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夏目なつめ
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再啓の君に②


 §2

 桜の舞う日。クラス替えの張り紙を眺めて、知った名前が少ないことに若干の不安を覚えていた時のことだった。

 おい、混ざってないぞこれ。半分以上は去年のままだ。僕は元のクラスから弾き出された形だった。四面楚歌だ。慌てて他のクラスメイトを見るけど、名前は知ってるのに顔の浮かばない人ばかり。見ているうち、あの混成艦隊の名前がいくつかあることに気付く。

「……勢ぞろいだ」

 あの、なんで集められたのかも分からない4人組。その後の顛末も含めると、砂を噛んだようなジャリッとした記憶が蘇ってくる。知った名前があることに、喜ぶべきかどうか。……知り合いが、単に嬉しいものだけではないと、ようやくわかった気分だった。

 見ると、彼方ではすらりとした少女が一人。大きな青色の目をぱちくりさせて、クラス表を眺めている。そろそろ近づいて……。思いっきり背中を叩いた。意趣返しのつもりだった。

「きゃっ?!」

 あの、透き通るような儚い声が飛び上がる。女子の背中をこんな風に叩いてよかったのだろうかと今さら不安になったけれど、既に紗枝霧さんは恨めし気にこちらを見下ろしていた。

「やったな~……!」

「気付かないそっちが悪いよ」

「クラス発表に夢中にならない人いないと思うけど」

「僕は知ってる名前の方が少なくて……。夏休みに会った子たちはみんなB組だけど」

「あ、ほんとだ」

「友達が誰もいない……」

「泣かなくたっていいじゃん」

「泣いてない!」

 やっぱりこの子、隙を見せるとからかってくるな。最初から距離感がめちゃくちゃ近い。やっぱりこの近さは慣れないかもしれない。第一、近すぎると身長差がありすぎて顔が見えない。ほどほどの距離って大事だ。特に男女は。

 でも、紗枝霧さんはパッと笑うと。

「ほらほら、慰めてあげるから」

 相違って、僕を抱き上げた。抱き上げた! この人、クラスの男子を、こんなにひょいっと……! 

 口をパクパクさせていると、少女は“持ち上がっちゃった”という顔をしている。最悪だ。皆こっちを見ている。

「ま、この先一年よろしくね♪」

 そう言われて僕は。

「まっぴらごめんなんだけど」

 その額に、思い切りデコピンを食らわせてやった。


 ……ある意味、新クラスへは馴染みやすかったかもしれない。

 僕は、抱き上げる対象にされていたからだ。

「さっきから、僕を持ち上げるのが流行してるんだけど、その責任はどうお考えなんですかね」

 始業のミサの後のこと。

 ワックスを塗り直したばかりの教室には揮発性の香りが漂って、4月の光景を形作っていた。窓外の桜を背景に、少女は大きな目を瞬かせる。僕の恨み言に、キョトンとした顔だった。

「持ち上げられる方が悪いよ。うん。持ち上がると思ってなかったもん。仮にも同い年の男子だよ?」

「仮にもって何だよ! 僕だって望んでちっちゃいわけじゃないのに……」

「ごめんごめん♪」

 あっけらかんと言い放つ少女。通りがかったクラスメイトも、それに加担した。

「なんか二人、仲良しだね♪」

 小男子は「違う!」と叫んだ。



 ⁂

 ゴールデンウィークに入るころには、僕はすっかり紗枝霧ゆいという女に振り回されつつあった。

 なぜって、とにかく構われる。例の混成艦隊に無理やり引き込まれて、日がなお喋りに付き合わされた。やはり男子と思われていない。小柄な体躯ともようやく折り合いをつけられるようになってきた所だけれど、空気のように扱われるのは癪だ。唇を尖らせながら、けれど満更でないのも事実。突き放すこともできないが、かといって素直にはなれない。

 ……高2の僕は、卑屈なままではよくないと思って、けれどまだ自分の在り方を見いだせていなかった。自分が他の人より幼いことを自覚していて、それでもそれなりにもがいていた。その頃はいろんな本を読んだ。一冊に、“鳥は卵の中から抜けようともがいている”とある。アプラクサスはまだ見つからない。

 そんな僕の目に、彼女は眩しく映った。

「紗枝霧さんは自由でいいね」

「……そうでもないよ」

「そんなことないでしょ」

「お父さん、市議会議員なんだ」

「それは……、すごいね」

「窮屈だよ。色々」

 そう言って目を伏した。

 その表情の陰翳が、あまりにも美しくて。

「……どうしたの?」

 僕はしばらく、物も言えずにいた。5月の青い日差しを反照した、独特の表情。物憂げな17歳の少女は、芸術品のように美しく儚かった。

 ……後になって知ったけれど、僕みたいに全く彼女のことを知らない人の方が、むしろ珍しい方だった。彼女の父親は有名で、紗枝霧さん自体も皆に顔の知られた少女だったのだ。雑誌の一角を飾ったこともあるという。一度きりでやめてしまったようだけれど。そうでなくても、その華やかな雰囲気は人々の耳目を集めただろう。有名であることは、不愉快なことも多いはずだった。

 彼女の感じる窮屈さに、僕は周回遅れで気づいたのだった。

 この時の僕は、それを知らない。

「……とにかく、僕だって悩むことはあるんだから!」、と。

「わかってるって♪」

 指先を合わせ、紗枝霧ゆいはクスクス笑う。それから、こちらをひたと見ると。

「ね、手、出してみてよ」

 唐突に、そう言った。

「……いいけど」

 手のひらを重ねる。指関節半個分大きな少女の手が、ぴったりと重ね合わされた。柔らかくって、細い指だった。蝋で出来たように滑らかで、白い。それが、ギュッと僕の手を握る。

「“わ~、手おっきいね♪”」

「……バカにしてる?」

「してないしてない♪」

 そう言うと背中をバンバン叩いて、どこかへ去っていった。



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