↓part1
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……いつものことだった。地下ファイトクラブ「ディザイア」は薄汚い金持ちどもの穢れた道楽でしかない。選手たちが正々堂々と実力を競い合う場とは程遠い、カネと欲望とが飛び交う醜悪な奈落。地位も財産も有り余るほどある彼らが抱く浅ましい欲望の中には、《常勝の選手が格下の相手を一方的に残虐に蹂躙するところを見てみたい》などという奇異で歪みきったものもあった──彼らからすればはした金の賭け金などは、二の次でしかなく。
そして、試合の展開が自分の望み通りでなかった時には、このようにペナルティと称して“犬”をけしかけてくる金持ちもいた。……別に大したことではない。適当に二、三発も殴らせてやれば彼らは満足する。
──だが、その日は。
「──行くぜェ!! 歯ァ食いしばれやァッ!!!!」
涼冴は顔に飛んで来るであろう打撃に備えて身を固くする。しかしながら。
「!! ぉう……ッ、ぐ、」
リーダー格の男が繰り出した拳は、涼冴の顔にではなくボディに突き刺さっていた。脇腹──腹直筋に守られていない場所にある肝臓は、打撃を受ければ激しい痛みが伴う。すでにダメージを受けていれば、さらに上乗せされ蓄積する。
「ッ、ぅ──……」
体をくの字に曲げる涼冴を前に、男は一瞬、驚いたような様子を見せたが、すぐにその表情は残忍で嗜虐的な笑みに取って代わられる。
「あっれ~ぇ? 涼冴クンってさぁー、おなか弱かったりするぅ~?」
うずくまる涼冴の髪を掴んで無理矢理立たせると、トレーニングウェアのシャツを荒々しく引き裂く。露わになった美しく引き締まった肉体の、その側腹部は内出血で痛々しく腫れ上がっていた。
「……そっか、こいつ、今日の試合でレバー打たれてんだっけ。だったら──……オラァッ!!」
リーダー格の男は右手で涼冴の左脇腹を鷲掴みにすると、反対の左手で右脇腹を力任せに殴りつける。
「ぐぉ、ぁ……ッ」
「そーぅら、もう一発!!」
「ん、ぐぅ……ふ、」
「……ところで涼冴クン、俺のこと覚えてるかなァ?」
三発目を振りかぶったところで唐突に男は攻撃の手を止め、問いかけた。
「──っ、知るわ……け、」
苦痛に顔を歪めながらぜえぜえと肩で息をする涼冴が否定の返答をすると、男の表情は一変した。
「あはははは!! やっぱりィ!?」
「──ぁ、があッ!?」
今度は予告なく振るわれた拳が、息を吐ききって力の抜けていた涼冴の腹を深々と抉っていた。臨戦態勢ならば耐えられたはずの一撃だが、無防備の瞬間を突かれ、ほとんど何の抵抗もなく凶悪な拳を呑み込んでしまっていた。
「ぁっ……あッ、は、ッ」
普段は冷め切った仏頂面のキックボクサーが、こぼれんばかりに目を見開き、半開きの口から舌をのぞかせていた。口唇は震え、本当の試合ならばマウスピースが落ちていたことだろう──リング上では絶対に見られない姿だった。
男はなおも拳を引かず、むしろ捻りながら更に奥へと突き込む。ひくひくと力なく痙攣する腹直筋が歪み、その下の柔らかい内臓──格闘家がどうやっても鍛えられない致命的な弱点──が容赦なく圧迫される。
「……ぅ、ぐ……はッ、」
男がようやく拳を引き抜くと、涼冴はそのまま崩れ落ちそうになる。だが長身の男がすかさず回り込んで、その体を羽交い締めにする。
地面に足を踏ん張ることもできなくなった宮鷹は、破壊された腹部を前に──敵の攻撃射程範囲の真正面に晒される。リーダー格の男はこれ幸いとばかりに、今度は両手の拳を連続で腹に打ち付ける。
「てめぇは!! 覚えてねーだろうよ!! 俺ぁなぁ!! 前にてめぇと戦(や)らされて!! 1ラウンドでボロ負けして!! 惨めな敗者としてリングを追われたんだ!! 一攫千金で人生逆転する計画がァ!! てめぇみてーなクソガキのせいで!! 台無しになったんだよ!! どうしてくれんだ!! 宮鷹涼冴サンよォ!!!!」
狂ったように叫びながら、長身の男は年下の少年の腹を執拗に殴り続ける。鍛え抜かれた良質の筋肉が皮膚下にみっしりと詰まったその躯は実に殴り心地がよく、拳をぶつける度に低く重い音を立てた。拘束された腕が被弾するたびに跳ね躍り、吐き出された血反吐が足下の地面を点々と汚した。
「ハハッ、たまんねーなぁ!! あの宮鷹涼冴を一方的にサンドバッグに出来るなんてよォ……ッ!!!!」
宮鷹涼冴といえば、そのスピードとテクニックで相手をろくに近寄らせず、あらゆる角度から放たれる脚技で敵を手早くリングに沈める選手だった。そもそも相手に攻撃の暇を与えないスタイルゆえに、鍛えてはいても打たれ慣れてはおらず、極端に打たれ強いわけでもない。その体に、それも完全に無防備の状態で一方的に全力の拳を叩き込めるのは、今やリーダー格の男ひとりのみに許された特権だった。男はそれを最大限に楽しみ、味わい尽くす。事前にキメたクスリの効果も相まって、最高にハイな気分だった。
だがしばらくすると。
「なあ、そろそろ止めにしといた方が──……」
長身な男が、不安げな声でリーダー格の男を止めようとする。リーダー格の男は忌々しげに睨み返すが、目を見開きあらぬ方向を見ながらびくびくと痙攣する獲物を見ると、渋々「わかったよ」と同意した。
放り出された涼冴の体は横向きに倒れ、体を曲げながら激しく咳込んだ。地面に血の混じった唾液が飛び散る。その腹を、リーダー格の男は無造作に蹴飛ばす。靴のつま先が臍のあたりに突き刺さり、その衝撃で涼冴の体は仰向けに倒れる。男はなおも飽きたらず、がら空きの腹部に足を載せる。嬲るように、蹂躙するように、踏みつける。
「っははは!! 見ろよ、上位ランカーサマが、クソザコボクサー崩れにさんざん腹殴られてカエルみてーな声上げてると思ったら、ホントに死んで潰れたカエルそっくりになってやんの! こいつぁケッサクだぜ!! ──ほら、もっとカメラ寄れよ。宮鷹涼冴サマの無様な敗北ヅラを大写しで撮ってやれ」
スマートフォンを手にした小太りの男が寄ってくると、涼冴の顔にその電子機器をぐっと近づける。自動ピント補正の音だろうか、ピピ、という電子音が鳴った。
「では、敗者の宮鷹涼冴選手に素敵な残念賞の贈呈で~す」
リーダー格の男が、何かを掴んで地に倒れた涼冴の体の上に差し出すと、ぱっと手を放す。木の葉のように見えるそれらははらはらと舞い落ち、何枚かは血と汗と土にまみれた涼冴の裸の上半身に貼り付く──数枚の真新しい一万円紙幣だった。
「オメデトウゴザイマース。今回のオーダー主様は優しいねぇ~。それは今撮ったビデオの出演料だってさ~w」
おどけた、馬鹿にしきったような声音で男は言うと、仲間の二人を引き連れて意気揚々と引き上げていく。その後には、ボロ雑巾のようにズタズタにいたぶられ、痛めつけられた裸の少年が倒れたままの状態で放置される。
四肢を力なく投げ出し、汚れた体に何枚も高額紙幣を貼り付けながら、涼冴はひくひくと震えていた。
***
やがて、動けるほどに体力を回復した涼冴はおもむろに体を起こす。さんざん殴られた脇腹を中心に、全身がひどく痛んだ。だが動けないほどではなかった。
「──…………」
何も考えられなかった。考えたくなかった。
涼冴は糸で操られた人形のように、機械的に一万円紙幣を集める。そしてそれらを自分のボストンバッグにねじ込む。
(……よかったじゃないか。ファイトマネーに加えて、臨時収入まで手に入って)
実際、「よかったじゃないか」と、口に出して言おうとした。だが、言えなかった。まるで別人のような掠れきった声が喉の奥から出ただけで、それは意味のある言葉にすらならなかった。
──それが、きっかけになったのだろうか。
「──クソが、クソが、クソが…ッ!! なんなんだよ…ッ!!」
抑えていた感情が爆発する。
咆哮のような怒声を上げれば、卑劣な拳で幾度となく抉られた打撲箇所にずきずきと響いた。だがそれでも怒りは収まらず、地面を何度も、何度も、拳から血が滲むまで殴った。
「──ちくしょう、ちくしょう、ちく、しょ……、」
宮鷹涼冴は強かった。肉体面でも、精神面でも、常人をはるかに超えるほどに。普通の人間であれば絶望し、正気すら保てぬであろう苦境をも耐えられるほどに。だがその体も心も、柔らかく傷つきやすい17歳のものでしかなかった。そして、そんな彼を認め、支え、護ってくれる人物などこの世のどこにもいなかった。いるのは酒浸りの父と、自分を見捨てて去った母──。
信じ合える友もなく、涼冴はこの世界で完全に独りだった。自分以外の存在は、すべて無関係の他人か、倒すべき敵でしかなかった。
しばらくして、宮鷹涼冴は平静を取り戻す。その顔は完全に普段の無表情──何の感情も感じさせないものとなっている。
(……泣くのも喚くのもくだらねぇ。時間と体力を無駄に消耗して面倒くせぇだけだ。必要なのはただひとつ──金だけ。そんで、それは手に入った)
汚れた裸の上にウィンドブレーカーを着込むと、ボストンバッグを背負い、涼冴は帰途へとつくのだった。
【終】
guyryona
2021-02-09 07:02:25 +0000 UTCセイヤ/D-ceK
2021-01-31 04:32:40 +0000 UTCうらき
2021-01-30 15:07:17 +0000 UTCうらき
2021-01-30 15:06:19 +0000 UTCうらき
2021-01-30 15:05:39 +0000 UTCうらき
2021-01-30 15:03:11 +0000 UTC朝比奈
2021-01-30 13:05:32 +0000 UTCmiracle
2021-01-30 04:32:27 +0000 UTC具志川葛巳Kuzumin
2021-01-30 01:36:53 +0000 UTCセイヤ/D-ceK
2021-01-29 23:09:29 +0000 UTC