「くそっ……! くそお……っ!」
どれほど厳しいトレーニングを課しても、どれほど激しいコンタクトを繰り返しても、その男は必ず立ち上がってきた。
傷付こうとも、疲れ果てようとも、その筋肉の巨塊とも言うべき肉体は強敵たちを圧倒し、見上げるような高みまで仲間を押し上げた。
だが、その巨体が今は動かない。
肉は弾け、骨は砕け、夥しい流血は合宿所のフィールドの芝を赤く染めている。
大沼健東の意識は今、夕闇の底に消え去ろうとしていた。
「(あの男が一人で倒したのか?)」
銀色の金属装甲をまとった異形たちがフェンスにめり込んだ残骸を見て驚愕の声を上げる。
大沼の命を懸けたタックルは異次元科学の産物である高密度装甲をも貫き、中の異形を屠った。
しかし、そこまでだった。
敵の援軍からの一斉射撃は大沼の体を引き裂き、伝説のプロップはフィールドに崩れ落ちた。
「(バカな、重殻合金装甲の上から致命傷を与えるなんて……)」
「(何の武装も無しに? この次元にはそんな人間がいるのか?)」
困惑と警戒を示す異形たちの会話。
もちろん大沼にその内容は分らなかったし、もし分かっても注意を払うことは無いだろう。
大沼はただ、傍らに倒れ伏す瀕死の仲間を案じていた。
「すまん、加藤……俺が……」
思い出すのは半年前。
グラウンドに現れた老年の男とのやり取りだった。
護衛と側近を引き連れた老年の男は突然の訪問を詫び、汗と泥にまみれた練習後の大沼に切り出した。
ヒーローになって欲しいと。
大沼は沈黙した。
世界が置かれた状況は知っていた。
一人でも多く、侵略に対抗する力が必要なのだと知っていた。
だが、大沼は言った。
あと少しだけ、この仲間たちと夢を追いかけさせて欲しいと。
そして、卒業と同時に、いや、年が明けたらすぐにでも大学を中退してヒーローになると。
本当は分っていた。
あの場で承諾し、即座にヒーローへの道を選ぶ事が正しかった。
混迷を極めた時代において、平和を守ることが最優先だった。
今、地に伏した大沼は思う。
自分は甘えてしまったのだ。
ラグビーの熱狂に、仲間との歓喜にもう少しだけ浸っていたいと願ってしまった。
そして、その結果が目の前にあった。
「加藤……俺があの時……」
打ち捨てられたぼろ切れのように横たわる仲間は大沼の呼びかけに応えることは無い。
共に切磋琢磨し、支え合ってきたスクラムハーフの命が潰えようとしている。
ほとんど無意識に、大沼の手がポケットを探る。
あの時、老年の男は側近の制止を振り切って大沼にある物を渡した。
手の中に納まるサイズの金属製の楕円球。
もはや動いている事が奇跡と言ってもいい大沼の指が、その中央のスイッチに触れた。
「(何だ……?!)」
大沼の手の中から稼働音と黒い光輝が漏れ始め、次第に大きさを増していく。
「(その男、何をした?!)」
世界に破壊と混乱をもたらした異次元の侵略者たち。
だが、彼らが持ち込んだのはそれだけではなかった。
「Activate 『Protocol for Rules Of Protection』」
機械音声が目覚めの時を告げる。
PROPシステム。
追い詰められた人類は己に突き付けられた刃を我が物とした。
決死のリバースエンジニアリングによって異次元の物質と技術は人類反撃の切り札となった。
「(この光は一体……?)」
「(何が起こっている?!)」
漆黒の閃光が鼓動し、一秒ごとに強く、さらに強く瞬く。
選ばれた男を英雄にして二度と戻さない、希望と断絶の光。
そして、
「(何も見えん……! 目が……っ、くっ!)」
黒い輝きが爆発する。
夜空の煌めきと轟音が地上を焼き尽くす。
「(バカな……)」
超新星の爆発の後、そこには闇夜の戦装束をまとった大男が佇んでいた。
ラグビージャージに似たボディスーツは大沼の巨体を星間雲の黒で包み込み、新しい恒星から溢れ出る力を抑えようとしている。
「(ひ、怯むな! しょせんは原始人の虚仮脅しだ!)」
「(撃て! 総員構え! 撃て!)」
吹き荒れる弾丸の嵐の中で大沼は加藤を見た。
既にそこに命の気配は無かった。
だが、戦わないという選択肢は無い。
彼は既にヒーローだった。
「……」
大きく脚を広げ、腰を深く落とす。
剛毛に覆われた巨大な太腿が力を蓄える。
二度と戻らない時に追い縋るように、大沼健東は大地を蹴った。
全てが終わった時、そこにあるのは無数のクレーターと散らばった金属片だけだった。
筋肉戦車と呼ばれた右プロップの突撃は異次元からの尖兵たちを木っ端微塵に轢き潰した。
「加藤、遅くなった」
大沼はただ友の亡骸の側に立ち尽くす。
冷たくなった手に握られた必勝の護符は、死と破壊の吹き荒れたこの場所で奇跡のように美しかった。
世界各地に次元隧道、通称DGと呼ばれる異次元の扉が出現したのは今から20年以上前の事になる。
DGから現れた異次元生物「セン凶」は別世界の科学技術によって地球を侵略、人類の領土を奪い取った。
しかし、追い詰められた人類の結束が活路を開いた。
リベリオニウムと名付けられた異次元由来の鉱物。
科学者たちはその結晶の発する電磁波が資格ある男性に力を与える事を発見した。
それは地球にヒーローが誕生した瞬間だった。
リベリオニウムは大きく、強く、逞しい極少数の男性のみを選ぶためヒーローの数は全世界でも多くはない。
しかし、その力は絶大だった。
彼らは異次元の兵器をものともせずセン凶たちを圧倒。
正義の快進撃を続けて多くの国土を取り返した。
結果、セン凶たちは異次元へと一時的に撤退。
以後は人類が隔離区域と定めた領域内にランダムにDGを出現させては散発的な牽制や奇襲を行うにとどまっている。
白衣を着た研究者や重役と思しき中年の男性が慌ただしく行き交う廊下を一際大きな後ろ姿が進んでいく。
ポロシャツにハーフパンツ、サンダル履きという場にそぐわない服装。
しかし、それでも彼がこの施設内を闊歩している理由を、その体格が雄弁に物語っていた。
飾り気のないグレーのポロシャツが今にも弾け飛びそうな背中、胸や肩の筋肉の盛り上がり。
袖口を限界まで伸びきらせている二の腕。
丸太のような両太腿に張り付くハーフパンツ。
その中心ではおよそ常識では考えられないような膨らみが、歩調に合わせて左右に重たげに揺さぶられている。
「先輩! お疲れ様です!」
背後から声をかけられ、顔の幅より太く鍛えられた首がねじられる。
大きな体のせいでやや小さめに見える顔が背後を振り向いた。
太い眉と鼻梁、がっしりした顎。
野性味と穏やかさを宿した目が細められ、やがて糸で絎けたような口元が緩む。
「おう!」
ここは次元隧道監視局関東支部。
大沼健東を擁する日本最大の対セン凶施設だ。
「異常は無いか?」
広めに作られたロッカールームも二人のヒーローが並べば狭く感じる。
大沼は仕事着に、入れ替わるように後輩の室井岳が私服に着替えていく。
「オペから連絡あると思いますが、今日あたり怪しいです」
「そうか、久しぶりだな」
「間抜けな奴らです、先輩のシフトに出てくるとか」
室井の言葉も当然だった。
大沼はヒーローの中ではベテランの域に達しており、対セン凶国際組織の本部に赴いて講演を行ったこともある。
客観的に見てもセン凶が関東支部から侵略を進めるのは愚策と言えた。
「エグいですね」
室井はふと目にした大沼の巨体に嘆息を漏らす。
大沼は学生時代から変わらず、着替えの際には一度に着衣を脱ぎ去り全裸になってしまう。
露わになるのは超科学で武装した異種族を薙ぎ倒し続けきた輝かしいばかりの肉体。
そして、筋肉戦車の愛称の裏の理由もまた無頓着に曝け出される。
筋肉の装甲を思わせる毛むくじゃらの腹筋の下端から突き出す規格外の男性器。
妻との間に年子の男児ばかり三人も儲けた巨大な肉の主砲が大沼の動きに合わせて重たげに揺れていた。
「お前もすぐにこうなるぞ。子供は早めに作っておけよ」
リベリオニウムの光を浴びた適格者の体はヒーローとして完成するまで段々と強く、大きくになっていく。
それは生殖器官も例外ではなかった。
大沼ほどのベテランヒーローともなれば陰茎の巨大さゆえに女を自然妊娠させるのは難しくなる。
後輩へのアドバイスは半ば本気のものだった。
「どのぐらいでなりましたか?」
「今の体になったのはそうだな、ヒーローになってから10年ぐらいか」
「ってなるとマジで急いだ方が良いな……ああ、そんじゃお先失礼します」
「おう、よく休めよ」
すっかり着替え終わった室井が敬礼して退出する。
ロッカールームには素っ裸の大沼だけが残った。
「……とすると、そろそろ20年になるのか」
ポケットから取り出したお守りの微かな光沢が大沼の記憶を揺らす。
忘れられない仲間の死から長い時が過ぎた。
大沼の半生とも言える20年の間には結婚や子供の誕生などいくつもの節目があった。
その度に、ヒーローなどという家族に心配をかける職業は辞めるべきだと思った。
だが、大沼は今も英雄であり続けている。
正義感と責任感、だけではない。
一つの心残りが彼を戦場に立たせ続けていた。
『次元隧道発生の予兆を確認。担当者は直ちに──』
その時、セン凶出現の兆しを告げるアナウンスが鳴り響く。
大沼の瞳が過去から現在へと焦点を合わせる。
起動したリストバンド型の変身ツールが大沼健東の生体情報を読み取る。
光沢を放つ射干玉の黒衣が全き雄の肉体の理想像を撫でるように覆う。
「Activate 『Protocol for Rules Of Protection』」
漢字だらけの正式名称はともかく、あの日から大沼はヒーローとしてこう呼ばれている。
「プロップマン、出動する!」