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パナパウから来た少女 〜クレンターニャの秘術〜 #3 クレンターニャの秘術

 それから数日後の夜。  エヴランはエレアに促され、邸内の一室へと密かに足を踏み入れた。  普段は誰も立ち入ることのない一室だ。  静寂に包まれたその部屋の中は、しんと冷えた空気が張り詰めているように感じられた。  部屋の中央にはテーブルが置かれ、その上には見慣れない意匠が施された箱や小瓶が並べられている。  エレアの求めに応じてエヴランが衣服を脱ぎ捨てたのを認めると、エレアはゆったりとした動きでテーブルに歩み寄った。  小瓶の一つを手に取り、それから微笑を浮かべ、エヴランの方に向き直る。 「ここにご用意したものは、クレンターニャで古くから使われているものです……ご心配なさらず、どれも害はございませんし、その作用は一時的なものですから」  エヴランはその言葉にわずかに肩の力を抜いた。  だが、彼の目はなおも机上に置かれた品々から離れなかった。  異国の……恐らくはエレアの故国であるクレンターニャの文字や模様が刻まれた箱や小瓶が並び、どれも彼の見慣れないもので満ちている。  それらが自分を変えるのだという予感が、彼の胸に不安と期待の入り混じった複雑な感情をもたらしていた。  クレンターニャは東方の小国である。  現在のクレンターニャ人は、帝国時代には徹底的に弾圧され、民族は離散し、消滅寸前まで追いやられたという。  彼ら独自の恐ろしい魔術を行使し、臣民を誑かし帝国の安定を脅かす邪悪な民族……そんな根拠のない偏見に晒されたのである。  だが、帝国崩壊後、再興されたクレンターニャは、ほんの小国でありながら大きな存在感を放っている。  特に、先の七王国大戦の際には列強の利害を巧みに調整し、戦争が破滅的に拡大することを阻止した早期講和の立役者として脚光を浴びた。  交易による共栄を理念として掲げ、当事国全体に利益を生むことを基本方針とするクレンターニャの外交政策は、高い評価を得ている。  いまやクレンターニャをして、平和と繁栄の代理人、とまで評する向きも多い。  だが、彼らの間では今も密かに古の秘法が伝承されているという真ともつかない噂や伝聞が、かすかに漏れ聞こえてくる。  今、エヴランの目前にあるこれらの品々も、そうした彼らの秘術の一端なのだろうか。  薄い手袋をはめた手で、エレアが小瓶の蓋を静かに開けると、かすかな芳香が室内を満たした。  それは、吸い込むと頭の芯がくらくらとするような甘さに満ちていた。  エレアは瓶を傾け、少量のとろりとした液体を手のひらに乗せると、彼に近づいた。 「エヴラン様、どうぞお気を楽になさってください。これがあなたを、望む姿へと導いてくれるのです」  エヴランはエレアの言うままに体から力を抜き、目を閉じた。  エレアの指が顔や首に触れ、冷たい液体が肌の上で広がり、塗り込まれていく感触が伝わる。  香りは甘さを帯び、まるで、どこか知らない異国の花の香りを思わせた。  そのむせ香るような芳香が彼の体を包み込み、頭の芯にまで染みこんでいく。  少しずつ、のぼせたように意識が揺らいでいく。  エレアの指が自分の肌を滑るたびに、体が徐々に変わっていくような錯覚を感じる。  冷たい液体が肌に浸透していくと、その部分がほのかに温かさを帯び、肌が燃え立つような感覚が全身にじわじわと広がっていく。  やがて全身が痺れるようになり、エヴランは自分の意識がどこか遠くに引き寄せられていくような感覚に陥った。  エレアの指が肌の上をなぞるたびに、自分の体が柔らかく、たよりなく作り変えられていくようだった。 「ふ……あぁ……」  わずかにうめくような声がエヴランの口から漏れた。  ほの暗い灯火の下で、エヴランの透き通るような白い肌の色が、徐々に褐色に変わり始めていた。  その肌の質感も艶を帯び、滑らかに変わっていく。  薬液が染みこみ熱を帯びたエヴランの全身からは、ほんのりと甘い不思議な芳香が立ち昇っている。  それは香水の香り方とは違い、エヴラン自身の体の奥から自然に発せられているようだった。  エレアの触れる指先が少しずつ柔らかさを増し、繊細な感触が彼の意識に染み込んでいく。 「もう少しです、エヴラン様……どうか、そのまま動かずに」  囁きが、彼の耳元で優しく響いた。  エレアの手が顔から首、そして肩へと滑らかに動き続けるたびに、エヴランの意識はさらに深く引き込まれていく。  体から漂う香りはますます甘く柔らかくなり、夢見心地のまま、まどろみに誘われるような感覚をエヴランにもたらしていた。 「感じていらっしゃいますか?あなたの新しい香りを」  エレアは優しく囁き、今度は別の液体を手のひらに少し取り、彼の手元でゆっくりと伸ばし始めた。  彼の指や手の甲に至るまで、細やかに塗り込まれるたびに、その皮膚がまるで他人のもののように繊細な質感へと変わっていくのを感じる。  その液体が全身にくまなく塗りこまれるうちに、痺れるような甘美な感覚は収まっていき、エヴランの意識は少しずつ現実に引き戻されていった。  やがて、エレアの手が動きを止めた頃には、エヴランの意識は完全に現実に引き戻されていた。  肌にはかすかな温もりが残り、肌の感覚は信じられないほど敏感なものに変わっていた。 「ふぁ……」  その感覚に戸惑いを覚え、エヴランは思わず吐息をついた。   「……ご自分の姿をご覧になってみますか?」  エレアは静かに促した。  その声にエヴランは我に返ったように顔を上げた。  しばし戸惑うように視線を泳がせた後、エヴランはおずおずと部屋の隅に置かれた大きな姿見の前に歩み寄った。  ためらいがちに鏡の前に立ったエヴランは、そこに映った自分の姿に思わず息を呑んだ。  鏡の中のエヴランの肌は、もともとの白い肌から褐色に染まり、そのうえ目に見えて柔らかく滑らかな質感に変わっている。  思わず頬や首元に手を伸ばし軽く触れると、その手のひらにもはっきりと変化が伝わってくる。  体から自然に立ち昇る不思議な香りは、まるで南国の甘い果実のようだ。  自分の体から漂ってくるというのに、それは一息ごとに体が震えるような本能を刺激する香りだった。 「いかがですか、エヴラン様。ご想像されていた以上の変化では、ありませんか?」  エレアに声を掛けられ、エヴランははっと我に返った。   後ろに立つエレアは鏡越しにエヴランを見つめ、微笑を浮かべていた。  エヴランはどぎまぎとしながら鏡に映る自分の姿をもう一度見返した。  言葉にならない不思議な感覚だ。  自分がまったく別の存在に、徐々に作り変えられていく。  その様子を見つめていたエレアが、再び静かに口を開く。 「エヴラン様……お解りでしょうが、これだけで終わったわけではありません。まだ、もう少しお時間をいただきますが……よろしいですか?」  その言葉に、エヴランは息を呑んだ。  自分がさらに変化していくという予感は胸をざわつかせた。  エレアは、エヴランの体に施されたものの作用は一時的なものだったといった。  そのことを信じてもよいのだろうか。  このまま進んでしまってもよいのだろうか。   エヴランもそんな、疑念はかすかに感じている。  だがこの場合、エレアに嘘をつくをメリットは、何もないように思われた。  それ以上に、エヴランの願望を果たすということに対してここまでにエレアが示した道筋の確かさに対する興味と欲求が勝った。   「……ああ、構わない」  エヴランは、ほとんど無意識のうちにそう答えた。  エレアはエヴランの返事を確認すると、また別の瓶を手に取り、慎重に蓋を開けた。 「次は、この薬で髪の色を変えてしまいます。これで、さらに自然に見えるはずです」  エレアは手袋をはめた手のひらに瓶の中の液体を少量垂らす。  とろりと手の上に垂れたその液体は、艶めいた真っ黒な色をしていた。  エレアはエヴランの髪を両手で挟み込むようにして優しく塗り込んでいった。  指先がゆっくりと動き、髪の毛先から根本へと幾度も往復するうちに、その部分が徐々に色を変え始めた。  鏡越しに見える自分の髪が、元の金髪から次第に深い黒へと染まっていく。  ほんのりと鼻をつく薬の香りが、エヴランの記憶を刺激した。  その香りは、サミラに抱きしめられた幼いころのエヴランが、間近に嗅いだことのある、彼女の髪の香りと同じだった。  やがてエレアが丁寧に液体を塗り終えると、エヴランの髪は完全に黒く染まっていた。  それによって、エヴランの容姿は先ほどよりもずっと南方人のそれに近づいていた。  エヴランは鏡の中の自分の姿をじっと見つめ、わずかに指先でその黒髪に触れてみた。  光に当たると、髪は滑らかで艶やかに輝いた。  自分が別人になっていくという奇妙な感覚に彼は包み込まれていた。 「さぁ、いかがでしょうか?」  背後からエレアが優しく声をかける。  エヴランは鏡越しにエレアに視線を向け、驚きと戸惑いの入り混じった神妙な表情でうなずいた。  心の奥底で交錯する不安と期待はますます膨らんでいた。  自分がどこに向かおうとしているのか、エヴランははっきりと理解しつつあった。 「次は、目の色を変えてまいります」  エレアは静かにそう言えと、次の小瓶に手を伸ばした。  瓶の中身は、わずかに赤褐色を帯びた黒い液体である。 「こちらを二、三滴、瞳に垂らしてくださいませ……ほんの少しだけ刺激がございます。垂らしたら目を閉じて、しばらくそのままにしていてください」  エヴランはエレアから小瓶を受け取ると、彼女の言うとおりに上を向いて目を見開き、中の液体を瞳に垂らした。  右目……そして左目に垂らしてから、静かに目を閉じる。  エレアの言葉通り、冷たい液体は両目に染みるような感覚を与えた。  目を閉じたままエヴランはしばらくの間、その感覚が収まるのを待った。 「そろそろ良いでしょう……ゆっくりと目をお開けくださいませ」  エレアに声を掛けられ、エヴランはわずかに緊張しながらゆっくりと目を開いた。  鏡をのぞくと、そこに映る自分の瞳の色は、今までの輝くような青い目から、わずかに透明な赤身を帯びた深い漆黒の色合いに変わっていた。  暗いその瞳の色は、神秘的な色を面差しに与え、それだけでエヴランの顔立ちをさらに異なるものへと変えてしまっていた。  エヴランはその深みを帯びた瞳で、もう一度鏡の中の自分の顔を見つめた。  端正な顔立ちに滑らかさと柔らかさが加わり、褐色の肌と艶やかな黒い髪の毛、そして深い漆黒の瞳によって、その顔はほんの少し前までのエヴランの顔とは全く異なっていた。  顔だけ見れば、南方人の少女のように見える……といってもおかしくはなかった。  そこには、今までの自分とは違う存在が映っていた。  憧憬してやまぬサミラの面影が、少しずつ自分の中に染み込んでいるような錯覚をエヴランは覚えた。 「思った以上にうまく進んでおりますよ……エヴラン様……あと少しでございます」  エレアは穏やかな声でそう言うと、エヴランの肩に軽く手を置いた。  その手の温かさが、ほんのわずかな間にこんなにも見た目を大きく変えられてしまったエヴランの不安感をすっと薄れさせていった。  エレアはテーブルの側に戻ると、箱を開いた。  中から柔らかそうな素材でできた、小さな袋のようなものを取り出す。  エレアが手に持ったそれは、エヴランの肌の褐色とほとんど同じ色合いをしていた。  エヴランの不安と興味が入り混じった視線を感じ取ると、エレアは優しく微笑んだ。 「これはあなたの輪郭を整えるためのものです」  落ち着いた声でそう言うと、エレアはエヴランに歩み寄り、取り出したそのものをそっと彼の左胸に押し当てた。  すると、それは驚くほど肌に吸い付くように馴染み、自然に彼の体のラインに沿うように形を変えていった。  エヴランの胸に吸いつくそれの冷たい感触が、徐々に体温に温められ消えていく。  それはまるでエヴランの体温に応じて柔らかくなっていくようで、その色合いもエヴラン自身の今の褐色の肌の色とまったく同じに変わっていった。  いつのまにかそれは本来の肌との境目すらわからなくなり、まるでエヴラン自身の肉体の一部のようになってしまった。  それが形作るのは、たおやかな乳房の形だ。  あっけにとられてその様子を眺めていたエヴランは、ようやくそのそれに気がついて息を呑んだ。 「次は右胸ですよ」  右胸も同じようにしてそのものを押し当てられてしまうと、エヴランの胸は完全に女性のそれに変わっていた。  褐色の乳房が、控え目ではあるが、その持ち主がうら若き女性であることを誇るように存在を主張している。  エヴランは、恐る恐る手を伸ばし、そこに触れた。 「あ……」  予想外のことにエヴランは思わず、吐息のような喘ぎを漏らした。  触れた瞬間、くすぐったいような感触が伝わってきたのだ。  まがい物であるはずの乳房から伝わってくるその切ないような感触に、エヴランは思わず顔を赤らめた。 「腰からお尻の方も、整えますからね」  そんなエヴランに気がつかぬ様子で……あるいは気がついていながらそ知らぬふりをしているのか……エレアは箱の中に手を伸ばした。  エレアは立ち尽くすエヴランの横にかがみこむと、彼の腰回りや尻にかけて、胸と同じようにして形を整えていく。 「さて、これが最後ですよ」  最後の一片を手に取ったエレアは、エヴランの前でかがみこみ、彼の股間にそっとそれを押し当てた。  縮こまったエヴランのペニスがその裏側の溝に吸い込まれて、覆い隠されてしまう。  それが肌に吸いつき、冷たい感触が消え失せる頃には、エヴランのペニスの感覚も同じように消え失せていた。  エヴランは恐る恐る視線を下に向けた。  ペニスはきれいに消えうせ、代わりに一本の縦の筋が、なだらかな盛り上がりの上を走っていた。  自分がいまや女性の股間を持っているという事実に、エヴランの鼓動はいやがおうにも高まっていった。 「いかがですか……これでエヴラン様はもう、どこから見ても女性です……。サミラと同じ、パナパウ人の……とてもかわいらしい女の子ですよ」  言いながらエレアはエヴランの肩に手を回し、彼の身体を部屋の隅の姿見の方に向けた。 「!……」  エヴランは鏡に映る自分の姿を見て言葉を失った。  肩や腰のラインはごく自然にかすかな丸みを帯び、若々しく柔らかな輪郭……少女の輪郭に変わっていた。  その柔らかな曲線に目を奪われ、エヴランは放心したようになっていた。  エレアの言葉通り、鏡に映ったエヴランの姿はログレスの貴族の若者ではありえなかった。  そこに映っているのは、どこから見ても、あどけなさを感じさせるうら若い少女でしかなかった。  それは、サミラと同じく褐色の肌と艶やかな黒い髪、深い漆黒の瞳を持つ、南方人の少女だった。  その身体から立ち上る不思議な甘い香りに包まれ、エヴランはまるで自分がその南方人の少女に包まれてしまったように感じ、頬を赤らめ、しばらくの間自らの姿に見惚れていた。 (つづく)


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