再啓の君に①
Added 2025-04-18 17:17:55 +0000 UTC§
高1の夏はひどい酷暑で難儀した。挙句学校のエアコンが壊れたから、臨時休校が起きる。あの日は酷かった。夏休みの中、ただでさえ面倒な登校日だというのに、学校に着いてからそのことを告げられたのだ。だから、僕らが感じたのは解放感というより、徒労感だったと思う。
「汗かいて損した……」
「細崎は汗かかなさそうだよな」
「……いや、かくけど」
やる気に満ちた入道雲を眺めながら、僕らはどうしたものか途方に暮れていた。今日に限って遅刻したものだから、遊びに行く人たちには置いていかれ、帰宅部だったせいで練習に向かうこともできない。自習でもするかと思った時、クラスメイトに声をかけられた。女子だった。
「細崎くん、うち来ない?」
「えっ」
「あ、迷惑だった?」
「そんなことないから!」
女子にお呼ばれして、僕は少々浮かれていた。もしかしてもしかして、なんて思ったりして、のこのこついていったのだった。
部屋に通されて面食らう。知らない女子が二人いる。
「B組の湯浅桜です」
「紗枝霧ゆいです。A組の」
「あ、うん……。C組の、細崎綾です」
「よろしくね」
同学年とはいえ、学年全体の生徒のことなど把握してない。まだ一年の夏休みだ。クラス替えもまだない。そんな中で、てんでバラバラの男女が集められたのだ。なんだこの混成艦隊は。呼びたい人を手当たり次第に呼んで同じ箱に詰めてみました、といった感じだった。
「ちょっと、聞いてないんだけど……!」
「あれ、そうだっけ?」
ひそひそ抗議するけれどクラスメイトはどこ吹く風。こうなると今度は、男子として意識されてないんじゃないか不安になってくる。浮かれてついて来たのがバカみたいだ。
おまけに、
「じゃ、しばらく待っててね〜」
ご本人は、もう一人を連れ立ってお茶を取りに行ってしまう。
え。いきなり二人きり? それは困るんだけど。初対面どころか会って5分だぞ。さっきまで名前すら知らなかったのに。
ここでヘンにおどおどするのもカッコ悪いかと思って、曖昧な顔でお茶に口をつける。先に口を開いたのは、茶髪の少女の方だった。
「この名前、難しいんだよね」
「難しい?」
「“紗枝霧”って漢字が渋滞してるでしょ? なのにいきなりひらがなで”ゆい“だとそっけなくなくない?」
「そ、そうかな……?」
「でも全部漢字にするとゴツいんだよね」
「なるほど……」
何も言えずお茶に口をつける。じき、ふふふと笑い声が聞こえて来た。
「ふふ、困ってる困ってる♪」
指先を合わせてクスクス笑う少女。ムッとする僕を見て、大きな目を瞬かせた。それから、視線を落とすと。
「ごめん、気を悪くしたかな」
などと気遣うそぶりを見せる。
「いや……。他人の名前に注文つける勇気がなかっただけ」
「それもそっか」
「“綾って名前女子みたいで嫌なんだよね”」
「え……?」
「いきなりこう言われても困るでしょ?」
なるほどね、と紗枝霧さんは言った。
「お互いに、名前に引っかかりを感じてるね」
「名前って呪術だから」
「呪術?」
「名前を付けられると形も定まる。実名を明かすことで縛られることもある」
「アニメで見た知識だね?」
何も言えなくなる僕に紗枝霧さんは微笑む。なんだか、手玉に取られている感じがする。ただ、男子が露骨に不機嫌になるのを見て、少し動揺したらしい。
「気を悪くさせたらごめんね? ちょっと揶揄ってみただけだから……」
そこに二人が戻ってきて、その会話は終わってしまう。
「じゃ、さっさと宿題なんて片付けちゃおっか」
どうも僕は、女子たちの分業体制に巻き込まれたらしい。
あとは、黙々と進めるだけ。
お互いにノートを写し合いながら、ちらりと紗枝霧さんのほうを見る。ミディアムボブの、さっぱりとした髪型の少女。犬のような焦茶の髪色を肩元で揺らし、あどけなさの残る顔立ちを、わずかにしかめている。見ているとドキドキするくらい綺麗な子だ。猫というよりは犬系で、それも穏やかな大型犬の雰囲気がある。正直、態度は気に入らないけど……。
ふと顔を上げた紗枝霧さんと、目線が合う。グラス同士がぶつかり合うような、硬質な音がした気がした。
「私の顔に、何かついてる?」
「い、いや、ちょっと気になって……。なんか、気になって……」
「私が気になる?」
「いや、そういう意味じゃ……!」
失言をなんとかしようとする度ぬかるみにハマっていく。他の女子二人がニヤニヤこちらを見て笑ってるのが、見なくてもわかった。印象が悪い相手に勘違いされるなんて、一番困る。けれど美少女は、ぱちくり瞬きすると、そのまま顔をノートに伏してしまうだけ。これ以上は気まずい気がする。僕が再度お茶に口をつけると、紗枝霧さんもそれに倣った。それだけで、少し安堵する自分がいた。
結局、宿題は一向に進まなかった。
「あ、このあと塾あるから私も失礼するね」
紗枝霧さんが、そう言って立ち上がる。
思わず一瞬、呆気にとられた。
高い。すっごく高い。頭一個分は高い。僕が女子以下なのを差し引いても、紗枝霧さんはかなりの高身長だった。
「あ、ごめん、怖かった?」
「……女子見て怖かったっていう男子はいないよ」
「だって呆然と見上げてるんだもん」
「……低身長で悪かったね」
そういう訳じゃないよと慌てる紗枝霧さん。でも、何が違うんだろう。ますます僕はむすっとしてしまう。
駅までの道中、紗枝霧さんはぽつりと言った。
「男子の低身長と女子の高身長、どっちがマイナスなんだろうね」
なんと答えればいいのかわからない。また揶揄われているのだろうか。
「男子は低身長で損することはあるけど……。女子は高身長で得することある?」
「うーん……。あるかもしれないけど、マイナスと差し引きだとどうかな……」
「男子が低身長で得することはないよ」
「そっか」
「幼く見えるし、舐められるし、子供扱いされるし。挙句、怯えてると勘違いされるし」
「……なんか、ごめんね」
思わず言葉に熱が帯びるのを自覚しながら、僕はそれを止められずにいた。本番を迎えるより前に終わってしまったような成長期を、その頃の僕はずっと恨んでいた。端的に言って、コンプレックスだ。常に他人に馬鹿にされている気がしていた。自分の体躯に自信がないから見た目にも自信が持てなくて、ひどく燻っていたのを覚えている。それを、初対面の女子にぶつけてしまっている。
「まあ、紗枝霧さんにはわからないと思うけど」
少し棘のある言い方をしてしまう。でも、僕の辛さが分からないだろうというのも本心だった。美少女に、僕の燻ぶった感情はわからないはず。それが僕には、何も間違ってはいないように思えた。紗枝霧さんは少し戸惑った様子で、そこに少し満足を感じてもいた。半ば打ち切るように、紗枝霧さんは改札の中に滑り込んでいった。
「……最悪だ」
言ってしまった後悔と、言ってやったという達成感の間、僕は俯いて帰る。いつもの僕だ。僕はそういう人間だった。小さくて、ひねくれていて、荒んでいる。そして、彼女のことが苦手だ。だって、ズルいんだ。可愛いというだけで、独特の華がある。地味なくせに悪目立ちしがちな僕にとって、それはあまりに眩しかった。姿勢も良くて、すらりとしていて、目鼻立ちがぱっちりしていて。同じ制服をまとっているのに、紗枝霧さんの姿は画として完成しているようにすら思えた。
それが、とても、妬ましい。
とはいえ、後になって襲ってくるのは後悔だった。
嫌われただろうか。ベッドの中、延々思い悩むのだ。
バカだ。嫌われるようなことをしたのは僕なのに、後からウジウジ悩む。その軟弱さがイヤで強がって生きているけれど、気を緩めればすぐにこうだ。
でも、もう会うこともないだろう。燻った記憶の中、何度も蘇ってくる可能性はあったけれど。謝っておけばよかった。
でも、次の登校日。
「よっ♪」
「どわっ?!」
いきなり後ろから背を叩かれて、変な声が出た。
「な、なにすんのさ……!」
恨めしげに見上げると、紗枝霧さんは猫口でにまにま笑っていた。
何を考えているのだろう。僕のコンプレックスを知って、勝手に理解した気になっているのだろうか。見透かされているんだとしたら、それはひどく腹立たしいことだ。でも、バシバシ背を叩かれては声も出ない。
「ちょっとゆい~、細崎くん困ってるよ? もしかして気に入った?」
「大丈夫、これ会って二度目だから! ね?」
「全然大丈夫じゃないよ……」
なんだこの子、イヤに馴れ馴れしいな。引っ込み思案な僕とじゃ相性が悪いかもしれない。
「それより、時間ある?」
「ないわけじゃないけど」
それから急に腕を引かれて、トイレの影まで連れていかれる。そして、少し屈みこむと。
「ごめんね?」
耳元で、ひそひそ囁かれた。透き通るような、儚く美しい声。突然の囁き声にゾクゾクして、変な声が出るかと思った。
「あの時、何て言ったらいいかわからなくて」
「その結果がアレ……?」
「私、そういうのよくわかんないからさ」
でも結局、それっきりだった。
その後、彼女と会うことはすっかりなくなった。