「お兄ちゃん!お兄ちゃん!!おきて~!!!」
目覚めた時、俺は自分の部屋のベッドの中だった。窓から差し込む朝日が眩しく、頭は重く、昨夜の酔いがまだ残っている。
そこへ、あやめが部屋に入ってきた。
「お兄ちゃん、昨日は帰り遅かったじゃん。しかも、すごく酔ってたし!」

あやめは少し怒った様子で俺を叱った。
あまり大きな声は出さないで欲しい。
声が頭に響く…
「ああ…ごめん。ちょっと飲みすぎちゃって…?」
俺は頭を抱えながら答えた。
美香さんとホテルに行った記憶が、夢だったのか現実だったのか、その境界が曖昧で、混乱していた。
お店を出て以降の記憶はぼんやりとしていて、何がどうなったのか、詳細は覚えていない。ただ、笑い声と、美香さんの温かな雰囲気だけが心に残っていた。
しかし、あやめの叱責を受けているうちに、徐々に現実感が戻ってきた。昨夜の出来事が夢であったことに、ほっとすると同時に、なんとも言えない寂しさと恥ずかしさと自己嫌悪を感じて身もだえた。
(あ~~!!俺はなんて夢を見てるんだ!そりゃ美香さんとそういう関係になれたら…いやいや落ち着け俺!)
色々と複雑な心境を心の中で葛藤していると、あやめが声をかけてきた。
「お兄ちゃん、次からは気をつけてね。心配するから…」

あやめが心配そうな表情でこちらを見ている。
(しまったな…)
付き合いとはいえ、少し飲みすぎて心配をさせてしまった。
あやめのその言葉に、俺は改めて、家族の大切さと、自分の行動の責任を感じた。
「あやめ、すまなかった」
俺は素直に謝った。

「許してあげます!…はい!朝ごはん出来てるよ♪
二日酔いにはシジミ汁が良いって聞いたから作っておいたよ!」
すると、ちょっと怒った顔から、一転笑顔になってあやめは、そう言った。
ほんとに俺には出来た妹だと改めて思った。
☆☆☆☆☆
重い頭を抱えながらなんとか出社したが、頭の中は昨夜の夢とその後のあやめとのやり取りでいっぱいだった。
そんな時に限ってエレベーターで美香さんに偶然会った。
正直、俺はどう振る舞っていいかわからなかった。

エレベーターの中で美香さんに「顔色が悪いけど、大丈夫?」と心配され、慌てて平静を装う。
美香さんは少し疲れた様子で言った。
「昨日は遅くまですまない。どうやって帰ったのかも覚えていないんだけど、迷惑をかけなかったかしら…」
彼女の声には、わずかに二日酔いの影を感じさせるものがあった。
俺は、昨夜の夢と現実の境界線が曖昧になる中で、どう返答すればいいか一瞬迷った。
「いえ、大丈夫ですよ。美香さんも大変でしたよね。無事に帰れて何よりです」
と、なんとか答えた。美香さんはほっとしたように微笑み
「ありがとう。でも、次からはもう少し控えめにするわ」
と苦笑いを浮かべた。
その姿に、俺は昨夜の夢がただの幻だったことに少し安堵しつつも、彼女への複雑な感情を抱えたままオフィスへと向かった。
(朝から大きな案件のプレゼンがあるんだから、切り替えていこう!)
仕事に没頭することで心のモヤモヤを払しょくしようと決めた俺は、大事なプレゼンに全力を注ぐことで思考を切り替えた。
☆☆☆☆☆
「お疲れ様!」
プレゼン後、エミが俺に声をかけてきた。

「さすがうちのエース♪ ほんとによくあれだけお客さんの心を掴めるよね!」
エミはいつも屈託のない笑顔で褒めてくれる。
「ありがとう。お客さんの気持ちはなんとなく分かるんだよね」
「そうなんだ!凄いねぇ♪ちゃんと提案も刺さってたみたいだね!」
自分でも手ごたえを感じたから、受注できる可能性は高いと感じている。
「そうだ!今日も一緒にランチいかない?さっきの案件を受注したらすぐ動けるように準備しておきたいから、少しお話もしようよ♪」
「もちろん!」
俺は快く返事して、片付けを進めていった。
☆☆☆☆☆
お昼になり、俺はエミと一緒に社外へ出た。
ランチに向かう途中、路上で突然声をかけられた。
見知らぬ人からの声掛けに、俺は瞬間的に緊張する。
「少し駅までの道を尋ねたいのですが」
「ああ…え…駅ですね!そ…それなら…」
昔から極度の人見知りで、初めて話す人とはまともに喋れない。
お客さんに提案する時は堂々と話せるのに、普段はどうしても人見知りしてしまう。
今でこそ営業の仕事をしているが、元々入社時の志望部署は事務員だった。
結局入社後に営業の人材が足りないという事で、営業に回されてしまったのだ。
仕事だからととにかく頑張って、お客さんとのやり取りが出来るようにはなったが、今でもお客さんと話する時の世間話は事前にしっかり準備をしておかないと出来ない。
エミがそんな俺を見て「大丈夫?」と心配そうに尋ねてくれた。
彼女の優しさに救われながら、俺は「ああ、大丈夫だよ。ちょっとビックリしただけ」と笑い飛ばす。

「高橋君って、お客さんとはすごくスマートに話せるのに、知らない人から声をかけられると緊張しちゃうのね」と笑顔で言った。
「えっ、そんなにバレてる?」と俺は驚きつつも、少し照れくささを感じた。
「うん、でもそれがいいと思うよ。人見知りなところも含めて、キミらしいんじゃないかな」
エミはそう言って、優しく微笑んだ。

(くっ…可愛い…)
そんな顔で優しい事を言われると、キュンとしてしまうじゃないか!
それと同時に今朝の美香さんの夢を思い出し、節操のない自分に嫌気がさす。
「ありがとう、エミ。話すテーマがあれば自信を持って喋れるんだけど、プライベートではまだまだだね」
と俺は少し笑いながら言った。
エミは「大丈夫、高橋君が自然体でいることが一番だよ♪」と励ましてくれた。
その言葉に俺は救われた気持ちになった。
☆☆☆☆☆
ランチ中、エミとの打ち合わせは予想以上に盛り上がり、時間が足りなくなってしまった。
「高橋君、今日の夜も時間ある?ランチだけじゃ、打ち合わせ足りなかったし、ちょうどいい店見つけたんだ♪」とエミが提案してきた。
彼女の目は期待でキラキラしていて、断る理由が見つからない。
「もちろん、大丈夫だよ。どんな店?」と尋ねると、エミは
「う~ん…ナイショ!きっと喜んでもらえると思うんだ~♪楽しみにしててね!」と笑いながら答えた。
☆☆☆☆☆
仕事を終えた後、エミが予約してくれたお店に向かう。
彼女は場所を秘密にしていたから、どんなお店なのかワクワクしながらついていく。
街の喧騒を抜け、ある小路に入ると…
「これは…」

どう見てもラブホ街である。
エミは特に気にする様子も無く歩いている。
(え…ナイショって…そういう事?いやいや、そんなわけないだろ!でも、喜んでもらえるって…)
☆☆☆☆☆
「きっと悦んでもらえるよ!はやく来て♪」

☆☆☆☆☆
「お…ぃ」
「お~い!高橋君!」
「おーい!来て来て~♪こっちだよ~!」
(いかんいかん!意識が遠くにいっていた!)
俺が妄想していると、エミに声をかけられた。
慌てて追いつくと、そこはホテルの入り口…に並ぶようにひっそりと佇む一軒のお店が現れた。
外観は古風でありながらも、どこか温かみがある。
エミは「ここの料理、絶対に気に入ると思うよ」と得意げに言う。
店に入ると、温かな照明と木の香りが迎えてくれ、すぐに心地よさを感じた。
エミが注文したのは、その店自慢の特製ローストチキンと季節の野菜を使ったサラダ、そして地元産のワイン。
ローストチキンは外はパリッとして中はジューシーで、噛むほどに肉の旨味が口の中に広がった。
サラダは新鮮な野菜がシャキシャキとしており、ドレッシングの酸味と甘味が絶妙にマッチしている。
ワインは料理の味を引き立てる軽やかな味わいで、食事の満足感を一層深めてくれた。

「どう?美味しい?」
エミが期待を込めて聞いてくる。
「本当に美味しいよ。こんな素敵な場所、どうやって見つけたの?」
「たまたま見つけたんだ。良かった、気に入ってもらえて♪」と嬉しそうに笑った。
(うっ…ざ…罪悪感が…)
ホテル街を歩きながら変な妄想をしていた事にちょっとした罪悪感を感じてしまっていた。
エミとは同期で、ずっと一緒に仕事をしてきた。
会社で一緒にいる時間が最も長い同僚なのは間違いない。
おっとりしている雰囲気そのままに、いつも優しさで包み込んでくれるような女性だ。
誰とも分け隔てなく優しく接する人柄で、社内ではひそかに聖母と呼ばれており、男女共に人気も高い。
顔も可愛く、そして社内の誰にも負けないその大きな…
当然、それだけ近くにいれば、意識してしまうのだが。
流石にそういう関係になるような声をかける勇気は無い。
(ムリムリムリムリ!!もしフラれたら、どんな顔して会社に行けばいいのか…)
自分で自分に言い訳をしながら、もう一つの懸念が頭をよぎる…
(それに…)
「どうしたの?」
気がつけば、エミが顔を覗き込んできていた。
「わっ!な…なんでもないよ!ハハハ」
俺は慌てながら、カップに口をつけ、ゴクリと飲む。
「あ、それバルサミコ酢…」
・・・・
その後、しばらくむせて大変ではあったものの、美味しい食事に舌鼓をうちながら、仕事の話についても詰めていった。
そして、話もひと段落したところで。
「いろいろ参考になったよ~♪これならある程度準備もしておけるね!」
「ああ、ありがとう。頼りにしてるよ」
「うん!任せておいて♪」
俺は提案やプレゼンは平気だが、準備や段取りが苦手である。
逆にエミは書類整理や仕事の段取りが得意で、営業アシスタントとしても非常に優秀だ。
正直エミがいなければ、雑務に追われて今のような成績は残せなかっただろう。
本当に足を向けて眠れない。
「じゃあ、そろそろいこっか!」
エミがテーブルの上の食器を片付けながら声をかけてくる。
それに同意して、一緒にお店を出た。

「いや~!ほんとに美味しかったよ♪いいお店を紹介してくれてありがとう!」
「どういたしまして♪今度はあやめちゃんも一緒に来たいね!」
エミとあやめは面識がある。
あやめが引っ越してきてすぐの時に、料理のレパートリーを増やしたいとあやめから相談があって、エミにお願いしたのがきっかけだ。
エミは料理もかなりの腕前で、和洋中一通りの料理は作れるらしい。
あやめも簡単な料理くらいは出来たが、エミの影響もあってメキメキと腕を上げている。
「そうだな、次はあやめも連れて来よう!」
と、その時見覚えのあるポニーテールが遠くに見えた。
(あれは…あやめ!?)
ここは俺も最初に勘違いを起こしてしまうような、いわゆるホテル街だ。
こんなところにあやめがいるはず…
いや、どう見てもあやめだな。
誰かと一緒にいるようだが、彼氏か?
もう大学生だし、彼氏くらいいてもおかしくないが…
なんというか複雑な気分だ。
これが父親の心境というものなのだろうか。
「あれって…あやめちゃんかな?」
俺の視線に気付いて、その方向を見たエミの言葉で見間違いの可能性がさらに低くなった。
「だよなぁ。まぁ、大学生だし彼氏くらいいてもおかしくないんだが…」
なんとも言えない胸のモヤモヤを押し殺して、続きの言葉を飲み込んだ。
「流石に気付かれるとあやめちゃんも気まずいだろうから、そっとしておいてあげよう」
「…そうだな」
エミにそう言われて、同意しようとしたその時…
「やめて!」
あやめの叫び声が聞こえてきた。