第6話 「糸の果て ― 無音の広場」
Added 2025-08-14 11:26:33 +0000 UTC最初は、スマホの画面が光の花畑のようだった。 彼女の動作――しゃがみ、立ち、頬に口紅を塗り重ね、腕を空へ突き上げる――に合わせて、無数のフラッシュが瞬く。 通行人は笑い、肩を叩き合い、コメントを囁き合っている。 私は糸を握り、ゆっくりと彼女を操る。
最初の違和感は、小さな間だった。 腕を上げたまま、呼吸を止める。 十秒。二十秒。三十秒。 笑っていた者が「長くね?」と呟き、笑い声の輪郭が崩れ始める。
次に、膝を開き、左右にカクカクと動かす。 テンポを不規則に変え、急停止し、また弾む。 彼女の表情は終始、完璧な笑顔のまま。 それがかえって、彼女を人間の枠から外れたものに見せる。
ざわめきは消え、沈黙が広がる。 足元のアスファルトが吸い込むように音を失わせ、ただ彼女の靴底が地面を叩く乾いた音だけが響く。
一人、二人とスマホを下ろし、後ずさる者が出てくる。 笑っていた学生の一団が、互いに視線を交わし、何も言わずに横道へ消えていく。 残ったのは、少数の立ち尽くす観客だけ。 その視線にも、好奇心よりも「触れてはいけないものを見ている」という硬さが混ざっている。
私は糸をさらに引く。 彼女を大きく一回転させ、両腕を天に突き上げ、指先を痙攣させる。 その動きの意味を誰も理解できない。 一人が息を呑み、もう一人が首を振る。 そして、観客はまるで合図されたかのように、群れから離れていった。
五分後、広場には私と彼女しか残っていなかった。 遠くで車の音が響くが、この円の中には何も入ってこない。 彼女はまだ笑っている。 膝を開き、閉じ、開き、閉じ……その機械的な繰り返しが、空気の膜を振動させているようだ。
私は糸を手から放す。 それでも彼女は止まらない。 笑顔を固定したまま、同じ動作を続ける。 私が操っていたはずの動きが、もう私の制御を離れている。
夜風が吹き、彼女の髪が乱れた瞬間、空っぽの瞳が月明かりを反射した。 その光を見て、ふと気づく。 ――もしかして、最初から糸を握っていたのは私ではなかったのではないか、と。
続く