「ボサッとすんじゃねえ! とっとと逃げろ! 養成所へ戻って防衛戦用意!」
俺は戦おうとするひよっこ共を怒鳴りつけた。ヒーロー養成所への突然の襲撃。敵は相当な準備をしてきているはずだ。養成所の運動場に染みのように広がる影から、わらわらと戦闘員たちが這い出してくる。俺はジリジリと後退したが、まだ戦おうとしている野郎がいる。舌打ちをして怒鳴りつけた。
「おい赤城! 聞こえねえのか!」
「ですが教官! あなたを置いて逃げるわけには行きません!」
赤城健太郎。俺が受け持っているひよっこ共の中でも、見どころのある奴だ。濃い眉は凛々しく、真っ直ぐな瞳は正義感に燃えている。こんな状況でさえ、俺を庇おうとするとは。だが、それが今のこいつの弱点でもある。俺は戦闘員共から目を離さずに言った。
「赤城。仲間を見ろ」
「え?」
赤城が養成所の建物を振り返る。赤城が残ったことで、他のひよっこ共の足並みが乱れていた。こちらを振り返り、戻るべきか逡巡している。俺は目の端でそれを捉えながら、低い声で言い放った。
「テメエが残ってると、他の連中が逃げらんねえんだよ。テメエは仲間を危険に晒す気か?」
「で、ですが……」
赤城は湧き出してくる戦闘員たちと、俺と、仲間たちを振り返り迷っていた。俺は幾分か声音を和らげた。
「赤城。テメエに任務を言い渡す。『仲間たちを守れ』」
「え?」
「籠城戦を指揮し、ヒーローの到着まで凌げ。いいな?」
「は、はい。でも教官は……」
「くどい。俺を馬鹿にしてんのか? “不動明王”エグゼキューターが負けるのを、テメエは見たことがあるか?」
「いっ、いえ! 教官が負けるなど! 断じてあり得ません!!」
「ったりめえだろ? 分かったら、とっとと行けッ!」
「はいッ! 教官、どうかご武運を!!」
力強く返事をした赤城が駆け出していく。ったく、まだまだ手のかかる半人前だぜ。
「来いよ戦闘員共。誰に喧嘩売ったのか……わかってんだろうな?」
変身。銀色のボディスーツが全身を覆い、要所に黒い装甲が走る。不動明王の半面を装着し、燃える真紅の陣羽織を翻した俺は、腰の刀に右手をやった。
(まずは全員、手足の腱を叩き斬ってやる。あとから洗脳と一緒に治療させればいいだろ)
“斬るものを選び取る”という刀の能力から付いた俺のヒーロー名は、エグゼキューター。即ち執行者。だが俺は忿怒の半面から、“不動明王”の二つ名で呼ばれることも多かった。
「さて、授業の時間だ。まずは命乞いの仕方から……手取り足取り教えてやるよ」
俺はすり足で距離を測ると、素早く戦闘員の群れへと駆け出して──
※
「あ? ゴボッ、ゴホッ……」
大量の水がタンクから排水されていく。喉に残っていた水を吐き出しているうちに、タンクの水が空になり、入口が開いた。辺りは暗く広い空間。いくつもタンクが並び、淡い水色の光源に照らされている。他のタンクの中にも人間が入っていて、眠っているようだ。
「あ〜〜……畜生、しくじったか。俺も焼きが回ったな」
俺は自分の体を包む、暗褐色の戦闘員タイツを摘んで頭をボリボリと掻いた。ヒーロースーツも、刀も──全ての武装が消え失せている。それにこの場所は、どこからどう見ても、例の組織──ダークジェネシスの基地だ。捕らえられた俺は基地へと運ばれて、戦闘員に改造されたようだ。
「こりゃ、頭ん中も弄られてるな」
俺の顔はまだ戦闘員マスクで覆われちゃいないが、それは俺の頭の中身が無事であることを意味しない。俺がスタスタと迷いなく歩いているのがその証拠だ。連中は、組織への忠誠心と戦闘員に必要な知識を戦闘員の脳に刷り込む。目覚めてタンクから出た俺が、初めて来たはずの基地の内部構造を理解し、検査室に向かっているのもそれが理由だ。「早くメディカルチェックを受けなければならない」という衝動が、胸の裡から焦燥感となって湧き上がってくる。
「これが洗脳か。なるほど、確かに俺自身の意思……って勘違いしそうになるな」
洗脳された野郎の心境なんて、ヒーローだった頃は想像もできなかった。実際に洗脳を受けるとこうなるのかと苦笑しているうちに、検査室に着いた。扉をぶち破ってやろうかという思いつきは、そんなことしたらメディカルチェックが遅れるという切実な悩みにすり替わり、俺はため息を吐いた。早くメディカルチェックを受けたい、早く……焦燥感は次第に大きくなってくる。どうやっても俺はメディカルチェックを受けないとならねえらしい。観念してノックし、入室許可を待つ。
「あー、戦闘員番号、D10834号。覚醒しました」
俺の喉からは、頭に刷り込まれたばかりの番号が自然と出た。くぐもった声が応答する。「入れ」。その指示に従い、俺は静かに扉を開いた。闇の中にタンクが淡く光っていた今までの部屋と異なり、こちらは無機質な白い壁で囲まれ、中央には様々な計器が並ぶデスクが置かれている。そして、その奥には白衣を着た男が座っていた。男は俺を見て、ニヤッと口角を上げた。
「おお、これはこれは。元“不動明王”エグゼキューター殿ではないですか。いやはや、まさか我らにあれほど辛酸を舐めさせたヒーローが、新入りになるとは。今日は喜ばしい日ですな」
「全くだな」
俺は男を──ドクターを一瞥して頷いた。ったく、勝手に人の頭ン中を弄りやがって。まあいい。幸い俺は、まだ自分の意志を保てている……はずだ。洗脳で刷り込まれた感情はわざとらしく、俺自身の感情と区別できている。このまま洗脳されたフリを続けて、逃げるタイミングを窺うしかない。ドクターは手元のタブレットに目を落とし、さらに口元を緩めた。
「我々の解析によれば、あなたの脳は非常に興味深い構造をしています。精神抵抗も並外れたものがある。それを完全に服従させるのは、実にやりがいのある仕事でした」
「そうか。そいつは光栄だ」
俺の胸の裡に、震えるような感動が湧き上がる。あまりにもわざとらしい、嘘くさい感情だった。これも刷り込まれた感情だとすぐにわかったが、俺はあえてその感動の波に乗り、にんまりと口角を上げた。まずはコイツを騙し切る。どうやら俺を完全に服従させたと、データ上ではそうなってるらしい。ドクターはタブレットを操作すると、口を開いた。
「それでは、まずは問診から始めようか。もしかすると抵抗する精神が、まだ心のどこかに巣食っているかもしれないからねぇ。先にそっちからチェックしちゃおっか」
ドクターがタブレットを操作し、こちらをチラリと窺うと、画面をタップした。
「自己診断モード、起動(アクティベート)。『誠実』を100で固定」
「んあっ!?」
ガツンと後頭部を殴られたような衝撃が走り、俺は思わず呻いた。な、なんだ? 今のは。
「さ、自己診断を報告してもらおうか」
「お、おう」
何を報告すればいいのか、ということはわかりきっていた。
「現状、俺の洗脳は不十分だ」
言ってしまってから、俺は自分の迂闊さに目を見開いたが、手遅れだった。ドクターがニヤついた顔で頷く。
「おやおや。データ上では君の脳機能は洗脳済みとなっているのだが……原因はなんだと思う?」
「俺に対する、表層的な洗脳は機能している。だが俺は、洗脳で植え付けられた感情と、自分本来の感情を分析して整理することで、人格の根本が洗脳されることに抵抗している」
舌が勝手に回る。饒舌になる。気持ち良く酒をかっ喰らったときのように。隠し事をしたくない、全てさらけ出したいという思いが、俺の頭を埋め尽くしていく。やめろ、話すなと頭の片隅に意識はあるのだが、話すことが気持ちよくて止まらない。
「なるほどなるほど……では、あなたに問います。あなた自身を、完璧に洗脳するためには、どうすればいいと思いますか? 具体的な洗脳プロトコルを計画、立案して、私に提案してください」
「おう。そうだな……」
クソッ! そんなこと考えるんじゃねえ! 俺は必死に別なことを考えようとしたが、脳みそが勝手に考えちまう。俺をどうすれば堕とせるか。元最強のヒーロー、“不動明王”エグゼキューターをダークジェネシスに屈服させる方法は何か。かつての己が持っていた弱点、心の隙間、そして何よりも大切にしていたもの。それらを一つ一つ洗い出し、どうすれば効果的に利用できるかを、俺はドクターに提案し始めた。
「俺はこう見えて、義理堅い性格だからな。借りを作ったら、キッチリ返さねえと気が済まねえタチだ。そこを突いたらいいんじゃないか?」
「というと? ダークジェネシスに恩義がある、という偽りの記憶を植え付けるということですか?」
「違えよ。だいたいそんな嘘っぱちの記憶植え付けても、嘘がバレたらあっという間に洗脳が解けるじゃねえか。偽の記憶なんざ使わなくても、そうだな……こういう理屈はどうだ?」
俺の表情筋が笑みを作る。抵抗しようとしたが、唇の端が痙攣するだけに終わった。
「俺が“不動明王”として長年メシを食ってこれたのは、誰のおかげだ? ……ダークジェネシスだ。お前らという『絶対悪』がいてくれたからこそ、『正義』の俺に仕事があったんだ」
「なるほど。そういう理屈を刷り込むと」
ドクターはうんうんと頷いて俺の言葉に聞き入っている。それが気持ちいい。まるで飲み屋で若い連中に武勇伝を話すときのように、俺の舌は浮いたように回り続ける。
「その大恩あるダークジェネシスに、仇を返すような真似はできねえ。これからは組織に尽くすことで恩を返す。それが俺の……俺なりの『仁義』だ」
俺は高揚感に包まれながら、さらに言葉を続けた。ドクターはタブレットを操作する手を止めると、一言一句聞き漏らすまいと熱心に耳を傾けている。ドクターの熱心な眼差しが一種の快感となり、俺はすっかり舞い上がって得意げに語り続けた。もっとコイツを感心させたい。もっと俺の話に夢中にさせたい。脳が沸騰するような熱っぽさが、俺の口をどんどん軽くしていく。
「……そして、俺がヒーロー共と戦うのは、いわば育ててくれた古巣への挨拶みてえなもんだ。だから手加減はしねえ。全力で叩き潰しに行くのが、奴らへの最大限の礼儀だろうが……! とまあ、そんな具合だな」
最高の洗脳手順を言い切った満足感が俺の全身を包み込んだ。戦闘員として組織に貢献できたという達成感が、俺を包み込もうとする。クソッ! 無茶苦茶な理屈なのに、俺にはこれがよく効くだろうという直感があった。なにせ、俺自身が考えた俺の弱点だ。ドクターは興奮気味にタブレットを操作し、俺の提案を記録し、満足そうに頷いている。
「いやはや、見事な論理ですな。まさか、ヒーローとしての存在意義を逆手に取ることで、正義のヒーローを完全に服従させるとは。これはあなた以外のヒーローにも通じるのでは?」
「待て待て。俺の義理堅い性格なら、っつったろ? 俺みたいな古臭いヒーローならともかく、最近の若いのには効きが悪いんじゃねえか?」
「それもそうですね。いやぁ、さすがは元“不動明王”。この会話だけでも、あなたを堕とした価値はありましたよ」
ドクターは恍惚とした表情で語った。俺は内心、吐き気を催したが、表面的には得意げな笑みを浮かべた。
「フン……俺もまんざらでもねえよ」
俺は内心の焦燥を押し隠し、歪んだ笑みを浮かべた。このやりとりに、俺の脳が喜びを感じている。まるで他人の感情のように、しかし確かにそれは俺の内側から湧き上がってくる──思考の片隅で、冷静な俺が『騙されるな』と警鐘を鳴らしている。この刷り込まれた喜びは、俺の本心も染め上げる隙を狙っている。それと、どうにかこの『誠実』固定モードから抜け出さねえと。これ以上、俺の弱点を奴らに晒すわけにはいかない。だが、どうすれば……。俺が悩んでいると、ドクターはさらに質問を重ねた。
「では、あなたから我々の洗脳プロトコルに対して、他の提案はありますか?」
「……前から思ってたんだが」
やめろやめろ! これ以上言うんじゃねえ! 俺は黙ろうとしたが、頭と口はチグハグだ。俺は思いつきを聞いて欲しいガキみてえな気分で、ぺろっと喋っちまう。
「お前たちの標準プロトコルには欠陥がある。ただ暴力性を増幅させるだけでは、俺は単なる狂戦士になるだけだ。……教官としての経験から言わせてもらうが、思考を欠いた暴力は隙を生み、かえって敗北に繋がりやすい」
「なるほど。では、あなたならどう改善しますか?」
「そうだな……お前らの洗脳は『欲望の解放』をトリガーにして、社会への不満を増幅し、戦闘員としての破壊衝動に繋げているよな? なら増幅する衝動を『暴力』ではなく『性欲』に設定しろ。俺の場合なら、脳の報酬系を汚染し、『ヒーローの敗北』そのものを性的興奮のトリガーに設定しろ。……俺自身がヒーローに負ける屈辱も、俺がヒーローを屈服させたいという征服欲も、これで表裏一体となる」
とんでもないことを俺は口にしている。俺だけでなく、他のヒーローにも累が及んでしまうかもしれない。俺はさっきから脂汗を掻きながら、必死に唇を閉じようとしている。だが、このドクターともっと喋りたい、俺が考えた最高の洗脳方法を提案したいという高揚感が、俺の裡から湧き上がってくる。ドクターはそんな俺の葛藤も知らず、はしゃいだ声音で言った。
「ほほう! 素晴らしい! その発想は我々にはありませんでした。確かに、単なる暴力衝動よりも、性的な屈辱や征服欲に結びつける方が、より深く、永続的な洗脳効果が期待できますね」
ドクターは瞳を輝かせ、タブレット用のペンで手早くメモを取っている。俺は心の中で絶叫しながら、さらに具体的な方法を語ろうとしてしまう。
「あとは洗脳が解除されたら、勃起や射精ができなくなる……いや、違うな。『洗脳が解除されるのは、去勢と同義』っつう暗示を刷り込んでおくのはどうだ? 野郎が根源的に恐れる去勢不安だ。俺みてえな、『男らしさ』にこだわる奴には特に効くだろうよ。これなら、洗脳の解除にも耐性ができるはずだ」
「なるほど!まさしく、我々が求めていたものです! 洗脳解除のトリガーを男としての根源的な恐怖に結びつけるとは。これならば、たとえ自我が目覚めたとしても、肉体がそれに従うことを拒否する。あなたの提案は、我々の洗脳プロトコルに革命をもたらすでしょう」
「褒めすぎだ。あとはヒーローとしての正義……これをだな、『偽善』という言葉に置き換えてやればいい。自分は金のためにヒーローをやっていたと、記憶はそのまま価値観だけすり替えてやれ。そして、それを恥ずかしく思う感情を増幅して、結びつけろ」
ドクターは「エクセレント!」と叫び、タブレットを机に置くと、俺に握手を求めてきた。俺は反射的にその手を握ってしまった。ドクターの掌は、汗ばんで熱い。それは興奮の証だろう。俺の脳裏には、洗脳が完了した後の忌まわしい未来がちらつく。かつての仲間を、愛する人々を、この手で傷つける自分が想像できてしまい、吐き気を催した。
「さっそくあなたの提案を元にした、洗脳プロトコルを組んでみます。診察台に横になってお待ち下さい」
「わかった」
やっちまったな……俺はげんなりした気持ちだった。俺の提案は、俺の性格や価値観の穴を、的確に突いている。だが希望があるとすれば、何より俺がそれを提案したことを、覚えているということだ。そこを取っ掛かりにして、どうにか正気を保つしかねえ。ドクターはパソコンに向かって猛烈な勢いで何かを打ち込んでいる。しばらく待っていると、ドクターが深い溜め息を吐いた。
「改良版洗脳プロトコル、完成しました……これまでの中でも、最高傑作です……」
ドクターは恍惚とした様子で、椅子から立ちあがった。俺はドクターの動きを眼球をぎょろりと動かして追いつつ、口を開いた。
「……あまり期待すんじゃねえぞ」
「というと?」
「自分で提案しといてなんだが……俺は新しい洗脳にも抵抗する気満々だ」
奴らが設定した『誠実』さのせいで、俺は思ったことをそのまま口にしちまう。もうこうなったら観念するしかねえ。腹の中がバレてようが、俺が……俺自身の誇りを守りきれば勝ちだ。後のことは、後になってから考えるしかねえ。
「それにな、正義は……俺一人が体現するもんじゃねえ。むしろ、俺以外のヒーローが、俺の失態を糧にして、より強く、より賢く、そして俺が叶えられなかった理想の正義を追い求めるだろう」
ドクターがくすくすと笑った。俺の頭にヘルメットが被せられ、視界が暗くなる。これが『俺』としての最後の言葉になるかもしれねえ。次に目覚めたとき、俺は外見は俺のまま、中身がおぞましいなにかに成り果てているかもしれない。負け惜しみも強がりも、ここで吐き出しておくことにした。
「仮に、俺がお前らの手駒になったとしても……他のヒーローが必ず俺を打ち倒す。それを覚えておけ。正義は、負けねえよ」
「ンフフ……楽しみですね。ですが誤解がありますね」
「なんだ。言ってみろ」
「私たちが負けそうになっても……元・最強のヒーローであるあなたが、全身全霊で勝つための最善策を提案してくださるでしょう。あなたは私たちにとって、最高の参謀になってくれそうです。フフフ……あなたがいれば、私たちは決して負けませんよ」
きっと一緒に、世界を征服しましょうね。そんなドクターの言葉と共に、俺の視界が極彩色に染め上げられた。
※
「終わりましたよ。どうです?」
「あーくそっ、気持ち悪ぃ……」
俺は診察台から起き上がった。甘ったるい酒をたらふく飲んだ後のような、胸焼けするような酩酊感がある。俺が診察台に腰掛けて頭を振っていると、ドクターがにこやかな笑みを浮かべ、俺の顔を覗き込んできた。その目は、獲物を品定めするような冷酷さを秘めている。俺は思わず後ずさりそうになったが、なんだかこのドクターが、さっきよりもいい奴に思えてきちまって、柄にもなく愛想笑いなんざしちまった。
「さて、自己診断モードは……まだ継続中ですね。現状を報告してください」
「おう」
俺は頭を巡らせた。俺は……洗脳されたのか? 正直言って、実感はない。だが俺の唇は勝手に俺の本心を口にした。
「俺の洗脳は完了した」
そんな言葉が口から出たが、特に驚きはなかった。やはりな、という納得感だけが胸に残る。俺は全身を覆う戦闘員タイツを見た。全身を包みこまれている安堵感──これは、ヒーロースーツにはなかったものだ。それどころか、ヒーロースーツの感触を思い出すと、その気色悪さに吐き気がしてきた。さらに、洗脳される前の自分の言葉を思い出すと、思わず大声を上げた。
「ウオッ!?」
「どうしました?」
俺が大声を上げて顔を手で覆ったので、ドクターが何事かと尋ねてきた。俺は不承不承、口を開いて説明した。
「いやな、さっきは正義は負けねえだの、他のヒーローが俺を倒すだの……すげえこっ恥ずかしいこと言ってたと思ってな」
「ふむ……今はどう考えていると?」
「あ? なんだよそれを俺に言わせんのか? ったく本当にいい趣味してやがるぜ」
俺は照れくさくてドクターに悪態をついたが、顔には自然と笑みが浮かんでいた。このドクターにも、さっきから妙に親しみを感じちまう。同じ『敵』に立ち向かう同志だって、素直にそう思えちまう。それが洗脳によるものなのか、俺自身の感情なのか、もう俺には区別がつかなくなっていた。
「はぁ〜っ。負けだ負けだ。俺の完敗だよ。さっき俺が言った通りの人間に、俺はなっちまった」
そうだ。俺はコイツらに──ダークジェネシスへの恩義がある。俺をいっぱしのヒーローとして支えてくれたのは、コイツらがいてくれたおかげだ。コイツらが『悪』を──少なくとも、ヒーロー側からすれば『悪』の立ち位置にいてくれたおかげで、俺たちはヒーローとして活動できていた。そんな揺るぎない想いと、コイツらへの信頼が俺に芽生えていた。俺は無精髭が伸びた顎を撫でながら頷いた。
「……なるほどな。俺の最大の敵は、いつだって俺自身だったってことか。自分の弱点も、それを突く一番えげつない方法も、全部知り尽くしてやがった。……これじゃ、勝ち目なんてあるわけねえよな」
「ハハハ。負けてもなお、ヒーローらしいストイックさですね。さすがは元“不動明王”だ」
「……あのな。俺がアンタらの下につくことに、異存はない。だが二度と……俺をその名前で呼ぶな」
急に、腹の底から煮えくり返るような怒りが湧き上がってきて、自分でも驚いた。ドクターは俺が叛意を示したのかとギョッとした様子だったので、俺は手を横に振りながら続けた。
「違ぇよ。別に反抗する意思があるわけじゃねえ。ただ俺には、総統から賜った、D10834号っつう立派な名前があんだよ。そこんとこ、ドクターもわかってんだろ?」
「ぷふっ! ククク……コレは……!」
「なんだよ。喧嘩売ってんのか!?」
「いっ、いえ……くくっ! 想像以上に……ンっ、あ〜……ふふふ……失礼しました。D10834号。あなたを以前の名前で呼んだことを、心から謝罪致しましょう」
「わかりゃいいんだよ。二度と“不動明王”だのエグゼキューターだの、こっ恥ずかしい名前で俺を呼ぶんじゃねえ。いいな?」
確かに俺がヒーローだったのは事実だ。しかも、候補生のガキンチョの前で大見得切っておきながら、おめおめと捕らえられて戦闘員に洗脳されるような、間抜けなヒーローだ。くそっ! 今更ながら恥ずかしくなってきやがった。俺は照れくささを誤魔化すように頭を掻きながら口を開いた。
「で、組織は俺をどう使うつもりだ? 存分にこき使ってくれなきゃ、あんたらに返すべき『恩』も返せねえだろうが。ま、こちとら下っ端からの再出発だ。便所掃除だろうが雑用だろうが、何でもやってやるよ」
今度は身体検査があるらしく、ドクターは上機嫌な様子で機器の準備をしていたが、俺の言葉に驚いたようにこちらを見た。
「“不動明王”を雑用に!? まさか! あ、失礼。D10834号でしたね。いえいえ。あなたは我々が投入した戦闘員の7割を壊滅させ、さらに怪人2体を撃破したところで、我々に捕らえられたのです。かろうじて3体目の怪人の能力が通りましたが、我々も撤退準備をする矢先でしたからね。引退してもこれほどの強さとは。驚かされましたよ」
「そいつは……光栄だな」
俺はバツが悪くなり、もごもごと言葉を口にした。ヒーロー時代の強さを褒められても、こっ恥ずかしくてたまんねえや。なんつうか、粋がってたガキンチョの頃の武勇伝を褒められてる感じだな。ドクターはモニターのチェックをしながら言った。
「あなたの任務は二つです。まずヒーロー育成のノウハウを活かして、戦闘員の育成に当たること。もうひとつの任務は、さらに重要です」
「なんだ? もったいぶってねえで教えろよ」
「ええ、それはですね──」
※
「久しぶりだな、赤城。今は……アークレッド、だったか?」
俺は戦闘員の群れから歩み出て、顔を覆っていた戦闘員マスクを解除した。俺の呼びかけに、赤城は目に見えて狼狽した。そのせいで、戦っている最中の戦闘員から一撃貰ってしまい、吹っ飛んだ先で目を丸くして俺を見つめている。
「きょ、きょうか……ん? 嘘……ですよね……?」
「あのなあ、さんざん教えたじゃねえか。ダークジェネシスの戦闘員洗脳には2パターンある。座学でもやったろ? ほれ、言ってみろ」
俺は会話で赤城の注意を引きつつ、ハンドサインで戦闘員たちに配置を指示していく。赤城は口をパクパクさせると、起き上がりながら答えた。
「は、い……戦闘に不向きな一般人に対して、ダークジェネシスは画一的な戦闘員人格を植え付けます。そして、戦闘員に素養のある人間……格闘技や軍隊経験のある人間、とりわけ、ヒーロー経験のある、人間…………に、は…………」
赤城の声が途絶える。戦闘員の包囲が完了したので、俺が答えてやった。
「──ダークジェネシスは、元の人格を活かす形で洗脳を施す。駄目じゃねえか。俺が元の俺みてえに見えてても、戦闘員として扱わねえと」
「で、ですが教官! あなたは負けないはずだ! たとえ捕まっても、あなたが洗脳に屈するなんてあり得ない! 俺たちを逃がし、一人でダークジェネシスに立ち向かったあなたが、どうして!?」
「…………あの日のことは、俺も後悔してるよ。なんで一人で戦っちまったのか、ってな。イキってテメエらを逃がしたせいで、このざまだ。素直に、お前たちを頼ればよかったんだ」
俺は自嘲気味に呟いた。その言葉に、赤城が目を輝かせるのが見えた。
「教官! 今からでも遅くありません! 投降して治療を受けてください!!」
「あのな、俺が後悔してんのは──」
(続く)
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