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砂海見聞録










我が『落ち羽』 ハ=シムラード=ヴァ に捧げる。







 『私』、山田建蔵が 『彼』 ハシムに出会ったのは今から五年以上前になる。

 正確に言うと彼の名前はハシム、ではなくシムラードの一族の三十五人目の男、という意味である

【※脚注1】



 始め彼の名前らしきものを聞いた時に私が勘違いをし、それ以来『ハシム』は彼の名前として私の中で定着していく。

 砂漠のど真ん中というおよそ現実離れした光景の中で初めに彼と出会った時のことは今でも思い出せる。


―この大岩のおかげでせめて涼しい場所で死ねる―



 今となっては笑い話だが、あの時の私は本気でそう思っていたのだ。

話をかいつまんで説明すると、植物学者であるところの私が『彼』ハシムに救われ、彼の村で滞在した数年の事を記録した文書。新星社の藤原氏がこの話を持ってきてくださった際、私ははじめ躊躇した。


 私という小さな人間があの雄大な世界と彼らの暮らしについて書くことは傲慢ではないか。

未だ世界に知られていないセルファのオーク族の文化を伝えるのが私でよいのか。

あるいは私の主観において語ることが彼らにとっての悲劇になりはしないかという恐れからである。

しかし昨今、物語の中で語られるオーク族の姿はあまりにも前時代的……というよりも現実とかけ離れている。

 専門知識を持たず、民俗学者ですらない私が記すことが、少しでも我々と彼らの人生の光となる事を祈ってこの本を世に送り出す。





 出版に当たって尽力してくださった藤原氏、サルハール山間部の情報収集にご協力いただいたサルハール大使館の宮崎女史に感謝いたします。



【脚注1】:サルハールの山岳民は姓名の初めに番号を示す。『ハ』は三十五番目を表し、『ヴァ』が男性の意となる。






1.ナヴァにて




 サルハールという国をご存じだろうか。サルヴァル山脈の中心と言えば少しは理解できる方も多いであろう。つい50年前は文明の存在しない―文明は愚か人の暮らしの痕跡すらないと言われたこの山間部に国があるという事が文明社会に認知されたのがつい47年前である。

 国交というにはまだ未開であり、先遣隊が活用したキャンプがいまだ活用されているという程の秘境である。


 簡単に地理を説明するとサルハールはほとんどが山脈と砂漠で構成されており、平地が殆ど存在しない。山間部を縫うように流れるいくつもの川の恵み、山間部での狩猟、そして斜面を耕作して作られる僅かな農作物がサルハールという国の産業と言っても過言ではない。

 特筆すべきはこの国には、外海では絶滅したと言われる異種族がまだ生き残っていたという事実である。資源の有無もわからずただただ秘境と言うほかないこのサルハールという国が50年で急激に文明との関わりを持った理由でもある。

 小柄なヒト種である『砂飛び』や樹上で暮らす獣人種族『落ち葉の人』、そして外界の人物の言うところの『オーク』であるところのセルファ族。旅の中で何度も異種族に出会う機会はあったが、セルファの人々以外のそれは小さな話として語るにとどめておく。


 さて、私がサルハール唯一の国境と言ってもいい【※脚注2】ナヴァを訪れたのは、希少植物であるヤミハダレの類似植物が発見されたという一報を希少植物保全機構の山県氏から聞いた事に端を発する。数年前に絶滅したと言われているミハダレ科の植物と類似する成分が、サルハール周辺の国の嗜好品から発見されたという話であり、発見されればこれはまた世界的な躍進ではないかと一時期話題になったのも記憶に新しい。ミハダレ科の植物は協力な幻惑作用を持ちながらも、特定のウイルスに対して抗ウイルス作用を持つという研究結果が発表されたため、知るも知らぬも世界中の人物の記憶に残ったであろう。しかし正直な所、そのなんたら栄誉賞ものの情報は眉唾であり、研究室の誰も気に留めなかったというのが現状である。

 

 そんな中で研究所の新参である私がナヴァを訪れようという気になった理由は恥ずかしくも浅はかなものであるが、先に記しておこう。

 研究室に入って数年の新顔であるところの私は酷く傲慢で、自信過剰で、人間不信であった。年齢にして三十五ではあったものの、大した功績も残さず、他の研究者たちの冷たさにほとほと嫌気がさしていた。(彼らの名誉の為に記しておくと、私の行方不明事件の際、彼らは大変に手を尽くし、ナヴァ大使館まで脚を運んでくださった美里氏に私は今でも頭が上がらない)功績を焦る気持ちは無かったとは言わないが、正直な所私がこの計画に参加したのは、そういったある種厭世的な……つまりは大人の『中二病』とでも呼ぶべききっかけであった。


 ナヴァの国境を越えるまでにかかった時間は飛行機にて10時間、そこから船で3日の道のりを越え、トラックでの5日間という奥地である。当然のごとく体調を崩した私ではあったが、幸いな事に大きな伝染病にもかからず車酔いと船酔いに悩まされただけの道程ではあった。

 国境という程の建物もなく、ただ先遣隊の残した大岩から少し進んだところに小規模の集落があり、そこに暮らす人々が『大使館』の『大使』であった。この集落で1日休息をとり、そこからヤミハダレらしき植物の採取場所を知るという案内人についていく、そのような計画であった。



【脚注2】:現在は先遣隊のキャンプが国境の標替わりで明確な国境は定められていません。















2 不運



 

 さて、私こと山田建蔵がこのサルハールという広大な国で遭難したことは、この本を手に取った皆さんは存じていることと思う。その遭難の過程ではあるが、まさに一瞬のことであった。繰り返して記すが一瞬である。


 私は、このナヴァ大使館を出て半日と経たないうちに遭難したのだ。

 そのあらましはいくつかの不幸が ―正直にいうと、これは大いなる幸運でもあったが― 重なったためである。


 一つは、私が外国を訪れる旅行者としてあまりにも無知であったことにつきる。多少なりとハンドブックでも読んでいれば、今頃絶滅植物の再発見者として表彰の一つや二つ受けていたそんな現在もあったかもしれない。二つは、私が植物学者として山に入り、登山の知識に明るいと過信していたことである。そして三つ目は前述した私の精神状態(誇大妄想による人間不信が原因ではあったのだが)である。


 ヤミハダレの最終に向かう調査隊は私を含め全部で5名、大人数での移動が困難という理由からであった。結論を言うと私はこの調査隊と合流できなかったのだ。

 ナヴァに入った際に入国の手引きをしてくれたヤンド氏と別れ、ナヴァの宿で一晩休息をとる。そしてそこで先に入国していた調査隊と合流する、という手はずであった。朝10時に入国手続き【脚注3】を終えた私は長旅の疲れもあり、そのまま午後3時頃【脚注4】に目を覚ます。そこで案内人だと名乗る男にであう。これがいけなかった。

 

 何がいけなかったというと、その案内人は案内人でも、死出の旅への案内人だったのである。

 無論、その案内人が金品目当ての追いはぎであるとかそういったことは思わないで欲しい。現地の案内人は非常に善良であった。

 ただ、私はその案内人に『ナガ=ラヴァ(黄泉を祈る人)』と勘違いされたのだ。

 

 話は長くなるが、ワノクニには修験道というものがあり、荒行を得て神の領域に至るというそういった文化の名残があるという。『ナガ=ラヴァ』とは修験道にも似た(私の所感であるが)一種宗教のようなものであり、今世での生を終えた人間が、絶望的な旅を乗り越えて再起を図る、というつまりは死亡率の高い人生やり直し教室のような物だと伝え聞いている。

 案内人が取り違える程その当時の私が死んだ魚のような目をした状態であったのだろうか。否定はしないが、長旅の疲れと度重なる移動と船酔いによるものでもある、との弁護は許されるだろう。

 『ナガ=ラヴァ』の案内人は名前を名乗る事が許されず、私にも名乗ることは無かったが、山岳部族の青年であった。口数は少ないが物腰の丁寧な人物であったことは記しておく【脚注5】。また、案内人は公用語で書かれた案内文を数枚持っており、短い間我らはそれで意思の疎通を図ることとなった。


 ナヴァの小高い山を一つ越えた先の光景は、絶景であったとしか言いようがない。周囲を包んでいた山々が実は遥か遠くの山であったことが明らかになった瞬間、視界が開けその雄大な景色が私の前に拡がった。サルハールの大地は山脈に囲まれ、山脈の間の広大な土地は全て砂漠が占めている。ナヴァの国境ではその一つきりの山がこの光景全てを隠していたのだ。広がる砂漠は一つ一つが箱庭のように山に囲まれ、その一つ一つが川とオアシスを有していることがこのさほど高くない場所からも見て取れた。驚きと同時に、全く文明の気配を感じないその様に畏怖を覚えたものである。実際の所、その感動に浸る間もなく川下りへと急かされるのではあったが、その十数分程度の時間でも私の心に焼き付いた程のそれはすさまじい光景であった。


 川を下ること三時間、川べりの砂漠にある建物に私は案内された。そこはナヴァの集落よりも整っており、人はいないが家具や寝台があったため、私は安心してそこで休息をとった。帰国したのちサルハールに明るい人物に聞いたところ、その施設は『死を恐れぬ者の憩い』という場所であり、そこからナガ=ラヴァは砂漠の中心に向かって歩き出すらしい。何度か話しかけてきた案内人の青年の言葉は、今にして思えば「引き返す気はあるのか」という呼びかけだったらしいことが後になって分かる。また、おじけづいたものはその場で三日待てば迎えが来たという事である。(この二点がサルハールに訪れる外国人が必須で学ぶべき条項として決定されたのは私の功績であるという事実はいまだに私の汚点というべき部分である。)



 かくして植物学者山田健蔵は異国の地の砂漠に一人、取り残されたのである。





【脚注3】:ナヴァの入国手続きは、腕に落ちにくい染料で紋様を描くという原始的なものだった。

【脚注4】:サルハールの時間は体感時間とのずれがあるため、以降記す時間は著者の感覚的なものである。

【脚注5】:著者は当時サルハールの言語を話せなかったため、これは主観に基づく記述。













3 遭難


 目覚めた私は、まず案内人の不在に慌て、それから荷物の有無を確かめた。(無礼なことに)私は案内人が私の荷物を漁ったのではないかと疑ったし、それ以降しばらくは彼への呪いの言葉を吐きながら歩き続けた。『死を恐れぬ者の憩い』の一方には大きな川が流れ、砂漠は少し進んだところにオアシスが見えた。そして私はここでまた、選択を誤った。

 

 『死を恐れぬ者の憩い』の目の前の集落こそが人里であり、そこを訪れていれば『ナガ=ラヴァ』ではない私は遅かれ早かれ発見され、サルハールの国に数年という長い間滞在することにはならなかっただろう。それは私の人生にとっては大きな幸運でもあったのだが、ここでは不運、としておく。

 

 私はというと、川沿いに進むべきだと考え、そのまま川沿いを歩いて行った。この時、私は楽観的にとまではいかないものの、その道行に文明の跡を感じ取っていた。砂漠に点在する集落らしき所からは煮炊きの煙が上がっているように見えたし、少し開けた場所を目指せばいい、と思っていた。

 

 しかしその虚勢も長くは続かず、半日も進むと私は恐慌状態に陥った。行けども行けども建物らしきものはなく、歩いてきた河をたどるには山は雄大過ぎた。恐らくこの時点で引き返していても、私は壮大なサバイバル伝記を出版するか、それとも屍を晒すことになっていただろう。

 ひとしきり地面を踏みしめ、空に悪態をつき、自分の運命を呪い、自重し、体力を無駄遣いしたあとに、私は再び歩くことを決意した。結局のところ死ぬのが怖かったのである。研究室にいたときは、無味乾燥な人生を早く終わらせたいなどという大言壮語(?)を吐いたこともあったが全く恥ずかしい限りだ。極限状態になると人間はなんというか逆に元気になり、そして無鉄砲になるものだ。この時の持ち物はよく覚えている。水がペットボトル6本分に固形レーション3箱、空港で買ったキャラメルが3個、飴玉が8個、明らかに無謀としか言えない装備ではあるが、先遣隊と合流した際にそれなりの物が補給される予定であった。また、この見るからに喉が渇きそうな食料たちは私の腹に入ることはなく、後に紹介するハシムを無邪気に喜ばせることとなる。

 

 砂漠の夜は冷えることを私は知っていたので、河を離れ近くのオアシスに向かった。ヤシ様の植物の葉をありったけかき集めベッドを作り、死ぬよりはましだと言ってそこに潜り込み、泥のように眠った。そしてオアシスは消えた。


 おそらくそれは幻や幻惑と言った類ではなく、砂嵐で埋め尽くされたか……あるいはホド湖のようにいわゆる『旅をする湖』であったのだろう。が、私にとってそれは大自然の驚異というより死神の囁きに思えた。

 結局の所私がサルハールの砂漠を彷徨い歩いた期間は2日から3日もなかったであろう。水は二日目の朝に呑みつくし、それ以降の記憶はお恥ずかしい事に朦朧、といっていい有様だ。

 世界を呪い、自分の情けなさを呪い、山田健蔵という人間の人生のちっぽけさに涙した。今でこそ笑い話ではあるが、本当に生きるか死ぬかの瀬戸際ではあったのだろう。あの時間は決して自分の人生の無駄だったとは思えないが。私の人生のちっぽけさについてこれ以上語っても仕方が無いので、私の話は冒頭に戻る。

 

 私の旅にとって最も幸運であった出来事。『ハシム』との出会いである。













4 ハシム


 ―この大岩のおかげでせめて涼しい場所で死ねる―


 その大岩であるところのハシムに砂の中から引きずり出され、涼しい場所へと運ばれた。後でわかったことだが彼『ハシム』は私の為に荷物をほどき、天幕を張りそこに私を招き入れてくれたらしい。この時、意識の無い私にハシムは口移しで水を飲ませたらしいが、その行為は後々私たち二人にとって大きな意味を持っていたことが後々明らかになる。

 

 さて、私の『落ち羽』であるところのハシムの紹介をしよう。

 彼はサルハールの領域内に暮らす氏族『セルファ』の民であり、サルハールの砂漠を巡って物資や手紙のやり取りをする運び人であった。

 はじめ大岩、と称したがその通りで彼の身の丈は2メートルを超え、ヒト族とは一線を画す雄大な体躯を持つオーク族であった。

 彼は緑の肌を持ち、下顎には発達した二本の牙(内一本は欠けていたが)を有していた。

 オーク族、と言えばミゲルの『征伐記』やサルトスの『幻想公記』をはじめとする歴史書にのみ名をのこすおとぎ話の登場人物であり、人肉を好む粗野な怪物として描かれている。(今や私のライフワークともなったオーク民族史の分野において語ると前述した二書は権力者の示威の為に書かれた信用のおけない創作であると言わざるを得ない)

 

 彼の氏族であるところの『セルファ』の民は山岳の奥地にその集落を構えるが、人生の殆どを森林と砂漠を渡り歩いて暮らす。その性格は温厚にして快活、社交性に富んだ物であった。オークが社交的、と聞いて驚く者も多いだろうがそれは偏見と言わざるを得ない。その実、ひとところに落ち着かず行商を生業とする彼らは私の数十倍は社交的で、異なる文化と言語を持つ二十三の部族とそれぞれに応じた方法でコミュニケーションをとっていたのだから凄い話だ。

 はじめは警戒を通り越して恐怖しか感じられなかった私であるが、彼の人柄に絆されていくのにさほど時間はかからなかった。


 恥ずかしいのであまり詳しくは描きたくないのだが、私はまずこの恩人に唾を吐き、腕にかみつき、岩陰にかくれようとし、笑ってしまうような細い小枝を手にもって彼を制しようとしたらしい。あくまで伝聞であるが。…彼の優し気な目をよくよく見ればそこまで取り乱すこともなかったと思うのだが。


 ようやく落ち着いた私と彼の間でたどたどしい交流がはじまる。見知らぬ国で案内もなく、砂漠を渡る術を持たない私の命運は結局の所彼に委ねられることとなるし、実際の所旅の間命を救われたことは二、三度ではない。翌朝、荷物をまとめ歩き出したハシムについていくことを弱々しく悟った私ではあったが、何処か人里で別れることができるだろうという算段ではあった。

 

 実はこの時ハシムは、砂漠の集落を渡り歩きながらセルファの集落に戻る事を決めており、その旅程が4か月に及ぶ長旅であったことは私が知る由もなかった。旅の途中で彼と別れる選択を考えることもあった。この件に関しては皆さんもよく知るであろうつまりは『花嫁騒動』のエピソードに記すところである。


 

 彼との長い長い旅の始まりは、彼の笑顔から始まった。

 ふらつく私の手を握って、彼はその牙を見せて大きく笑った。冷静に見れば恐い表情であったと思うのだが、不思議とあの時の私にはどこか愛嬌のある表情に見えたのだ。

 片手で促す彼は一歩進むごとに私を振り返って手招きした。その笑顔に私の脚は一歩、また一歩、と進んだ。自力で進んだのは5分もなかっただろう。共に行くことを決めた後は、私はほぼ荷物として背負われていたのだから。















5 オークの生態


 道中について書きたいエピソードは多々あるのだが、ここからは時系列よりも、読者の皆様の理解を優先しようかと思う。

 すなわちオークとは、どのような人種であるのか、という事である。

 オークの生態については良く分かっていないどころか恐ろしい事に私が初めに記すのではないかという状況であり、私の個人的な推測や意見が多分に交じったものであるという事を了承したうえで読み進めて欲しい。以後人間とオークの交流が積極的に進み、彼らの暮らしや文化が侵されない方法で理解が進むことを願ってやまない。


 まずヒト族との比較であるが、体格が大きく、耳はおとぎ話で記されるように角ばった少し長い耳をしている。数種類の亜人族に見受けられるように聴力が優れている点を記しておくが、それに耳も関わっていると思われる。

 そして一目で分かるのはその全身の肌である。植物と見まごうかのような緑色の体色は、少し褪せ、森に入るとその存在が消えそうなほどである。骨格についてはヒト族とさほど変わりは無いようであるが、その発達した筋肉による膂力、腕力はものすごく、ハシムは道中全ての荷物(そして私)を担いで歩いても平気なようであった。


 オークの食性は肉食と思われる方も多いだろうが、意外なことにハシムはあまり物を食べなかった。それは私の為に食料を残してくれた、という面もあったのだろうが、彼らの消化器官はヒトと差異があるように思われる。大きな歯は肉食動物のそれを連想させるが、噛み合わないその牙は食事に使われることはなく、どちらかというと猪や鹿のような草食動物のそれのようだと私は感じた。それにはもう一つ理由があり、それが後述する『トルン』である。

 道中ハシムはよく『トルン』と呼ぶ謎の実をむしってはおいしそうに食べており、よく私に勧めてくれたが、恐ろしく苦く、また滋養の無いスカスカな食感であった。藁をそのまま食んでいるとでも言おうか。後にそれが砂漠での栄養源となる万能植物であるらしいことを知るが、もし砂漠で遭難する方がいて運よく『トルン』を発見したとしても食べることはお勧めしない。オークの強靭な胃ならまだしも、ヒト族の消化器官では消化の為にエネルギーを無駄遣いするだけである。


 分かることは、オークという強靭な種族は、腕力があり、そのエネルギーを非常に少ない食物から効率的に摂取し活動できるという事である。そして、そのような種族だからこそ、この広大なサルハールで『渡り鳥』としての仕事に携わることになったのだろう。

 また、砂漠の日差しの中でも問題なく歩き回ることが可能なのはその肌に秘密があるのだろうか。植物学者である所の私などは光合成ができるのでは、などと疑ったこともあるが真実のほどは謎である。


 正直な所味覚の分野でオークとわかりあえることは無いと思っていたが、後に到着したセルファの集落では普通に獣の肉がごちそうとして供されていたしハシムも豪快に食べていたのだが、道中その点については私も理解した場面があった。私が持っていた数個のアメとキャラメルだ。

 不思議そうに手に取ったハシムに(彼は決して自分から私の荷物に手を付けるなどという事は無かったが)一つを進めたところ、彼は子供のように喜び、何度も感謝のジェスチャーを私に繰り返した。あまりに喜ぶもので持っていたものを全部上げたがその後さらに大変な事になり、それから数日はハシムは私を王様のように担いで歩くことをやめようとしなかった。【※脚注6】

 道中ハシムは集落で茶を嗜み、虫を煎った謎の飲み物を談笑しながら飲み干し、酒を飲んで酔っ払った。彼らの食生活に関しては正直明るくはないのだが、ヒト族と共通した部分が多い、という事は結論として述べておこう。



【脚注6】:甘い物との接点が薄いサルハールの国民に甘い食べ物を渡すことは現状推奨されていません。万が一渡す場合は虫歯の予防のため茶や水を一緒に勧めるようにしてください。












6 サルハ熱


 私がサルハールから帰国した後何人かの人間がサルハールを興味を持って訪れてくれたことは喜ばしく、記憶に新しい。しかしその全員が例外なく罹患したのがこのサルハ熱である。(命名:山田健蔵)

 サルハ熱の特徴は脚のしびれにあり、下から順に腿、腰、腹、胸と症状が上がっていく。痛みはあるがどちらかというと震えによる行動の阻害による方が問題が大きく、砂漠や山間部といった場所でこの病を発症すると命に関わる事態となる。サルハ熱の原因はサルハ虫(命名:山田健蔵)と呼ばれる小さなミミズ状の生き物の媒介する病原体によるもので、私は水場で裸足になった時に罹患したらしい。このサルハ熱、一定期間で媒介する宿主が入れ替わるらしく、予防は非常に難しいらしいが、一度かかった宿主からは再びかかることはない。ハシムは全てかかった後であり、私の症状にもすぐ気が付いてくれた。


 砂漠の夜は冷える。ハシムは私が体調を崩すとよく服を脱いでは私にかぶせた。彼の持ち物の中にある一枚きりの布は全て私にかぶせ、自分は全裸になって私の体を温めてくれた。世間一般からすると非常識な行為に感じるかもしれないが、砂漠の夜を生き残るためにはそれは必須であったと痛感している。恐らく彼のその行動に救われたのは一度や二度ではないだろう。私にとって彼の肌の温もりは安全であり、安らぎになっていった。

 付け加えておくとセルファ族はあまり汗をかかず、食性のせいか匂いも僅かでありむしろ体臭で迷惑をかけるのはヒト族の私の方だった。

 しかしハシムは嫌な顔をせずによく私を温めてくれた。



 砂漠で眠る時、彼は一枚きりの敷物を砂の上に敷く。これはセルファの一族が一生大事に使う敷物で、セルファの象徴であるコンドル(様の生き物)の刺繍が施された丈夫なものである。そして、その敷物の上に二人して体を横たえる。夜の寒さに一枚きりの天幕は無駄でしかないので、天幕は代わりに毛布として私の体を包むのに使われた。








 天幕が無くなると、サルハールの星々が降り注ぐ。人口の明かりが一切ないサルハールの砂漠の空はこの世の物とは思えないほどに美しく荘厳で、私は何度も彼と共にその星の海に溶ける様な幻想を見た。

 ハシムはよく歌を歌った。低い声を震わせて発せられるその歌は耳に心地よく響き、恐れや不安といった気持ちから解放されて私は眠りにつく。サルハールでの唯一の娯楽と言えば星を眺めることであり、彼の胸に抱かれて眠る事だった。

 この思い出は、ハシムにとっても特別な物となっていたらしいことを、後に聞いた。

 私が最後に彼と交わした言葉は


―もう一緒に星を見られないのは、悲しい―


 だった。












7セルファの民


 セルファの民は温厚で、秩序正しく生きている民族である事をはじめに記しておく。


 私が旅の中で運良く知り合ったセルファの人々はみな温厚で、礼儀正しい人達だった。

 セルファの民を構成するのは二人の長老と、十の家族である。家族それぞれが十数人の集団であり、総数は百を超える人数の部族であるが、集落に常にとどまっている者は少なく、ほとんどの者がハシムのようにサルハールを渡り歩く旅をしている。


 セルファの民はコンドル(様の生き物)を信奉し、それ故に蛇の模した模様の装飾品を身に着けている。道半ばで倒れた際に、コンドルの餌となることを名誉としている事を聞いたときは驚いたが、それはサルハールの人々の為に尽くした結果だから、とハシムは笑った。

 セルファの集落の近くには『落ち葉の人』の集落もあり、彼らが採掘した鉱石がセルファの伝統的な装飾品の着色材となる。磨いたその鉱石の放つ空色の輝きは本当に美しく、集落で手に入れた首飾りは今も私の宝物だ。


 セルファの長老は女性であり、若い長老と年老いた長老が二人いる。若い長老が妊娠し、子を産むと年老いた長老は引退し、若い長老がその代わりとなる。空いた席にはまた別の女性が入るわけだが。

 驚くことにオーク族の男性の生殖は基本的に他種族と行われるのが基本であり、どの種族と交わっても生まれてくるのはオーク族であるという。遺伝子であるとか染色体の事については詳しくはないのでここではこれ以上の言及は避けておく。

 


 ただ一つ下世話だが面白い話があるので書いておこう。オーク族の雄におけるいわゆるシンボルの話である。オーク族の体格に応じた大きさのそれはまあ、ちょっと逃げ出したくなるぐらい大きいわけであるが、セルファの一族においてそのシンボルの大きさは小さいほうが良く、小さいほうが所謂『イケメン』とされるらしい。ヒト族の男性とは全く逆なのが面白い所であるが、それには理由があって、結局のところ大きすぎるシンボルは花嫁の体に負担をかけるわけであって、つまり小さい方が多くの種族と交わることができるサイズという事になる。逆説的に巨根の―……ああ書いてしまった、トルン酒のせいだ ―巨根のオーク族はブ男という事になるらしい。

 ところで私の『落ち羽』であるところのハシムであるが、この話題を出したところ珍しく声を荒げて熱弁していたが彼の名誉の為にこの話題はここまでにしておこう。ちなみに個人的な意見としては彼のシンボルはもう少し小さい方が良いと思う。

 トルン酒が効いてきたのでここまで。【※脚注7】


【脚注7】:この章の末尾に関しては著者が酩酊状態で書いた文章が混じっていますが、編集に関わった藤原氏、宮崎女史の両方が強くそのままでの掲載を推した部分でありそのまま載せています。彼の名誉の為に付け加えておくと、シンボルの大小に関わらず、彼はとても雄大で素晴らしい人物だという事を強調せずとも読者の皆様は分かって下さると思います。











8 セルファの掟


 セルファの人々は秩序正しく生きていると先に述べたが、彼らにはいくつか戒律があるらしい。

 特にセルファの若者であるハシムについて関わることを中心に述べていこうと思うが―。


 ここで明らかにしておくと、ハシムの年齢は私よりもかなり年下の22歳だという衝撃の事実を知ったのは、セルファの集落に滞在して一か月も過ぎた頃の事であった。(この事については後述する『花嫁騒動』のエピソードで記す)


 一つ、旅の道程でコンドルを見かけた際には供物をささげて祈る事。

 一つ、もてなしを受けたら必ず返すこと。物品が無ければ踊りや肉体労働で返礼を表すこと。

 一つ、『風穴の民』とは争わず、関わらぬこと。

 一つ、家族を持たぬ者は、砂漠で水を分けぬこと。

 一つ、仕留めた獲物は、その一部を集落につくまで持ち歩くこと。


 などがある。気づいた方もいるが、四つ目の掟をハシムは犯している事になる。これは本当に私の落ち度としか言いようがない。

 セルファの民は若いうちは砂漠で死んでしまうものも多いくせに、情け深く人に施そうとする者が後を絶たない。これはそのような事例を防ぐために四代前の長老(年老いた方)が決定したものだと伝え聞いた。


 セルファの集落にたどり着くまでの彼との二人での旅路は厳しかったが、本当に楽しいものであった。

 しかしこの四つ目の掟は集落についた後、彼に酷く迷惑をかけることになる。それが、次の章に述べる『花嫁騒動』で―…。













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「ちょッ……これ、本当に載せるんですか」

コーヒーも残り2ミリといったところ、その2ミリを飲み干すか飲み干すまいか。数年前に散々トルン酒で鍛えられた舌にはもはや甘すぎるそれを舌の上でころがしながらケンゾーは言った。

 

 砂海見聞録、と題された紀行文……もとい論文は、彼の感性を生かすという名目のもと綴られている途中であった。

「載せるに決まってるでしょう、あなたの旅で一番面白い所じゃない。そのためにちゃんと前々から差し込んでいるでしょう」

銀縁の眼鏡を知的に光らせながら宮崎女史はため息をつく。僅かに動いただけでその豊かな胸が揺れるのを徹夜明けの呆然とした意識で健蔵は眺めた。

「まあまあ、健蔵ちゃんもお疲れの所だから、今日はこの辺りにしておかないか」

穏やかな笑みを浮かべる老紳士藤原も疲れた笑みと共にコーヒーを含む。この場で元気なのは宮崎だけだ。

「けど、一番大事な所よ」

ふざけた声音を消して宮崎が言う。

「遭難した人間のあなたが、オーク族の青年に助けられた。これって、彼らのこれからにとって凄く重要なことなのよ」

「亜人族の中でも、物語の悪役として語られてきた彼らが、あなたと分かり合った、って話」

「これは、凄い価値のあるニュースなの」


それはそうですね、と健蔵はため息をつく。

自宅近くの床屋で整えたばかりの髪も今は砂漠で過ごした時期のように綻んでいる。

ああ、今すぐあの星空の下に還りたい―‥‥…。

などと健蔵は思うのであった。


「『人族の権利に関する十五の条文』って知ってる?」

現政府が数十年前に亜人族を社会に迎え入れるにあたって定めた条約だ、と健蔵は思い出す。

居留地や戸籍に関わる法律の根拠となる条文だが―……。

「不公平、ですね」

最後のコーヒーのわずかな苦みと共に健蔵は吐き出した。

「ああそうだね、アレは酷い」

藤原が嘆く通り、現状あの条文は亜人族の自由を保障するよりも拘束する方に働いている。

この藤原老人の伴侶は亜人の血が僅かに入っている、という話を聞いたのを健蔵は僅かに思い出した。

「そう、今改革が叫ばれているこのタイミングに、何とか間に合わせたいの」


「ヒト族のあなたと、オーク族のハシム君の国境を越えた ルァアブ・ルォマンスを!」


「……」

タイミングよく差してきた朝日に目が焼かれる。

宮崎女史も疲れているのだろう、と健蔵はため息をつく。

「俺は、あそこに帰りたいだけですよ」

静かに、けれどもはっきりとその言葉は健蔵の口から紡がれた。

―ああ、そうだ。 俺の願いはこれでいい。

その言葉が自分の気持ちをしっかりと価値づけてくれたと確信する。


「シムラード君、か。 私も会ってみたいな」

年末の冷えた窓ガラスを藤原の吐息が曇らせる。老人はその曇ったガラスをするすると擦る。

まだ暗い都会のビル街からぽつぽつと車の赤い光が照らしだす。

「仲良くなれますよ、あいつは、 ……俺の『落ち羽』は、そういう奴です」


正直な所、『砂海見聞録』も条文の事もどうでもいい、と健蔵は思う。

自分は、ただ帰りたいだけだ、と。心の中で繰り返す。

「あの時―……」


自分がさげすんでいた研究室のメンバーは想像に反し情に厚く、常識的で、優しかった。

政府を動かしてサルハールに探索を出し、そのおかげでサルハールの内情が広く世界に知られることとなり。

紆余曲折あったものの、健蔵はこの国に戻ってきた。

恐らくは奇跡的な発見であった健蔵の生還を世間は喜び、大きな発見として取り上げた。

けれど、セルファの彼らにとって文明との接触はいいことだけではないだろう。


「この本、どうしても出さなきゃダメですか」

「駄目よ」

と宮崎がいい、駄目だよ、と藤原が言う。

旅先で記したメモを元に書き上げた文章を二人がみるみる整った文章に起こし。

それが事実と異ならないように、だけに注意を払いながらこの紀行文は完成に向かっている。

半ば監禁状態のまま、半年が過ぎた。


「―だって」

「また、会いに行きたいんでしょ?」

宮崎がペンを置く。コトリという音が妙に響いた。


「ええ、まあ」

実態の良く分かっていないオーク族との交流の第一歩として、健蔵は協力を要請されていた。

けれど、まだまだ時間はかかるだろう。

自由に生きる彼らの暮らしに国が関わるのは甚だ遺憾ではあるが―。

(今のうちにできることを、しておかなければ)

健蔵はつかれた体と萎えた心に喝を入れる。


「……だから、頑張りますよ、もうちょっと」

「よし、じゃあ」

藤原の瞳が細められる。宮崎は腕を伸ばし、首を揺らして整えた。

そして藤原は言った。


「やっぱ初めての時は、痛かったよね?」

「あ、駄目、眠い」


健蔵は返答を拒否してそのまま机に倒れ伏す。恥ずかしいからではない、その表情を隠すためだ。

厳しい自然と、逞しい人々と、それから何物にも代えがたいあの美しい星空を。


―この国で、俺だけが知っているんだ―。


意識を手放しかけた瞼の裏にはあの美しい星々と、あの大男の困ったような顔が浮かぶ。

この光景ばかりは、誰にも譲りたくはない。

いくら何でも、官能小説をかけ、などとは上の連中は言わないだろう。



―ああ、また、一緒に星が見たいよ、ハシム。



親愛なる我が『落ち羽』へ。



いつかコンドルを見ながら彼がたどたどしく教えてくれたその言葉を反芻しては震えながら突っ伏し続ける。

顔をまともに上げられないまま健蔵は辞書の薄いページをするすると指先で弄んだ。


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よきのよき(語彙喪失)


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