【Prev】

【1】 彗翔は家のベッドで寝転び、ぼんやりと天井を見上げていた。 MMA部とディザイアの団体戦から既に3週間が経った。試合で負った怪我の回復に専念するため、MMA部は活動を休止している。もっとも、頑丈な彗翔の体はとっくに全快し、涼冴に散々蹴られた腹にも、強烈な膝蹴りを貰った顎にも、傷一つ残っていない...
その後も彗翔は攻勢に出ようとしては出鼻を挫かれ、ほとんど一方的に打撃を喰らわされ続けた。結局、一度たりとも攻めきれない内に1ラウンド終了のブザーが響き渡った。
コーナーポストに背を預けた彗翔は、ずり落ちるようにどすんと座り込んだ。その対角線上にあるコーナー付近で、日向は立ったまま息を整えている。
肩と胸を忙しなく上下させる彗翔に対し、日向はうっすらと汗をかいている以外は試合前と変わらない。だが、いつもより険しい表情に見えるのは決して気のせいではないだろう。それは恐らく身体的な疲労によるものではない。
彗翔「はぁっ…はぁっ…先輩、ガチすぎじゃないスか?久々なんスから手加減してくださいって…」
日向「……」
あえて軽い調子で声を掛ける彗翔に対し、日向は視線を外したまま応えない。その態度に苛立ちを覚えた彗翔は、緊張しながらも話を切り出す。
彗翔「てか、なんなんスか二度とディザイア出るなって。冗談でも笑えないんスけど」
日向「冗談じゃない。お前にも他の奴らにもディザイアのリングには上がらせない。全部俺が戦う」
日向は聞く耳を持たない。彼の中ではもう全て決意したことなのだ。自分以外の誰も巻き込む気はない。こうなってしまえば、日向は頑固だ。
彗翔「徠とバカな契約したのはオレなんスよッ!?日向先輩が責任を負う必要なんてねぇんスよッ!」
日向「徠の目的は最初から俺だ。お前はそれに巻き込まれただけだ」
彗翔「んなの、日向先輩だけに任せて引っ込んでられるワケ…ッ!!」
日向「あぁ。お前が口で言っても納得しないことはわかっている。だからこれはけじめだ」
彗翔「けじめって…ッ!!」
ブーッ!
話の途中で2ラウンド開始のブザーが鳴る。立ち上がった彗翔の前で日向が構える。
彗翔(ガチでヤベぇ…!マジで一人で戦うつもりだこの人…ッ!このスパー絶対ェ負けらんねぇッ!)
ここで勝たねば、全てを日向一人に負わせることになる。それだけは決してあってはならないことだった。
彗翔の覚悟を知ってか知らずか──あるいは知っていたところで仕留めに来ていただろうが、日向が先手を打たんと踏み込んできた。真っ直ぐに顔面を狙って突き出された拳を腕で防ぐ。先ほどよりも一層鋭さを増しているように思えるそれが、骨に強い熱を滲ませる。
彗翔(力任せじゃダメだ!さっきの繰り返しになっちまう!)
日向の打撃も踏み込みも先のラウンドから衰えを見せることもなく、追い付くどころかブロッキングもギリギリだ。
彗翔(立ち技でスピード勝負すんのが無理なら、グラウンドに持ち込めば…ッ!!)
彗翔は打ち込みに来た日向が後退する瞬間を狙って前に出る。打撃を当てに行くのではなく、姿勢を低くしてのタックルである。
しかし、それを予測していない日向ではない。日向もまた姿勢を落として、彗翔の腕の動きよりも速く下半身を後方へ大きく投げ出す。そして、そのまま後ろへ飛び退いた。
彗翔(くそッ!このタイミングじゃ逃げられちまう…!)
体格差は彗翔の方が圧倒的に有利だ。だが、技巧・速度共に離れた日向に対してはそう簡単に通用しない。
グラウンドポジションへの移行を狙う彗翔と、そうさせまいと立ち技で対応する日向との攻防はそれからしばらく続いた。彗翔は何度もタックルを仕掛けるものの、いかんせん日向は速い。日向からの攻撃も続いている。彗翔の体は既に痣だらけになっていた。
しかし、ようやく彗翔にチャンスが訪れた。彗翔の繰り出したストレートが、日向が飛び込んできたタイミングに合わさったのだ。日向はそれに反応し、咄嗟にマットを蹴って身体を横にずらして避ける。
彗翔(ここだッ!!)
狙いはその着地の瞬間だ。動作と動作の隙間を穿つように、彗翔の両腕が遂に日向の脚を攫った。そのままリングマットに日向を押し倒す。
日向「!」
受け身を取りながらも、日向は驚いた表情を見せていた。単に隙を突かれたことに対してか、打たれ強さに任せて打たれて打つという戦法を取りがちな彗翔が意表を突いてきたことに対してか、いずれにせよそれも一瞬。即座に彗翔の腰へ脚を絡ませるようにして、ガードポジションを取った。
彗翔(ガードされたって構わねェッ!その上から一気に攻めるッ!)
ここぞとばかりに、両の拳を強く握って交互に日向へと叩き付ける。ガードを強く固める腕も関係無しに、強引に捻じ込んでいく。
次第に荒くなっていく彗翔の呼吸と、日向が痛みに小さく呻く声、鈍い打撃音、それらだけが部室に生々しく響き渡る。
ブーッ!
2ラウンド目終了を告げるブザーが鳴った。
コーナーに戻った彗翔は、ロープに腕を引っ掛けながらコーナーポストに背中を預けた。無我夢中で拳を振るっている間は全く気が付かなかったが、体は重く、呼吸は荒れ、肌を伝う汗も滝のように流れている。
日向も今の連打は多少堪えたようで、肩をゆっくりと上下させていた。彼の表情は相変わらず険しいものでそこから読み取ることはできないが、その体には滲む汗や呼吸の乱れは体に籠る熱のみによるものではないだろう。
がむしゃらに拳を振り下ろしていたために、手応えを感じる余裕も無かったが、見れば日向の体も顔も所々が赤くなり始めていた。
彗翔「はぁはぁッ…!どースか先輩!ちょっとはオレのコト、見直したんじゃないスか?」
日向「…あぁ。着実に強くなっている。練習を重ねていけばもっと強くなる」
彗翔「へへっ。だったら…」
得意気に笑っていた彗翔の表情が一気に引き締まり、背筋を正して日向を真っ直ぐに見据える。
彗翔「だったらオレをディザイアで戦わせてください…!」
日向「駄目だ」
納得がいかなかった。確かに彗翔も詐欺の被害者といえば被害者ではある。だが、それは日向も同じことだろう。悪事の一つも働いていないような人間が、こんな目に遭っていい道理があるはずがない。
彗翔「頼みますッ!先輩が背負うことじゃないんスよッ!」
それに、彗翔にはもう一人、放っておけない男がディザイアに残っている。
彗翔「それに、オレにはまだやり残してる事があって…ッ!」
日向「宮鷹涼冴のことはもう忘れろ」
思いもよらない言葉に、彗翔は目を瞠った。
彗翔「な、なんでなんスか!?オレなんかより涼冴の方がよっぽど被害者じゃないスか!?アイツは親にもディザイアにも散々ひでぇことされ続けてんスよッ!?」
日向「あいつを救い出すのは無理だ。少なくともあいつ自身が抜け出したいと思わない限り、どうしようもない」
日向の言葉は確かに事実ではあった。仮に彗翔が涼冴に手を差し伸べたとしても、向こうがその手を払いのけるのであればそれまでだ。
彗翔「…そんなら、オレに日向先輩も涼冴も放って、逃げ出せって言うんスか…!?」
どんな答えが返ってくるのか、分かっていても問わずにはいられなかった。それでも、自分の尊敬すべき相手ならば違う答えを返してくれるのではないか。だが、そんな淡い期待はすぐに砕かれる。
日向「…そうだ」
彗翔「ッッ!!」
それを耳にした瞬間、彗翔は我を忘れて駆け出していた。自分の胸に渦巻くものが、怒りなのか悲しみなのかもう分からなかった。勢いのままに日向の肩に掴みかかって、彼の背中がコーナーポストにぶつかってもなお力のままに押し込む。
彗翔「アンタがそれを言うなよッッ!!逃げるのはダセェってッ!!そう教えてくれたのはアンタだろ日向朔也ッ!!」
日向「……!」
彗翔の慟哭が部屋に響き渡った。堪えられずに目から滲んだ熱い雫が、汗に混じって日向の体にまで滴る。
日向は、その言葉にハッとしたように目を見開く。「勝ち目が薄くても、逃げるのはダサい」──少し前、日向が暴走した亮とこの部室で戦ったとき、その後の彼を介抱をした彗翔に対して日向自身が口にした言葉だった。
それが彗翔の心に呪いのように、楔のように、打ち込まれていたのだ。
彗翔「頼む…!頼むよ日向先輩…ッ!オレ弱ぇし、バカだし、足手まといにしかならねぇよ…ッ!みんなを巻き込んでメチャクチャ迷惑かけてるよ…ッ!涼冴のことだってどうやったら救い出せるのか検討もついてねぇよ…ッ!
悔しさも、願いも、そのまま全てを乗せて叫ぶ。
彗翔「だけどッ!こんなところで逃げ出すなんてダセェことしたくなんかねぇよッ!!アンタが戦うってんならッ!!隣で一緒に戦わせてくれよッ!!」
日向「天ヶ瀬…」
日向の声は穏やかだった。
彗翔「……がッ…!?」
日向の片腕が、彗翔の首へと回される。そのまま頭部を脇に抱え込むように強く引き付けて、がっちりとロックした。フロントチョークの体勢である。
3ラウンド目開始のブザーは既に鳴っていた。
日向「悪かった。俺の言葉がそこまでお前を縛り付けているとは思っていなかった」
これも、彼なりの慈悲なのだろう。彼の決断も、このスパーリングも、この決着の付け方も、これ以上彗翔を無駄に傷付けさせないための優しさに違いない。首を締め付ける腕の力が次第に強まっていく。
日向「対峙すべき戦いから逃げ出さないことは大切だ。だが、それ以上に大切なのは不要な戦いを避けることだ。戦いから逃げることと避けること、似ているようで全く異なることだ」
彗翔「…がぁ…ぁァ…ッ…!」
負けるのだけはダメだ。そうしたら、本当にこの人一人に全てを負わせてしまう。そんな焦燥感が胸を満たしていくのに、彗翔がいかに踠いたところで既に極まってしまった技から逃れることはできない。身体を起こそうとしてもビクともしなかった。
日向「樹神徠の目的は俺をディザイアに連れ出すことだった。お前はそのために利用されただけだ」
がむしゃらに腕を動かし、必死に拳を叩き込むが日向は決して技を解かなかった。そうやって動く度に酸素の供給と消費が釣り合わなくなり、彗翔の動きは少しずつ鈍くなっていく。
しかし、彗翔は抵抗を止めなかった。酸欠に陥って気を失うことの苦しみよりも、このまま日向を孤独な戦いに追いやる方がよほど嫌だった。
頭と心はそう考え、願っているのに、体だけが言うことを聞いてくれない。次第に腕が鉛のように重たくなり、意識と共に視界に靄が掛かり始める。
日向「後は俺が片付ける。お前はお前の日常に戻れ」
日向の声を聞いたのを最後に、彗翔の意識は電源を切るようにフッと落ちてしまった。
ブーッブーッブーッ!
彗翔「…はっ!」
頭の横に置かれたスマホのバイブ音によって、彗翔は意識を取り戻した。
弾かれたように体を起こすと、あちらこちらが痛みを発して小さく呻く。気絶したあと、そのままリングの上で寝かされていたらしい。日向が手当てをしてくれたのだろう、身体の数カ所に湿布が貼られていた。
彗翔(オレ…また負けちまったのか…)
負けたという事実が彗翔に重くのしかかる。日向の意志を変えるには勝つ以外の方法はなかったというのに、負けたのだ。悔しさよりも不甲斐なさが胸に濃く滲んだ。
彗翔(…ん?メッセ来てる…。日向先輩…?)
スマホを見ると、日向からのメッセージが届いていた。内容は、野暮用があるから先に帰るという旨と、巡回が回ってくる時間、出るときのルートの指示だった。
彗翔(あれ…?先輩、普通にメッセ使えてんじゃんか)
ちょっとした違和感が頭によぎる。だがそれを深く考える暇は無かった。扉を隔てた廊下の方からカツンカツンと足音が聞こえ始めたのだ。
彗翔(!?巡回!?日向先輩の書いてある時間はまだ全然なのに!?やっべぇ!どうしよ!?)
どこに隠れようかとあたふたしているうちに扉が勢い良く開かれ、彗翔は青褪めながら目を閉じた。
「コラ~ッ!こんな時間まで学校に残ってエロいことしてるシコガキは誰だ~!?」
彗翔「ひ~ッ!スンマセンッ!!…ってガキの声…?」
肩を竦ませて情けない声を出す彗翔だったが、部室に響いた声の違和感に眉を寄せてそちらを見る。明らかに大人の声ではない上に、どちらかといえば揶揄って楽しんでいるような響きだったからだ。
その小さな人影が、軽々とロープを越えてリングに上がる。
彗翔「だ…誰だよ…お前…ッ!?」
月明かりの下に照らし出されたのは、月光そのものを溶かしたように光沢を持った銀の髪と、そして宮鷹涼冴によく似た、しかし彼よりも幾分幼く見える相貌。
よく見れば彼の背後には蒼惟の姿まである。この異様な状況に加え、涼冴にそっくりの顔が彼の見せるはずもない表情をしているものだから、彗翔の頭の中は大混乱だった。
滄冴「ねぇ、おにーさんもパーティ入りする?ボクの兄さん解放クエスト」
SS作成協力:はばねろ様(https://www.pixiv.net/users/20449949)
いつもありがとうございます🙏
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