期待を胸に、新しい『スーパーマン』を待っていた。
監督はジェームズ・ガン。
前任のザック・スナイダー版が提示した“神に近い存在の苦悩と孤独”という哲学的アプローチに対して、今作は明らかに“人間くささ”と“牧歌的な正義”を取り戻しにきている。
リチャード・ドナー版――あの、空を飛ぶことの夢に溢れていた時代のスーパーマン――への眼差しを感じた。
その意味で、古き良きアメリカを懐かしむ者にとって、今作は確かに「帰ってきた」感がある。
とはいえ、全体の感想を言えば、“とてもよくできた佳作”。
期待値が高すぎたのか、拳を握るようなカタルシスには至らず、80点の高め安定で着地した印象だ。
今回は、連続ドラマなら途中から始まっているような、オリジンのプロローグを省略した作りだ。
ガン監督自身が見たくないシーンとして「スパイダーマンのベンおじさんが死ぬシーン」と「スーパーマンの誕生譚」を挙げていたし、コミックファンやヒーロー映画ファンならもう何度も観てきて飽きていることはわかる。
とはいえ、
ラブコメ愛好家としては惜しかったポイントがクラークとロイスの関係が“すでに始まってる”問題である。
ふたりの関係がすでに成立済みで、恋の始まりにあるドキドキ感がない。
もちろん、“すれ違ってまた近づく”という王道の再構築はされているのだが、
「両想いまでの距離感」によって膨らむ甘酸っぱさがないのは少々物足りない。
クラークがメガネを外す瞬間、ロイスがハッとする…みたいな定番の演出が見たかった。そういう展開を描くと尺を取るからカットされても仕方ないとは思うが。
それにしてもロイス・レイン。
地球上では神に等しい存在であるスーパーマンが唯一心を許す女性である以上、これは「ヒロイン・オブ・ヒロイン」なわけで、
どうしても演じる女優には説得力や納得感を求めてしまう。
レイチェル・ブロズナハン、決して悪くはない。
演技はしっかりしてたし、気の強さもロイスらしかった。
だけど正直、もうちょっと若くて、ゴージャスな“オーラ”のある女優が観たかった、というのが個人的な本音だ。
だって神(のような存在)に選ばれた女性なわけだし。
しかし現代においてロイスの描き方が難しいのも事実ではある。
フェミ全開でも興ざめしてしまうし、女性的な柔らかさは持ち合わせていて欲しい。しかし、同時に横紙破りなお転婆さと正義感で無鉄砲に事件に首を突っ込んでいく必要もある。
その結果、自ら危機に陥る、という展開もこれまでよく見てきたが、もう少し冷静にクレバーに対処してほしいとは思っていたので、今回その点ではストレスがなく良かった。
物語は、最終的にスーパーマンが“自分自身”と向き合う構造。
ヴィランがクローンというのは、まさに「自分を超えるための戦い」であり、テーマとしては明快。
ただ、この最終戦までの展開がやや詰め込みすぎ感があった。
コミックスの内容を反映しているのだとは思うが、ポケットユニバースに関しては、レックス・ルーサーがいかに天才的なテック系エンジニアでも「え、そんなことまでできるの!?」とテクノロジーの突き抜け具合がファンタジーを飛び越えてしまった印象があった。
そして何より、クリプトンの両親が地球に対して差別的だったという描写は、
リチャード・ドナー版を愛する身からすると、ちょっとした裏切りに感じた。
“愛ある送り出し”ではなく“選民思想”に見えてしまうことで、
神話のようだった出生の神秘に泥を塗られたような苦さが残る。
(他にスーパーマンの信頼を失墜させるために使える物語上の選択肢がなかったのかもしれないが。)
けれど、その対比があってこそ、ケント夫妻の“地に足のついた優しさ”が際立ったのも確かだ。育ての親こそが真の人格形成者であるというテーマには、じんわり共感できた。
とは言ったものの、よく考えたら、彼は最強の男なんだから、地球で多くの妻を娶りハーレムを築いてもいいよね?と、あらためて思った。
生涯、女はロイスだけって品行方正すぎない?
映像的には、いかにも“ガン監督らしさ”全開。
ちょっとした悪趣味、ズラした視点、そしてチーム感のある群像演出。
特に脇キャラの描き分けが巧みで、数分で印象に残る“顔”が演出できていたのはさすがだった。
そして音楽については……
やっぱり、あのジョン・ウィリアムス作曲のテーマをフルオーケストラで、盛大に鳴らしてほしかった。
今回はアレンジバージョン?ということもあり、個人的にはやや平坦に感じてしまった。これに関しては、思い出補正ありの懐古趣味なのかもしれないが。
とにかく、新しい時代のスーパーマンとしては、非常によくできた作品だと感じた。
waldo
2025-07-13 07:43:55 +0000 UTC