鬼滅の刃の感想を総括して書いてみた。
Added 2020-12-06 13:25:22 +0000 UTCこんばんは。裃左右です。
寒さが身に沁みつつある時期ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
例の伝染病なんかの話もまだまだ収まりを見せませんが、とにかく鬼滅です鬼滅。
『鬼滅の刃』です。ヤバイですね。一瞬で日本漫画界のレジェンド入りですね。
私も見事にブームに乗り、鬼滅の刃『全巻一気買い』をやりました。
ちなみに購入代金は、支援者の方々の支援金から出させて頂きました。
ありがとうございます。
無事に『全23巻』で完結したのに合わせまして、個人的な感想をまとめてみました。
ネタバレにつきましては、隠すことなく全力でいきます。お付き合いください。
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【目次】
■開始~入隊編
■入隊~那田蜘蛛山前まで
■那田蜘蛛山編
■柱合会議編
■無限列車編
■遊郭編
■刀鍛冶の里編
■柱稽古編
■最終決戦編
・vs上弦の陸
・vs上弦の参
・vs上弦の弐
・vs上弦の一
・vs無惨
■エピローグ
◆まとめ
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■開始~入隊編
展開が早い!
1巻+2巻の頭だけで導入~正式入隊まで全部終わってしまいました。スゴイ。
特に最終選抜。1週間もあるし、てっきりハンター試験みたいに同期との顔合わせを踏まえつつ――みたいな展開でやっていくのかなと思ったのに、手鬼を倒す→1週間経過、で終わり。【1日目】【2日目】――みたいなものは全くなし。そもそも鱗滝さんとの修行で1コマで1年経ってたり速度がすさまじい。
肉体訓練から、岩を切れ、言葉じゃなく身体で身に着けろ――といった修行シーンは王道を貫く感じでいいですね。しかし、せっかく生き残った同期5人が絡むのは結構後というのが意外です。というか5人が本格的に一緒に戦っているのは最終決戦だけ、という。
同期5人に『超五感』が備わっているのは、トリコのグルメ四天王あたりを思い出します。あっちは味覚がありませんでしたが。グルメスパイザーが流行ったのはここが原因だった説を提唱しておきます。
重要な点としては『鬼殺隊は国とは関係ない非公認組織』であるという設定が語られていること。作中では割とあっさりと書かれていてスルーされがちですが、個人的にここは『設定の風呂敷を広げ過ぎない』という鬼滅の根幹を成すぐらいの超重要な設定だと思っています。
そこについては最後にまとめるということで、最初はこのぐらいで。
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■入隊~那田蜘蛛山前まで
さっきも言いましたが、同期キャラが全然出てこない!
しばらく炭治朗と禰豆子の二人っきりです。作風としても”1話完結”といった内容の連続。後半に続くような伏線もあまりなく、被害者や鬼の過去などについての話もあまりありません。方向性を手探りしていた(?)ような印象が感じられます。
鱗滝さんが『この子は優しすぎる』なんて言ってましたが、沼鬼にインタビューするときの炭治朗のブチ切れっぷりとかを見るとやっぱ基本的には『復讐譚』であると思わせられます。
人と人外の話をする上で避けて通れない『良い化物ポジション』の人が出ました。
珠世様&愈史郎。二人が出てきた時には他にも同じような良い方の鬼が出てくるのかな、なんて思っていましたが、そういったものは全く出て来ず。
東京喰種の”あんていく”的な組織を出したくなりますが、そこをぐっとこらえて、二人だけに済ませる。これもまた『設定の風呂敷を広げ過ぎない』という超重要設定。
鬼滅はこの絶妙な設定とそれを活かしたプロットが巧い作品だと思います。だからこそあそこまでの綺麗な終わり方が出来たんでしょう。
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■那田蜘蛛山編
ちまたではこの辺りから
「鬼滅は面白い」という空気が生まれ始めたと言われる那田蜘蛛山編。
『家族を鬼に殺された炭治朗』VS『鬼の家族』という構造。
果たして炭治朗は鬼とは言え、他人の家族を殺すことはできるのか――
といった予想とは裏腹に、鬼の家族はDVやら歪んだ思想やらに染まり切っている悪の塊のような集団でした。またまたまたしても『設定の風呂敷を広げ過ぎない』という巧い設定です。
鬼滅は全体を通して『鬼は悪側』という立ち位置を徹底的に守っています。
本当に、容赦ないぐらい『悪は徹底的に悪である』と書ききっています。
DVされてて可哀想と言われがちな、累のママ鬼も、隊員を糸で無理矢理動かして生き地獄を味わわせたあげく、最後は役に立たないとあっさり殺す、ド畜生の所業をしています。
この時の炭治郎も伊之助がビビるぐらいマジギレしています。
でも殺した後は、慈悲を向けます。
あくまでも徹底的に退治はするけど、その後は慈愛を向ける。
『鬼は人間だったんだから、俺と同じ人間だったんだから』
『醜い化け物なんかじゃない、鬼は虚しい生き物だ。悲しい生き物だ』
「罪を憎んで人を憎まず」
「日本一慈しい鬼退治」という文言が現れた回でした。
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■柱合会議編
息抜き回その1、あるいは修行回その2。
柱初登場シーンでは、鬼に対する憎しみがものすごく際立った描写になっていました。それこそ柱は異常者の集まりと思えてしまうほどに。
累戦後の冨岡さんの言葉。
「人を喰った鬼に情けをかけるな、子供の姿をしていても関係ない」
「何十年何百年生きている醜い化け物だ」
という言葉にもあるように、柱の鬼に対する憎しみはすさまじいものがあります。冨岡さんも反論したのが炭治朗だと気が付くまでは明らかに不快感を顔に出しているほどです。
鬼は虚しい生き物だと考える炭治朗と、鬼は徹底的に殺しつくと考えている柱――この辺りの状況を見るとやはり、炭治朗と柱の間で対立が発生してもおかしくない流れに見えてなりません。
それを解決するために出したのが
『人間と鬼の考え方の違い』というテーマなのだと思います。
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■無限列車編
ここ煉獄さんとの兼ね合いのところで泣ける、とよく言われているのですが、残念ながら私は泣けませんでした。内容がお涙頂戴物すぎる――というよりも、これは私自身の性格の方に由来するのだと思います。
私は「良い人が死ぬ」というシーンではあまり泣けないタイプです。
「恋人が死ぬ」「家族が死ぬ」「師匠が死ぬ」「親友が死ぬ」この辺りは古今東西の感動シーンとしてよく挙げられますが、私はこの辺りでは泣けないのです。遊郭編の鬼いちゃんと梅ちゃんのシーンもいまいち泣けませんでした。
代わりに
「自分自身の無能さを突きつけられ、自分でもそれを認めざるを得ない」
というシーンではこれでもかと泣きます。
という訳で猗窩座と黒死牟の回想ではめちゃくちゃ泣きました。
読み返してもまだ泣けます。それぞれ3回ずつぐらいは泣きました。
◆◆◆
さて、では先ほど言った『人間と鬼の考え方の違い』というテーマについて。
まずは煉獄さんの言葉。
「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ」
対する猗窩座の言葉。
「素晴らしき才能を持つ者が醜く衰えていく、俺は辛い耐えられない」
「人間だからだ、老いるからだ、死ぬからだ」
人間と鬼で対比する言葉になっています。
たとえ自分がいなくなったとしても、思いを受けついでいく者がいる。
血縁、弟子、口伝、手記、信念、約束によって思いは続くと信じる人間。
自分の力のみを信じて、他人を信じず、不変を求める鬼。
『人の思いは永遠である』ここで鬼滅のテーマが確立しました。
呼吸法などの設定がジョジョと酷似していたり、先生本人もジョジョの影響を多大に受けているとのことでしたが、人間であることの素晴らしさ『人間賛歌』もまた鬼滅にも息づいていると感じます。
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■遊郭編
ここからバトルが本格化してきますが、個人的にここはあまり好きではありません。
ちょっと絵がごちゃごちゃとしていて何をしているのかがイマイチ……。バラバラにされた禰豆子がバラバラになったまま血を固めて受け止める――という辺りは一発では理解できず……コミックス3巻分というのもかなり長くて読んでいて疲れてしまいました……。
妓夫太郎と堕姫の過去も泣けるパートとしてよく上げられますが、前述の通り泣けず……。
ですが、この二人の思考については考えさせられました。
二人の会話の端々に出てくる“鬼だから何をしてもいい”というような言葉。
「鬼は老いない、食うために金も必要ない、病気にならない、死なない、何も失わない」
「人にされて嫌だったこと苦しかったことを人にやって返して取り立てる。自分が不幸だったぶんは、他の誰かから取り立てねぇと取り返せねぇ。それが俺たちの生き方だ」
「俺は何度生まれ変わっても鬼になる」
二人のこの信条は人間だったころに形成されたものです。
つまり二人は鬼になったから異常な思考を持つようになったのではなく、元々そういう信条を持っていたところに、鬼の肉体が合わさってさらに凶暴化した、という形になります。
二人がこの信念を持つようになったのは、生まれ落ちた場所の劣悪さによるもの。
悪い人間によって、二人の人格は形成されたのです。二人の置かれた状況はいわば不条理であり、まともな生き方をして幸せになる道は恐らくなかったと思います。
遊郭編における悪は皮肉なことに人間です。
鬼よりも人間の悪意の方が恐ろしいのです。
人間は素晴らしい、と同時に醜い存在でもある。諸行無常。
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■刀鍛冶の里編
戦闘シーンとしてはここが一番好きです。
半天狗の分裂体の一人一つの能力、四体が合体してさらに強くなる。この展開がスゴい大好きです。デザインも好きです。半天狗はクズキャラとしての存在感が目立ちますが、分裂体は普通にカッコいいと思います。憎珀天の見開きとか最高です。
ここは鬼は徹底的な悪として描かれていました。
半天狗は憎珀天の相手を加害者と決めつける思考。そして過去。
玉壺は芸術と称して、死体を弄ぶ。そして断末魔には「弱く生まれたらただ老いるだけのつまらぬくだらぬ命」「人間の分際で、悍ましい下等生物めが」という発言。
ここの戦闘が好きなのは、鬼滅で『善VS悪』の構図が一番分かりやすく書かれているからなのかもしれません。
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■柱稽古編
息抜き回その2 あるいは修行回その3
割とのんびりとした空気。どちらかというと重要な設定を出す回でした。
「命をかけてつないでくれた命を託された未来をお前も繋ぐんだ」
人間賛歌のテーマが冨岡さんにも根付いています。
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■最終決戦編
まず無惨様とお館様の初顔合わせ。
無惨の望みは『永遠を生き、不滅であり続ける』
対するお館様は「人の心こそが永遠であり、不滅なんだよ」
再び鬼滅のテーマがはっきりと開示されました。
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・vs上弦の陸
やたらとクズ扱いされがちな獪岳。
『自分を評価するものが善』という思考は人間だったころからのもの。
獪岳は妓夫太郎・堕姫と同じく、鬼になったから異常な思考を持つようになったのではなく、元々そういう思考を持っていたところに、鬼の肉体が合わさった存在。
しかし獪岳の場合は、妓夫太郎・堕姫のように生まれてから鬼になるまで徹底した劣悪な場所にいたわけではありません。善逸と共に桑島さんの手ほどきを受け、三人で生活を送ってきていました。獪岳は本当の底辺と比べたら満たされた環境にいたことがあるにも関わらず、悪鬼の道へと堕ちてしまいました。
彼自身の”自分が特別でないと気が済まない”という性格が原因なので、やはりクズだった、と結論付けたくなりますがこれがなかなか難しいところもあります。
鬼滅の刃でも評価を付けるのが難しいキャラの一人だと思います。
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・vs上弦の参
過去編でボロ泣きしました。漫画でこんな泣いたのはホント久しぶりです。
「自分自身の無能さを突きつけられつつも、自分でもそれを認めざるを得ない」
――私の一番弱い所にドストレートで叩き込まれました……。
「弱者には虫唾が走る、反吐が出る」
「弱い奴は嫌いだ」
あああああ……過去の自分に対しての嫌悪がこれでもかとにじみ出ている……
対する炭治朗の言葉。
「強い者は弱い者を助け守る」
そして師範の言葉。
「他人と背比べとしているんじゃない。戦う相手はいつも自分だ」
陸や壱はこの考えを心から理解していれば鬼には堕ちなかったのでしょうか……
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・vs上弦の弐
わりとあっさり終わってしまってちょっと残念。
新興宗教の教祖ということで、その辺りの話をやるのかと思いきや、伊之助の母親などでちょっと出て来ただけでどんな組織なのかなどはほとんど出て来ず。
これも『設定の風呂敷を広げ過ぎない』の一つですね。詳しくは最後にまとめます。
面白いと思ったのはしのぶを殺す直前のセリフ。
「全部全部無駄だというのにやり抜く愚かさ。
これが人間の儚さ、人間の素晴らしさなんだよ」
これが本当に凄い。
そしてこの後、無駄でもやり抜いたしのぶの置き土産によって討たれるのもスゴイ。
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・vs上弦の壱
過去編でボロ泣きしました(その2)。
「優秀すぎる弟に嫉妬し、手段と目的が分からなくなった哀れな生涯」
――煮えくり返りそうなほどの嫉妬と、そんな自分に向けられる縁壱の達観したような表情……寿命が尽きた縁壱の懐から落ちた笛のところで泣きました……。
ま、やってることは無惨の次ぐらいに超ド級の悪なんですけど。
「研鑽し極められた技と肉体がこの世から消えるのが嘆かわしいと思わぬか」
「思わない。貴様の下らぬ観念を他人に共用するな」
『人間と鬼の考え方の違い』というテーマが再びはっきりと出されました。
黒死牟は縁壱には生涯追いつくことはできませんでした。どんなに努力を重ねたところで生まれながら人外の領域に達していた存在には勝てず、血のにじむ努力も全て無駄にしかなりませんでした。
黒死牟が恐れていたのはつみ重ねて来たことが無に帰ること。
努力が何の意味もなかったと突きつけられること。
最後の瞬間、黒死牟は「何も残せなかった」と無意味さを嘆いています。
しかし、人間はただ生きているだけでも様々なものを残しています。
後継者や技の継承ができなくても、思いは後世へと残ります。鬼狩りをしていたころの黒死牟――厳勝が鬼を倒したことで死なずに済んだ人達は大勢いたはずです。死なずに済んた人達の人生は途切れることなく後へと続いています。
しのぶさんがカナエさんと約束した言葉。
「自分達が救われたように、
まだ破壊されていない誰かの幸福を強くなって守りたいと思った」
「鬼を一体倒せば何十人」
「倒すのが上弦だったら何百人もの人を助けられる」
部下を鬼によって殺された厳勝であれば、このような思いを抱くこともできたはずです。
しかし厳勝はその考えを持つことができませんでした。
全ては縁壱に追いつくため。縁壱のような強さを手に入れるため。
裏を返せば縁壱のような”特別な存在になりたかった”という考え。
思いだされるのは”自分が特別でないと気が済まない”獪岳。
泣けてしまうほどの同情心できるのは、自分もまた「自分は特別でありたい」と思っていると突きつけられているからなのでしょうか……。難しい心理です。
・vs無惨
心に残ったのはやはり過去の縁壱との回想シーン。
『人の思いは永遠』の素晴らしさがこれでもかも詰め込まれています。
縁壱の出生、兄との別れ、うたとの出会い、鬼に対する憎しみ。
呼吸法のはじまり、無惨との邂逅、珠世様との出会い。
炭治朗の祖先を助ける、日の呼吸の伝承、後につなぐ約束。
この全ての流れを知ると、鬼滅の刃という話がどれだけスゴイんだよというか……。
本編は炭治朗の生きている場面だけを書いていますが、その裏には本当にあらゆる事象が積み重なった歴史が存在していて、主人公の存在さえもその一幕にすぎないというかなんというか……。
◆◆◆
そして無惨の最後のシーン。「私の想いもまた不滅なのだ」なんて泣きながらほざいてましたが、やはり彼は本質的にはそのことを理解しきれてはいなかったようです。
「家族は死んだ。帰ってどうする」
「お前だけ生き残るのか? 大勢の者が死んだというのに」
「お前だけがのうのうと生き残るのか?」
そんな言葉をいったところで炭治朗は小動もしていません。
「命をかけてつないでくれた命を託された未来を繋ぐ」
残された命を精いっぱい輝かせる。無惨には理解できなかったことでしょう。
・エピローグ
繋がれた命がずっと続いた先の未来のお話。
そうだよねぇ……今、自分達がいるのは、百年前、二百年前に生きていたご先祖様たちが人生を生きて繋いできてくれた結果なんだよねぇ……どっかで欠けてたら今ここにいないんだもんねぇ……
最後の最後のあとあとがき。
何百年前のことも、その時は”今”。今は過去の歴史がずっと続いてきた結果。
『鬼滅の刃』は炭治朗の視点から見たお話でしたが、その裏には本当にあらゆる事象が積み重なった歴史が存在していて、炭治朗の存在さえも大きな流れの中のほんの一つに過ぎない――――本当にとてもいいお話でした。
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◆まとめ
最後に重要だと思った「風呂敷を広げすぎない」について書いてみます。
感想というよりも『創作設定上の気付き』といった感じになっています。
鬼滅にはこの手の話における『よくあるキャラ』が全然出てきません。
それは「化け物になりたくて生まれてきたわけじゃないんだ!」と主張するキャラです。これが鬼滅には全然出てきません。珠世様&愈史郎はいますが、二人は鬼の歴史において唯一無二と言っていい、例外中の例外の存在であり、それ以外の鬼は人を喰うことに抵抗を感じていません。
◆◆◆
これによって『人間VS鬼』の構図が最初から最後までブレていません。
鬼は殺害するに値する存在として、終始描かれています。
同情をさそう過去話にせよ、慈愛を向けるにせよ、やるのは全部終わったあと。
それまでは炭治郎も鬼にマジギレするし、手加減も一切しません。
作中の鬼はとにかく悪いです。
過去の回想以外で、およそ同情できるようなシーンはまずありません。むしろ炭治朗たちの目の前でめちゃくちゃ悪いことを重ねがけするような始末です。だからこそ容赦なく殺害するという流れに違和感がでません。
もしここで鬼が「俺だってできることなら人間を喰いたくなんかない!」というような反省の意を見せたりして、その上で容赦なく殺害したら炭治朗が悪役っぽくなってしまいます。
◆◆◆
人を喰わないと生きていけないから仕方なく食べる。
東京喰種の“あんていく”的なことをする鬼が出てくると、構図が一気にブレます。
これはこれで『善悪とは何か』『誰かにとっての善は、誰かにとっての悪である』みたいなテーマに繋がりますが、鬼滅ではこのテーマを連想させないようにとにかく要素を削っています。
◆◆◆
もし鬼滅の内容が
・御屋形様をトップとした鬼を一匹残らず殺す人間グループ
・無惨様をトップとした人を喰う残虐な鬼グループ
・珠世様をトップとした補食を忌避する第三勢力の鬼グループ
こんな感じの三すくみからなる話だった場合、おそらく収拾がつかなくなります。
復讐譚において、善でも悪でもない微妙な立場の存在の扱いは本当に難しいです。
『情状酌量の余地あり』の判断は現実でも水掛け論になること間違いありませんし、創作であっても、これだという判断をつけるのはまず不可能です。
◆◆◆
「鬼は同族嫌悪により群れないし、共食いもする」という設定は、無惨様が反乱を防ぐために呪いをかけた、ということになっていますが、これが本当に「風呂敷を広げすぎない設定」として巧すぎます。
「鬼になると人間だったころの記憶を失う」
「強い闘争本能や無惨への忠誠心を強制的に植え付けられる」
も、鬼となった自分自身への自己嫌悪が起きる可能性を完膚なきまでに消す設定になっていて、鬼同士で友情が成立することが絶対にありえない設定になっています。
スッキリした完結の裏には、多少なりとも出てくるであろう『勧善懲悪の復讐譚』のモヤモヤを「広くなりすぎない設定」で見事に解消しているというところにある――と思いました。
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さらに鬼滅では『後味の悪くなりそうなエピソード』も一切ありません。
炭治朗は鬼退治の開始から終わりまで「鬼を容赦なく殺してしまっていいのか?」という葛藤を覚えそうな状況には一度たりとも出くわしていません。(前述の様にそうならない設定が根底にあるというのもありますが)
那田蜘蛛山では、
『家族を鬼に殺された炭治朗』VS『鬼の家族』という構造になっていると書きました。
この構図だと、炭治朗は鬼とは言え、他人の家族を殺すことはできるのか――というエピソードにすることも出来そうなのですが鬼滅はそれを連想すらさせません。
ここで「お願いお母さんを殺さないで!」なんてことを鬼が言いだしたら、果たして炭治朗は斬れるのか――展開としてはあり得そうですし、見て見たいようにも思いますが、これだと殺しても、殺さなくても後味が悪くなります。
ほかには童磨の宗教。
どんな組織なのか、内部はどうなっているのかなどがあまり出て来なくて残念――と書きましたが、出してしまうと絶対に後味は悪くなります。
童磨は教祖の顔の裏側で信者を喰っていましたが、伊之助の母親のように『行き場のない人間を受け入れる施設』としての一面を持っていたというのは事実です。つまり童磨は少なからず『人間を救っていた』ということになります。
もし施設に乗り込んで童磨を討伐する――みたいな流れになったとしたら“童磨に心酔している信者が鬼殺隊の邪魔をする”・“信者を人質に取る”・“無事に討伐できても身寄りのない人間の拠りどころを潰してしまった”――そんな展開になりかねません。
というか童磨が死んだことであの宗教は教祖を失ったことになります。無惨戦が終わった後はほのぼのな日常しか書かれていませんでしたが、あの裏側では「教祖を失った宗教団体の末路」というものは確かに存在していたはずです――書かれていないだけで。
◆◆◆
さらに第一話。炭治朗に「禰豆子を殺さないでくれ」と言われた時の冨岡さんの台詞。
「昔同じようなことを言って喰われた奴がいた」
冨岡さんは『家族が鬼になり、殺さないでくれ、と命乞いをした人間が逆に喰われてしまった』という場面を山ほどみてきたと回想しています。不死川家の時のように鬼滅の世界ではこのような出来事は恐らくよくあることなのでしょう。
さて、ではもし炭治朗がこの場面に出くわしたらどうなるのでしょうか?
自分はかつて「殺さないでくれ」と命乞いをしたけど、鬼殺隊となったからには非情に殺すのか。それとも過去の自分を思い出して、躊躇してしまうのか。
メタ的には禰豆子のような人を襲わない鬼が二人・三人と出てくるのはまずありえないので、もしそんな場面に出くわした場合には炭治朗は『非情にも殺す』という選択をする可能性が高いでしょう。
しかしその時の炭治朗の心境は恐らく平静ではいられないはずです。
かつての自分のように「お願いします」と土下座をされ「この子は違うんだ」と必死にお願いをされ「この子は人を喰ったりしない!」「だから…やめてくれ…」――そう言われた炭治朗はいったい何を思うのか――――そして思った後で殺したらどうなるのか。
恐らく家族からは散々罵倒に近い言葉を言われることでしょう。
…………自分の妹は見逃して貰ったのに。
しかし、そんな場面は最後までありませんでした。
竈門炭治朗の人生に、そんな辛い出来事は起こらなかったのです。
◆◆◆
『善VS悪で善が容赦なく勝っても後味が悪くならない』
『白でも黒でもないキャラ・設定は徹底的に出さない』
『心理的に都合が悪くなりそうな出来事は書かない』
『風呂敷を広げ過ぎない、かつ違和感がない程度に不快な要素を削った絶妙な設定』こそが鬼滅の刃の根幹にはあるのだと私は思っています。