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お絵描きメモ第1回 闘いというものがあるとすれば

FANBOX開設して今月で1年になりました。

せっかくフォローもしていただいてるので、試みとして無料記事で「お絵かきメモ」という新しいカテゴリを始めてみました。

(第2回目以降は100円プランから閲覧可能などにするかもしれませんが未定です。)

お絵描きメモとはいえ、画面の中の描き方などはほぼ触れず、その時考えたことや精神論みたいなものが中心になると思います。(この辺は恩師の影響が大きいです)

備忘録を兼ね思い付きをつらつらとですが、何か参考になることがあれば幸いです。

第1回の題目は「闘いというものがあるとすれば」です。

最近twitterで意味もないようなラクガキを上げるようになって、普段と違う動きと思われたかもしれません。



そこにある背景のようなものを記して解説してみたいと思います。

つい数日前、絵に臨むメンタルで悩んでいた部分がひとつ解かれるということがありました。

もしかしたら、人知れず他に悩む人もいて今のSNS上のお絵描きに潜む影に関わるかもしれません。

なんのために絵を描いているかわからなくなると、人は絵を描けなくなります。

人はなんのために絵を描いているんだろう?

理由は様々かもしれません。

たくさんの人に見てもらいたい、承認欲求を満たしたい、お金を儲けたい、商業デビューして有名になりたい、憧れの絵師に近づきたい・・・などなど

では自分はどうかと考えたとき、

(前置きとして正確なニュアンスや語彙で表現するのは難しいかもしれませんが、)

「自由なる闘い」というような概念があることに気づきました。

前置きとして、以下はあくまで主観です。

つまり、絵というものは本来商業もアマチュアもなく、

ただ描きたいという想いが形になったもの。

SNSでは、所属や立場など垣根を越え誰もが絵を描いて発信する者になれる。

それはいわば、誰もが平等に、公正に闘う場を与えられてるようなものだと思います。

『闘う』という表現は物騒に見えるかもしれません。

ここで主張したい『闘い』とは、相手を倒す、評価で上回る、といった外部を圧するものではありません。

表現そのものはある種の闘いだと思います。平和な闘いと言ってもいいかもしれない。

「オレはこれが好きだ」「オレのこういう想いを見てくれ」という主張の闘いです。

その機会が平等に与えられているんです。

言い換えれば、人は闘いを通して己の居場所や「生きた時間」を勝ち取りたいのだなと思います。

自分は、絵を通して公正な場で闘い、その解放感を楽しみたいんだなと思いました。

SNSに話を戻すと、今自分は闘っていないなと思いました。

上手いでも下手でもなく、誰々より強い、とか弱い、とかではありません。

自分の色で、自分の線で、力強く主張してないんです。

流行の絵柄を気にしたり、「こんな塗り方をした方が見てもらえるかな」と思ったり、いいねの数や閲覧数を気にしたり。

本当の輝きを放つ絵というのは、外部の圧に屈しない自分の中から湧き上がる表現だと思います。

それこそが公正なる闘いであり、ふさわしいと思います。

義務で描くことに駆り出され、いつしかその心を忘れていたようです。

その心を取り戻す、深めるルーティンとして、ただただ思うままに単純にラクガキしています。

ポイントは外部やネット上の視線、情報、先入観をシャットアウトすること。

今まであまりやらなかったこともあって、ある種の心地よさがあります。

(この心地よさは、かつてあったpixivの絵チャットをも思い出します)

逆にあまりタイムラインに流れてくる絵は見ないようにしています。

(よほど自己流にアレンジなどしない限り)ひとの絵柄、今風の絵柄をマネしてしまうとそれはもう自分の武器ではない=縛られた不利・不毛な闘いだと思っています。

実際にやってみて思うのは、イラスト=女の子を描くという先入観を持ちすぎたということ。

女の子を描くことをほんの一時的に捨てることで、改めて女の子を描くとはどういうことか見えてきます。

自分は男なので、かわいい女の子を描くというのは、本来ドキドキしなければならないと思います。

描いてて恥ずかしい気持ちだって持っていていいと思います。

そういった心の機微だって絵の魅力に現れます。

この公正なる闘いに臨むのに、(絵を描くことやネット環境整えるなどを除けば)必要な準備や条件はないんです。無条件です。

ここからが肝心ですが今、自分が一番やってはいけないのは

「公正な闘いの場」を獲得するために戦うことです。闘いのための戦い。

その「場」を手にするために戦いや苦闘はいりません。すでに開かれているのだから。

すでにもうここにある。

一般的には苦労すること・抗うことなどが美徳とされがちですが、

すでに持っている機会を苦労して獲得するためのポーズをとって自分に酔うなどと言うのは本末転倒です。

だからその環境に立ち返るため、簡単にできるアクションとしてラクガキを繰り返してました。呼吸を重ねるように、徐々に「場」があるということを体で知る反復練習みたいなものです。

ラクガキが流れてきてたとえ見る人の印象が変わったり、期待外れだとしても今はこの試みに時間を投資することでまた新しい未来に繋がると今は考えています。

「公正な闘い」というフレーズでもしやと思った方もいるかもしれませんが、

ジョジョ7部のリンゴォから影響を受けている部分もあります。

たまたま目にした下記の記事にそこが掘り下げられてあり、今の自分の考えに至っています。ご興味あればぜひ↓

https://amaya.jp.net/jojo-4/

そんなところです。

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