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夏目なつめ
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再啓の君に①

§

 高1の夏はひどい酷暑で難儀した。挙句学校のエアコンが壊れたから、臨時休校が起きる。あの日は酷かった。夏休みの中、ただでさえ面倒な登校日だというのに、学校に着いてからそのことを告げられたのだ。だから、僕らが感じたのは解放感というより、徒労感だったと思う。


「汗かいて損した……」

「細崎は汗かかなさそうだよな」

「……いや、かくけど」

 やる気に満ちた入道雲を眺めながら、僕らはどうしたものか途方に暮れていた。今日に限って遅刻したものだから、遊びに行く人たちには置いていかれ、帰宅部だったせいで練習に向かうこともできない。自習でもするかと思った時、クラスメイトに声をかけられた。女子だった。


「細崎くん、うち来ない?」

「えっ」

「あ、迷惑だった?」

「そんなことないから!」

 女子にお呼ばれして、僕は少々浮かれていた。もしかしてもしかして、なんて思ったりして、のこのこついていったのだった。

 部屋に通されて面食らう。知らない女子が二人いる。

「B組の湯浅桜です」

「紗枝霧ゆいです。A組の」

「あ、うん……。C組の、細崎綾です」

「よろしくね」

 同学年とはいえ、学年全体の生徒のことなど把握してない。まだ一年の夏休みだ。クラス替えもまだない。そんな中で、てんでバラバラの男女が集められたのだ。なんだこの混成艦隊は。呼びたい人を手当たり次第に呼んで同じ箱に詰めてみました、といった感じだった。

「ちょっと、聞いてないんだけど……!」

「あれ、そうだっけ?」

 ひそひそ抗議するけれどクラスメイトはどこ吹く風。こうなると今度は、男子として意識されてないんじゃないか不安になってくる。浮かれてついて来たのがバカみたいだ。

 おまけに、

「じゃ、しばらく待っててね〜」

 ご本人は、もう一人を連れ立ってお茶を取りに行ってしまう。

 え。いきなり二人きり? それは困るんだけど。初対面どころか会って5分だぞ。さっきまで名前すら知らなかったのに。

 ここでヘンにおどおどするのもカッコ悪いかと思って、曖昧な顔でお茶に口をつける。先に口を開いたのは、茶髪の少女の方だった。

「この名前、難しいんだよね」

「難しい?」

「“紗枝霧”って漢字が渋滞してるでしょ? なのにいきなりひらがなで”ゆい“だとそっけなくなくない?」

「そ、そうかな……?」

「でも全部漢字にするとゴツいんだよね」

「なるほど……」

 何も言えずお茶に口をつける。じき、ふふふと笑い声が聞こえて来た。

「ふふ、困ってる困ってる♪」

 指先を合わせてクスクス笑う少女。ムッとする僕を見て、大きな目を瞬かせた。それから、視線を落とすと。

「ごめん、気を悪くしたかな」

 などと気遣うそぶりを見せる。

「いや……。他人の名前に注文つける勇気がなかっただけ」

「それもそっか」

「“綾って名前女子みたいで嫌なんだよね”」

「え……?」

「いきなりこう言われても困るでしょ?」

 なるほどね、と紗枝霧さんは言った。

「お互いに、名前に引っかかりを感じてるね」

「名前って呪術だから」

「呪術?」

「名前を付けられると形も定まる。実名を明かすことで縛られることもある」

「アニメで見た知識だね?」

 何も言えなくなる僕に紗枝霧さんは微笑む。なんだか、手玉に取られている感じがする。ただ、男子が露骨に不機嫌になるのを見て、少し動揺したらしい。

「気を悪くさせたらごめんね? ちょっと揶揄ってみただけだから……」

 そこに二人が戻ってきて、その会話は終わってしまう。

「じゃ、さっさと宿題なんて片付けちゃおっか」

 どうも僕は、女子たちの分業体制に巻き込まれたらしい。

 あとは、黙々と進めるだけ。

 お互いにノートを写し合いながら、ちらりと紗枝霧さんのほうを見る。ミディアムボブの、さっぱりとした髪型の少女。犬のような焦茶の髪色を肩元で揺らし、あどけなさの残る顔立ちを、わずかにしかめている。見ているとドキドキするくらい綺麗な子だ。猫というよりは犬系で、それも穏やかな大型犬の雰囲気がある。正直、態度は気に入らないけど……。

 ふと顔を上げた紗枝霧さんと、目線が合う。グラス同士がぶつかり合うような、硬質な音がした気がした。

「私の顔に、何かついてる?」

「い、いや、ちょっと気になって……。なんか、気になって……」

「私が気になる?」

「いや、そういう意味じゃ……!」

 失言をなんとかしようとする度ぬかるみにハマっていく。他の女子二人がニヤニヤこちらを見て笑ってるのが、見なくてもわかった。印象が悪い相手に勘違いされるなんて、一番困る。けれど美少女は、ぱちくり瞬きすると、そのまま顔をノートに伏してしまうだけ。これ以上は気まずい気がする。僕が再度お茶に口をつけると、紗枝霧さんもそれに倣った。それだけで、少し安堵する自分がいた。


 結局、宿題は一向に進まなかった。

「あ、このあと塾あるから私も失礼するね」

 紗枝霧さんが、そう言って立ち上がる。

 思わず一瞬、呆気にとられた。

 高い。すっごく高い。頭一個分は高い。僕が女子以下なのを差し引いても、紗枝霧さんはかなりの高身長だった。

「あ、ごめん、怖かった?」

「……女子見て怖かったっていう男子はいないよ」

「だって呆然と見上げてるんだもん」

「……低身長で悪かったね」

 そういう訳じゃないよと慌てる紗枝霧さん。でも、何が違うんだろう。ますます僕はむすっとしてしまう。


 駅までの道中、紗枝霧さんはぽつりと言った。

「男子の低身長と女子の高身長、どっちがマイナスなんだろうね」

 なんと答えればいいのかわからない。また揶揄われているのだろうか。

「男子は低身長で損することはあるけど……。女子は高身長で得することある?」

「うーん……。あるかもしれないけど、マイナスと差し引きだとどうかな……」

「男子が低身長で得することはないよ」

「そっか」

「幼く見えるし、舐められるし、子供扱いされるし。挙句、怯えてると勘違いされるし」

「……なんか、ごめんね」

 思わず言葉に熱が帯びるのを自覚しながら、僕はそれを止められずにいた。本番を迎えるより前に終わってしまったような成長期を、その頃の僕はずっと恨んでいた。端的に言って、コンプレックスだ。常に他人に馬鹿にされている気がしていた。自分の体躯に自信がないから見た目にも自信が持てなくて、ひどく燻っていたのを覚えている。それを、初対面の女子にぶつけてしまっている。

「まあ、紗枝霧さんにはわからないと思うけど」

 少し棘のある言い方をしてしまう。でも、僕の辛さが分からないだろうというのも本心だった。美少女に、僕の燻ぶった感情はわからないはず。それが僕には、何も間違ってはいないように思えた。紗枝霧さんは少し戸惑った様子で、そこに少し満足を感じてもいた。半ば打ち切るように、紗枝霧さんは改札の中に滑り込んでいった。

「……最悪だ」

 言ってしまった後悔と、言ってやったという達成感の間、僕は俯いて帰る。いつもの僕だ。僕はそういう人間だった。小さくて、ひねくれていて、荒んでいる。そして、彼女のことが苦手だ。だって、ズルいんだ。可愛いというだけで、独特の華がある。地味なくせに悪目立ちしがちな僕にとって、それはあまりに眩しかった。姿勢も良くて、すらりとしていて、目鼻立ちがぱっちりしていて。同じ制服をまとっているのに、紗枝霧さんの姿は画として完成しているようにすら思えた。

 それが、とても、妬ましい。


 とはいえ、後になって襲ってくるのは後悔だった。

 嫌われただろうか。ベッドの中、延々思い悩むのだ。

 バカだ。嫌われるようなことをしたのは僕なのに、後からウジウジ悩む。その軟弱さがイヤで強がって生きているけれど、気を緩めればすぐにこうだ。

 でも、もう会うこともないだろう。燻った記憶の中、何度も蘇ってくる可能性はあったけれど。謝っておけばよかった。

 

 でも、次の登校日。

「よっ♪」

「どわっ?!」

 いきなり後ろから背を叩かれて、変な声が出た。

「な、なにすんのさ……!」

 恨めしげに見上げると、紗枝霧さんは猫口でにまにま笑っていた。

 何を考えているのだろう。僕のコンプレックスを知って、勝手に理解した気になっているのだろうか。見透かされているんだとしたら、それはひどく腹立たしいことだ。でも、バシバシ背を叩かれては声も出ない。

「ちょっとゆい~、細崎くん困ってるよ? もしかして気に入った?」

「大丈夫、これ会って二度目だから! ね?」

「全然大丈夫じゃないよ……」

 なんだこの子、イヤに馴れ馴れしいな。引っ込み思案な僕とじゃ相性が悪いかもしれない。

「それより、時間ある?」

「ないわけじゃないけど」

 それから急に腕を引かれて、トイレの影まで連れていかれる。そして、少し屈みこむと。

「ごめんね?」

 耳元で、ひそひそ囁かれた。透き通るような、儚く美しい声。突然の囁き声にゾクゾクして、変な声が出るかと思った。

「あの時、何て言ったらいいかわからなくて」

「その結果がアレ……?」

「私、そういうのよくわかんないからさ」

 

 でも結局、それっきりだった。

 その後、彼女と会うことはすっかりなくなった。



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