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メランコル
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一と七の境界 -2

わたしがあの子と知り合ったのは19歳の時だった。

高校を出てしばらくはコンビニとかのバイトを点々としながら、地元の駅前でギター担いで歌ったりしてた。

その時よく仕事帰りに聴きにきてくれてた20代の女性がアパレルで働いてて、新宿ルミネの正月の催事を手伝って欲しいといわれて手伝いに行った。


元々ファッションとかそれなりに好きだったし、17歳くらいから路上で歌うようになって毎夜知らない人達と話すのにも慣れてたから、アパレル店員は今までしてきたバイトの中では比較的自分に向いてる種類の仕事だと思った。


地元は「東京だけど東京扱いしてもらえない地域のベッドタウン」だったから毎朝満員電車に乗って新宿まで通うのはなかなかしんどくて、だからルミネでの仕事は催事だけ手伝って辞めて、直後に地元の近くのアウトレットで求人募集があったから応募して、そこで働くようになった。


行きの電車は下りで、帰りの電車は上りだったから常にがらがらだった。通勤の快適さは、仕事を続けてく上でとても重要なファクターだと思う。

とりわけわたしみたいに仕事ナメ腐ってる系の人種にとっては。


時給は1000円ジャスト、当時にしては比較的マシなほうだった。所詮アルバイトだし。

正社員になるとかお金を沢山稼ぐとかには興味なかった。


あまりにもベタすぎて、スマホじゃなく携帯が主流だった時代のお涙頂戴系ネット小説みたいであんま書きたくないけど、父はわりと典型的なギャンブル依存症で、借金が常にあって、わたしがいくら稼ごうが結局借金返済に持ってかれる分が増えるだけで自分が使えるお金は増えなかったから、子供の頃からずっと貧乏だったけど、お金なんて稼ぐだけ無駄、お金の為に一生懸命真面目に働くなんて馬鹿らしいみたいな感覚だった。


アパレル勤めのいいところは、社販で7割引きとかで自社の服買えるところ。


共同の休憩室とかで他の店舗の子達に話しかけて良い感じに友達になれれば、その子が社販で買ったという事にしてもらって、7割引きで売ってもらえたりもする。そのかわりその子がうちの店で何か買いたい時はわたしが買った事にして7割引きで売ってあげる。コネ大事。愛想大事。相互扶助の精神大事。


アパレル界隈は正社員でも月収30ある人は稀で、バイトとかなら月収20万下回る人が殆どで、だから7割引きでも毎シーズンごとに数コーデ分ずつ揃えるのはそれなりの痛手になる。


ただ高卒で10代でガチで正社員するつもりもなく…ってなるとどこで働いたってバイト代に大差なんてなくて、色々服や小物揃えたいお年頃だったのと、それまで女子だらけの職場って派閥争いみたいなのが大体壮絶で、それに耐えられず1ヶ月すら保たず辞めることもしばしばあって、わたしが働いたアウトレット店でもやっぱり派閥みたいなのはあったけど、なんとなく珍しくうまい具合のポジション取りに成功したというか、どの派閥にもガッツリ所属はしないけど、どの派閥からもやんわり気に入られてる的なポジションに収まることが出来て、女子だらけの職場で働いた経験ある人なら理解ると思うけど、これが一番まじで最難関。ポジショニング。最初でしくじるともう居場所ない。詰む。病む。辞めるしかないってなる。


あの子と最初に出会ったのは、店舗でも休憩室でもなく、倉庫だった。


店舗内のバックルームとは別に、バックルームに入り切らない在庫を保管しておくための共同倉庫みたいなのがあって、その倉庫の、わたしの働く店舗用の敷地の、無限に詰まれたパッキン(ダンボール)の最奥にあるアイテム取ってこいって先輩に言われて、縦にしたらわたしの胸元くらいまである大きさのパッキンをひたすら無心に右から左へずらして最奥に到達する道作ろうとしてたら、声。


「手伝おか?」


「や、悪いし。そっちも自分の仕事あるっしょ?」


「いいよwあたし半分さぼりに裏きた感じだからw」


わたしが返答するより先に彼女がわたしの店舗のパッキンを持ち上げて横にずらしてく。


「これ、どこまで掘るの?」


「多分最奥。だったはず」


「えげつねーなw」


「まじえげつねーんすよ…うちの社員さん、売れそうって思ったやつ何でもかんでも倉庫に溜め込むタイプだから…受注数絞るか、余ったら一度センターに返品して在庫足んなくなりそうになったらまた発注すればいいと思うんだけど…わたしバイトだし発言権ないッし」


「それッな!」


「せっかく派閥争いに巻き込まれないポジションゲットできたから極力場が荒れるような事ぁしたくないなッと」


「で、メンタル分の代償をこうして体で支払ってるわけッすな」


「そーっすねッ」


おたがい「っす!」みたいに言うタイミングで力込めて10キロくらいありそうなパッキンを動かす。リズム大事。勢いで一気にやらないと途中で心折れて詰む。


アウター系とかアンサンブル系、小物系のパッキンはそんなに重くないけど、Tシャツ系とかは1箱に数百枚入ってるし、デニム系はもう変な汗でるくらい重い。それが数十個、店舗の敷地面積分ぎっちり埋め尽くしてて、敷地と敷地の間の通路みたいなとこに一回全部引っ張り出して、道作って、最奥に眠る、キッズ用Tシャツがアホみたいな量詰め込まれたパッキンを掘り起こす。


「や、まじ助かった…」


「別にいーよwあたし体力自信あるからw」


そう言って、わたしより細くて白い腕を自慢気に掲げる。力自慢なのか。細さ自慢なのか。


「ほんま一人だったら一生かかっても終わる気しなかった…」


「どんだけやしw分かるけどwこの量だもんなー」


「無駄に扱ってるブランド多いからね」


「アウトレットの宿命な」


アウトレット店舗では、親元の会社が運営する複数のブランド分のアウトレット品を1店舗でざっくりまとめて処してたりする。


「今度休憩時間被った時とかになんか奢るよ。お礼に」


「じゃあサーティワンの一番高いやつ、ドリンクセットで頼むわw」


「や、そこは若干謙虚めにお願いしゃす…社会の底辺アルバイターなんで…」


「てか、下の名前なんなん?」


わたしの首にぶら下がった入館許可証兼ネームプレート的なやつを覗き込みながら彼女が尋ねる。

初対面でいきなり下の名前聞かれて「んん?」っては思ったけど勢いに押し切られる感じで答える。アパレルの世界はノリと勢いで成立してる的なとこある。


「みずき」


「みずきねwおけw」


いきなり呼び捨て。


「そっちは?」


「いがらし」


「や、人に下の名前聞いといて自分だけ名字名乗るとかないっしょw」


「ごめんwカナ」


「ごめんかな?」


「疑問系ちゃうw」


「かなちゃん、かなさん?」


「かなでいーよ。ちゃんとか付けられるとゾワゾワするw」


アパレルの世界は距離感バグってる人がわりと多い。というか距離感バグってないと接客まともに出来ない。

ただそれにしてもカナの距離感は良くも悪くもちょっと圧強いなと思った。それが最初の正直な印象だった。


「あんたの事たまに休憩室とかで見かけて、可愛い子おるなってちょいちょい思ってたんだ」


いきなりのあんた呼び。でもそれ以上に、ついさっきまで話した事もない他人だった相手の中に「自分という存在」が以前からいたらしい…とゆう事がなんだかすごく不思議な感じだった。


路上で歌ってて「以前からたまに通りかかって、実はこっそり聴いてました」と伝えてくれる人はいる。


でもそれはわたしが路上でギターかき鳴らして自分を叫んでアピってたからで、それを見てましたっていうのは普通に分かる。納得できる。ああそうなんですねで終わる。


でも単に同じアウトレットモール内で働いてるだけの、全く別店舗の、1度も交流した事ない子からいきなり「あんたの事、前から気になってた」とか言われて、多分、普段のわたしなら、相手がカナじゃなかったら、恐怖が真っ先に湧いたと思う。


カナの目は不思議な輝き方をしてて、そういうカラコンなのかと一瞬思ったけど、でもカラコン入れてる子は他に幾らでもいて、わたしの店の同僚にも何人もいて、だけどそのどれとも違う、見たことがない、不思議な輝きで、変な言い方だけど、別の惑星からきた、人間の形を模倣した別の生き物みたいな、でも不思議と怖くなくて、その奇妙な輝きの眼球をずっと見ていたいって思っちゃうような、なぜか彼女の瞳から目を逸らせない、そんな事今まで一度も経験した事無くて、謎の放心状態。


「めっちゃ見るやんw」


「や、ごめん。不思議な目してるなって思って」


「なにそれw」


「言われること無い?」


「始めて言われたw」


「まじか」


「でも嬉しいかもしんないw」


「まじ」


自分の語彙力が著しく低下してるのを感じる。自覚してる。でも言語野が死んでる。瞳の謎の輝きに持ってかれた。

なんとなく勝手に「良く言われるw」みたいに返してくる気がしてたから、瞳の独特な輝き、「始めて言われたw」って本当に嬉しそうに言う彼女の言葉に逆に驚いた。

こんなに、明らかに、ほんとにこの子、地球上の人類なのかって疑うくらい他のどの瞳とも圧倒的に違うのに、どうして誰もそれに気づかないんだろう?って。不思議だった。


「だって、なんとなくずっと気になってた子からそんなふうに言ってもらったら普通に嬉しいよw特別だって思った相手の目にも自分が特別に映ってるとか、なんか運命みたいなの感じるじゃん」


「運命」


語彙力の蘇生は諦めました。


「運命とか信じてないけどさw」


「信じてないんかい」


いちいち体裁よくツッコミいれてやろうなんて1ミリも考えてないのに、声が、言葉が、勝手に出る。彼女の瞳の引力で無理やり引きずり出されるみたいに。

わたしはこの謎の生物に操られてるんじゃないかって気持ちになる。だけど、なぜか、嫌じゃない。この子に操られるのは不愉快じゃない。初対面なのに。不思議。謎すぎる生命体。


「絶好のチャンス到来やん!って思ったんだよ」


「え、なにが」


「や、あんたがパッキン重たそうによいしょよいしょってしてて、え、これ、めっちゃそういうシチュエーションじゃん!って」


「そうゆうシチュエーション」


語彙力相変わらず死んでます。


「じゃじゃーんて」


「じゃじゃーん」


「あほの子かw」


「どっちがw」


「気になってた子が、おりました。なんか、ピンチっぽい感じです、じゃじゃーんって、そこに、あたしが助けに入れば、なんかこうボーイミーツガール感」


「ガール・ミーツ・ガール」


「ああ」


彼女の瞳が一瞬だけ何かに気付いて陰るのを見た。


「そう、ガール・ミーツ・ガール!」


なぜか、その陰、理解っちゃう。わたしも一瞬、自分で言って、なんか、謎にがっかりした。


「これ、運命の出会い演出するのに最高のシチュじゃんって」


だけど、ボーイ・ミーツ・ガールでは、ありませんでした。


LGBTQなんてテレビやネットの中だけの概念で、少なくともわたしの周りに当事者です!って公言してる人は一人もいなくて、自分がそうだなんて考えたこともなかったし、この子だって多分そう。


ガール・ミーツ・ガールしても、何も始まらない。ロマンスは生まれない。運命の無駄遣い。


お互いに、今まで人生で感じたことのない特別なシンパシーを感じて、片側だけの一方通行じゃなくて、相手も自分に、自分も相手に、そんな運命的なことって滅多にない、多分奇跡の部類、なのに、言葉にならない、うまく表現できない、だからドラマでも漫画でも陳腐に「ビビッときた」とか言うんだろう。それを適切に表現する日本語が存在しないから。擬音に頼るしか無いやつ。


でもその「ビビッときた相手」は同性で、多分この子は同性愛者とかじゃない、普通の異性愛者の子で、わたしも多分そうで、だから、運命の無駄使い。多分一生に1度あるかないかくらいのやつを今日無駄に消費しちゃいました。というがっかり感。


この思考の半分は、彼女の不思議な瞳が反射した言葉をわたしが便宜的に代弁してるだけ。一応、これ、物語の体裁だから。必要じゃん。そういう役割。


「あ、てか、売り場戻らないで平気?」


「あ」


先輩に取ってこいと頼まれたパッキンを台車に乗せて、慌てて倉庫を出る。


「今日何時あがり?」


「18時」


「まじかぁ…あたし遅番だぁ。一緒に帰れたらって思ったけど」


「また機会あるよ」


「うん」


「じゃ、カナ、あの、ありがと。まじ助かった」


「ヒーロー感良い感じに出てたかなw」


「普通に不審者だった」


「ひっどw」


「うそだよwカナはわたしのヒーロー」


なんか、言った瞬間、言ったことを秒で後悔して取り消したくなるくらい恥ずかしい台詞ゲロっちゃった気がする。「普通にキモいw」とか返されてガチで恥ずかしさ倍増するやつ。


「普通に照れるしw」


でもカナは普通に照れてて、素直に照れてて、嬉しそうに笑ってて、透明すぎて、特別な輝きが瞳に宿ってて、その輝きを純度100%で出力する透明さがわたしの軽率さを帳消しにして、なんなら軽率に本音を言えたことが若干誇らしくすら思えて、だってまだ10代だったから。ふたりとも若かった。若い頃がね、あったんすよ。わたしにも。あの子にも。


翌日は昼休憩もほぼ同じ時間で、だから休憩室で一緒にお昼食べて、ふたりとも早番で退社も同じくらいの時間だったからモール内の、サーティワンの向かいにあるベンチで待ち合わせして、一緒に帰った。


「あ…サーティーワン奢る約束…」


「あー!!」


「気付くのが遅かったw」


「それなー!もうちょい早く気付けよー!」


既にモールを離れて駅に向かう途中。


「んだらばヨーカドーのポッポのソフトなどで手を打ってもろて」


「やだサーティーワンがいい。格が違う」


「じゃあブルーシールは?」


「あったっけ」


「道路の向こう側。草とかいっぱい売ってる店」


「草w」


「主に草だけど謎にアイスも売ってる」


「ブルーシールってどんなんだっけ」


「ちんすこうアイスとか売ってる」


「ちんすこうなんだっけ」


「沖縄の名物お菓子みたいな」


「あー、カントゥッチのシンプル版みたいなやつ?」


「ごめん逆にカントゥッチなにw」


「イタリアのトスカーナ地方の焼き菓子」


「いきなり料理ガチ勢みたいなトーンで来ますやん…」


「あー、作るのが趣味、的な」


「ほう」


「みずきは料理とかしないん?」


「まッッッたく。卵上手く割れない。目玉焼きがちゃんと目玉にならん」


「寄っちゃう系だ、目玉」


「寄るっていうか、かぶる」


「かぶるって何wどうゆう状態w」


「フライパン白で埋め尽くされる。黄身どこ?ってなる」


「なんなんそれwどんな作り方したらそうなるんw」


「料理できる人普通に尊敬っすわ…」


「今度作ってきてあげよっか?カントゥッチ」


「え、まじ?でもカントゥッチ何か分からんすぎて嬉しさより怖さあるw」


「ごく普通の焼き菓子やてwびびんなくていーよw」


「最早普通の焼き菓子がどんなんか理解ってないまであるwだってさ、ビスケットとかああゆうのも焼く系じゃん?多分。知らんけど。どこまでが焼菓子枠?」


「あー、ビスコッティとも言う。カントゥッチ」


「じゃあ最初からそう言えやwww」


「ごめんww」


6月の終わりの18時すぎはまだ空が明るくて、一日分の汗で若干湿気たキャミの肌にぺたっと張り付く感触が薄っすら不快で、肩が時折触れるくらいの距離を歩く彼女からハワイアンっぽい感じの日焼け止めの匂いがして、急に自分の汗臭さ漂っちゃってないか少し不安になって、でももし漂っちゃってて不快なら彼女も肩が触れるほどわたしの近くを歩かないだろうとか考えて、少し安心して、西日は丁度わたしたちが出てきたモールの奥に、役割を終えた舞台装置みたいに音を立てず消えていって、夏の匂いがした。

無いって知ってるけど、あのビルの向こう側まで行けば偶然そこに海が横たわってるんじゃないかって気がした。


気がしただけ。


ガール・ミーツ・ガールじゃなくて、もしボーイ・ミーツ・ガールだったら、多分これから訪れる夏が別の意味を孕んで、海に別の色彩が放たれて、女子会的なノリじゃなくて、もっと別のやつ。


信号が、赤から青に変わる。

行き止まりを、出会った最初から感じてた。

話すようになって二日目なのに、なぜか既に寂しかった。すぐ真横にいるのに。肩が付くくらいの距離にいるのに。これからどれだけお互いを知ってどれだけ仲良くなっても、この肩と肩の距離はこれ以上近くならないんだって脳がぼんやり理解しちゃってて、永遠に近づかないってことは、いつか遠ざかっていくってことで、まだ出会って二日目なのに、嬉しさと別の胸のざわつきがずっと消えなくて、たのしいとさみしいがずっと同時に心の中にあって、彼女も同じだったらいいなっても思ったし、彼女は違っていてほしいとも思った。


「じゃあさ、今度彼氏にお菓子作る時に、ついでにみずきの分も作って持ってくるよw」


ほら。

なんとなく理解ってた。

そんな気がしてた。


一瞬でも、迂闊に、軽率に、血迷って、別に女同士だっていいじゃんとか、ばかみたいなこと、くだらない、そもそもわたしはビアンじゃないし、彼女もビアンじゃなかった。それだけのこと。当たり前の普通のこと。

心臓が痛い。

意味不明。

感情を飲み込んで、思考を飲み込んで、理解しない事にした。

出会って二日目で、ほとんどお互いの事何も知らない同性の女子にそんな特別な感情抱くなんて早計にも程がある。

はいはい終わり終わり。

望まなくたって信号は青になる。なった。

灰色と、剥がれかけた白、交互に、白だけを選んで踏んで歩く彼女の華奢な足が、白くて、綺麗で、


「交差点、白だけ踏むとか、やるじゃん。はみ出したらアウト」


「わかる」


「子供の頃みんなやってたのに、なんかいつの間にかみんなやんなくなってて、あたしだけ今でも白だけルールで生きてて、え?あたしの方が変なの?ってなるじゃん」


「なるなる」


「はい、みずきアウト!」


「え」


上の空。


「あ」


踏んでた。灰色。地面とか見てなかった。見てたけど、見えてなかった。もっと別の。いらない。ちゃんと白線だけに集中。もう遅い。踏んだんだった。灰色。


「あんたの負けw」


わたしが「あんた」で、彼女が「カナ」だった頃の話。

わたしが彼女を「あんた」って呼べる様になった頃には、カナはわたしを「お前」って呼ぶようになってた。

いつも彼女が一歩先。今も。灰色と、その一つ先の白。


「ちんすこうアイス、ないじゃん」


「ないね。沖縄だけのやつだったのかな。那覇空港で食べた記憶ある」


「ないじゃん、どうすんの」


「なんかこの南米の鳥類みたいな色のやつは?」


「どぎついw」


「塩バニラも無難においしかったよ。おいしかった気がする」


「んんん…サーティワンと比べて何点くらい?」


「それ今聞いちゃう…?店員さんの真ん前で?」


「う、あwじゃあ塩バニラ一つw」


「2つで」


「塩バニラをおふたつでよろしいですか?」


「はい」


「カップとコーン、どちらで」


「どっち?」


「コーン」


「じゃあコーン2つで」


南国っぽい草まみれの店内を少し二人でうろうろして、謎の木とか見て「これとか家に置いてみたら?」とか言って「普通に天井刺さるしw」とか突っ込まれて、「この草達って、わりと更にもっと育っちゃう感じです?」って店員さんになんとなく尋ねたら「ものによっては結構育っちゃう感じですねぇ。大体1.5倍くらいの大きさまで。植物も生き物ですから」って返ってきて、そりゃまぁそうだと思って、育つ、育つことができる、育たないのもある。


育たないやつだった。


育てちゃいけないやつ。


1.5倍はわたしのなかに収まらない。破裂する。無理。


なんとなく、自分の中で決心のような覚悟のような、この子とはあくまで友達、なんとなく波長が合う友達、秒速で普通の友達通り越して親友枠くらいの距離感になっちゃったけど、あくまで友達の最上級枠、それ以上でもそれ以下でもないって定める事にした。そうしないと、育つやつは勝手に育っちゃうから。生き物ですから。


「やっぱ南国の鳥ぽい色のやつ挑戦してみればよかった」


「塩バニラ普通にうまいじゃんwサーティワンより若干あっさりしててあたし割と好き」


「夏はね、特にね」


「夏なぁ」


「夏、嫌い?」


「冬の方が好きかな」


「まじかー、わたし夏派」


「えーメイク秒で溶けるじゃん…」


「ああ、まあ、うん。でもわたしの場合冬は肌の病気悪化するから」


「あ、うん」


黒キャミの上に羽織った透け感ビッグシルエットのわたしの長袖シャツに彼女が視線を向ける。察する力はアパレル店員の命。


でも出会って二日目の子に、自分の病気の事ゲロっちゃう自分にびっくりした。


「聞かないほうがいい?」


聞いてもいい?じゃないところに彼女の人柄が顕れてる。接客で培われた技とかじゃない、持って生まれた人柄、気質。透明度。


「自分からゲロっといて、深掘りされるのは嫌とかそういう姑息な対応わたし好きじゃないから全然いいよ。ていうかペロッと軽率に病気のこと言えちゃった自分にちょっとびっくりしたw」


「そか」


「なんかさ、よくいるじゃん。病気とかトラウマとか境遇とか、匂わせっていうか、哀れみ要素の断片情報だけ小出しにチラ見せして、同情してほしそうな雰囲気めっちゃ漂わせておきながらさ、話、聞いてほしいのかなって思って穏便に丁重に尋ねたら、それについては話したくないとか急に遮断する人。ああいうの一番無理。めんどくさい。まるごと打ち明ける覚悟ないなら傷舐めてほしそうにチラ見せすんなよってなる。自分の内側晒す覚悟も無いのに慰めだけ乞うみたいな」


「あー、めっちゃわかるそれ」


「でもあんま自分から病気の話とかして、理解してください、汲んでください、配慮してくださいみたいなのも嫌だから、聞かれたら答える、聞かれなきゃ話さない、みたいな。言いつつ自分からゲロっといてほんとアレだけど、聞かない方がいい?ってカナに言ってもらえてなんか嬉しかった」


「うん」


話、がっつり聴く準備、整いました、みたいな感じでカナの口数が露骨に減って、相槌のトーンが優しくて、ずるいって思っちゃう。この子には全部話してしまいたいって思っちゃう。全部は、無理だけど。同情乞うみたいに情報小出しにしておいて全部は晒さない姑息な奴嫌いとか今自分で言ったばかりなのに、自分自身がまさにそれすぎて笑える。


「生まれつきの病気。先天性魚鱗癬っていう、遺伝性のやつ。重度ってほどガチ重度じゃなくて、だから10歳を過ぎても普通に生きてる。重度の子は10歳までに何かしらの感染症で死んじゃうケースが多いみたい。皮膚っていう最大の免疫機構がバリアの役割果たさないから。でも軽度ってほど軽度でもなくて、だから夏場でも長袖」


「うん」


彼女の、アイスを食べる手が完全に止まってて、なんだか急に申し訳ない気持ちになる。


「でも、病気がとかってよりさ、カナ話してくれたじゃん。冬の方が好きって」


「うん」


「わたしは湿度とか気温の関係で夏のほうが肌も体調も良くなるから夏のが好きだし、冬とか色んな意味でほぼ死体というか肌ボロボロのゾンビみたいになっちゃうし、だけどカナの心は冬を欲して、そっちに向かって枝が伸びてくんだなって思ったら、なんか、同じ駅で、同じホームで、同じベンチの隣に座って、だけど逆向きの電車に乗ってくみたいな、寂しさっていうか」


「うん」


「高校の頃さ、皆でお泊まり会みたいなしたりするじゃん。カラオケオールとかさ」


「うん」


「みんなはこれから誰かんちでお泊まり会、朝までカラオケ、わたしは帰って全力で肌のケアしなきゃだから、一人みんなと逆方向の電車に乗ってさ、時速100キロで離れてくんだ。青春がさ、軋む音立てて、時速100キロで、びゅーんって、遠ざかってく、音がして、窓の外、見慣れてる景色、みれなくて、かばんにさ、顔、埋めて、そうしないと」


わたしの肩を包むみたいに覆う白い細い腕。


彼女の顔を見るのが怖くて、黒のスキニーの、無数のパッキンで擦れて若干灰色っぽくなってる太ももの膝側のあたり凝視して、だけど一瞬だけ、やっぱりどうしても見たくなってしまって、彼女の瞳が今どんな色彩を反射してるのか、その透明に慰めを乞いたい自分がいて、全部、さっき、ボロクソにこきおろした「嫌いな奴」まんまのムーブをわたし自身がしちゃってて、心底うんざりする。


その宝石は、わたしの卑しさまで全部まるごと見透かすみたいに、見透かした上で卑しさまで全部飲み込むみたいに透明に瞼の内側で揺らめいて、光、反射して、キラキラしてて、折角の上出来なアイメイク無惨に破壊する水、落ちて、ブルーシールの塩バニラのアイスはもう彼女の手の中になくて、煉瓦の地面で蟻達の食料になってて、清掃員さん、地面汚しちゃってごめん、みたいな事少しだけ思って、わたしの肩に回された彼女の腕もちゃんと汗ばんでて、ちゃんと地球上の生物だったらしくて、わたしの中ではもうシラフで人に話せるくらいに消化されたお涙頂戴エピソード、彼女は律儀に水を溢れさせて、うっかりもらい泣きしそうになる。


「夏、好きになりたい」


意味、分かんなかった。

彼女が突然発した言葉の意味。


「今まで、あたし、夏、メイクとかすぐ崩れるし、汗っかきだし、暑いし、セミとか蚊とか虫全般無理だし、だから夏あんま好きじゃなくて、でも嫌いな理由、それくらいしかなくて、みずきが冬嫌いな理由、なんか、すごく、分かるって言えない、みずきしかそれを分かるって言っちゃいけないってあたしも理解ってて、でも、みずきが夏のほうが好きなら、生きてるって思えるなら、あたしも夏が好きってなるくらい、そういう風に生きたいって思って、だって、電車一緒乗りたい、一人ぼっちでかばんに顔埋めないで、景色一緒に見たい、これ全部あたしの勝手な傲慢だって理解ってるよ、でもそうしたいって思って、本当に」


泣くじゃん。完全に泣かせにきてるじゃん。

この子に話して正解だったって思っちゃうじゃん。

わたしがどうして今まで誰も本気で好きになれなかったのか、こんな、たった1日で、滑稽なくらい簡単に覆って、透明すぎて、何なんだこの生き物。


「勝手に泣いてごめん」


誠実すぎるんだよなぁ。

実在しちゃいけない純度の誠実さ。


「あんたの人生の涙なのに、あたしが勝手に流しちゃってごめん」


勝手に感情移入しちゃってごめんなさい。

勝手に同情しちゃってごめんなさい。

あなたの痛みを理解ったつもりになってしまってごめんなさい。

本当に理解ってあげることなんて出来ないのに。

あなたの苦しみを知ってるのはあなただけなのに、涙を我慢出来なくてごめんなさい。


彼女の体温が、涙が、震える腕が、紡がれる言葉の裏側を紡いでて、否が応でもわたしの皮膚を貫いて、免疫がそれを透明と判定して、わたしの体内への侵入を許してしまう。過去付き合った友人やら恋人やらが数ヶ月数年かけても到達出来なかった深部に1日で、数時間で、いとも容易く触れて、透明な体温。


「つらかったって、言いたくないんだよ」


「うん」


「悲しかったとか、苦しかったとか、寂しかったとか、言いたくなくて」


「うん」


「ただ、いつか、生きててよかったって言いたくて」


「うん」


「だから、生きて、なんとなく、諦めつかなくて、まだ」


「うん」


「友達って、もっとなんか、平たくて角ばってて、薄いのに向こう側が全然見えなくて、見えない棘沢山もってて、だからいちいち怖くて、めんどくさいものって思ってた。今までわたしが付き合ってきた人達って、だいたい皆そんな感じだったから」


「うん」


「カナは怖くない。透明なのに、深くて、人間まるごと包み込めるくらい、けど、縛られてるっては感じなくて、なんか、心地いい。寄り添うって言葉、ずっと言葉は知ってたけど、意味、今日初めて知った気がする。楽しい夏にしよう」


「絶対する」


「うん」


「ありがとう」


「こっちこそだってば」


青臭いなぁと我ながら思う。

アオハルだった。実に。


6月の終わりの夜の風は熱くも冷たくもなくて、適温というには少しぬるっとして粘っこい感触がして、でも湿度大事だから、肌のアレで。


彼女にとって苦手だった夏。

わたしにとって限られたボーナス期間。


わたしが夏を降りて冬には行けないから、彼女は冬を降りて夏に飛び乗るって言った。


同情も憐れみも含んだその傲慢を屈辱に感じなかったのは、彼女のその選択は、彼女自身の心からの望みなのだと感じちゃったから。


彼女の透明の向こう側を、許される限り覗き込んでいたいって思っちゃったから。


わたしの望みと彼女の望みが重なる折衝地点。


望みすぎればきっと破滅が待ってる。

だけど出会わなかった事にも出来ない。


だから、折衝地点。


彼女の水に委ねられて、敷かれた白線を歩く。


踏み外さないように、慎重に、丁寧に、一歩ずつ。


13歳の頃憧れたボーイ・ミーツ・ガールは多分もう一生叶わないなって理解しちゃった。


今後どんな誰と出会っても彼女とのガール・ミーツ・ガールを越えられる気がしない。


その予感は今のところ的中し続けてる。残念なことに。


彼女はもういない。


生きててよかったを明日に見つけられる気がしないから、思い出を彷徨う屍。魚鱗癬の冬。

彼女から溢れた水でなけなしの潤いを貪る。


そんな青い初夏の思い出。


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