異世界に転生したからと言って勇者になれるとは限らない
Added 2023-01-01 05:19:49 +0000 UTC鋭氷流――それは、鋭い氷の如き切れ味を持つ拳。かつて殺人拳と呼ばれたその拳法は、いつかの現代で身を守る力へと昇化されていった。 某県某所にある空手道場。そこでは幾人もの人間がその拳法、氷鋭流を学びそして弟子達に受け継いでいた。 「ハッ! デヤッ! ……ハーッ」 その道場では今も男達が空手の道を極めるべく訓練し続けていた。今日は現師範である巨漢の壮年と、弟子であろうやはり大きな体を持つ偉丈夫の青年が二人、組手を行なっている最中である。 「今日はここまで。 また力を付けたな炎十郎。さすがは、この私が認めた男である」 「いえ、私などまだまだです。私は未だ師範には届かず。いえ、届いたとしても、永遠に師範の背を追い続けるでしょう」 師範の前で深々と頭を下げる偉丈夫。彼の名は火ノ山炎十郎(ひのやま えんじゅうろう)。地元の県立高校である坂柄高校に通う三年生であり、弱冠十七にして空手の有段者でもあった。 彼もまた、鋭氷流を継ぐ者であった。現師範である此の男には敵わぬものの、この道場中はおろか、日本の中でも彼に勝てる者は少ないだろう。それほど彼は強かった。 「それはいかんな。私を追うのではない。私を超え次世代の人間達にその力を正しく伝える。それこそが、我らが鋭氷流を極める者の定めだ。それを努々忘れるでないぞ。炎十郎」 「申し訳ありません! 私も師範を超えられるよう日々修行に励みます!」 しかしその力を他人に振るうこともなく、己の持つ炎のような正義心と鋼のような精神で日々修行に励む毎日だった。それはもう、雨の日も、風の日も、だ。 「そこまでっ!」 「ありがとうございました!!」 高校では当然ながら空手部に所属しており、彼はそこでは部長の立場でもあった。校内戦はおろか他校との試合でも負けなしの大将。それがこの学校での彼の立ち位置だった。 「お疲れ様です部長!」 「部長、やっぱつえー」 「何を言う。お前も実力はついている。そう卑下することはない」 その強さと人徳の良さから部内でも慕われる男であった。彼はまさに『最強』と呼ぶに相応しい存在の男であった。 (ただ、やっぱ部長強すぎだよ) (誰も勝てねーもん。部長はああは言ってるけど、やっぱり自信無くすわ) 「……」 その反面、彼は孤独でもあった。 強すぎるが故に敵う相手がおらず、倒された相手は劣等感や諦念を少なからず受けることとなる。彼もそれは自覚していたし心を痛めていたものの、それが強者の業であると日々己を律し研鑽を怠らなかった。 (俺は、鋭氷流を継ぐべく、この拳を、技を磨かなければならん。たとえ、誰になんと言われようとも、だ) そんな彼に転機が訪れたのは明くる日の道場での出来事だった。いつものように道場で練習をしていた炎十郎が見たのは、太陽のように眩い光だった。 「うわっ! なんだ!?」 それは本当に唐突だった。道着に着替え軽い所作を行っていた最中の閃光――彼はそれに身構える暇もなく、抵抗もできずにその光に呑み込まれていった。 (火ノ山炎十郎よ。貴方の力が必要です) 360°全てが光に覆われた視界の中、炎十郎はその声を聞いた。まるで頭の中から聞こえてくるような、男とも女ともつかぬその声を頭の中で反芻した直後、彼の意識は落とした電源のようにぷつりと切れた。 光が収束したその道場には、火ノ山炎十郎の姿は微塵もなかった。まるで初めからいなかったかのように。 ◆ 「うぅ……俺はいったい……」 目頭に光の残滓が消えぬまま、朦朧とした意識の中火ノ山炎十郎は目覚めた。初めは眠ってしまったのかと思っていた彼は、その目に映るものを目にした途端唖然となった。当然だろう。何故なら彼は、広い草原の真ん中に立っていたのだから。 「ここは……どこだ……!?」 「参ったな……どこに行けばいいかも分からない」 炎十郎は草原の中を歩き回っていた。歩き続ければどこか知っている場所に着くかも知れないと思ったからだったのだが、いつまで経っても草原は続いていて、まるでそこが草原しかないかのようにも思えるほどだった。 草が素足をくすぐり土の感触が直に伝わってくる。靴でもあればと炎十郎は一瞬思ったがそんなことを考えても仕方ないと彼はただ歩みを続けた。 (火ノ山炎十郎よ。よく聞いてください) 「!? 誰だ!」 その時、炎十郎の頭上から声が響く。それは光を浴びた時聞いた声と全く同じもの。つまりは、自分がなぜここにいるかを知っている者ということ。そう思った炎十郎は周りに誰もいないことを確認しその声の主目掛けて叫んだ。 「おい、ここはどこだ! 俺はどこに連れて行かれたんだ!」 困惑にも似た叫びをあげる炎十郎に対して声の主はこう言った。それは彼を驚愕させる一言だった。 (貴方はこの世界に選ばれたのです。私はこの世界の神のような存在……世界で貴方を必要としている者の願いが、貴方をここに導いたのです) 「俺を……必要? 選ばれた……!?」 確かに、自分は腕っ節だけは他の人間には劣らないとは思っていた。でもまさか、自分が選ばれし者として異世界に飛ばされるなど露にも思わなかっただろう。彼の思考はさらに混乱を極めていた。 「すまん、言っていることがよく分からんのだが」 (今から貴方にはこの世界としての姿に“転生”してもらいます。まずはこの光の導く先へ行きなさい。そこに貴方を必要としている者たちが待っています) すると炎十郎の目の前に一筋の光があらわれる。それはまっすぐ一つの方向を指しており、まるでそこに向かって歩けと言っているかのようだった。 釈然としない彼だったが、いつまでもここにいては仕方ないと声の言う通りにすることにした。炎十郎は光の指し示す方向に歩き出す。その旅路は長いものになる――と思われたが、目的地には二、三十分歩いた先に辿り着くことになる。 炎十郎が辿り着いたその場所。そこはカラフルな色をしたテント小屋だった。そのテントには一人の男が立っていた。シルクハットとタキシードに身を包んだ壮年の男で、年相応の渋さを醸している。 「お待ちしておりました異界の方。私はこのサーカスの団長、ドリムでございます」 タキシード姿の男、ドリムと名乗った彼は、炎十郎に向かってゆるやかにお辞儀をした。 ◆ 「炎十郎様というのですね。はるばる異界からよくお越しくださいました」 そう言って一杯のコーヒーをテーブルに置いたドリムは、炎十郎の向かい側に座りにこやかに微笑む。よく分からないが炎十郎は確かにここに呼ばれたようだった。 「私は二十歳からこのサーカスを始めましてね。昔は少々は名のあるサーカス団だったのですが、最近は魔王軍の攻撃もあってか団員の数も少なくほとほと困り果てていたのですよ」 ドリムはこの世界の事をよく知らない炎十郎のために今この世界で何が起こっているのかを話した。 この世界では、魔物と呼ばれる異形の姿をした生物が蔓延っており、その魔物達を統制する魔王という存在が、元々住んでいた人間達を襲い支配しようとしているのだという。 そこでは勇者と呼ばれる選ばれし者達が魔物から人間達を守っている事。そして炎十郎のように異世界から勇者が何人もやって来ている事を話した。そして炎十郎もその一人かも知れないという事も。 それを聞いてまるでここが自分が子供の頃遊んでいたゲームの世界のようだと炎十郎は思った。そして自分がこのような世界にやって来た事への自覚も及ばなかった。これは夢ではないのかと何度も考えたが、それはやはり現実だった。 「人々に夢を与えたいと立ち上げたこのサーカスでしたが、人員の損失もありそろそろ畳み時かと思っていた時、神からお告げがあったのです。今日、異世界から人間がやってくると。 まさかこのサーカスに勇者がやってくるとは思わなかったのですが、これも運命だろうと貴方をここに呼びました」 気を紛らわせようとコーヒーを飲む炎十郎。しかしその舌を伝わる苦味もわからなかった。まさか自分が勇者と呼ばれるなど夢にも思わなかったし、その重圧は責任感の強い彼にとってはそれだけ大きいものだったのだ。自分の、鋭氷流が魔物に通用するだろうか。魔物と言えど、他人に向かって空手を使う覚悟があるのか。今の彼はそんな事を考えていた。 「どうしました。コーヒーはお口に合いませんでしたでしょうか」 「いや……分かった。用心棒でも何でも引き受ける覚悟でいる。しばらくはこのサーカスにいようと思う。よろしく頼む、ドリム」 「……! ありがとうございます!」 それでも、それが自分の使命だと、炎十郎は覚悟を決めることにした。例えそれが長い戦いの日々になろうと、それが自分の定められた運命なのだと、彼はこの世界で生きる事を決めた。 しかし、それは彼の思い違いだと、すぐに気づく事になる。そしてそれは当のドリムさえも想定してはいない事だった。 「それでは、転生の間へ向かいましょうか。貴方は異界の者。存在をこの世界に定着させなければ消滅してしまいますから」 「転生……?」 炎十郎が案内されたのは広い空間だった。ブランコや玉乗りのボールなど、ショーやその練習で使われるであろう道具がそこにはあった。 「ここは元々ショーのために使われる場所なのですが、一番思い入れが強い場所の方が強い力を発揮すると神に言われまして。多少散らかってはいますが、よろしくお願いします」 そしてその真ん中には手描きの紋様が描かれている。それはドリムが描いた魔法陣で、転生に使用するためのものだった。これも神に指示されて用意したものだ。 「この世界での貴方は、貴方の住む世界とは異なる姿になり、周りの認識もやや変化する事となります。例えば勇者ならば鎧や剣を携えた姿になり、魔術師ならば杖や法衣に身を包む事になりますね」 「そうなのか……」 ならば、自分が長年着ている道着も変わってしまう可能性があるのかと彼は抵抗を覚えた。 「しかし貴方は既に武闘家であるので、武闘家のまま転生するかも知れませんよ。異界に呼ばれた人間が全て勇者になるとは限らないらしいですし、もし武闘家として転生するならば、心強いことはありませんしね」 ドリムから若干のフォローがあったものの、自分が自分でないものになる可能性がある以上、やはりその足はなかなか動かなかった。 「このままでいると貴方の存在自体が消滅する可能性があります。どちらにしろ、このサーカスには貴方の存在にかかっていると思っています。 頼みます。このサーカスを救ってはいただけませんか?」 「俺からも頼む!」 「俺たち、まだ団長と旅したいんだ! みんなに夢を与えるのは、俺たちの夢なんだよ!」 「お願いします、勇者様!」 そんな炎十郎に対してドリムは頭を深々と下げ頼み込む。いつしか噂を聞きつけやって来ていたサーカスの団員達も同じく頭を下げ懇願する。 様々な人間達が頭を下げて自分を必要としている。そんな彼らを見て逃げ出す、という選択肢は炎十郎にはなかった。 「……わかった。俺がどんなになっても、俺はみんなを守ってみせる。師範と、鋭氷流の名にかけて」 魔法陣へとゆっくりと歩みを進める炎十郎。自分がどんな姿になるのか想像もつかない。師範との修行の日々が走馬灯のように浮かぶ。もう元の世界に戻ってくることはないかも知れないと、炎十郎は小さく道場の皆に別れを告げ、魔法陣へと足を踏み入れた。 「魔法陣が!」 「転生が始まったんだ!」 その瞬間、炎十郎の足下の魔法陣が強い光を放つ。彼の転生が開始された合図だった。まず変化が起きたのは彼の髪だった。短く剃り込んでいた髪が伸びて上に逆立つ。その色は黒から暗い紫へと変わっていく。 「っ!? 何だ、これは!?」 その変化に違和感を覚えた炎十郎はつい声を上げる。その時喉が強く締められるような感触に炎十郎は思わずえづいた。 「ごほっ、がはっ! 喉が……何だこの声は!? 俺の声なのか!?」 見た目相応に低かった炎十郎の声が、まるでヘリウムガスを吸った時のように甲高くおかしな声になる。その声を聞いた炎十郎は自分がどんな存在に転生するのか分からなくなり恐怖に打ち震える。しかし転生は始まってしまった。止まる事はない。 「んっ……なんか、下半身がっ……あんっ」 股座の、道着の下の逸物に妙な快感を覚えた炎十郎は不意に喘ぎ声をあげる。その高くなってしまった声もあってかなり滑稽に見えた。その彼の股座の逸物は、ひとりでに勃起をしていた。普段淫らな事は基本行わず自慰行為も二、三ヶ月に一度程度だった彼であったが故に、その快感も溜め込んでいた分強かった。 「あっ! 何だ、俺のっ……あっ! チンコが……んあぁっ!」 慌てて道着を脱ごうとしたが身動きが取れない。道着の下で逸物はさらに膨張を続ける。快感の中鈴口からは先走りが垂れ始めており、精巣の中では三ヶ月待たされていた彼の子種たちが解放の時を心待ちにして元気よく泳いでいる。それに呼応して炎十郎の逸物がさらに膨らんだ。 「こんな、こんな所でっ……やめっ、あああぁ、んんんっ!」 断末魔の叫びのような喘ぎとともに炎十郎は盛大に射精した。そこからだった。彼の変化が急激に進んだのは。 「あああ!? 俺のっ、俺の体がぁぁぁ!」 長年の修行で鍛えられていた彼の筋肉が萎びてすらっと細くなっていき、筋肉は最低限のものとなる。165とやや低めだった身長は骨が軋む音ともに170後半くらいの長身になった。 まるでアイデンティティを全て書き換えられたかのような変化に炎十郎は愕然となる。 しかしそんな彼に反して、逸物の勃起は射精した後にも関わらずさらに大きくなっている。いつの間にか子供の腕程度の大きさにまで膨れ上がっていた。いくら大きめだった彼の逸物といえど、このサイズは明らかに異常だった。 「やっ……ばぁ……まだっ、まだ……出る、のか…………やめえっ!!」 限界にまで勃起した逸物が道着に擦れると、再び大量に精液を解き放つ。その瞬間、道着が無数の糸に分解されると新たな衣服を紡ぎだす。 その完成した新たな服が、彼をどのような存在に転生させるのかを理解させてしまった。 「これは、まさか!?」 カラフルでヒラヒラの衣装に白い手袋。素足だった彼の足にいつの間にか履かされていた先の丸まった靴。これは明らかにピエロの衣装だった。 「俺、ピエロになるのか!? そんな……ひああっ!」 ピエロの衣装を見た途端、ドクンと炎十郎の心臓が高鳴り、突如逸物が爆発する。噴火口からはドロドロとした白濁のマグマがカラフルな衣装を汚す。 その瞬間、頭に衣装によく似合う二股の帽子が被さり、鼻は赤く丸いボールのようになる。白いピエロのメイクが彼の顔を覆い尽くすと炎十郎としてのピエロとしての変化はさらに進んだ。 「まさか、ピエロになるとは……確かに我がサーカスには人員が足りませんでしたが……何と言う事だ」 ドリムも想定外と言わんばかりに呟く。確かに優秀なピエロは欲していたが、これでは魔王に対処する事はできないだろうと。 「すまんっ、俺は……だ、ダメだ……まだ、出る……ふああぁっ」 射精はまだ行われる。次はどうなるのだろうと渦巻く快感の中彼の思考は妙に冷静だった。 その時浮かぶのは、師範との修行の日々、そして幼少の頃出会った師範への憧れ。彼が彼として形成された運命の日の記憶が彼の脳内に過ぎる。それらが何故か自分の逸物や睾丸へ向かっていく感覚がして、炎十郎は、背筋が凍るような思いに見舞われた。 「待ってくれ! それは出るな! 出るな出るな、出るな……出るっ!?」 その時、今日史上最大の量の精液が彼の鈴口から発射された。精巣はどんどん精液を作り出してそれを次々と排出する。彼の『思い出の精子』の量はそれだけ多いと言う事だ。 「あぁ! そんな……ぼくの記憶、なくなっちゃった。ぼくの大切な思い出、もうわかんない……」 それに伴い火ノ山炎十郎の口調がとぼけた口調に切り替わる。彼を形成した要素がなくなったからだろう。神は彼の存在を跡形もなく消し去るつもりなのだ。何故ならこの世界での彼の立ち位置はサーカスのピエロでしかないのだから。 「あぁ……ボール見てると乗りたくなっちゃう。ブランコに乗りたい、一輪車にも、あとジャグリングもしたくなっちゃう……ぼくは空手一筋だったのに……空手ってなんだっけ? そうだ、鋭氷流だ。これだけは、消さないで……僕の、全て……」 師範との記憶は消えたが、自分が鋭氷流の使い手だという事は未だ覚えていた。これはあくまで火ノ山炎十郎の根幹の部分であるからだ。 しかしピエロとしての思いも強くなっていく。ピエロとして皆を喜ばせるための最大限のパフォーマンスをする。それが彼のピエロとしての矜持なのだろう。 だからこそ、彼の過去の残滓である空手への思いなど、今や睾丸の中の精子でしかなかった。 「あんっ!」 彼の中に蓄積されていた空手の技術や鋭氷流の奥義は、異世界でその力を一度も振るう事なくピエロの精液としてたった一言の喘ぎ声とともに消失した。 (ぼくは、今日からこのサーカスでパフォーマンスをする、ピエロの火ノ山炎十郎……違う! 何が違うんだっけ? そうだ……名前だ。そうだっけ? そうだよ。ぼくは、火ノ山炎十郎なんてヘンな名前なんかじゃない……いや、そうじゃない、違う。ぼくは、戻らなきゃ。なにに? どこへ? あぁ、まだぼくのちんちんが震えてる……ぼくは小さい頃からこんな事でしかみんなを喜ばせせられないから、がんばらなきゃいけないのに……でも、何が大切ななにかがあった気が……あぁ、ちんちんムズムズする……この頭の中のなにか、精子出したら消えてくれるかな?) 彼の頭の中はもうほぼ全てピエロだったが、唯一元の頃の名残があった。それは名前だ。両親が名付けた彼を彼しらしめる名前。しかしそれすらもこの世界では必要のないものだ。つまりは、精液として排出するしかできないのだった。 「ぼくの名前は……あっ! セレーニ! ピエロのセレーニだっ!」 その射精の瞬間、この世界から火ノ山炎十郎という男の存在は消滅し、代わりにピエロのセレーニが誕生した。彼の逸物は今までの膨張が嘘だったかのように鎮まり彼の股座に収まった。 この時点で彼の転生は完了した。 「ええ、ようこそセレーニさん。我がサーカス団は貴方を歓迎いたします」 「これからよろしくな!」 そして認識もいつの間にか改変され、ドリムをはじめとしたサーカスの団員達も炎十郎の存在を忘却していた。彼らの中ではセレーニは新たにこのサーカスに入ってきたピエロという認識になっていた。 ◆ 「お客様、本日は当サーカスにお越しいただき誠にありがとうございます! 私はこのサーカスの団長、ドリムにございます」 「ぼくはピエロのセレーニだよ! 今日はみんな楽しんでいってねー!」 セレーニはこのサーカスで今日も人間を喜ばせるためにショーを行なっていた。しなやかな動きでのブランコやジャグリングは見に来た客達を見惚れさせる。 いつしかこのピエロを見たいと人間がこのサーカスに押し寄せることになり、サーカスは段々大きくなっていった。サーカスの噂を聞きはるばる遠方からやってきた人間がこのサーカスに入りたいと言う程にもなっていた。 少なくなっていた人員もそれにより増え、ドリムのサーカスは全盛期だった昔をも凌駕する大所帯となった。しかしそんな噂を聞きつけるのは人間だけではない。魔物達もこのサーカスへ妨害目的でやって来るのだ。 かつてはこのためにサーカスを辞める者が跡を立たなかった。しかし、今はそうではない。何故なら、セレーニがいるからだ。 「くそ、このピエロ、強ぇぞ!」 「ぼくがいる限りこのサーカスには指一本触れさせないよ。さっさとどっか行けよ魔物ども」 セレーニは強力な魔術を操る魔法使いでもあった。彼にも確かに勇者としての力はあったのだ。しかしサーカスを繁栄させるピエロとしての力、だが。 「ありがとうセレーニ。貴方が来て私はとても助かっている」 「ぼくも、居場所がここしかないからね。故郷は魔物に滅ぼされちゃったし。だからこそ、今度こそぼくはきみたちを守りたいんだ」 「ありがとう、本当にありがとう……!」 「泣かないでよドリムさん。ぼくはみんなのためにここにいるんだから」 セレーニは、火ノ山炎十郎だったかつての姿を一切覚えていない。元の世界に戻ることもないだろう。しかし彼はこの世界で確かな居場所を与えられて確かに幸せであった。 今の彼は、もうこの世界の住人なのだから。 「やあ! ぼくはピエロのセレーニ! 今日は悲しいこと全部忘れて、楽しんでいってね!」 今日もセレーニはショーをする。この世界の人達を笑顔にするために。 END