最近、毎日同じ夢を見ているような気がする。
いや、正確に言うと「同じ夢」じゃない。寸分違わず同じ流れの夢が繰り返されている、というのは予知夢の一形態だってこないだ授業で言ってたけど、どうもそんな感じじゃない。もう漠然としか覚えてないが、夢の中の出来事や行動は都度違っていたように思う。ただ、なにかが共通していた。夢の舞台かもしれないし、状況――たとえば学生であるとか、友人と一緒にいるとか――かもしれない。ああ、もどかしい。夢ってのは本当に思い出せない。覚えているはずなのに。
明日、学校の図書室でかるく夢について調べてみることにして、今日は寝る。
また同じ夢なのだろうか。
やっぱり、同じ夢を見たような気がする。なんとなくだが…奇天烈な夢だった印象だ。メルヘンというか、なんというか…昔聞かされた童話にあった、森の動物のお茶会のようなもの…だったような。
学校で夢について調べた。この世の夢には、おおよそ次の三種類があるらしい。
・人間(生物)の生理機能としての夢。人間の脳は有機的な演算装置であり、寝ている間にその日の情報の整理や復習を行う。その際に実際にものを見たり、動いたりするときに使う回路を(それも高速で)何度も働かせたりするらしい。それが睡眠の浅いときに、なにかを体験したという記憶として残る。ただし実際に体験した記憶ではないので、改めて保存されることはなく、すぐに忘れてしまう。
・霊的存在、神的存在と接触した場合の夢。これは魔法の素質が一定以上あるものに限られるらしい。強く祈った際に神からメッセージを授かる、いわゆる「お告げ」だ。また、精霊の密集地域で野営をしたときなども、精霊の声を夢で聞くことがあるようだ。これも原理的には上述の夢と似たようなもので、魔法使いは精霊の発する波を脳で受容して理解したり、魔法に紡ぎ直したりする能力がある。寝ている間にその部分だけが刺激されると、夢として意識に表れるのだろう。
・魔物、魔法による夢。調べたところ、昔は「偽りの予知夢」という魔法が使われていたらしい。まだ預言者が強く政治に関与していた時代は、これで敵方を操るという手法があったそうだ(いまは一人の預言者がそれほどの影響力を持つことはないため、この魔法はいわゆる"死語"――存在意味がなくなって、忘れ去られた魔法――となっている)。
そして、寝ている間に人間の精神に干渉する魔物。有名なところでは淫魔――サキュバスだ。他にもオーレ・ルゲイエとかいう子供の夢に干渉する妖精や、夢を食べる(?)バクという幻獣もいるらしい。また、極めて稀だが、"夢の世界にしか存在しない魔物"――つまり現世のどこにも存在していないが、夢の中には確かにいる魔物、というのがいるのだそうだ。
これ以上はうちみたいな田舎学校ではわからなかった。一応淫魔防疫は受けてるはずだし、体調が悪いわけでもないから、魔物ではないだろう…たぶん。
とりあえず、明日から夢日記をつけてみることにする。
学校から家への帰り道。何故かやたら広大な公園があり、そこにいくつも砂山がある。俺はそこでトンボを見たので追いかける。と、トンボは途中で人になり、それから白い馬になった。俺と白い馬はなにごとかを話す。
夢日記一日め。この中のどれかが繰り返し見ているなにかなのだろうか。夢日記はつければつけるほど、夢を覚えやすくなるらしい。
それにしても、今期ももう期末試験だ。やらなきゃいけないのはわかっているが、どうもやる気が出ない。魔法の素質があるって言われたときは嬉しかったけど、こんな田舎でさえ俺はせいぜい真ん中くらいの成績しかない。あーあ。気が滅入る。
大きな駅にいる。やたらに複雑なので迷う。看板の文字はでたらめで読めない。どうしてか、待ち合わせに遅れてしまったという確信だけあり、慌ててどれかの列車に乗ろうとするが、列車はどれも高速で過ぎ去ってしまうばかりで乗れない。泣きそうになったところに友人が現れて、友人と一緒に線路沿いを走る。
夢日記二日め。うーん、今ひとつ共通項が見えない。でもたしかに「同じ夢を見ている」って思ったはずなんだけどなあ。
寮の食堂に行くと、アシュのグループが騒いでいた。話しかけられないように窓の近くに座る。あいつら、先輩とも仲が良くて、試験の問題とかを見せてもらってるらしい。くそ、試験なのに、そんなのズルじゃないか。バレて全然違う問題が出ればいいのに。ああ、でも、俺も全然勉強してない。ヤバい。なんかムラムラする。焦るとなんかする。シコって寝よう。
最悪な夢。試験がぜんぜんできなかった。俺は泣きそうになりながら机にかじりついている。でもなにも書けなくて心臓がめちゃくちゃ痛くなる。どうしてちゃんとしてこなかったのかって後悔だけがループしている。涙目になって顔を上げると、そこに白い動物がいた。白い動物は俺の手を取ると、俺をどこかに連れていく。うまくいえないが、そこは「悩みのない場所」であることだけはわかった。俺はほっとして、そこでふにゃっと緊張を崩す。
白い馬。動物。こいつだろうか? 思い返すと、4日の夢もそいつと一緒に走ったような気がする。やっぱり精霊か妖精が、このあたりをうろうろしているのだろうか? でも悪いやつじゃない。夢日記を読んでると、悪夢から救ってくれるような印象だ。こいつが本に載ってた"バク"ってやつか? 悪夢を食べてる。
今日は放課後、乗馬部のほうを見に行った。のんびり歩いてる馬を眺める。人懐っこいやつは俺に鼻をすり寄せてきた。落ちこぼれ――高速移動や飛行に必要な魔力量がないやつ――は、代わりの移動手段として馬術を習得させられる。正直見下してたし、くせーなーって思ってたけど、こうして見ると結構かわいいじゃん、こいつら。
失敗したって別の道があるんだって思うとなんか安心した。シコって寝よう。
パンを何度作ってもうまくいかない夢。もう店先にはパンを待ってる客が何人も詰め寄ってるのに、一向にパンができない。泣きそうになる。そのうちアシュたちがカウンターを乗り越えて俺を囲み、パンで俺を突っついてくる。パンから蝿がどんどん出てきて、それがぴしぴしと俺の顔に当たる。気がつくと、アシュたちがどろどろに発酵したパン生地になっている。
それを白い馬が蹄で踏み潰す。パンたちはべちょべちょの泥になる。俺は白い馬にお礼を言って、そのまま馬に乗る。空を飛ぶ。
休日だが、一日ぼんやりしていた。寮長に勉強会に誘われたけどたるいし、みんなで勉強すんのって恥ずかしいし。一人でいたのに何もしてなかったってバレるじゃん。
それより、夢日記をつけてから、夢の世界がどんどん鮮明になってきた。もう時間が経っても実際に起きたことみたいに覚えてる。あの白い馬がそばにいないことが寂しい。もう一度馬術部のとこに行ってみたけど、あいつみたいな馬はいなかった。いつでも俺を助けてくれる俺の親友。
ダイニングにいて、みんなと一緒に食事してる夢。俺の家族とか、クラスメイトとかが食卓に並んでいる。どうしてか、食事の準備や取り分けは俺の仕事で、なにをしても文句を言われる。どうしてか、どれだけ煮込んでも肉が生肉のまま。そのうち、食卓に全く知らない男が座り込んでいることに気づく。その男はなにかをわめきながら近づいてくる。俺は逃げようと思うが、足をどれだけ動かしても進めない。
そこにお母さんが出てくる。お母さんは白い馬の姿になった。俺はおかあさんとなにか喋ったあと、海に連れて行ってもらう。海に入るとだんだん身体が溶けていって、お母さんと同じように身体が白くなる。
ぼんやりしている。夢の世界が鮮明になりすぎて、こっちに現実感がない。夢日記をつけるのをやめたほうがいいだろうか? だけど、やめたら、あの馬のことを思い出せなくなりそうだ。どうしていいかわからなくて、今日は学校をサボった(仮病)。そして、やることがなくてヒマだったので、魔法の練習をすることにした。ホントは寮でするのは禁止されてるけど、ヒマだし練習。火魔法、水魔法、と順々に覚えてる魔法を使っていって、最後に、こないだ教わった変身魔法を使った。軽く使うと、耳がむずむずして上に伸び始める。触ってみると、毛でさわさわしていて、くるりと巻いた筒形になってて、ぴるぴる動いた。面白くなって耳だけをくいくいと動かす遊びに没頭する。レクが部屋にノートを届けに来たので、慌てて魔法を解いてベッドに潜った。
鏡が欲しいな。でかいやつ。
迷宮の夢。薄暗くて、ほとんど真っ黒なのに、壁や通路の輪郭だけがはっきりとわかる。そして、後ろから鉄球が迫っていることも、別の目で見ているみたいにわかる。逃げなければならないと思うが、通路は入り組んでいるし、急にへこんだり階段になったりして、なかなか進めない。そうこうしているとピンボールみたいに迷宮全体が傾いてきて、鉄球がどんどん加速してくる。鉄球が顔のすぐ前に迫ってくる。鉄球は馬の顔をしていて、それに気付いた途端、急にいつもの白い馬になった。白い馬はあたりの壁に溶け込んだと思ったら、また別の壁からにゅうと出てきたりして、俺を驚かせる。気がつくと部屋は明るくなっていた。土壁に覆われている。
倉庫から古い姿見を借りる。ひび割れているが、拭けばだいぶ綺麗になった。面白くなってきたので、今日は一日変身魔法の練習をしていた。姿見の前でもう一度変身魔法を使うと、俺の耳がくにゃくにゃと形を変え、クッキー生地みたいに引き伸ばされ、そこにさあっと雪が積もるように白い毛が生えるのがはっきりとわかって、興奮した。まだ先生の指導の元でしか魔法を使っちゃいけないから、こうして自分でできることを確認するとほっとする。今日は魔力に余裕があるので、このまま変身魔法を使い続けてみる。すると、顔の真ん中あたりがもこっと盛り上がり始めた。鼻が平たく潰れながら丸みを帯び、そこを山の頂点にするようにして、顔全体の皮とか、筋肉とかがどんどん前に引っ張られる。口も一緒に引っ張られて、普段気にしない歯の並びとか舌の位置とかが変わっていくのがわかった。形が変わるのと同時に顔も白い毛に覆われる。頬の筋肉がぼこっと膨らみ、大きく顔の輪郭が変わる。鏡の中の俺は一番真ん前にあるでかい鼻の孔をひくひくさせながら、顔の側面に押しやられた目できょとんと馬の顔になった俺を見ていた。鼻の下や口の周りに白くて長いひげがぴょんぴょんと生えている。口を開けてみると、ずらっと並んだ大きな前歯が歯茎と一緒に出てきて慌てて口を閉じる。顔をぺたぺたと触ると、やっぱりどこからどう触っても馬の顔だった。髪の毛はたてがみになって首のあたりに追いやられている。口や鼻まわりに手を近づけると、まるでポットの蒸気みたいに大きな呼気が規則的に吹き出ている。馬の部分は俺の手より体温が高くて、俺はあの白い馬に現実でも触れたみたいな安心感を覚えた。
ムラムラしてきて、変身魔法を解除する前にシコる。鼻の孔がまんまるに膨らんでてマヌケだった。
自分がとても小さくなり、うす靄の中にいる夢。どこからともなく巨大な足が現れ、両足で自分を挟み込んですり潰してしまう。俺はクリームのようにあっけなくぺちゃっと潰れ、ずるずると足の裏からこぼれ落ちる。そして元の形をじわじわ取り戻す。するとまた足が来て、身体を潰す。挟み込まれることもあれば、地面に押し付けられて潰されることもある。何度も何度も繰り返されるうち、だんだん身体がもとに戻らなくなっていく。型崩れ。そのうち、俺はまだらで白いなにかの動物のようになってぶるぶる震え、立ち上がろうと思っても立ち上がれない。俺は自分が仔馬だと気付き、おかあさんを探して這い回る。おかあさんは見つからない。俺はひんひんと鳴く。全てが真っ白になって、なにも見えなくなる。とても怖い。
夢に白い馬が出てこなかった。それが気になって何も手がつかなかった。授業を途中で抜け出して部屋でぼーっとしていた。もう二週間後には試験だけれど、何も勉強してない。勉強する意味が見つからない。別に才能もなかったし、魔力量も並だった。俺、なんで魔法学校入ったんだっけ?
鏡の前に立ってまた変身魔法を使った。顔のあちこちが伸び、膨らみ、突き出て、たちまち馬の顔になる。ふしゅうと鼻息を吐いて俺はほっとする。最近、人間の顔が好きになれない。感情や気持ちを全て押し込めて、無理やり平たく保っているような気がしてならない。クラスメイトや先生の顔を見るのがつらい。内側になにがあるかわからない。馬の顔は滑稽だけど、優雅で、正直だ。長い耳はいつも周囲を気にして動いてて、食べ物を求める鼻や口は顔の一番前にあって、目はまわりをいつも気にしてるから両側についてる。俺の心がそのまま形になっているみたいで、ほっとする。
俺はさらに変身魔法を使う。首あたりで止まっていた毛の境目が、じわじわと胴体のほうに下りてきて、肌を優しく包んでいく。肩や胸が筋肉でもこもこと膨らみ、たくましくなって、俺は強くなった気分になる。白い毛が手の先まで届くと、指が失敗した粘土細工をやり直すようにくしゃくしゃと集められ、くっついて、自分の知らない塊になる。だけどそれはすぐに見えない手で整形され、なめらかな曲線を描く馬の蹄になった。
そこでひとまず変化が止まったので、俺は改めて鏡を見る。上半身はまるで本物の馬が直立したようになっていて、盛り上がった肉が衣服をパツパツに引っ張っており、俺の中にぞくぞくと嬉しさがこみ上げてきた。俺の本当の姿が出かかっているという実感がある。喉まで変化したので、声を出そうとしてもヒィン、ヒィンという甲高い声しか出てこない。ブルルッと鼻を鳴らして馬のマネをしてみる。心地いい。蹄と化した手で顔や身体のあちこちを撫で回す。鼻にあててふんふんと匂いを嗅ぐ。夢の中で求めていたおかあさんの匂いがして、涙が出そうになった。どうして今日の夢では出てくれなかったんだろう。寂しい。会いたい。
姿見をじっと見ていたら勃ってきたので、変身したままシコる。蹄で自分のアレを触ると、ゴツゴツして痛気持ちよかった。自分じゃない誰かに無理やりいじられてるような新鮮な気持ち。
白い馬が、酷いことを言う夢。ひたすらに罵ってくる。馬鹿、無能、落ちこぼれ、愚図、まぬけ、変態。俺が愕然としていると、白い馬はさらに驚きの発言をした。
「ワタシはナイトメア。悪夢を運ぶ馬。夢を喰らうもの」白い馬が、これまで見たこともないようないやらしい笑みを浮かべる。
「ワタシは夢に住まうもの。ワタシは情報。ワタシは心を食べる。オマエの夢はオイシかった。勉学に励む夢。一人前になる夢。母親を安心させる夢。世界に羽ばたく夢。尽くワタシが食ってやった。重荷から解き放たれた気分はどうダ?」俺はその言葉が信じられず、呆然としていた。
「もうオマエはワタシに囚われた。ワタシは情報。ワタシはもう、オマエの心のナカにいる。だから種明かしをしてヤッた。ワタシに食らい尽くされるまでの数日間、せいぜいアガいて楽しませておクレ」白い馬は去っていった。いや、もう白くなかった。その馬は全身に百足や蛭や蛞蝓や蛇が絶えず這い回っているような、おぞましい毛色をしていた。
そこで夢は終わった。
これまでの日記を読み返す。なんだこれ。俺はおかしくなっていた。俺はあの白い馬――ナイトメアに取り憑かれていた。あらためて夢日記を見てたら、俺の夢はたしかにそのことを警告していたのに! 俺は気付かなかった! あのナイトメアがすべてそれを妨害していた! 俺の心がやつに食われている? どうすればいいんだ。
俺は学校を彷徨い歩いた。先生に相談したかった。だけど、あいつは本当に存在するんだろうか? やったことと言えば、俺は変な夢を見て、言い訳をして勉強をサボり、勝手に魔法を使って変なマネをしただけだ。全部話して、そんな魔物はいないって言われたらどうしよう。試験の直前に先生にそんなことを言ったら、魔法学生の適性をもう一回調べ直されるかも知れない。そうしたら、クラスメイトにも知れ渡るし、お母さんにも連絡がいくだろう。サボりぐせがあって言い訳がましく魔物を捏造して、変態行為に魔法を使う田舎者。嫌だ! 俺はそんなんじゃない! 俺は
なにになりたかったのか思い出せない
馬になりたい←なにを考えているんだ?←俺はおかしい。
どうせこのまま学校にいたってどうしようもない←ちがう!
何もしたいことがない←これが夢を食われたってことなのか?
いま馬になりたいって思ってるこれは?
考えがまとまらない
とにかくナイトメアを倒す
夢のなかで、俺はナイトメアに追われていた。巨大な馬が後ろから迫ってくる。うしろからヒヒヒヒヒと嘲笑う鳴き声がずっと響いている。そこで俺は思い出し、ナイトメアに対して魔法を放とうとした。だけど出なかった。
「おバカさん、ここはワタシの悪夢の世界なんでスヨ。この世界はワタシの思い通り。たとえば、ホラ」そう言ってナイトメアは両手を掲げる。その手は馬の蹄になっていた。ナイトメアは胸の前で蹄同士を打ちつけ、甲高い衝撃音を響かせる。
すると俺は馬になってしまった。前に変身魔法でなったような姿ではない。完全に四つ足の、馬術部で飼われている馬の姿だ。四つ足、しかも蹄で立っているのは俺にとってものすごく違和感のある状態なはずなのに、それを感じることができない。夢の世界だから、自分に疑問を持つことができない。俺はそのままパカパカと走り出し、走っているのを楽しいと思った。ナイトメアは俺の背中に乗り、俺に轡とか馬銜とか……馬具をつけて、手綱で俺に指示し始めた。俺は馬だし、夢の中ではナイトメアを信頼しているので、俺はその指示に従って楽しくナイトメアを乗せてやった。乗馬が終わると、俺はナイトメアに褒めてもらい、ご褒美の人参をごりごりと噛み砕きながら、ナイトメアにブラッシングをしてもらって、うれしかった
違う。違う。違う。これは俺じゃない。
夢のことを極力忘れることに決めた。やつは夢の中に住むと言った。夢の外には出てこれない。だったら、忘れてしまえばやつを殺したようなものだ。勇気を振り絞って先生に忘却する魔法について尋ねた。あるにはあるが、繊細かつ危険なので絶対に生徒には教えない、と言われた。乱雑に使えばすぐに廃人になってしまうらしい。たしかに、俺が自分に忘却魔法を使ったとして、それがナイトメアを外して他の部分に当ってしまったらと思うとゾッとする。ひとまずは正攻法で忘れるようにする。心を無にして、瞑想。
何も考えずにじっとしていたら、うつらうつらしてきて、うたた寝してしまった。その瞬間にまたナイトメアが現れ、俺をいたぶっていった。無理だ。寝る限りやつは出てくる。アシュやレクたちが俺に声をかけてくるが、無視する。どうせ馬鹿にしている。部屋に戻ったらムラムラしてきたのでシコった。魔法を使った覚えはないのに、ひとりでに手が蹄になって、顔もアレに連動するみたいに鼻面が伸びていった。姿見を覗くとすごいまぬけ面で興奮した。馬の俺は鼻の孔をおっぴろげ、鼻の下を伸ばして、だらしない顔で目をぎょろつかせがら必死に股間をまさぐっている。これが俺の本当の姿だと思うととても←ちがう おれは
「面白いモノを見せてあげまショウか、おばかサン」ナイトメアが言った。
夢の中なので、俺は反応することができない。
「コレは昨日、オマエのなかで生えたての夢でス」
ナイトメアが黒い水風船のようなものをつまみあげる。
「オマエは昨日、夢を抱キましたネ。"心を乱さレズ、平穏でいタイ"という夢ヲ」
俺はそのとおりだと思う。正確には、うたた寝のときも悩まされるなんてごめんだ、と思ったのだが。だが、反論することはできない。
「若者にハあまリない夢ダ。だから、オマエのこれはまだ食ベテいなかッタ」
そう言うと、ナイトメアはあんぐりと口を開けて、その水風船のようなものを呑み込んだ。ごくりと嚥下する音が夢の中に響く。
「さアて、仕掛けは上々、アトは仕上げを御覧じなサイ」
ナイトメアは高笑いをして消えていった。
起きて夢の内容を書きとめてから、ぞっとした。
「ナイトメアに煩わされるのはごめんだ」と昨日まで強く願っていたことを、全く思えなくなっていたのだ。
がんばって考えようとしてみても、嫌いなやつのいいところを無理やり探そうとしたみたいに、すぐに思考が霧散してしまう←これが「夢を食われる」?
だけど、ナイトメアって、本当にいるのか?
もし俺が本当にサボりたくて、言い訳を探してるだけだとしても、別におかしくない。言い訳のためにはナイトメアは存在してもらわないといけないんだから、ナイトメアが消えてほしいって願いは俺の心が勝手に消すはずだ。
それで、いないとしたら、いないものに煩わされたくないって願いも意味がないんだから、やっぱりそれも存在しなくなる。
頭がこんがらがってきた。どうしたらいいんだ?
今日はとりあえず授業に出たが、なにも頭に入らなかった。念仏みたいに全部耳を素通りする。
とにかく、なにかできることを探そう。明日は休みだ。街に出る。
早めに寝ようとベッドに潜り込んだが、なかなか寝つけなかった。目を閉じると、自分の身体の感覚が鈍くなる代わりに馬になったときの感覚が鮮明に蘇ってきて、わけのわからない気持ちになる。気がつけば俺はまた馬化して、蹄で股間をこね回していた。アレが硬くなってくると、頭の中にまで馬が充填してきて、なにも考えられなくなる。ヒヒーンって嘶いたらもっと気持ちいいだろうなって思ったけど隣の部屋のやつに聞こえたら恥ずかしいのでぐっと我慢してたら、代わりに尻のあたりがむずむずしてにゅうっと内側からなにか出た感じがして、そのときの背筋をなぞられたみたいなぞわぞわした感触で出してしまった。
たぶん尻尾だ。
最悪の夢を見た。俺は自分の人生をさまよっていた。いまいる場所がこの学校で、ここから目的地まで辿り着いたら、そこが俺の生まれた場所だというのが何故かわかっていた。俺はそこに帰るために歩みを進める。途中には俺がこれまで出会った人がいる。クラスメイト。先生。遊び友達。近所の人。親戚。
それがどんどんナイトメアに変わっていく。俺の人生がやつに塗り潰されていく。アシュも、レクも、ミネルヴァ先生も、クラスメイトも、レミーも、オルテガのクソじじいも、よく使う商店のおじさんも、全部がぐにゃぐにゃと波打って、あのいやらしい笑みを浮かべた馬の魔物になっていく。だけど俺はそれに反応することができず、当然のものとして生まれた家に帰っていく。地元の街の住民も幼馴染もみなナイトメアになっている。俺はどんどん若返っていき、大きなナイトメアたちの群れをくぐり抜けながらなんとか家にたどり着く。そこには二匹のナイトメアがいた。お父さんとお母さん。お母さんナイトメアがおっぱいを出して俺を待ち構えているので、俺ははいはいでそれに近づき、お母さんナイトメアによじ登ってその乳首を吸う。ちゅうちゅうと吸っているうちに俺の顔はだんだん尖っていって、俺も生まれたてのナイトメアになる。お母さんの馬の匂いに安心して俺はすやすやと眠った。
暗闇の中で、嘲笑ういななきが響く。
山道を越えて街に降り立った途端、俺はすでにナイトメアにしてやられたことに気付いた。
その日は、街の魔法品店を巡る予定だったのだ。なにかナイトメアに対抗する手段がないかと思って。
夢に関する魔道具は魔法が体系化する前から様々な伝承がある。夢を人間に飛び込んでくる虫と捉えて捕まえる網や、寝床に潜むものと考えて、枕の中に潜ませる護符。夜に屋外から忍び込むことを想定して、窓にぶら下げておくナイフ――そういったものは、昔の風習や伝統を守る者たちによって細々と受け継がれていた。図書室にそれらの事典もあったので、見様見真似で作ることも考えたのだが。
魔道具には《時間》が必要だと、学校の授業で習った覚えがある。
《魔》の存在を信じ、作り手が明確に《力》を念じ、そして《時間》を経ることで、魔道具は魔道具たり得るのだと、そう習った。だから自分で作ることはやめ、古い道具が流通している魔法品店を探すことにしたのだ。
そして、俺がそう思ったのは。
《夢》があったからだった。
馬と化した俺を…『ナイトメアに汚染された俺を見られたくない』という、消極的だが、俺の行動を縛り付けていた願いが。
前の日に強く念じていたから、寝ぼけ眼で出発しているときには気付かなかった。
だが、街の雑踏に身を置いた瞬間、俺は理解してしまった。
俺はもはや、あの姿を見られたくないと思っていない。
むしろ見てほしい。あれが俺の正直な姿なのだからと。
喰われてしまったのだ。
股間が持ち上がり、無意識に変身魔法が発動してしまった。
呼吸が荒くなり、耳が、鼻面が、毛が、蹄が、のっぺりとした人の皮におさまりきらない獣の俺がじわじわと漏れ出ていった。
何人かの魔力に敏感な通行人がこちらを見て、それでまた興奮してしまった。
かろうじて残った理性を振り絞り、顔をフードで隠して俺は一目散に走り去った。
驚くほど俺は速く駆けることができて、そのとき、すでに腰から下も馬になりつつあるのだと知る。尻尾がベルトを押しのけてばさばさと音を立てて、フードにおさまるはずもない鼻先が風を切る。子供のときに、はじめてピクニックに連れて行ってもらったときみたいに、あらゆるものの匂いが鮮烈だった。大きな鼻の孔がふーふーと白い息を吐き出していた。
俺は街外れまで辿り着くと、ほとんど二足歩行しているだけの馬になった自分の身体をまわりの動植物たちにひけらかしながら絶頂した。
俺はもうだめだ。もう馬だ。俺は馬。馬になりたい。馬として見てほしい。人間としての夢をほとんど喰われたいま、欲望を抑えきれない。
寝るのが怖い。でも楽しみだ。ナイトメアに見てほしくてたまらない。馬具をつけてほしい。手綱をつかんでほしい。馬として一人前にしてほしい。誰にも言えない。相談できない。こんなこと言えるのはナイトメアにだけだ。
俺はナイトメアに、あらん限りの凌辱をされ、蔑まれ、弄ばれ、そして眷属としての烙印を押されてしまった。俺はもう、ナイトメアの仲間になってしまった。
これを見ている誰かへ。ナイトメアは、最後にこう言った。
馬と化して、みっともなく蹄で自慰をし続ける俺に対して。
「そウそう、最後にいい《夢》を与エてアゲましょうか?」
俺の耳がピクリと動いてナイトメアのほうを向いた。でも、自慰をやめることはできなかった。
「《やはりワタシは存在しテイない》という夢でス」
俺は前足をかき続ける。
「ワタシはオマエの、《負の夢》にすぎナイという夢です」
俺は自分の主の声に、耳を傾ける。
「アナタは確かに、いくつモの夢を抱いテいましタネ。魔法使いのエリートになッて錦を飾ル夢。母親に『立派ナ息子だ』と言ってもラウ夢。秘めらレタ才能で、級友たちを圧倒すル夢。代わリのきカナい何者かとなッテ、尊敬ノ目を一身に受ケル夢。現実を知ッタとは言エ、身ノ程を知っタとは言え、それラの夢はずッと持ち続けていタ」
絶対的な存在によって無遠慮に自分の恥部を蹂躙されるのが、心地いい。
「だケド、生身のアナたはその夢タチの生存ニ、維持に、あるイは処分に――協力しマせんでシタ。向き合ウこともナく、無視スるこトもなク、イズれナニか良いきっかケがあレばいいナと思っテ放置しツヅけてきマしタ」
俺のことを、俺ではない誰かが、正確に理解してくれていることの幸せ。
「燻ッて、わだカマッて、熟んデ、淀んダ《夢》タちは――アナたの魔力を使っテ、ワタシを作ッタのデス。《夢》ヲ食べテくれル魔法生物であル、ワタシをネ。アナタの魔力は、それがデキる性質のモノだッタ」
俺はもう、俺のことを放棄していいのだ。
「ワタシはオマエの自食作用に過ぎナイ。オマエの魔力は、はじメからワタシを生み出す運命だッタ――どうデす? 救イでしョウ――オマエの決断にモ、オマエ以外の判断ニも間違いはナく、ただ、オマエはこうなる運命ダッタというダケの話になるのデスから」
はい。仰るとおりです。ご主人さま。
「コの《夢》を受け入レルなら――オマエに命令でス、しもべよ」
はい。仰せのままに。ご主人さま。
「ワタシは情報。ワタシは《負の夢》を食べるダケの心の一部。ダカラ――他の者にモ、生まレルことができルノです。ただ、ワタシを知れバイイ。コの日記ヲ読めば、ワタシの種はあなたの中にも植えつけられる。あとは目覚めるきっかけがあればいい。そのきっかけは、この忠実なしもべが役目を果たしてくれるでしょう。彼はこの日記を書き終えたあと、あらん限りの魔力を込めてから人間界を去るのですから。彼が書いていましたね? 《魔》の存在を信じ、《力》を念じ、《時間》を経たものは魔道具になると。あれからどのくらい時が経ったかはわかりませんが、遠い未来であればあるほど、ワタシは強力になっている。あなたの中のナイトメアを目覚めさせる魔道具になっている。
それでは、ごきげんよう。あなたの夢の中でお会いできることを夢見ています。
ナイトメアより