トラ夫、ライ太、くま吉は小学・中学校の同級生です。当時から3人でカードゲームに興じていました。高校からくま吉のみ、別の学校に通います。高校以降も3人はカードゲームという接点で繋がっているのです。 トラ夫は真面目で、そして不器用な男です(メイド喫茶云々の日、パン田はトラ夫の話を聞いてそのような印象を持ちますが、描写として入れ忘れるという痛恨のミスを犯しました。無念でならない)。たとえ趣味でも取り組むからには一生懸命取り組むべきだし、努力した分の対価を得たい。カードゲームにおける対価とは実力向上の実感であり、自分よりも努力していない者に対する優位性だと彼は考えています。 ライ太は自分より遥かに時間を投じている。だからライ太が自分よりも強いのは、トラ夫の価値観と合致します。あいつは俺より本気でやっているから強いのだと。しかし、自分よりも時間を投じていない、真剣にやっていない、努力を払っていないくま吉が自分よりも強いという現実は、トラ夫の価値観では説明がつかない。トラ夫にとって理解不能なくま吉の強さをあえて理由づけするとすれば、くま吉は自分よりも「才能」があるという事になる訳です。 くま吉の頭が良いことは昔から知っている。それなら頭が良いやつが強くなるのがカードゲームなのか。龍堂はZooで一番頭が良いからずっと一位なのか。学生時代、勉強ではくま吉に全く及ばなかったライ太はなぜくま吉よりも強いのか。単純に沢山練習しているからなのか。もしそうであれば、くま吉よりも沢山練習しているはずの自分はなぜ勝てないのか。こんなに練習しているのにまだ足りないのか。ライ太のようにのめり込んで練習し続けるには、自分の「好き」の重さじゃ足りないのだろうか。もっとカードゲームを好きになるにはどうすればいいのか、もしかして好きになれることも才能なのか。 うさぎとうさぎの奮闘記を30話で終わらせるには、ある程度登場人物を絞る必要がありました。奮闘記時点でもトラ夫は現役バリバリですし、変わらずライ太やくま吉とつるんでいます。しかし、割かし重めの背景設定を持つトラ夫を奮闘記の中で描くには紙面が足りませんでした。それでも、いつかこの真面目で不器用なキャラクターをしっかりと描きたいし、描かなければいけないような気がして、奮闘記の最終盤にうさクズの相手として登場させました。ライ太戦の直前、過去最高ランク2位の強豪プレイヤーとして。 カードゲームにおける才能とは何か。自分より勝ってるあいつは何が違うのか。プロでもない限りほとんどのプレイヤーが趣味でカードに興じているのでしょうが、勝敗が決まるその性質上、このような疑問は大なり小なり湧いてくるものだと思います。あるある系カードゲーム漫画を自認しているカードゲームうさぎでは、是非とも扱わなければならないテーマだと考えていました。しかし、重くて暗い話になりますので、どうも腰が上がらなかった。多くの業をトラ夫というキャラクターに背負わせてしまいましたので、作者として、トラ夫には報われて欲しいと思っています。
Nori→
2022-10-30 12:12:03 +0000 UTCカルム
2022-10-30 08:06:16 +0000 UTCコスモス
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2022-10-30 04:29:44 +0000 UTC