拳で突く、脚で薙ぐ──牽制のためのジャブと、相手の機動力を削ぎ、負荷を掛けるためのローキック。
キックボクシングの試合においては普遍的とも言えよう、初歩・初動の打撃の差し合いがまたしても繰り広げられる。かと思えば、不意に織り交ぜられるステップインの動き、そしてそれを許さない拳や蹴りとの応酬。
リングの上で、大和と蒼響は一進一退の攻防を繰り返している──ように見えていることだろう。
だが、その実この試合をコントロールしているのは蒼響の方だった。
「シッ!」
「っ、く……」
鋭利な軌道を描いた蒼響の右脚が大和の腿を再び捉え、素肌から汗の微細な飛沫が散る。入りは浅く、精々肌を叩く程度の衝撃でしかない。だが、それで良い。
彼我のリーチも、それを想定した丁度良い間合いも既に掴んでいる。自分が優位に立てる距離を保ち、大和の土俵である懐まで決して踏み込ませずに遠間から攻める。
無論、大和とてキックボクサーである。インファイターとはいえ近距離に潜り込んで拳を叩き込むだけが戦法というわけではなく、蹴り技という手も取ってくる。
むしろ、そのフォームからみても完成度は高いものといえよう。軽やかなステップワークの中で、踏み込みに合わせて軸足を出し、十全の威力を発揮できる最小の動きで振り抜く、無駄のない所作だ。
「っと、危ねぇ!」
だが、蒼響が後方へ僅かに身をずらしたことで、脇腹を狙ったそのミドルキックは虚空を掻くに終わる。
手脚の長さも織り込み済み。蒼響はその射程からごく僅かに出るだけで避けられる。思考ではなく本能的に、半ば反射でそれを行っていた。
天性の才能といっても過言ではない。
「──隙有りィ!」
空振りに終わり、回避もままならない大和の腹部へと拳を突き立てる。グローブの革が肌を叩き、パンッという音が弾ける。
「っ……」
命中して即離脱できるよう遠間から素早く打ち込んだために、入りは浅く、筋肉の表層を叩いたに過ぎない。
咄嗟の反撃として、不安定な体勢から強引に右拳が振るわれたものの、蒼響は既に後退済みだった。
先ほどから、このような攻防が──蒼響の攻勢が続いていた。
絶妙な間合いを保ちながらのヒットアンドアウェイ。
当然、大和からの反撃全てをいなすことはできず、蒼響も無傷というわけではないが、被弾の数で言えば大和の方が遥かに多い。手脚、胴体、頬……各所に赤みが広がっている。
とはいえ、精々肉の表面が僅かにひりつく程度で、決定打にはまだ程遠いだろう。まず第一に肝要なのは当てることだ。そうすれば蒼響も昂揚して一層体を動かしやすくなる。端的に言えばテンションが上がって気分が「ノってくる」というわけだ。
そのついでにポイントも稼げるのだから一石二鳥だ。判定に縺れ込むようなことになったとしても、このまま行けば蒼響の勝利に傾く可能性が高い。
しかし、蒼響には、判定勝ちなどという生温い幕引きを迎える気は更々なかった。狙うはKO。その方が気持ちが良い。
その点に関しては、眼前の男も恐らく同意見なのではないかと見ていた。きっと、「最終的に勝てば良い」などとは思わず、立ち塞がる相手を打ち倒してこそ……そう思っているはずだ。
こちらを射抜く彼の目付きがそれを雄弁に語っている。ギラギラと、一瞬たりとも緩まない闘志に満ちた双眸はさながら獲物を前にした獣である。攻めているはずなのに、まるで蒼響の方が狩られる側であるかのように錯覚させられる程の気迫だ。
しかし、蒼響の口角は、至極楽しそうに持ち上がっていた。
不意に、カンカンという乾いた音が聞こえた。本ラウンドが残り十秒ということを知らせる拍子木の音だ。
──そして、残り五秒の時点で事が動く。
終わり際まで何もさせまいと、蒼響は変わらず間合いを保っていたのだが、ここで欲が出た。終了間際だ、ゴングが鳴るまで今まで攻めてやろう、と。
そう考えた時には、既に体が動いていた。これまでよりも半歩だけ深くへ踏み込んで、拳を相手に向ける。防御に上げられた腕にジャブを当て、そちらの腕を引き戻すと同時に右拳でストレートを放つ。
防がれようとも構わない。当たる感覚が体を楽しませてくれる。しかし、その拳は虚空を突いていた。
見れば、大和はガードを下げている。軌道を見切られた蒼響のストレートは、大和の頭部の横を虚しく切るのみ。
それと同時にリングの上で鈍い衝撃音が爆ぜ、同時に、足の裏から振動が伝わる。それが何から発せられたものか、それを思考するよりも先に蒼響は察していた。
大和が完全に懐に入ってきていたからだ。
レフェリーは目で追うことさえできなかったらしく、喫驚に目を見開くと共に、一瞬遅れて視線を追い付かせる。
蒼響の動体視力は確かにそれを捉えていたが、この距離は拙い。大和の土俵だ。
(ヤベ……ッ!)
蒼響は咄嗟に両腕を前に構え、辛うじてガードの体勢を取った。両腕は堅牢な盾である。その内にある胴体にも頭部にも、決して衝撃を通させない。
なるべく腹部も打ちづらくなるよう、軽く腰を落として体を丸める。それがギリギリ間に合った形だった。
ほぼ同時に、盾とした腕を凄まじい威力の拳が襲う。
「ぐぅ……っ!?」
一撃で仕留める、そんな意志が如実に感じられるような渾身の左ストレートの衝撃は、鍛えられた前腕の筋肉を通り抜け、骨まで至るようだった。
鉄の盾で弾丸を受け止め防ぐとしたら、その時の衝撃はきっとこんな風なのではないか。そう思う程に激しく、烈々たる打撃だった。
急襲への対応で体勢がやや不安定であったことも相まって、蒼響の体が後ろへと押し込まれ、そのまま尻餅をつく。
腕力のみで無理矢理に倒されるとは思ってもみなかった蒼響は、思わず口まで開けてぽかんと間の抜けた表情を晒してしまった。
腕には、まるで電流を流されたかのように強い痺れが骨まで残っている。
「いってぇ〜……! マジかよ……」
ダウンカウントが始まるよりも先に、勢い良く跳ね起きる。
立ち上がった蒼響の背後で、ゴングの音が鳴り響いた。一ラウンド終了の合図だ。
コーナーに足を向ける最中も、重たいダメージは受けていないはずなのに腕に帯びる痺れと、肌に滲む冷や汗が鬱陶しかった。
拳などのエフェクト無し
汗、あざ、エフェクト無し
ロープと汗、エフェクトあり
汗やエフェクト無し、ロープあり
ていてい
2025-06-02 06:48:51 +0000 UTC笹熊
2025-06-01 12:38:15 +0000 UTC