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人生トレード魔法――セレナ皇女の場合(大横綱ルート・三)

「ひが~し~、不破ノ山~、不破ノ山~」  呼び出しの声に応じて土俵に上がります。足を高々と上げて四股を踏みます。  観客はまだまだ少なくて、幕内上位はおろか十両力士たちが出る頃にも遠く及びません。それでも部屋での稽古とはやはり質が違います。  わたしは幕下へと昇進し、白星を重ねていきました。けれど、今までに比べると昇進のペースは鈍っています。  わたしと同様の若い力士は次第に減っていきます。代わりにいるのは、上を目指してひしめく先輩力士、あるいは力衰え番付を下げつつも老練さを増した力士。体格や力だけでは勝てず、技を磨いて相手の仕掛けに対応する必要がありました。  日々の鍛錬の中、そうした技術も身に着けつつはあるのですが……。 「に~し~、大海洋~、大海洋~」  目下のライバルは、今日の相手である彼でした。  南の島国からやって来た青年。この身体のわたしより四歳上です。入門はわたしより一年早く、そう考えればわたしの方が出世が早く追い上げているのですが、大きな壁となって最近のわたしの前に立ちふさがっていました。  特筆すべきはその体格。  肉の塊のような巨漢でした。190センチ、230キロ。わたしも体重は増やしていますが、それでも100キロ近く重量差があります。  行司に促され、土俵に手をつき、立ち合いから飛び出します。肉の壁に正面からぶつかりました。  しかし今回も、鋭く踏み込んだはずの立ち会いは功を奏しませんでした。大海洋はわたしの突進を受け止めて平然としています。  柔らかな脂肪の奥にある頑健な筋肉。それがわたしを阻みます。重さの違いをねじ伏せることもできず、組み止められたわたしはそのまま圧力に抗うこともできず、ずるずる後退して土俵を割りました。これで大海洋には三連敗。  そして今場所は四勝三敗で終了。十両以上のように十五日連続で取ることはなく、その分一勝や一敗の意味は大きいと言えるでしょう。 「おかわりをお願いします」  どんぶりを差し出すと、千代子お嬢さんは軽く眉をひそめました。 「食べ過ぎではありませんか」  若い力士が普通言われることではありません。けれど、言われてもしかたないところではありました。  今回も大海洋に敗れて以来、わたしは食事をそれまでの二倍の量食べるようにしたのです。 「強くなるには、大きくなるのが近道ですから」  わたしが言うと、お嬢さんはご飯をよそいます。大学へ通う傍ら、彼女は不破ノ関部屋の手伝いをするようになってくれました。栄養学を学んでいることから、食事関係を中心にこなしています。  肉と野菜と魚と米を、とにかく腹に詰め込みます。お嬢さんの味付けは上手で、間違いなくおいしいちゃんことご飯です。  なのに、胃は膨れ上がったように感じ、不快感が襲いそうになります。  食事量を増やしましたが、いきなり胃が大きくなるわけもありません。本来ならもっと徐々に増やしていくべきなのでしょう。  けれど毎場所、大海洋とは戦います。二ヶ月後にもまた。  これ以上負け続けたくない。その思いで、必死に食事をしました。  どんぶりを空にしますが、ノルマ的にはもう二杯。またおかわりをお願いしようとして―― 『おやめくださいませ』  お嬢さんの発した言葉に、手が止まりました。 『その身体に適した成長のしかたがあると思いますわ。あなたは今、焦りにとりつかれているように見えてしまいますの』  周囲の若い衆たちが怪訝そうにお嬢さんを見ています。  無理もありません。彼女の話す言葉は、わたしの――『ミハイル』の母国の、中央アジア某国の言葉だったのですから。  なぜ力士の娘として生まれ、この国で育った彼女が、こんなにも流暢にその言葉を話せるのか。  わたしには、可能性は一つしか考えられませんでした。 『あなたも、あの魔法を使った。あなたこそが元のミハイルだった。そういうことでいいんだな?』  夜、お嬢さんを見つけると、彼女に誘われるようにひと気のない場所へ行くことになりました。わたしはさっそく問い質します。誰かに聞き咎められないよう、わたしたちしか知らない言葉で。  この言葉は、話者の性別が話し方を大きく規定します。男性は荒い言葉遣いになり、女性は丁重な言葉遣いを求められるのです。わたしとしては不本意ながら、『ミハイル』としての大まかな記憶に従うと、こういう言葉遣いをするしかありません。 『その通りですわ』  一方の『千代子お嬢さん』――元のミハイルも、今の性別に合わせたしゃべり方をしていました。それは、彼女なりに今の性別も身体も人生も受け入れているという意思表示なのでしょうか。 『わたくしは力士としての生活に耐えられず、部屋に入門して一ヶ月で祖母に教わっていた呪文を唱えましたの。時空を超える場合もあると聞いてはいましたが、まさか同じ国の同じ建物の中にいる一年前の女の子の人生を引き継いでしまうとは思っていませんでしたわ』 『つまり彼女もこの呪文を知っていたというわけか』 『千代子さんの場合は、スマホのアプリとして手に入れていたみたいですわ。入れ替わり直後、わたくしの手の中で、そのアプリは消去されてしまいましたけど』 『なるほど』 『彼女が、元のあなたになったのかしら?』 『どうだかな。間にもっと何人も挟んでいるかもしれない。荒れていた十代半ばの女の子が好むような人生とは思えないんでな』 『……元のあなたについて訊ねてもよろしいでしょうか?』 『構わないさ』  わたしの話に、彼女はずいぶん驚いているようでした。 『男から女になったわたくしとは正反対なのですね。別の世界のお姫様が、こんなところで力士なんてしているのですか……』 『ずいぶんな物言いだな。俺は後悔しちゃいないぜ。力と力をぶつけ合うのは意外と俺の性に合っていたみたいだ』  わたしがそう言うと、彼女の表情が不意に引き締まりました。そしてこの国の言葉に戻ります。 「だったら、自分にふさわしいやり方で強くなってください」 「それは……」 「単に体重をいきなり増やしても、脂肪になってしまうようでは意味はないでしょう。それどころか、糖尿病になってしまうかもしれません。それに体重が増えすぎると膝に大きな負担がかかって故障しやすくなるんです。あと……」  これまでの千代子お嬢さんは、こちらが何を言ってもにこやかに応じ、時折困ったように微笑むばかりでした。  でも互いの奥にあるものを知ったからか、今の彼女からは遠慮がなくなったみたいです。  元の『千代子』の記憶を受け継ぎ、高校から大学へと進学し、食事と栄養について学んで一家言あるのでしょう。舌鋒鋭くわたしの最近の方針を批判していきます。 「すみません……」  わたしはひたすらぺこぺこと頭を下げるばかりでしたけど。  今までよりも、少し彼女に近づけた気もしたのでした。


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