初夏の風が、柔らかく木々の葉を揺らしていた。
榊優馬はシャツの襟元を指で緩め、隣を歩くエマをそっと見た。
今日は、エマの亡き夫――ユリカの父であり、エマがかつて愛した人の命日。
二人きりでこの地を訪れるのは、初めてだった。
「来てくれて…ありがとう、ユウくん」
エマはそう言って、小さな花束を墓前に捧げた。ラベンダーの香りが、微かに漂う。
「当然です。…オレはエマさんと、ご主人に、ちゃんと向き合いたかったから」
「…あなたがそう言ってくれて、救われる気がする」
エマは墓石に手を添え、微笑んだ。その表情には、どこか懐かしさと、ほのかな迷いがあった。
「オレは…愛してます。エマさんも…ユリカも、両方とも」
ユウの声は真剣で、しかしどこか震えていた。
エマは静かに目を伏せ、指先でラベンダーの花弁を撫でる。
「わたし…ずっと、自分を罰してきた気がするの。
若くして恋をして、愛して、子を産んで…そして、夫を亡くして。
ずっと、“あの人の妻”として、娘の母として生きてきた。でも――」
彼女は、ユウのほうへ顔を向けた。
金髪が初夏の陽に揺れて、光のヴェールのようにその横顔を包んでいた。
「あなたが“わたし”として見てくれた時、心のどこかが…ほどけたの」
ユウは唇を結び、ゆっくりと跪いた。墓前に両手をつき、深く頭を下げる。
「…彼の代わりにはなれません。でも、オレは…あなたを、そしてユリカを、一生愛して守る覚悟です。
だから、どうか……生きてください。エマさんとして。笑って、欲望して、愛して。
それが、オレの願いです」
エマの瞳が潤んだ。
この若者の純粋すぎる祈りが、あまりに眩しくて、罪深くて――それでも、救いだった。
「ユウ…あなたって、本当に、どうしようもなく愛おしい人ね」
彼女はしゃがみこみ、ユウの頭をそっと抱きしめた。
頬が触れ合い、吐息が混じる距離で、誰にも聞こえない声で囁く。
「…じゃあ、これからは、わたしも“わたし”に戻っていいかしら」
「……もちろん」
「ユウ。あなたと出会って、恋して、抱かれて……わたし、死んだ人に後ろめたくなるくらい、生きてるって感じるの」
「……それでいいんです。エマさんが“生きて”いてくれるなら」
やがて、二人は立ち上がり、しばらく墓前で手を合わせた。
風がラベンダーの花びらをさらい、ふたりの間をくるりと舞っていく。
それはまるで、静かな祝福のようだった。
そして車に戻る頃には、もうふたりの表情には、あの影のような迷いはなかった。
エマがそっとユウの手を取り、指を絡めて言う。
「…ねえ、ユウ。帰ったら……また抱きしめて。静かに、強く。わたしを確かめて」
「はい。何度でも」
車のドアが閉まり、ふたりを包む静けさのなか――
愛は静かに、しかし確かに燃えはじめていた。
午後の陽射しが車窓から差し込むSUVの中。
亡き夫の墓参りを終えた帰り道、エマは助手席で豊満な乳房に食い込むシートベルトをそっと直しながら、静かに景色を眺めていた。
「ねぇ、ユウくん、あれ見て!……あのお城みたいな建物なにかしら!?」
「え? ああ……あれは……」
ユウはハンドルを握ったまま、視線をそらした。
「……いわゆる“ラブホテル”です。もしくは“ファッションホテル”って言ったりもしますけど」
「ラブ……って、カップルが行く場所?」
「はい。そうです。あの中には、一般的なホテルにはない、ユニークな外装や内装、シャンデリアとかジャグジーとかが…あるらしいです…」
「面白そう。入ってみたいわ」
「えっ?」
「だって、わたしたちもカップルでしょ?」
ユウの足が思わずブレーキをかけそうになった。
「ええ、まあ……でも……エマさん、そういうとこ行ったことないですよね?」
「もちろん。だからこそ、気になるのよ。あんなメルヘンなお城みたいな建物に、
大人たちがわざわざ入ってくって……文化的にも興味深いわ」
「文化的……」
「ユウくん……ちょっと照れてる?」
「い、いや……照れてなんか……でもオレも正直、一度も入ったことないので、ある意味ちょうどいいです。取材のつもりで、行ってみましょうか」
「取材ね。そう、取材。じゃあ、行きましょう。お城の秘密、解き明かさなくっちゃ」
「ねぇホテルの名前が見えたわ、オテル・ド・ベルサイユ、ですって!」
「絶妙に不敬な感じがしますね」
「これは絶対に行ってみなくちゃ」
エマの興味津々な様子に押されるように、ユウはウインカーを出した。
SUVが緩やかにお城のような建物のゲートをくぐると、建物の中は一瞬で空気が変わった。
パネルに並ぶ無数の部屋の写真。
「露天風呂付き」「天蓋ベッド」「回転ベッド」「星空天井」……。
「うわぁ……部屋、選べるのね。どれもキラキラしてるわ」
「初見殺しですね……どれにします?」
「これ。“ナポレオン・スイート”って書いてある」
ユウがパネルにタッチすると、「ピンポーン」と音が鳴って、奥の扉が開いた。
部屋に入った瞬間、ふたりは無言になった。
天蓋ベッドにシャンデリア、全身ミラーにLED間接照明、バスルームにはグラス張りのジャグジー。
明らかに“そのための場所”なのに、どこかファンシーで高級な造り。
「ねぇ……ここって、ほんとに遊園地みたいね」
「ええ。夢と欲望の国ですね、これは……」
エマはクッションだらけのベッドに座り、周囲をぐるりと見渡す。
「キラキラしてる……清潔だし、意外と品がある。
あっ、バスルーム、広い!見て、ユウくん!」
彼女が立ち上がり、スカートの裾を揺らしながら浴室に駆けていく。
その後ろ姿に、ユウは思わずゴクリと喉を鳴らした。
「ちょっとお湯、溜めてみようかしら。見て、この蛇口……うふふ、何このオブジェ。パリのホテルよりも派手かも」
「じゃあ、溜めますよ。さっきクルマの中で……あの、汗かいたし、オレのせいでエマさんをベトベトにしちゃったし」
「……うん、そうね。身体中、ユウくんの匂いで包まれてるみたい」
「すいません。初めてのカーセックスに、つい興奮しちゃって」
「いえ……わたしも。とても刺激的な体験だった」
ふたりの視線がふと絡み、熱が走る。
「でもまずは、シャワーね。ちゃんと洗って、すっきりしましょ」
「了解。……じゃあ、準備してきます。…“取材”は、これからが本番ですね」
「ふふ……記者さん、今夜のレポートは濃厚になりそうね」
バスルームに響くお湯の音と、心地よい緊張感。
ふたりの“文化体験”は、やがて本物の愛の交歓へと変わっていく。
to be continued...)
waldo
2025-06-06 06:52:43 +0000 UTC