ゲーム開発、とくに長いことかけたゲームの大詰めともなるとふつうでは感じることができない言語化できないような難しい領域に入ってきます。
プログラミングやバグ、ゲーム性などのテクニカルな部分だけでなくキャラクター、イラストの雰囲気、世界観などのリソース部分にまで広くのすべてが、一つに集結して「面白いゲーム」というものを構築するためにああでもないこうでもないと積木を積んでは戻す、しかも「面白い」の正解定は無い。
すごく苦しくてつらい段階ではあるのですが、多分世界でもこの感覚を味わえている人はそうそういないんじゃないか?と思うので現状で感じることをつらつらメモ的にかいてみようと思いました。
何をいじっても全てに響く
まず一番わかりやすいのがコレです。
全てのリソース全てのロジックがこの段階で大きな建造物のように出来上がってくると、ここをこう変えようといういわゆる「ちゃぶ台返し」に対するコストが上がってきます。
最初の頃はさっと変えられたことが、プレイヤーのジャンプ力の数値を一つ変えただけで全ての敵、全てステージバランス、はたまた想定し得なかったストーリーにまで…と本当にその世界の全てに影響が出てしまうわけです。
面白いのか?には永遠に答えがない
何を変えるにもコストがデカくなるということを踏まえた上で面白さの追求を常に試行錯誤するのですが、この面白さというのには明確な答えがありません。
ひょっとして面白いんじゃないか?という感覚はあるんでちょっと変えてみたい、しかし変えるには多大なコストがかかる、しかも面白くなる保証はない(というか壊れる可能性すらある)という何をするのにもリスクが伴い、常に自分の感覚だけがモノを言います。
その判断が1回2回なら大したことはないのですがこの段階では毎日常時その判断を迫られている状況になります。
正解もそもそも存在しませんのでひたすら感覚を研ぎ澄まし、客観視し、自分の感覚を信じて、かつ疑い、真っ暗な中で着地点を探すような感覚です。
他人の感想は正解とは限らない
客観視という意味で人の意見を聞くのは重要です。
人に感想を聞けばいいじゃんというには確かに真っ当な意見ではあるのですが、基本的に他人は自分以外の作品に責任を持たないのでこの段階では落とし穴になる場合もあります。
自分はこういうゲームにしたいという明確なコンセプトをもって考え続けて作ってきたのそれを否定するようなことを言ってきたり(悪気はない)それに対する筋の通る改善策も提示しない場合が殆どです。
かなり個人的だったり飲み会の席で思いついた適当な意見である場合も多いのですが開発終盤のこの時期のメンタルで言われた側としては強烈な印象として残る場合が多く、本当はもっといろんな他の意見や自分の感覚で見つけた筋の通ったものがあったりするのですが、一つ気になりだすと泥沼に陥るような状況にハマります。
しかもこれがどんどんナイーブになっていく傾向があり、僕の場合はもはやSNSでゲームの記事が流れてくるのをみたり他人のやってるゲームのスクショを見るだけで、自分の感覚が間違っていると言われている(とまでハッキリとは感じませんが)みたいな不安感にすらかられ、SNSは一旦断つことにしました。
全て自分の感覚でしか測れない段階である
この状況で結局思うのは客観視も含めて自分で測るしかない段階なんだなと思います。
もちろん面白さは他人が決めることでありデバッグや感想も大事なので、(フォートナイトを毎日やってるのにサッパリ勝ったことのないライトゲーマーな)彼女にたまにデバッグに付き合って貰って色々とフィードバックを得ています。
ただ「コレ変えたよね!良くなった」(変えてない)「ここすごい!新しい!」(前からあった)みたいな意見も多々あるので、フィードバックを得ることは重要ではあるが結局それの良し悪しを見極めるのは自分の感覚と責任なんですね。
以上でした。