[デラックス特典]やや小難しい話3:現代の動物変身譚の限界
Added 2022-12-16 16:38:10 +0000 UTCまずはじめに、これは学術的な根拠や分析を用意して書いた文章ではない。一応ながら物語を作る仕事をやってる人間として単に思ったことを書いてるだけだということを、先に断っておく。
ナラティブという言葉がある。
厳密に説明するとややこしい――と言うか私もそんなにわかってない――ので、一般的なニュアンスとしてのナラティブを言い換えるなら、「物語の構成単位」とか「感情の因果関係」とかそんな感じでいいだろう。
例を挙げる。
たとえば、飛行機があるとしよう。
これはまだ、あまりナラティブではない。飛行機が存在するというのは、現代においてはただの客観的事実だからだ。
しかし、こう付け加えたらどうだろうか。
飛行機は飛び、堕ちるものだ。
これはナラティブだ。
何故なら、語り手と読み手の間で「飛行機に関して想定する思考や感情」の領域の定義がされたから。
飛行機は飛び、堕ちるものだが、止まりもするし、走りもするし、分解もされるし、組み立てもされるし、破壊もされるし、修理もされる。その中で語り手は「飛び、堕ちる」というイメージに限定してほしいと読み手に要請し、読み手は(よっぽど受容の仕組みがずれてない限り)それを承認する。この一連の流れがナラティブ――「語ること」とされている。
このナラティブを組み合わせたり、あるいは掘り下げたりすることによって「ストーリー」になる。映画でとりあえず飛行機を映すのは、飛行機の持つナラティブ――飛ぶ、堕ちる、狭苦しい、新天地に降り立つ、運命を制御できない、etc.――がだいたいの人の人生を先に暗示してくれるからだし、どれか一つに着目して深掘りすれば、自ずと他のナラティブに触れる構造になる。
さて。
表題の話に移る。
では、動物変身譚とはなんだろうか。
言うまでもなく、動物変身譚は客観的事実を説明したものではない。
複数のナラティブが組み合わさり、合成された結果だ。
・動物信仰。アニミズム。世界の成り立ちや神の化身、死生観としての理解。
・一目しただけでは理解できない動物の生態、行動、人との接触(↑と共有部分がある)。
・日常生活における動物資源の利用。
・「人」と「人以外」の境目や、禁忌に関する基準。その感覚。
・あやふやな噂、伝聞情報。あるいは実態の隠蔽。
・見間違い、幻覚、薬物体験。
・比喩、語感、語呂合わせ、わらべうた。
例えばこれらが、動物変身譚におけるナラティブの「源泉」と言えるだろう。
そしてその源泉において、さらに最も根底にあるのは「人と動物との接触」と言って差し支えないと思う。
人が動物を認識しなければ、まず動物を語り得ないのだから。
人が動物と出会った。その動物の概念、知識が共有された。それが他のナラティブ――「人以外」という感覚や社会の出来事、古典や伝承――と組み合わされ、「動物変身譚」として説明した場合が最も語りやすいミームになったときのみ、それが動物変身譚として残る。極めて雑だが、順序としてはこうなるだろう。
しかし現代では動物変身譚を描こうとすると、とても階層が浅くなる。
現代人――ネットや書籍やテレビで、物語に触れられる層――は、やろうと思えば人間以外の動物に接触しないまま生涯を終えられるからだ。好んで接触してる人でも、それが野生動物である場合や、生活に直結している割合はかなり少ないだろう。
必然的に、動物変身譚に「動物との接触」というナラティブを伴って採用できる動物はほとんど愛玩動物か家畜になる。要するにイヌやネコやウサギやネズミ、ウシやブタやウマやニワトリだ。街のどこにでもいるカラスやスズメですら、動物としての物語性を持って登場することはできない。ほとんどの人はカラスやスズメがどういう生活をしてるか知らないし、どうなっても関係ないからだ。そういえばスズメは近年減少傾向にあるんだっけか。
(ウマは競馬があるからこの中では特殊と言える。勝負事と世代交代は尽きせぬナラティブの湧く泉だし、それをうまいこと利用できるようにしたのがウマ娘だ)
さて、仮にイヌ(イエイヌ)をモチーフに選んだとしよう。しかしそれでも、イヌ変身譚の話が深まることはない。
何故なら、ほとんどの現代人はイヌというのが単なる動物の一種に過ぎないことを知っているし、その上動物倫理の概念も持ち合わせているからだ。イヌは世界の多様さを表しているのではなく、さんざん交配を経たから多様な見た目になっているのだし、イヌが人間に優しいのは神様の化身や親しい人間の生まれ変わりではなく、そういう動物だから優しい。理屈や専門知識を持っていなくとも、現代人は感覚としてそれを持ち合わせている。そして牙を剥いてきたらそれはなにかの象徴ではなく、獣医か保健所か裁判所の管轄になったことのサインだ。これはイヌの部分に他のどの動物に入れ替えてもいい。
となると、変身譚に使えるナラティブは以下のようになる。
・異人種、異文化との接触や交流
(古代ローマ時代や世界大戦ならともかく、現代で実在の民族や文化や国籍を動物にたとえるのはほぼアウトだ。よってこれも現実からのリソースが枯渇する。)
・時代背景を変更する。神話、民話、動物信仰から拝借する
(説明をうまくすれば、一番現実的である。)
・閉鎖社会や階層社会の象徴
(火の鳥太陽編のアレだ。最近だと、ちいかわもこの潮流に乗っていると言える)
あとはせいぜい、かわいい/かわいくないとか抑圧/解放のパラメータを変化させたり、ペルソナの切り替えを視覚的に表現したり、興奮したら変身する/しないで感情表現のサポートをするぐらいしかできない。現代人は動物の見た目にその程度の意味しか持っていないからだ。動物の能力を使っての活躍も、スマホの機能やバトルの視覚表現が爆発的に進化しているいまだとかなり古臭い。
要するに、だから困ったなあ、という話なのだ。これは。
変身譚を描きたいとは思ってるが、現代の変身譚が深くならないものであるのをわかっている。上記の使えそうな要素にしても、人間の姿にしたほうがよっぽど意味があるし話が広がる。動物の顔をしてる人がわちゃわちゃしてるより、人間の顔だけど何考えてるかわからない人がいたほうが普通に話として面白い。だけど、私の漫画技能はそもそもマズルを伸ばしたい欲求のついでに生えたようなものなので、変身譚を描かないとかなり出力が下がる。
いまなんかその脳の「動物の概念を認識する」って部署が仕事を持て余してるので、そこが新しい仕事を見つけたらまた変わるかも知れないけど。
この問題に対する抜本的な解決としては、以下のようなものがある。
・諦めてフェチ提供の商売に徹する。
(要するに今の業態だ。食ってはいけるだろうが、実際のところこの「掘っても話が広がらない」ネタをやり続けるのにやや飽きてきている)
・欲求をゲーム制作にぶつける。
(ゲームはプレイヤー自身がナラティブの源泉になってくれる利点がある。動物主人公が意味のあるジャンルだ)
・欲求を動画にぶつける。
(動画漫画はけっこう違う文脈なので、研究の余地がある)
・動物と他の、ナラティブのリソースが枯渇しない要素を組み合わせる。
(たとえば【着ぐるみ】と組み合わせたグレイプニルとか、【イケメンの誘惑】と組み合わせたお前、タヌキにならねーか?とか)
・独自の動物圏を作って、作品内に源泉を用意する。
(つまりポケモンとかデジモンだ。メイドインアビスもか)
・解決できるような話の構造をがんばって考える。
(できたらいい)
・人類が衰退して、否が応でも動物と関わらないといけなくなるまで待つ
(日本は野生動物被害を割とマジで抑えきれなくなる一歩手前だ。そのときにインフラが機能してるかどうかはわからない)
まとめとしては
・現代での動物変身譚はかなり物語の容量が少なくなる
・でも私の手の自我は変身を描きたがってる
・ついでに私の脳も【動物の識別】をしたがってる
・でも脳の物語を作る部分は退屈し始めてる
こんなところになる。幸いお陰様で困窮はしていないので、そのうち解法が見つかるといいなあぐらいの気持ちでいるが。
特にオチはない。思考の整理。