第1章 第十八話
Added 2025-05-30 01:30:14 +0000 UTC【それでも世界は回っている -OZ-】 第1章「目覚めの草原」 第18話「名前の倉庫、記憶の渦」 ──夜が明けても、村の空気は重かった。 昨日、突如吹いた“風”。 倒れたエンじいの呻き声。 そして──あの言葉。 「“風の魔導師”が……まだ、この村に……」 ドロシーは目を覚ますと同時に、胸の火種がざわつくのを感じていた。 それは熱ではなく、“存在の揺らぎ”──何かが、誰かの“何か”を削ろうとしている兆候。 朝の井戸端で、クロ婆が空を見上げながら言った。 「もう、隠せんやろ。……あの風は、“名前喰い”の風や」 「“名前喰い”……?」 「そや。風が名前を奪う。記憶を奪う。 そして、奪われたもんは、“空っぽの抜け殻”になってしまうんや」 ラセルが隣で小さく頷いた。 「“名前”や“記憶”──それは、単なる情報やない。 人の“存在そのもの”なんや」 ドロシーは、昨日倒れたエンじいの顔を思い出した。 呆けたような目。言葉を出せない唇。 「ラセル……それって、“魔力”と関係あるの?」 ラセルは一瞬黙ってから、真剣な声で答えた。 「魔力ってのは、本来──“存在の力”を燃料にして使うエネルギーや。 自分自身の、名前、記憶、想い。 それらを少しずつ削って魔法に変える。だから、制御も限界もある」 「……じゃあ、“風の魔導師”は……?」 「──他人の存在を喰っとる。 他人の名前を奪い、記憶を奪って、それを“自分の魔力”として変換してるんや。 本来なら、自分で払うべき“代償”を、誰かに押しつけとるわけや」 ドロシーの背筋がぞっとした。 「……そんなの……そんなの、許せない……!」 「せやけど──あいつは、まだ“姿を見せてへん” せやからこそ、今日。名の記録庫を調べる意味がある」 * 倉は村の北端、断崖近くにある小屋だった。 傾いた瓦屋根、苔に覆われた土壁。 鉄扉の周囲には風よけの板が打ち付けられ、まるで“何か”を封じるかのようだった。 「中には、“名前”が記された帳面がある。 本来は、旅人が“風にさらわれないよう”記録するためのものや」 ラセルとクロ婆が鍵を回すと、扉は鈍い音を立てて開いた。 中はほこりと黴のにおい。 棚がいくつも並び、崩れかけた帳面や巻物が乱雑に積まれている。 ──ラセルが指差した一冊。 『風に触れた名の記録 ─クロネ村記帳録─』 ドロシーがページをめくると、名前がびっしりと並んでいた。 しかし──ある箇所で、ページが不自然に破られ、 他の紙が上から貼り重ねられていた。 「……なに、これ……?」 ラセルが顔を曇らせる。 「“名前”が……抜き取られとる。 記録の中身が、意図的に“喰われた”ような痕跡や」 「名前を……“食べる”? どうやって……?」 「“風の魔導師”は、文字通り、名前を糧にして魔法を使うんや。 記録された“存在の力”──それを風に溶かし、吸い取ることで、魔力に変える」 「でも……それって、もしその人の“名前”や“記憶”が全部失われたら──」 「──“魔力の枯渇”と同じや」 ドロシーは思わず息をのんだ。 ラセルは真剣な眼差しで続けた。 「魔力が枯れたら、どうなると思う?」 「……魔法が使えなくなる……?」 「それだけやない。 “存在の核”を削り切ったら── 身体は生きていても、魂が機能しなくなる。 自力で食べることも、話すことも、感情を持つこともできなくなる」 「……まるで、“死んでる”みたいに」 「せや。石化する者もおる。 ただ、体が生きてるぶん、“死”とも呼ばれずに放置される。 でも、実質──それは、“命の空白”なんや」 沈黙が落ちた。 ドロシーは、火種を握りしめた。 「……やっぱり、ぼく……この“風の魔導師”ってやつ、絶対に許せない」 その瞬間、棚の奥から風のような音がした。 ──ぺらっ 帳面が、ひとりでに捲れた。 ──ぺら……ぺら……ぺら…… 次々に、何ページも。 誰も触れていないのに、“名前”だけが記された紙が、風に撫でられるように震えている。 「……もう、来とる。姿は見せとらんだけで……」 ラセルが囁く。 クロ婆が外で待っているはずだった。 ──が。 「──ラセル! ドロシー!」 叫び声が響いた。 ふたりが飛び出すと、クロ婆が地面に膝をついていた。 「……名前が……出てこない……わたし、自分の──」 目は見開かれ、口が震えていた。 「記憶が……名前が……全部……風に……!」 ラセルが駆け寄って肩を支える。 ドロシーはその場に立ち尽くした。 ──風が。 ──この村の誰かを。 ──確かに、“奪っている”。 火種が、赤く、痛いほど熱を帯びた。 《第18話・完》