こんばんは、おりがみ彩です。
今回のテーマは【画力が高ければ良い訳では無い。どこで本気の画力を使い、他を均等にするか】です。
一昨日リアンダー&長良の作品裏話を書いてた時なんだけど、6周年アートで描いたイラストリアスがあまり見てもらえなかった事について少し書きました。
今回はその話を具体的に記事にしていこうと思います。
結論からしたらあのイラストリアスの作品は全てが完璧だからだと思う。
テーマもしっかり考え、画面の全てに画力の全てを込めて描いた。
良い訳なんて何一つ無い、完璧に完成された最高の作品だと言い切れる。
でも見た人からしたら何も残らないんだ。
ただ綺麗なイラストリアスの絵があるんだってくらいしか記憶に残らない。
今やってる100日チャレンジなんてあんなに雑なのにpixivのランキングに入った。
しかも低いランキングじゃなくて割と高かった。
それは決して上手く無いが、作品としてのコンセプトがしっかりしておりその点にだけはちゃんと拘っているから見てる人の脳裏に残るんだと思う。
でもあのイラストリアスにはそれが無かった。
幻想的で神秘的、美しい作品であるのには間違いない。
でも残らなかった。結果的にはそれが全てだ。
今回の100日チャレンジでこの点に気付けたのはとても大きい。
つまり完成された完成度の高い作品は埋もれてしまうんだ。
わたしよりも上手い人はXででもよく見る。わたしなんかじゃなくてこう言う人が伸びるべきって思うんだけど、つまりそれはこの点に当てはまる場合があるって思う。
画力が高い人が必ずしもプロになれる訳じゃ無い。もちろん画力の高い低いがあるのなら高い方がより良いとは思うけど、そこじゃ無いんだ。
今やってる100日チャレンジは2時間で描くを目標にやっているけど2時間という限られた時間だからこそ見つかるものがある。
どこに比重を置くか。これがとても大きい。
時間をかけても良い作品にしようと決めたとしても(この場合あの6周年イラストリアス)時間があるからここも、そこも、あとあれもって全部にこだわれてしまう。
でも2時間で1作品を描くと決めたらわたし達は機械じゃ無いんだから不可能な部分が出てくる。
じゃあどこにこだわるのかってなったら100日チャレンジのコンセプトでは下着。
下着と顔にだけは今まで培ってきた画力の全てを打ち込み、それ以外は拘ら無いと意識する。
こだわればこだわる程結局この作品はどこを見れば良かったのかわからないからただ画力が高い綺麗な作品でしたねってだけで終わる。
でもテーマの部分にだけ力を込めた作品ならこの作者は可愛い女の子の下着姿に本気でこだわってるんだって伝わるし残るんだと思う。
それはつまり【画力が高ければ良い訳では無い。どこで本気の画力を使い、他を均等にするか】だと思う。それを自分で理解してコントロールできるのならその作品は記憶に残る作品になるのでは無いだろうか?
つまり画力があるのに伸びる人伸びない人、逆もあるかも知れない。
それはここができているかの違いなんだと思う。
昔は画力が高ければプロになれると思っていたから勉強もしてきたし練習もしてきた。
でもそれだけじゃダメなんだ。見せたい部分とそうで無い部分。
画力のコントロールができてこそプロなんだ。
画力のコントロールができないと全部が本気か全部が中途半端になる。
見せたい部分は画力を込め、そうで無い部分はあえて画力を落とす。
それができさえすれば見せたいものが明確になり、人の記憶に残る作品になると思う。
わたしはスタミナコントロールって言ってるんですが作品を描く前の計算。
どれくらいの時間がかかり、どれくらい疲労があるか。
それを越えると中途半端な作品になる。
だから事前に考える計算がスタミナコントロールとしている。
そのコントロールができるのなら、この画力のコントロール、パワーのコントロールだてできるんじゃないだろうか?
わたしが今まで欲しいと思った技術や知識は大体なんだって会得できた。
だからきっとできる。
この画力のコントロールを学び、作品としての質の向上はこれから先わたしが生きていくには必要なものだと思う。
必ず会得してみせる。
おりがみ 彩📝