結論から言うと、とてもよく出来た作品だった。
平日の昼間にもかかわらず、映画館は意外と賑わっていた。
観客は主に中年層といった印象。
正直、テレビドラマの映画版はわざわざ劇場で観るものではないと思っていたが、シネマイレージポイントを使って無料だったので足を運んだ。
ストーリーは『美味しんぼ』を彷彿とさせるような作り。
依頼人の思い出のスープを探すという縦糸があり、その過程で人々との触れあいや交流が描かれ、その途中でいつもの食べるシーンがはさまれていく。
そして最後には温かい結末へと収束していく。大きな驚きや派手さはないものの、観終わった後にホッと心が温まる作品だった。
松重豊氏にとって初の監督作品とのことだが、その腕前には驚かされた。
カメラアングルや話の運びがストレスなく、全体的にすっきりとしていて心地よく観られる作品に仕上がっている。
もちろん画角はカメラマンの力もあるとは思うが、それでも、この完成度は監督としての手腕を感じさせるものだった。
韓国でも人気が高いという背景を反映してか、物語の中盤で韓国に上陸する展開には、少々「強引すぎ?」と思う部分も。
リアリティがあるのかないのかわからない食品研究所でのシーンは唯一中だるみを感じたが、入国管理官との掛け合いがあったことで退屈さは緩和され、さらにその後の回収は良かった。
そして、劇中劇として登場する「孤高のグルメ」。完全にセルフパロディだが、楽しめる展開だった。
「食欲」と「性欲」は本質的に似ている。
この映画では、主人公が美味しそうな料理を目にしたときの「欲望に正直になる瞬間」は、人間の根源的な本能に触れるシーンだといえる。
そこに性的な暗喩が感じられる、と言えないこともない。
「男性の性欲は排泄欲に似ている」「女性の性欲は食欲に似ている」という説も存在する。
男性の性欲は、身体の生理的なメカニズムが関わる「溜まったものを放出する」感覚に近く、比較的単純でストレートな欲求であるとされる。
一方、女性の性欲は「美味しそうなものを見つけたときに徐々に湧き上がる食欲」に似ているとも言われ、満たされるまでの過程を楽しむことが重要であり、その欲求は環境や心理状態に大きく影響されるという特徴がある。
これを『孤独のグルメ』的な視点で捉え直すと、主人公の食事シーンはどちらかといえば「女性的な性欲」に近いと言える。食材や料理のビジュアルを見て徐々に高まる期待感、香りや味に触れることで欲望がピークに達し、満たされたときの表情――これらは、食べるという行為が単なる摂取ではなく、「五感を総動員した快楽のプロセス」であることを示している。
「よく食べる男性は生命力を感じさせる」という指摘は、食欲が生物としての本能やエネルギーの象徴として捉えられていることを示している。食欲旺盛な姿は力強さや健康的なイメージを与え、人間としての活力を感じさせるものだと言えるだろう。
一方で、「よく食べる女性」に対する評価には、セクシーさや魅力が付随している点が興味深い。例えば、松村沙友里のように健康的な食欲とスタイルを両立している場合、その「よく食べる」姿は快活さや親しみやすさと共に性的な魅力も喚起する。一方で、「度を超す」とその魅力が失われるどころか、「すごいウンコしそう」というような過剰な生理的連想が働き、印象が逆転する。このギリギリのラインは、観る側の主観や価値観に大きく依存している。
これに対し、浜辺美波のように食欲が著しく少ない場合、それは「華奢さ」や「儚さ」を連想させ、特定の美的価値観と結びつくこともあるが、極端になると「摂食障害」などの健康問題を心配させる要素に転じる。
食事は生存に必要不可欠であるだけでなく、社会的な行為としても重要であるため、過度に細い食欲は「生気のなさ」や「コミュニケーション不足」をイメージさせることがある。
結局のところ、食事の量が適度で、その行動が健康的かつ自然に見えることが、食欲と魅力をバランスよく結びつける要因と言えるだろう。
(「ゴーン・ガール」でも議論されていたが)男としては女性に美味しそうに食べて欲しい。その上でスリムな体型も維持してほしい、というワガママな願望を持っているのだ。
これについては個人的に非現実的であることをある程度理解しつつも、その理想像を完全には捨てきれないでいる。
taka4
2025-01-23 04:04:46 +0000 UTCwaldo
2025-01-22 15:09:00 +0000 UTC