大らかな鐘の音が商業都市ペンデに正午を告げる。
市場を、城門を、酒場を、そして寺院を暖かな光が満たす。
屋台や飲食店は勤め人で賑わい始め、商店には休憩中の札がかかる。
子供たちはそれぞれの家に戻り、路地裏には束の間の静寂が訪れる。
「今日も財貨交換の契約履行に感謝いたします」
地味な神官服を纏った人物がそう言って商店を出る。
契約神に仕える神官見習いであるテュシアは店主に煙たがられながら買い物を終えた。
昼食を邪魔された店主は客を見送りもせず奥に引っ込む。
新しいメイドは豪快な性格で、買い忘れの品物もそれに相応しい量だった。
当のテュシアはあまり気にした様子もない。
昼休憩の時間を侵害されるのは人並みに面倒だが、こうした用事でも無ければ真っ昼間の大通りを歩く機会は稀だ。
朝の活気とはまた違う、少し間延びした空気の中をテュシアは進む。
「……重い」
ただ、抱えた荷物の重さは雰囲気でどうにかなるものでもない。
テュシアはふらつきながら広場に辿り着き、噴水の脇で小休止を取ることにした。
「ふう」
微風が涼を運ぶ。
今日は暖かい事もあり、噴水の周りには多くの人々が集まっていた。
「ねえ、あっち!」
「えっ? あっ……!」
立ち話に興じていた娘たちが俄かに色めき立つ。
テュシアも何とはなしに彼女たちの指す先を見る。
見覚えのある巨体が広場に入ってくるところだった。
「オルライアス様!」
黒檀の肌と黄金の髪が衆目に応えるように輝く。
あまりの逞しさに神殿騎士の鎧の一部しか身に付けられない巨体は彼が選ばれた存在である事を天下に示していた。
「あまりにも凛々しいわ……」
「ねえ、あなたのその服、神官様の見習いよね」
娘たちに突然話しかけられ、テュシアは戸惑いながらも肯定する。
「ええ、神官見習いのテュシアと……」
「だったら! 何か知らない?! オルライアス様のこと!」
娘たちの熱い視線が突き刺さる。
オルライアスはテュシアが仕える契約神、その神殿を守る騎士だ。
娘たちはそこに両者の繋がりを見出し、英雄に近付くための可能性を探す。
「えっと、オルライアス殿は英雄戦争時、曙光平原を一人で守り切った英雄です」
「そう、そうなのよ」
「勇ましいわ……」
娘たちの視線は既にオルライアスに戻っている。
テュシアの説明は彼女らの陶酔を深めるための背景音楽に過ぎない。
「本来、神殿騎士は神殿の守護以外の戦いを許されていません。しかし、オルライアス殿は国の窮状を座視できず、一度は神殿騎士の職を辞してまで魔物の大群との戦いに赴きました」
「嗚呼、己の身を顧みず!」
「献身、美しすぎるわ……」
真剣な面持ちで衛兵と話すオルライアスを見つめる娘たちの足元がふらつき始める。
感情の昂りは遂に頂点へと達する。
「戦争終結後は許婚のご令嬢との結婚を果たし、現在はお子さんの誕生を待つばかり。まさに幸せの……」
「知ってる」
「別にそれは聞きたくない」
娘たちは冷淡に言い放つと散っていった。
「そろそろ戻ろう」
テュシアもまた静かに立ち上がり、再び荷物と向き合う。
神官見習いの細腕が微力を発揮する。
「テュシア殿!」
決死の覚悟で持ち上げた荷物を取り落としそうになる。
英雄の筋肉は深いところまで常人とは違う力を持っているのか、彼の声は大きくもないのによく通る。
テュシアが振り返ると、そこには友好的な獅子の声の持ち主が見下ろしていた。
「オルライアスさん、こんにちは」
「買い出しか? 力を貸そう」
「あ、いや」
テュシアが応える前に重い荷物が掻っ攫われる。
「うーん」
広場で問答しても衆目を集めるだけで時間の無駄。
そして、英雄の行動を止めることは物理的に不可能。
「寺院までだな」
「はい。お願いします」
テュシアは一刻も早く広場を去ることを最善としてオルライアスの提案を受け入れた。
「神殿騎士……というか英雄が雑用なんて、また高官様にお小言をもらいますよ」
「直々に御説教とはありがたい。それにどうもテュシア殿は放っておけなくてな。幼い弟を見ているようだ」
「……今は5歳しか違いませんよ」
テュシアの目は遠く、足は遅くなる。
すぐに歩調を速め、英雄の巨大な背中に追いつく。
「それにしても街でお会いするのは珍しいですね」
いつも挨拶を交わすのはオルライアスが寺院の見回りに来た時だ。
以前ほどではないが神殿騎士が世俗と関わるのは珍しい。
「うむ、実は許可されていない物品を取り扱う闇商人が街に紛れ込んだとの事でな。衛兵たちと協力している」
本人なりに声を落としたのであろう様子から、やはり寺院からはあまりいい顔をされていないのだろう。
だが、オルライアスのその人柄こそが民から慕われ尊敬されている。
「さすがですね。まさに英雄の──」
「……」
商店の軒が作り出す影が肌を冷やす。
テュシアはそれきり、寺院までの道のりを黙って歩いた。
曙光平原の戦い。
英雄戦争における人類の勝利の鍵はこの戦いにあった。
魔物の軍勢による商業都市ペンデ襲撃未遂によって明らかになった魔王の侵攻は時を置かず大陸中で始まった。
山から、海から、地底から押し寄せる魔物の大群に対向かうには文字通り人類の総力を要した。
そんな中で駄目押しのごとく曙光平原に現れた魔物たちに人々は絶望した。
新しい戦地に割ける余力は尽き果てていた。
万事休すかと思われたその時、英雄は降り立った。
寺院の制止を振り切って曙光平原に駆け付けたオルライアスは地平線を埋め尽くす魔物の群れにたった一人で立ち向かった。
オルライアスの剛力は闇を打ち払う朝日のように魔物たちを退け、こうして人類は滅亡の危機を脱した。
終戦後、人類は魔物たちの領域から魔力と言う新しい資源を発見した。
これは大陸に技術革命をもたらし、魔力を大いに活用した戦後の世界は歴史上稀に見る経済発展を遂げている。
また、人類は生き残った魔物たちと人魔講和条約を結び彼らを不毛の地へと放逐、不平等な貿易を行っている。
厳しい制限の下、人類側の土地を踏むことを許可される魔物もいるが、無許可であれば殺されても文句は言えないなど、異種族間ゆえの苛烈な待遇が続いている。
寺院の裏庭は夕日に照らされ赤々と輝いている。
広い敷地の隅に建つ小屋は粗末さに見合わない大仰な名を付けられている。
浄罪室。
南北二つの部屋を隔てる壁と小さな窓。
その窓の前に座り、テュシアは今日も待つ。
罪の浄めを求める者の告白を聴き届けるために。
「失礼する」
テュシアは顔を上げる。
扉の無い南の部屋の入り口から西日に描かれた巨大な影が伸びる。
「どうぞ、お掛けになってください」
浄罪室には神官の顔見知りが訪れることもある。
だが、テュシアの声色には驚きも動揺も現われない。
どこかで、いつかこの日が来るだろうと思っていた。
大人のつみき(レゴ)
2025-06-22 00:32:28 +0000 UTCivyscyther
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