは問題ではない。
書庫の整理は、ただの点検準備ではなかった。
それは、過去の自分を認め、未来の自分に期待するための、小さな儀式だったのだろう。
私たちはたぶん、一生のうちに何度か、自分自身の棚卸しをしなければならない。
モノを捨てることは、自分の中の「ある時代」を終わらせることでもある。
そしてようやく、点検員が通れるだけの通路が確保できた。これで義務は果たした。
けれど、部屋はまだ片付いていない。過去は、まだ少しだけ、そこに残っている。
それでもいい。
人生における「片付け」とは、完全に空っぽにすることではない。
まだ手を触れていない自分の一部を、大切に取っておくことでもあるのだから。
とはいえ、現在の懸念事項はデジタル化以前の紙原稿である。
少年誌時代からBEの途中までの原稿が、未整理のまま積み上がっている。
つつみ進先生がヤフオクで生原稿を販売していたのを見て、自分もいずれオークションに出品してみようかと考えている。ただ、どれほどの需要があるかはわからないが。
もっとも、紙原稿といっても制作過程の変化により、いわゆる肉筆の生原稿はアナログ時代の初期〜中期の分に限られる。
マガジン時代の『純平美女ON』や『BE』の途中からは、使用頻度の高い背景をストックするために、キャラクターと背景を別の紙にペン入れし、それぞれを拡大・縮小コピーして貼り合わせ、原稿用紙にレイアウト。その原稿をコピー機でまっさらな原稿用紙に複製印刷し、そこにトーンを貼る──という擬似デジタルな手法に変わった。
そのため、後期の原稿は「純粋な生原稿」とは少し趣が異なる。
Cuculus canorus
2025-08-10 10:17:42 +0000 UTCwaldo
2025-08-10 08:22:03 +0000 UTC