第4話 「糸の先 ― 崩し」
Added 2025-08-12 04:20:09 +0000 UTC最初は、静かに、丁寧に。 私は彼女の膝を曲げさせ、しゃがませた。 通りを歩く人々は、少し視線を寄越すが、それ以上の興味は持たない。 ただの街角の一コマに見えるよう、私は動きを抑えていた。
だが、抑制はいつでも外せる。 私はそのことを知っている。 糸は私の手の中にあり、張力も、揺らし方も、すべて私が決められる。
口紅を持たせ、唇の輪郭を描かせる。 それをわざと乱し、線を広げ、頬まで伸ばす。 視界に若者たちのスマホが現れ、私は微笑を消させない。 彼らは面白がっている。 彼女は何も感じない。
――次だ。 私は腕の軌道を変える。 口紅を落とし、手のひらで頬を叩かせる。 乾いた音が響くが、痛みはない。 痛みを感じる回路ごと、私はすでに遮断している。
片膝を立たせ、胸を張らせ、顎を上げさせる。 その姿勢のまま、両手を真横に広げて静止。 通行人が足を止める。 私は十秒、二十秒と静止させ、わずかに腕を震わせる。 制御下の震えは、見ている者には「壊れた機械」のように映る。
さらに糸を強く引く。 彼女は突然立ち上がり、数歩進む。 そのまま何もない空間に向かって手を差し出す。 指先は空を掴もうと蠢き、足は一定間隔で踏み鳴らす。 意味はない。 意味を付与する神経は、私が全部切り落としている。
スマホのレンズが増える。 笑い声も、少し引いたようなざわめきも、全て私の鼓膜を通って彼女の動きに変換される。
私は試す。 しゃがませ、立たせ、またしゃがませ、テンポを速める。 呼吸は私が管理し、動きに合わせて乱す。 額に汗が浮かぶが、それも指示通りの反応だ。
ついに、私は糸を一気に引き絞る。 彼女は片足で跳ねながら、片手で頬を撫で続ける。 その表情は、完璧な笑顔。 焦点のない瞳と、均整の取れた顔立ちが、壊れた所作と衝突して異様さを増す。
周囲の空気が重くなる。 人々は「見てはいけない」と直感しながらも、視線を外せない。 私は知っている。 これが、支配の極みだ。 彼女は永遠に、私の手の中で形を変え続ける。 そして、その意味を一度も知ることはない。
続く