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夏目なつめ
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秘密基地からもう一度(サンプル)

§  僕らが生まれたのは、それぞれ一ヵ月差。  僕が11月に、紗代ちゃんが12月、咲ちゃんが1月……。  つまり、差なんてほぼないってことだった。  それでもたった数十日の差を何年も何年も主張し続けるのが僕というもので、ようやくそれの恥ずかしさに気づいたのは、11歳の誕生日の時。 「最近は言わないんですか?」  本を読んでいる僕に、紗代ちゃんが言った時だった。  うちつけな質問に、少し困惑する。まだ言葉足らず、舌足らずな年ごろ。でも、紗代ちゃんの言葉は滑らかで、 「一歳年上になったんですもん。いつもなら自慢してますよ?」 「……それは、卒業、かな……」  ミルクティー色のふわふわな髪に空気をはらませて、腰を下ろす紗代ちゃん。それからクスクス笑うと、 「それ、お兄さんっぽいですね♪」  紅茶色の優しくぱっちりとした目が、真横から僕を見据え笑っていた。 「……お兄さんだからね」 「ふふっ、やっぱり自慢するじゃないですか♪」  山小屋に響く澄んだ声、お嬢様然とした女の子と僕。窓の外からは高原の木々が並んでいた。僕らだけの、基地だった。  そして、少し静かになった時。 「雪くんおめでとっ!」  重いドアを開き、少し息を切らしながら一人の少女が飛び込んでくる。  その余勢を駆って、振り返る僕に飛びつくんだ。 「ギャッ?!」  いきなり後ろからしがみついてくるものだから、首が締まって僕は悲鳴を上げる。咲ちゃんは華奢だけど、僕も大差ない。思わず仰け反って、それからバタンッと仰向けに倒れてしまった。 「大丈夫?」  押し倒したのは自分のくせに、そんなことを言うのが咲ちゃんだ。僕を覗き込んでさらっと流れた黒髪のサイドテールが、木漏れ日に透けて輝いていた。紗代ちゃんも覗き込むものだから、サキサヨの、黒と茶色の色彩がきれいだった。  それから、二人して僕を起き上がらせると、 「何して遊ぶ?」 「今日は何しましょう?」  口をそろえてそう言うのだった。  ……実際、僕は二人のリーダーだったと思う。  もちろんみんなで一つ、けれどその日のことは全て任せてくれた。泥だらけになった。山の中を駆け回った。二人といないときのことなんてほとんど覚えていなくて、絶えず感じていたのは、素朴な一体感と没入感。泥だらけになって朝から晩まで遊んだんだ。  僕以上に元気に遊び回る咲ちゃん。一房に結んだ髪はまだ短くて、いつもぴょんぴょん弾ませていた。ミサンガを付けているのもいかにも彼女らしくて、腰にパーカーを巻いたりしては、しょっちゅう失くしていた。  僕らの後を紗代ちゃんもついてくるのだけれど、綺麗なワンピースを泥だらけにしているのがなんだかかえって綺麗で。大人になればそんなこときっとしないはず。それを気にならないほどに、僕らは子供だった。  たった1ヵ月と少しの誕生日の差が物を言ったのも、そのせいだったのかもしれない。  使われなくなった山小屋を根城に、遊んでは次の作戦を立てる日々。窓から差し込む光と、さんざめく蝉の声。サキサヨと僕で持ち込んだガラクタや漫画で部屋は雑然としていて、寒かったり暑かったりとあまり快適でないのが楽しかった。 「雪くんは、おとなになったら何になりたい?」  そう咲ちゃんが言ったのが、彼女の11歳最後の日。誕生日イブを祝って、すぐ大人になっちゃうねと言った時、不意に出た言葉だった。 「大きくなったら?」 「おとなになったら。雪くん、どうしたいのかなって」  呆然とした。そんなこと、考えたこともない。  その様を、少女の少し赤みがかった瞳が見つめている。表情はわかるのに、感情は読み取れない。 「私たち、いつか会わなくなっちゃうのかな。別の国に行ったり、知らない人に出会ったり。そんな日、来ると思う?」  胸に突き刺さる言葉だった。僕にとってはすべてな世界に、その外があることを仄めかす言葉。 「…………二人とは、離れたくない、な」  その言葉に、かわいらしく小首を傾け、クスッと笑う咲ちゃん。 「ならずっと一緒にいる?」  そして、ずいっとこちらに近寄ると。 「雪くん、私と、一生一緒になる?」  黒髪を揺らして、耳元で囁くのだ。  思わず目を見張る。唇にわずかに弧を描かせて、何かイタズラにでも誘うようだった。彼女はまだ、微笑を浮かべたままだ。  ドキッとした。  咲ちゃんが、なんだかあんまりに美しくて。  快活で元気の塊の彼女の、初めて見る表情。おそらく僕には出来ない表情は、彼女が大人びてきたことを物語っていた。それに、一生一緒、って。考えたこともない言葉だった。僕には見えてない光景が、咲ちゃんには見えていた。  時間の止まった小屋の中に、けれど、一気に風は舞い込んできて。 「あ、二人とも、今日は早いんですね♪」  ふわふわとした声が、全てを吹き飛ばしていったのだった。 「ううん、私たちも今来たところ!」  パッと表情を明るくして、親友に抱き着く黒髪少女。それから、オモチャでも取りに行ったのか小走りで去っていく。  置いて行かれ気味の僕を、紗代ちゃんは少しキョトンと見つめていて。  唇を緩めると、 「何、話していたんですか……♪」  鼓膜をくすぐるように、そう、囁いた。  今さらだった。  今さら気づいたのだった。二人が、とんでもなく可愛い女の子だと。男子も女子もない子供から、少女へと変わりつつあると。気づけば二人の手足は、もう棒のようなものではなかった。ぷっくりとしていた肌はマシュマロのように滑らかな柔らかさへと変わり、元気っ娘のサイドテールも長く、女性的になっていた。何より、僕には出来ない表情を、するようになっていて。  ドキドキする。  好きかもしれない。  二人のこと、大好きかもしれない。  けれど同時に、それが僕を悩ませた。  一生一緒、と咲ちゃんは言った。でも、どっちと。きっと二人ともと言う訳にはいかない。男子女子の関係なら、もう三人一緒という訳にはいかなくなるんだろうか。  12歳の始まりは、甘酸っぱかった。  僕は二人のなんなんだろう。そんなことを、来る日も来る日も考えて、無邪気に遊んで、いつまでもこのままでいたくて。  そんな時。  ──先に始まったのは、咲ちゃんだった。 「……あれ?」  少女が、呟く。  手を掲げる。  そこから落ちていったのは、引きちぎれたミサンガ。 「もう手首にも入んなくなっちゃったみたい」  腕に巻き付けても、回りきらないミサンガの残骸。それを報告する口元は、既に僕の目線まで伸びていた。  急成長期。  咲ちゃんはもう、ちびっ子ではいられなくなったみたいだった。 「なんだか二人、ちっちゃくて可愛いね♪」  2週間後には、抱き着かれるともう僕の頭は顎の下に収まってしまっていた。  そして、もう2週間後。 「もう二人だって持ち上げられちゃうんだよ?」  そう言って僕と紗代ちゃんを、軽く抱き上げてしまう咲ちゃん。大人びた腕が僕らに巻き付くと、そのままヒョイと重ささえ感じさせず舞い上がる。  子供たちはお姉さんの胸元に抱き留められ、目をぱちくりさせるだけだ。 「……ほら、もう私、二人よりお姉さんだね♪」  僕らを持ち上げたまま、誇るとも驚くともつかない声で言う。170㎝の少女と140㎝もない子供たち。差は歴然。快活な女の子の抱擁は生命力に満ちていて、圧倒されてしまいそうだった。  それでも、咲ちゃんの成長は止まらなかった。  びっくりだった。こんなに女の子が大きくなるなんて。話では聞いている。本では読んだことがある。だけれど、咲ちゃんは本の中の女の子じゃない。12年間、誰より一緒にいた女の子。それが、一瞬で、ほんのほんの一瞬で、体の形も、大きさも変わってしまうなんて。  ストンとした胴が、曲線を帯びていく。いつも覗かせていた二の腕も太腿も、細胞を瑞々しく膨らませてもっちりと弾力を帯びていった。スラリと伸びた脚は驚くほどに長くなって、もう駆け出した咲ちゃんに僕らは追い付けない。日に日に、走る僕らの後から歩いてついてくることが多くなって、それでも駆けっこにもなってなかった。まるで引率の先生と幼稚園児みたいな僕ら。二人まとめて咲ちゃんの膝に乗せられることもあって、前は少しも感じなかった香りが、だんだん、甘く、華やかになっていく。肉付きが変わっていく。細胞一つ一つに詰まり始めた、柔らかくて包容力ある肉感。背中に当たる膨らみを、意識せずにはいられなかった。    前みたいに男子同然の格好、というわけにも行かなくなった。女の人用の服を、それでも活発に動き回れるノースリーブシャツと短いスカートを着て、無邪気に、かつ僕らを見守るように、遊ぶようになった。強いて変わらないとすれば、その明るく元気な表情くらい。ただ、その柔和さは、これまでとは違った色彩だった。  一言で言えば、大人になったということだった。  それも、とびきりの美少女が、むちむちと、お姉さんの体に。  明らかに僕は惹かれていた。  当たり前だ。未分化な恋情を感じていた女の子が、お姉さんになって、僕を包み込んでいる。  その大人っぽさを、でも、僕らはうまく表現できなくて。 「咲ちゃん、なんか、大きすぎて、…………こわいね」  それが、僕らの初めての秘密話だったと思う。  僕らにそんなもの必要なかった。何もかも知っていた。それが今、こわいね、だなんて……。 「ちょっと、そうかも、ですね」  紗代ちゃんが、困ったように、けれど控えめに頷く。少し、僕の気が軽くなった。うまく言えなかった気持ちを表現して、それが合っていたんだと確認できた気がした。子供の言葉で表現するとすれば、というカッコつきだったけれど。  何か救われた思いの僕。  でも、最後に紗代ちゃんが、 「大丈夫、すぐこわくなくなりますよ♪」  パッと明るく言ったのが、妙に引っかかって。  次の週。  僕は、紗代ちゃんを見上げていることに気づいた。 「私だって女の子なんですよ~?」  僕に屈みこんで、茶目っ気たっぷりに言う紗代ちゃん。片眼を閉じて人差し指を口元に当て、いたずらっ子みたいな表情だ。ほんのり好きになっていた女の子にそんなことを言われて、ドキドキしないはずがない。おまけに、クスっと大人っぽく笑ったりなんかして。  だから、紗代ちゃんの変化はある意味、相応にも思えた。元気っ娘の咲ちゃんが急にお姉さんになった時よりは、受け入れられたようにも思えた。  でも紗代ちゃんの成長速度は、咲ちゃん以上だった。 「ふふっ♪ これでお揃いですね♪」  おしとやかな女の子は、ものの数週間で咲ちゃんに追いついてしまったのだ。  ようやく親友と同じ姿になれたのを喜んで、ペタペタ触っている。咲ちゃんも同じくキャッキャとはしゃいで、なんだか久しぶりに会った旧友みたいだった。 「もうっ、遅いよ紗代ちゃん! さみしかったんだよ? 早くおっきくならないかなってずっと思ってたんだから……♪」  そう言って、抱き合ったりして。  僕の目前には、二人の胸が揺れていた。  いや、その頃にはもう、見上げてさえいたかもしれない。  僕は。  僕は、縮んでいたからだ。  男子の退縮期は、僕にも平等に訪れていた。   「…………なんかもう二人、大木みたいだね!」 「たいぼくっ?!」 「雪さん、それはあんまりですっ!」  むくれる二人の顔は、でももう目元がわずかに覗くだけ。無視できない、目を離すことすら許さないボリュームの胸元が、見上げさせてもくれないのだ。  もう完全に、サキサヨは大人の女性だった。胸も、脚も、全身が。大木、というのは嘘じゃない。強烈な肉感を無視しようとすれば、そんな言葉しか思いつかなかったんだ。むっちりとそびえる大人の体を、手持ちの言葉では表現しようがなかった。  とはいえ、女性としては小柄な方。まだ伸びるはず。まだまだ伸びるはず。  二人は、成長期の女の子。わかってる。  退縮期の男の子。頭ではわかってる。  けれど、知っているのと体感するのとでは訳が違った。 「雪さんは何センチになったんですか?」 「……140㎝」 「ふーん、もう50㎝差だね♪」  屈みこんで僕を見上げてくれる咲ちゃん。子供扱いされている気がするけれど、近くで咲ちゃんを見れることだけでもうれしかった。ただ、わざとか明るく流してくれるその声に、僕は内心複雑な気持ちを抑えきれない。  だって、嘘だったから。  たしかに、身長計が140㎝を打ったことはある。いや、141㎝までは行ったはず。ただ、それは去年の暮れのこと。そこから、僕の背丈は大きく下降曲線を描き始めていた。今年の結果は、135㎝だ。8歳の時と、大差ない。  それに対して、二人は190㎝だなんて。  5㎝、僕にはとっても大事な5㎝。でもそれは、二人には気づけない誤差だった。  僕の定規とサキサヨの定規は、目測で変換するにはあまりに違ってしまっていた。  そして、二人が目いっぱいおっきくなって、200㎝を超えたころ。  ──僕は二人の、ちょうど半分の大きさにまで引きずり降ろされていたのだ。 §  ひんやりした空気が、開けた山道を通り過ぎていった。  それを追い越すように、駆けていく女性が一人。  腰に巻いた上着用のシャツを翻して、爽やかな道を走っていく。ニーソをまとった美脚が、前へ、前へ。長く伸びた髪は鞭のようにしなやかに跳ね、艶を煌めかせていた。  その後を、ワンピースをはためかせながらもう一人。  森の道に散乱する、木漏れ日の点描の中。二人は綺麗だった。いつまでも見ていたかった。 「あんまり走っちゃダメだよー……!」  もう声も届かない。山道の先にある高原は、きっと青く綺麗なはず。それが、咲ちゃんには待ち遠しかったのかもしれない。  高原の空気は澄んでいて、6月も暮れだというのに冷涼だった。でも、日差しはピリッと熱い。  もうすぐ、夏だ。 「どうしたの雪くん、早くおいでよ!」  白ワンピースとノースリーブシャツの少女たち。そのすらっと高い背が、視界の中で小さくこちらへ振り返る。    耳に馴染んだ声が呼びかけてくれている、それが温かくて、僕も駆けだそうとした時。  遠目に、気付く。  二人が、手をつないでいた。指と指を絡め、自然な素振りで、けれどすごく親密に。いつもの“サキサヨ”なんて様子ではない。なんだか、深く結びついている。  それがなんだか、僕をひどくソワソワさせた。  彼岸に、綺麗な女性たちの世界がある。じゃあこっちは、なんなんだろう。僕は、何だろう?  体を見下ろす。短パンとシャツ、細い手足。ガリガリじゃないのに筋肉も脂肪もない。というより、等身のせいで、足も手も短く見える。子供だ。子供。小学生、ガキ、ちび……。  こんなとき、二人の姿を見るのが、ちょっと怖い。でも、二人のスラリとした大人の容姿は忘れるなんて無理だった。残酷な対比が目に浮かぶ。抱きつきたくなる体が頭をいっぱいにする。そんなの、もう母親にだってしない。おそらく一生することじゃない。  いや、そもそも幼馴染なのに、なんで。  おかしい。何をためらってるんだろう。  そう思い二人を見やった時、目にした光景は、けれど、想像以上のものだった。 「……あれ、もしかして雪さん、疲れちゃいましたか?」  心配そうに、駆け寄ってくる紗代ちゃん。ひらひらとスカートを揺らし、風を受けた服を肌にまとわりつかせながら、気づかわしげだ。薄布がギリシャ彫刻みたいに肌に張り付いて、その立体感を浮き出させていた。そのうえ初夏の光に透けて、ワンピースの中の輪郭がくっきり見えてしまう始末。白いスクリーンに浮かび上がる曲線的な影。見てはいけない物を見てしまった気がして、思わず視線を落とした。 「大丈夫。でも……、僕、2倍歩かなきゃいけないんだからね!」  強がって笑う。透けたシルエットは、僕と同じ長さの脚をそびえさせていた。  いいな。  成長期になって、大きくなれて。僕は成長しても、大人になるどころか、小人になるのに。  好きな女の子たちと、横に並ぶこともできないのに……。  小人の言い分は、大人には筒抜けだった。 「……もうっ。そんな顔しちゃダメですよ♪」  言葉を探し、はにかんだように笑う紗代ちゃん。僕の知らない間の取り方だ。僕も知らなかったことをいろいろ覚えた。多くは、二人に教えてもらったようなものだ。 「手、繋ぎましょうね」  手を伸ばす。これまでと同じそぶりは、差し出された手を長く感じさせた。お姉さんの手に手を乗せる。すぐさま優しく包み込んでくれたそれは、でも、指を絡めたりはしなかった。  僕らの様子を、咲ちゃんも見守っていたのだろう。  それが不意に、何か別のことに気づいたようで。 「……あれ?」  咲ちゃんが、手の平を上に向ける。外国の人みたいに肩をすくめているのかと思った。そんな僕の頭を、ポツンと何かが打った。  雨だ。 「あ」  どうしよう、なんて言う暇もなかった。過程を通り越してひとっ飛びに大粒に成長した雨は、音を太く変えていく。 「きゃあっ!?」 「雨の予報じゃなかったよね?!」 「山のウソつきっ!」  雨の中、駆け出す200㎝の女神たち。  歓声を上げながらもなんだか楽しそうで、その体で駆けるのが気持ちよさそうにも見えた。雨の中で女の人の後ろ姿が輝く。    あ、置いて行かれる。  けれど二人は、そんな子供を放ってはおかなかった。 「雪くん?」 「雪さん?」  同時に振り返ったサキサヨは、すぐさまこちらに駆け寄ってくる。濡れ服を体にぴっとり張り付けた同い年のお姉さんたち。一瞬で視界は二人の体でいっぱいになった。もう、どちらがどちらかもわからないくらいだ。 「ちょっ……」  空から腕が降ってくると、僕を上空へ引っ張り上げてしまう。目の前に現れたのはワンピースに包まれたビーチボールサイズおっぱい。でもその高さまで持ち上げてもらったのに、まだ顔は見えてこない。そして誰のものかもわからない胸元に抱き締められると、視界は柔らかい優しさで完全に覆われてしまった。  そして、大きく一歩巨躯が踏み出した時。  ──二人とも、こっち!  少女が一人、秘密基地を指さした。  ⁂  止まっていたあの時間が、にわかに息を吹き返したようだった。  ソファやベンチ、カラーコーンに昔集めたマンガたち。記憶を缶詰めしたみたいに、あの頃の空気がそのまま広がっている。当たり前かもしれない。つい数か月前まで、頻繁に使っていた場所なのだから。  雨天の山小屋は静謐で、でも妙に温かい。多分こんな日が前にもあったんだろう、デジャヴがやおら襲ってくる。  雨音を伴奏に、トタン屋根を水の転がる音が鳴っている。ピチョンと、服から雨も滴った。それらを引き連れる主旋律は、少女らの漏らす荒い息。細い喉から鳴る風音が、室内に息づいていた。いつかもきっと、こんな風だったんだろう。  それでもどことなく違和感があるのは、長身女性二人がいるせいだろうか。 「ここに来るのも久しぶりですね……」  服の裾を絞りながら、紗代ちゃんは懐かしんでいるようだった。冬の間は入れなかった小屋、夏になったら来ようと言っていた場所。それまでに色んなことが変わってしまって、すっかり存在を忘れてしまっていた。  懐かしい。でも、新鮮な空気。思い出してくれたと安堵する小屋が、少し息を呑んでいる。  僕も、同じだ。 「みんなびっしょりだね♪」 「雪さん、体は冷えてませんか?」 「うん、大丈夫」  ……むしろ、暑いくらいだった。紗代ちゃんに抱き締められ、暴れる胸の間に揉まれながら、赤面したり、悲鳴を上げたり。急成長女子の体温に包まれまくって、ゆだってしまいそうなほどに、体が熱い。  今も抱き着かれた部分が、まん丸なものの余韻を残してじんわり火照っている。こっそり、自分の服の匂いを嗅ぐ。さっきまで紗代ちゃんに密着していたあたりに一面、いい匂いが染みついていた。  胸がひっくり返った。  それも、急に冷たくなって。  あ、なくなる。  何か遠のいていく。それが、胸の中に反響していた。  雨音が、心なしか反響しているように聞こえる。  そうだ、これだ。  講堂や体育館の響き方に似ている。  ようやく違和感のしっぽを捕まえた気分だった。 「ここ、こんなに広かったっけ……」  特に考えず呟いた男の子を、二人はキョトンと見下ろしていた。 「…………ああ、そうか。雪くんにはそうかもね?」 「見え方が違うの、面白いですね♪」 「うん。こんなに小っちゃい小屋で遊んでたんだなぁって」 「二人には……狭く感じるの?」 「そうですよ? 屈まないと入れなかったですし……」 「もう天井もこんなに近いんだよ? ほら♪」  元気っ娘が軽く腕を伸ばすと、手のひらはべったり天井を撫でてしまう。考えたらあり前のこと。広くなった部屋も、二人には少々手狭。その間に挟まれると、幼馴染たちの隙間に入り込んでいる気分だった。  現状に当惑する僕を置いて、二人はどうもこの先の心配をしているらしい。 「うーん。まだしばらくやまないかな……」 「傘になりそうなものもなさそうですね。ここでもう少し待ちましょうか」  高い窓に覗き込み、女の人たちが囁きあう。  窓外の雨空はどんよりしつつも奇妙に明るく、陰影に富んだ光を投げかけていた。  それに照らされて、少女らもなんだか神々しい。白服の幼馴染たちは女神のようだった。雲のフィルター越しに潤んだ光をまとって、その波打ち際で体の起伏が曲線美を描いている。  それが同時に、生々しくもあって。  巨乳の立体感もお尻のボリューム感も丸見え。等高線のように克明に引かれたラインはその起伏に捻じ曲げられ、その曲線美を強調させられていた。  何より濡れた服がぴっとり肌に張り付けて、肌も下着も透けているのだ。濡れ透けワンピースやシャツは、裸よりも刺激的だったかもしれない。  背筋や肩甲骨のたおやかな曲線と、むっちりとした肉付き。二人ともブラジャーが透けている。大人の背中は広くて、僕なんか二人でも三人でも背負えてしまえそうだった。  けれど僕の目線を一番塞いでいるのは、二人のでっかいお尻で。突き出されたお尻が、こちらを見下ろしている。紗代ちゃんなんか、薄布がお尻全体に張り付いて、桃に似た造形が丸見えだ。  ここにいていいんだろうか。二人のこんな姿、見ちゃって良いんだろうか。前はそんなこと思わなかったのに。一緒にお風呂に入ることだって普通だったんだ。それも、ほんの、ほんの少し前の話。  それが今、二人の巨体は甘い引力さえ感じさせるほどに、おっきくて、エッチだった。  何か話している。何か考えている。二人は無邪気で、なのに何を考えているのか、僕にはわからない。話してる言葉は同じなのに、文法は違っていて。  それすら、気にならないくらいに僕は二人に見惚れていた。    当惑しつつ引きつかれる子供の視線。敏感な大人の二人が、気づかないはずもない。 「雪さんは……」 「あれ?」  ふとこちらに気づくと、クスリと笑って。 「「…………♡」」  わざとらしく、胸や下着を隠すのだ。ほっそりとした手に隠されて、余計に隠然としたボリュームを主張させる肉体。見ちゃダメだと言われて、間接的なエッチさに余計ドギマギする。見下ろされれば余計に恥ずかしい。でも多分、二人は一ミリも恥ずかしいだなんて思ってないんだ。変に意識させて、僕をからかっている。僕を翻弄してる。二人の手品師に弄ばれる、一匹の鼠の気分だ。 「どうしたんですか、ぼうっとして♪」 「私たちを見て、そんな顔しちゃうんだね♪」  こちらを見下ろす。こちらに近寄ってくる。二人のおっきな女の人。すごい圧迫感だ。ちょっと、怖いくらいに。 「私たちに見惚れちゃったんですか?」 「ち、違……」 「雪くん、そんなわるい子になっちゃったんだね♪」 「ちょっと、ち、近いよ……!」  少し後ずさる僕を壁際に追い詰めるように、こちらに腰を折る二人。  濡れ透け巨体で僕の視界を覆いつくし、圧倒的な大きさを見せつける。4つのびっくりするほどおっきな胸を透けさせて、黒ブラジャーの模様すらしっかり浮き上がらせて、僕に成長した自分を見せつけてくるのだ。だのに僕は、上半身すら視野に収められない。かろうじて目に入る顎先はお姉さんっぽく笑っていて、胸元は重くゆったりと揺れていた。 「雪くん、私たちの体でドキドキしてるの?」 「雪さん、下から見上げた私たち、どう見えるんですか?」 「あはっ♪ 見過ぎだよ雪くん♪ …………この、ヘンタイ♡」  あれ。胸が、おかしい。ドキドキする。二人に屈みこまれて、威圧感と共に甘い感覚が湧き上がってくる。もっと見下ろされたい。優しい女の人に、子供として可愛がられたい。このまま縮めば、どんな風に見えちゃうんだろう。二人のものにされたら、どんなにうれしくなってしまうんだろう。  妄念。  妄想。  考えてしまう。感じてしまう。  いや、違う。  これは僕の感情じゃない。むしろ、二人の醸し出す何か、僕を何か別のものとして見ている表情、僕に巻き付いて離れない視線、圧倒的なフェロモン、大人の肉体……。それらすべてが、僕を誘導している。  なんだか、二人の雰囲気が変だ。


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