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ヘンリクト
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国際治安委員会モフティロス

快晴の空に細い線上の雲が生み出されていく。 それ自体はさほど珍しくもない飛行機雲のようなものであり、地上から見上げる人々の関心を惹くようなものではない。 だが、それでも人々が足を止めてそれを見上げるのはその数と速さにある。 生み出される線雲は優に100を超える数であって、更にその速度は超音速の領域で民間の旅客機など瞬時に抜き去ってしまうほど。 これまでこの街上空に存在したことのない光景は、本土防衛を目的に配備された短距離弾道ミサイルの群れだ。 全国各地に設置されたそれらは着弾のタイミングを調整して発射され、数分間の飛行を経てこの国境沿いの街上空に集結し、更にそこから方向を変えて国境へと向かって飛翔を続ける。 間も無く正午になるこの瞬間。 事前の勧告に従って多くの人々が疎開した街にいつものような活気はなく、しかしそれでも避難するアテがなく取り残された人々の数は1万を超える。 彼らの大半は屋外に出て空を見上げて、過ぎ去ろうとするミサイルを不安げに見つめるばかりで、僅かなものだけが地下にあるシェルターへその身を隠す。 「あと60秒。で、覚悟はできてるの?」 まだ若い、しかしそれでいて冷徹な女の声が街中に響き渡る。 遥か上空から降り注ぐそれはあまりにも圧倒的な声量で、屋内に居ようと嫌でもその耳に入ってきてしまうのだ。 人々は思わず息を呑み、声のする方へと視線を向ける。 そこにあるのは普段と変わらない深緑色の山脈と青い空だが、その背後に本来ならば存在しないものが今日はある。 安っぽいゴム質の黒い壁は、その前面にある山脈の背景として聳えているのだ。 そして、その正体が何であるのか、どうして存在しているのか、その二つついて誰もが理解しているのだ。 然貘〈やくも〉と名乗った女性はその幼さが残る顔立ちとは裏腹に、実に冷め切った表情で写真に写っており、グレージュ色のミディアムヘアが端正な顔立ちをより鋭利に演出していた。 真っ白のシャツと濃紺のタイトスカート。そこから薄い黒色ストッキングが艶かしさを放つ紛うことなき美女だ。 国際治安委員会モフティロスの執行官である彼女が派遣されることは1週間前から通告されたものであり、彼女の写真付き執行令書は全国民に強制送達された。 「……ん? ああ、そういうこと」 然貘は自分に向けて真っ直ぐに伸びてくる白線を見下ろして小さく苦笑する。 おそらく高度10,000メートル前後を飛行しているだろうそれは、1つ1つはあまりにも小さく見つけることすら難しいものだが、こうして注意を払って足元を見ている状況で100以上も集まれば気が付くことだってできてしまう。 おそらく条約の失効と同時にこの無数のミサイルたちが自分に対して着弾するようになっているのだろう。 身長157,000メートルという途方もない存在を排除するための攻撃ではあるが、それでも国境線沿いに街がある以上は核攻撃というわけにはいかず、こうして多量のミサイルを運用しての飽和攻撃を選んだのだろう。 「ふふっ、健気なこと。いいじゃない、そういう姿勢は好きよ」 然貘が再び手首に巻いた細身の腕時計に目を落とすと、条約失効までの残り時間は僅かに数秒。 それは、ロッカヴェルデ帝国が国家連合から離脱するのと、モフティロスによる制裁が開始するまでの残り時間を指している。 時計の針が正確にときを刻み続け、正午になった直後、然貘はその視線を遠くに向けてロッカヴェルデ全域を可能な限り視界に捉えようとした。 「事前に通告した通り、国際秩序への反逆を理由として制裁を加えるわ」 それがどこまで聞こえるかは然貘の知るところではないが、宣言するまでもなくこの国に暮らす全ての人間はその事実を前もって理解しているはずだ。 そして、その宣言を終えて再び足元へ視線を落とした瞬間、然貘は先ほどまで存在していた細い白線が自分の履いたショートブーツに達していることに気がついた。 極めて正確に計算されたミサイル群は一瞬の狂いもなく正午ちょうどに目標物へ達してそこで炸裂、大型戦艦ですら一撃で粉々にするだけの絶大な破壊力を発揮して、然貘の黒色ブーツの表面を撫でたのだ。 不運だったのは、然貘が執行の開始宣言をするために視線を外してしまっていたが故に、その直撃に気付いてもらうことができなかったこと。 10万倍という途方もない体躯の存在に対して、小規模な都市を破壊し尽くす程度の火力は、もはや存在していないに等しいものであった。 *** 人々は自らの淡い期待が潰えたことを目の当たりにして絶句する。 帝国政府が何度も繰り返していた国境侵入前の執行官排除作戦は呆気なく失敗に終わり、ミサイル群はあまりに綺麗ではない花火のように消え去ってしまった。 執行官を撃破することは愚か、その一部である靴に傷を付けることすらできていないのだからもはや絶望するほかなかった。 山脈の背後に存在するものは、ブーツの反り返った爪先部分を覆うゴムの靴底。 先端部のそり返りは歩きやすくするための工夫であって、普段なら誰も気にすらしないものが、こうして山脈をすっぽりと飲み込めてしまっている。 10万倍。157,000メートル。 執行令書に書かれた表記はあまりにも馬鹿馬鹿しいもので、誰もがその存在に対して半信半疑であったが、こうして山という比較対象が存在したことで現実を突きつけられることになってしまう。 国境線まではここから十数キロメートルの距離があるはずだというのに、どう考えてもそれは自分たちの眼前にあるようにしか思えない。 圧倒的なスケールによって脳が遠近感を正しく処理できないでいるのだ。 「まずは貴方たちから」 制裁。 彼女が先ほど口にしたそれは概念に過ぎなかったが、彼女がそっと足を持ち上げたことで急速にそれが具体的な手段となって人々に突きつけられた。 無機質な漆黒のブーツであるが、その靴底は僅かにすり減って白っぽい汚れが残る。 ヒールが存在することでその全面が脅威になるわけではないが、それでも南北6キロメートル、東西3キロメートル程度のこの街ならば、その指先と付け根部分だけで隅から隅までを踏み潰すことができるだろう。何なら、同規模の街がもう一つあったところで同じことだ。 圧倒的な巨体によって太陽光が遮られた瞬間、人々は恐怖にかられて叫び出し、どうして避難しなかったのかと後悔しながら逃げ惑う。 帝国政府による迎撃案が具体的であったが故の安心感、街で蔓延した所詮は女ひとりに過ぎないという甘言、どちらかに騙されたのだと言い聞かせる。 幸いなことに疎開が進んでいたことで人が溢れるようなことはなく、誰もがほとんど全力に近い速度で走ることができた。 少しでも然貘から離れたい一心で懸命に駆け回る彼らは、自分でも知らないうちに意味のない奇声を発していたが、それを咎めるものなどいない。 その奇声が消え去ったのは、然貘がそのブーツをトンっと降ろしして全てを粉砕したからだ。 「はい、おしまいね」 右足に履いたブーツを翳してからしばらく待ったあげた然貘。 今から足元で数千人を踏み躙るのだという事実を噛み締めつつ、その背徳感が全身をゾワゾワと駆り立てていた。 人間だけでなく、そこにある建物だって一つたりとも残ることはないだろう。 制裁を担当することになってから毎日のようにロッカヴェルデという国について調べて楽しみにしていた然貘。その脳内には煉瓦作りの街並みとその中心を流れる川、そこに浮かぶボートや賑わう商店など街の日常が浮かび上がる。 それがもうない。 自分が踏み潰して消し去ったのだ。 踏み下ろしたブーツをそのままグリッと足首から捻って見れば、靴底はさらに数百メートルに渡って沈み込み、街が存在した位置を地形から変えてしまう。 そっと足を持ち上げてみれば、圧倒的な暴力によって全てを書き換えられた大地が存在するが、街があったなんて最初に知らねば想像すらできないものだった。 「……ふふっ」 それを見下ろすと思わず意地悪な笑みがこぼれそうになってしまう。 改めて自分が持つ圧倒的な力を実感して心がざわめくのだ。 モフティロスに所属する執行官は僅かに4人。それだけで世界秩序を維持できてしまうのは、この絶対的な力をもっているが故のこと。 瞬時に街一つを消し去った然貘が次にターゲットにしたのは、そこから10キロメートル程度の距離に位置する山々とその合間を縫うように広がる街だ。 人間なら歩いて2時間半の距離であるが、然貘の左足は未だに国境線を越えることなく存在し続け、今しがた街一つを消し去った右足を軽く動かすだけでその距離を一瞬にして詰めてしまう。 山間部の街は元々の人口が3万人程度だというのに、一瞬前に消えた街に暮らしていた人々が1週間前の通告を受けて逃げ込んできていたことで、その数を5割も増していた。 当然ながら宿泊施設がそれだけの人数を収容し切れるはずもなく、学校などの公共施設に急きょ設置された避難所に人が溢れ出し、さらにはそれですら足りずに公園や河原で野宿をするものも少なくない。 そんな彼らにとっての頼みは歴史上幾度も外敵の進行を阻んできた大自然そのもの。 平均標高1,600メートルの山脈はこれまで多くの軍事進行を妨げ、この街を守り抜き、そして今の帝国に併合されるまでは独立都市として存在し続けたのだ。 記録が残るだけで千数百年、おそらくはそれ以上の年月に渡って人々を守ってきたその山はいま、女の履くブーツ、その爪先の下でまるで怯えるかのように存在する。 「人間が自然を制圧する瞬間を見せてあげる。意外と簡単なのよ?」 ブーツの爪先が山頂に触れた瞬間のこと。 膨大な土砂の集まりであるはずの山がまるでクリームで出来ているかのように姿を歪めたかと思えば、そのまま崩落して膨大な土石流となって街のひと区画を飲み込んだ。 加えられた力があまりにも強大だった。 自然を制圧するなんてものは支配者が自己陶酔の果てに語る戯言か思考ゲームの中にしか存在しないはずなのに、それを極めて単純な力だけで実現している。 然貘が僅かに体重を乗せて足を押し付けたことで、押し付けられた山は抉れ、流崩し、それでも圧力は止まることなく大地を抉り始めると、山が存在した場所は瞬時に谷となり、隆起した大地が新たな山となってしまう。 が、次の瞬間には押し付けられたブーツが左右に揺れ動き、全長22キロメートルになるその巨躯に相応しい質量で出来たばかりの山を薙ぎ払って消し去った。 そして、そこには何も残らない、不恰好な更地が出来上がるのだ。 「ほら、簡単だったでしょう?」 自然が消え去り景気が作り変えられるのを目の当たりにした人々。 山であったはずの莫大な土砂が流入したことによる被害はあまりにも甚大で、それだけで7つに分けられた街の区画のうち2つが完全に消滅し、更にそれらを作る過程で生じた凄まじい地揺と暴風によって隣接する区画3つは壊滅的な損害を被り、もはや直近に建てられた大型のコンクリート建造物が数棟残るのみとなり、そのほかに存在していた数百の木像建築物はまるで砂であったかのように掻き消えた。 残った建物であっても窓ガラスは1枚たりとも残っておらず、外壁には数え切れないほどのヒビが走り、中に逃れていた人間たちはその数を半分以下まで減らしてしまっているのだ。 この街の歴史上で経験のない、いや、想定すらしていない被害状況。 仮に現代軍隊が通常兵器を投入しての殲滅戦を図っても、これだけの被害をもたらすには数時間を要することだろう。 それをほんの数秒、それも片足のつま先だけで遊び半分にやってしまうのが執行官。 人々の胸中にあるのはもはや恐怖のみであり、数秒前との比較で三分の一まで数を減らした彼らはそこでようやく、この街にあったのは妄想の安心感であって、安全などではなかったことを学んだのであった。 「こっちの方が好みかしら?」 今しがた山を文字通りに踏み潰した然貘は、今度はその爪先を地面に押し当てると、まるで小学生が学校の校庭でそうするように線を引き始める。 当然ながら慣れているはずもなく、震えが混じることで線はガタガタで不恰好であり、最終的に描かれた円も決して綺麗とは呼べないものだ。 だが、それでも直径が10キロメートルになる巨大な円形は、深さ1,000メートル、幅600メートルを越える世界最大級の谷となって生み出され、山間部の街を完全に陸の孤島にしてしまう。 人間はみずからの力だけではその底面に降りることすら叶わず、この街の人々が外界と触れ合うためには航空機が必須になってしまったのだ。 「これなら外敵に攻められても平気よね。山なんかよりずっと堅牢なはず。……さて、新しい防衛手段を用意してあげたわけだし、せっかくだから実地試験まで手伝ってあげる」 然貘は苦笑を堪えながらその場にしゃがみ込むと元々薄手のストッキングが引き伸ばされ、その奥に隠れた色白肌の脚が強調されてしまう。 だが、人々の視線が集まるのタイトスカートの奥に隠れたそれらではなく、自分たちの頭上で不気味に蠢く肌色の巨竜たち。 その背後に手のひらと無表情の女の顔がなければ、それが手の指だなんて信じることすら出来そうにない。 一本一本が数千メートルにもなるそれらは地上に満足な比較対象が存在せず、持ち主の女が動かすたびに姿を変えること景色として認識することも叶わない。 だが、それらが動きを止めて、人差し指と中指だけを街の外に突き立て、残りの指を畳んだことでようやく脳が全体像の理解を始めたのだ。 「無事でいられるといいわね。……ほら、侵攻が始まるわよ」 二本の指が交互に動き出す。 まるで歩いているかのようなそれは、然貘が思いついた単なる悪ふざけ。 子供騙しどころか幼児騙しにもならない手型人形遊びであったが、それでも全長7,000メートルを越える指は想像を絶する速さで突き進む。 もし仮に1万倍サイズの巨人がいたならその手形人形とちょうど同じサイズであり、当然のようにそれは然貘が先ほど作った谷を易々と跨ぎ越して街内部に侵入してしまうのだ。 幅600メートル程度の障害など存在しないに等しい。 「あらあら、敵に侵入されてしまったのね。あなた達は次に何が起きるか分かるかしら?」 問いかけのような 体裁を取りつつも、然貘が彼らの返事を待つことはない。 そもそも相対的に細菌のような生き物がどれだけ声を張り上げたところで、然貘の耳にそれが届くはずもないのだから。 街に侵入した二本指はその場で楽しげに踊り出す。 タタン、タタン、とステップを踏みながら交互に住宅地を蹴散らし、地面を滑ってそこに存在したオフィス街を消し去り、2本がピタリと寄り添ってジャンプしたかと思えば郊外に残っていた工場地帯に落下して消し飛ばす。 指2本を踊らせることで生まれる破壊力はあまりにも絶対的で、その直下に存在するあらゆるものにそのまま存在し続けることを許さない。 押し潰し、粉砕し、擦り潰して、この世界から排除するのだ。 それが例え雑草であろうと人間であろうと、目に見えない生命を終わらせることには何の変わりもない。 然貘の指先は10秒に満たない短時間で街一つの殲滅を終えてしまうのだった。 「こうなってしまうのよ。覚えておきなさい」 もはや誰一人として生き残ったもののないデコボコの更地にそう言い残した然貘は、遊ばせていた指2本を擦り合わせて砂と瓦礫を落とすと、最後にフッと息を吹き替えて指を綺麗にしてから再び立ち上がる。 然貘が相手にしなければならないのは国家。 まだまだ制裁対象にすべきものは多数存在しており、それらに対して然貘はその役割を果たさなければならないのだ。 *** 短距離弾道ミサイルの飽和攻撃による侵入直前での撃滅という青写真が消え去ったことによって、帝国領内は急激にその混迷を深めていた。 国外脱出を求めた人々は一斉に空港と港湾施設に押し寄せ、もはや考えるまでもなくその離脱が叶わないことをその光景だけで理解する。 飛行機に乗れるかどうか以前の問題として、そもそも空港の敷地に入ることすらできないのだ。 帝国領内の臣民はおよそ1億5千万人。 それに対して国外に向けた便を出している国際空港は三つしかなく、その全ての滑走を最大限に稼働させたところで押し寄せた数百万人に対応することは叶わない。 苛立ちの怒号が渦巻く中に諦めのため息と啜り泣く声が混じり始めたころ、空港ロービーに置かれたモニターを見上げた人々が急にどよめき始める。 モニターに映し出されているのは、国内全域の上空を飛行する旅客機の飛行状況であり、地図の上に黄色の機体マークが無数に蠢く。 空港が残りどれだけで次の便が来るかを視覚的に伝えるために設置したものであったが、人々が見守る中で次々に黄色のマークが消えていくのだ。 衛星を中継してリアルタイムで位置を知らせるそれが消滅する光景に、人々は何が起きているかを察して咽び泣き始めるばかり。 なぜなら、マークが消えるのが明らかに一筆書きをする線の延長にあるもので、誰もが次にどのマークが消えるか分かってしまうのだ。 「これ便利じゃない」 スマホを手に持ちながらいつもと変わらない足取りで散策する然貘は、その足元で数十の街とその何倍もの数の町村をブーツの足跡に作り変えていたが、彼女はさしてそれを気にすることはない。 然貘が視線を落としているのは、先ほど空港で人々を絶望させたのと同じ光景。 飛行機のフライト航路を示すアプリ自体は一般にも当然のように公開されており、思いつき半分に入れてみただけ。 あまりにも小さな飛行機、それも飛行している機体を見つけるのはあまりにも手間であったが、その手間がずいぶんと解消されることになった。 みずかのスマホの位置情報と照らしつつ飛行機マークを目指して歩いていれば、マークの付近を通り過ぎたことで撃墜できてしまうのだ。 旅客機の飛行高度を考えれば衝突したのはおそらくブーツだろうが、大半の機体は衝突するまでもなく彼女の巨足が巻き起こす暴風によって粉々にされてしまう。 然貘が領土内を縦横無尽に歩き回ったことによる被害はあまりにも深刻なもので、その一歩が踏み出されるごとに1ダースの核攻撃を受けたに等しい損害が生み出されてしまう。 彼女が歩き回って全てのマークを消し終わるのに要した時間は数分であったが、その数分間で人口の3割程度をその靴底のもとで消し去ったのだ。 「……あら?」 全て消し去ったはずのマークがまた一つポツンと画面に浮かぶ。 見落としていたわけではない以上、それはまさにいま飛行したということなのだろう。 そしてそれは意外なほどに近い場所に存在しており、然貘は上半身を軽く背面に向けて捻ることで、一つの都市とその郊外に建設されている空港を視界に捉えた。 「ふふっ。ちょうど良い位置にあるじゃない」 然貘はなんら躊躇うことなくその長い脚を折り畳むようにして身体をしゃがみ込ませると、タイトスカートが臀部の曲線をより強調したかと思えば、更にキュッと尻に押し付けられることで下着の柄が僅かに浮かび上がる。 それほど大きなものではない小ぶりな尻。 だがそれは、持ち主の体躯にとっての適正評価に過ぎず、真下から見上げる人々にとってはもはや小惑星にしか思えないほどの超巨体。 770万人が暮らす大都市には数百の超高層ビルと数千の高層ビル、そして数万の雑居ビルと数十万を超える住宅街、それに匹敵する集合住宅がある。 常日頃からあまりの人口密度によって人々が息苦しさを覚えながら暮らすその空間は、10万倍の巨体を持て余す女にとっては座布団にするのにちょうど良いサイズ。 もっとも、それは面積だけの話であって、彼女の柔尻を受け止めるようなクッション性があるはずもない。 数百万の人々が殺さないでくれと泣き叫ぶ光景を妄想すると、思わず口元にニヤケ笑みが浮かびそうになるが、その薄い唇に力を入れてなんとか平静を保ちつつ、そのお尻をそっと地面に下ろすのだ。 「……何も感じなかったわね」 お尻にだいぶ意識を向けていた然貘だったが、残念ながら大都市を構成していたあらゆる人工物はその全てを消費しても、スカートと下着の厚みを貫通して刺激を伝えることが叶わなかったらしい。 然貘はそのまま重心を安定させるためにモゾモゾと身体を動かすが、それだけで大地には途方もない運動エネルギーが伝わって周囲の地殻を破壊し、小さな街程度なら一瞬で飲み込んでしまうだけの地滑りを引き起こす。 そして、もっともその恐怖を味わうことになったが空港に殺到した人々たち。 彼らは突如として生み出された天井、彼女のストッキング脚が生み出す巨大なアーチの下で辛うじて生存していたのだ。 自分たちが暮らしていた場所、そうでなくてもこの国の国民であれば誰もが知るはずの大都市が一瞬にして殲滅する様子を前の前で見せつけられ、更にはそこを震源に大陸すら破壊できると思わせるだけの凄まじい揺れが広がる。 ターミナルビルは設計上の耐震強度を軽々と超えるその揺れに耐えることができず、ガラス張りの大窓が砕け散ったのとほぼ同時に崩壊し、十数本が入り乱れる滑走路も彼女の尻から伸びてきたひび割れが全てを貫くようにして崖を作り出したことで、誰の目にももはや復旧は不能だと理解させ、運悪く離陸しようとしていた機体はその崖に飲み込まれて地中に消え去った。 一瞬にして全てが変わり果ててしまった。 生き残った人々の視界に映る光景は瓦礫の山とときおり生じる爆発。 空港地下に貯蔵されていた航空燃料が漏れ出して引火し爆発しているだろうその光景は、彼らが内心に抱いた絶望をそのまま街並みとして再現したかのよう。 これは無理だ。 逆らうことはもちろん、やり過ごすことすらできない。 彼女が派遣されると決まった時点で国を捨てて逃げ出さなければならなかったことを今更になって思い知り、人々はその場に崩れて声にならない声で呻くのだ。 「見逃すつもりないわよ」 彼らの頭上に降り注いだそれは言葉が違うだけの死刑宣告。 それと同時に今さっき誕生したばかりの天空巨橋がその高度を下げていく。 勢いよく座り込んだらお尻が痛いからという理由だけで、彼女がしゃがみ込んでから座ったことで、体育座りのような姿勢が生み出した黒ストッキングのアーチ。 飛行機ではそのアーチの上を飛ぶことができないが、それでも潜ることはなんの問題もなくできてしまうという途方もない存在であったが、それも正体は人体の一部に過ぎないものである。 当然、その持ち主がやろうとするならアーチがそれを拒否するはずもない。 徐々に崩れてアーチの形状を失いながら、徐々に直線に近くなっていく脚。 然貘が畳んでいたそれを伸ばしているだけのことであるが、それによって薄いながらもしっかりと柔らかさを主張する太ももがもはや荒野と見紛うばかりの国際空港に向けて落下する。 圧倒的なスケール。この空港の面積が例えいまの十倍あっても余裕で粉砕するだろうとイメージできてしまうそれは、人々に対してあまりにも無慈悲。 大きく手を振りながらやめてくれと泣き叫ぼうと、跪いて喉が裂けるまで命乞いをしていようと、あまりの恐怖に耐えきれずその場でしゃがみ込んでいようと、それら全ての人間を平等にその周囲の地形ごと押し潰してこの世界から消し去った。 薄いストッキング越しに大地の冷たさを感じた然貘はわずかにビクッと身体を震わせたが、それもほんの一瞬だけのことですぐに慣れてしまうのだった。 *** ロッカヴェルデ帝国において海に面している都市は一つだけ。 古から陸路での貿易が盛んであったが、ここ数十年にかけては大量の燃料と食料を輸入することになったが故にこの海洋都市は急速に発展を遂げ、今では海軍基地と燃料コンビナート、更には観光目的に開発された客船用船着場とその周囲にホテルが立ち並ぶという極めて異質な環境を生み出している。 現代の発展ぶりを見れば、半世紀前まで50万人程度が暮らす中規模な街だったなんて誰も思わないだろう。 中心部に立ち並ぶオフィスビル群は競い合うかのようにその高さを伸ばし続けたことで、最大のものでは300メートルを超えるまでの超高層ビルが生み出され、その周囲に立ち並ぶ百数十メートル規模の高層ビルをちっぽけな存在に見せてしまう。 人口470万人に達した文句のない大都市であるが、そこに暮らす人々はそれらの生活を投げ捨てて港を目指す。 空に安全はない。 飛行機が文字通りブーツによって蹴散らされ、更には飛び立った次の瞬間には大都市をおまけの道連れとして叩き潰されてしまうのだから。 そして彼らは当然の帰結だと言わんばかりに港を使って海路での離脱を試みる。 「あら、待たせちゃったかしら?」 凄まじい地響きと共にそんな声が天から自分たちへ向けて降り掛かってきた。 先ほど大都市を敷潰した然貘は、その場でクルリと身を反転させると、その先に広がる海洋都市と正面から対峙するのだ。 海に面した港と内陸の都市に隣接した空港は客を奪い合うような関係にならないだけの十分な距離が存在していたが、身長157キロメートルの女性にとってそれは歩く必要すらない程度のものに過ぎない。 然貘はその小柄な身体を丸めるようにして足を手元に引き寄せると、ブーツの側面に手を触れてジッパーを引き下げる。珍しさなんてかけらも無いジッパーの開く音がして、直後に足をブーツからスポッと引き抜く。 体温によって生じた蒸れがストッキングをその素肌に吸着させ、艶かしさを増した足。熱を持っていたそれが空気に触れることで急速に冷えていくのが心地よく、然貘はもう一方の足にもその開放感を与えるために急ぎで脱いでしまうのだ。 「ねぇ、よかったら私の靴置き場にしてあげ……。ふふっ、ダメね、それをしたら終わってしまうもの」 左右のブーツの履き口をまとめて摘み上げた然貘がそれを都市に向けて翳したことで、一応は大都市に分類されるはずのそれが左右のブーツを揃えておいたら消滅してしまうことに気が付いた。 もちろん、丁寧にそっと置くのであればヒールが隙間を生み出すことになるため、その一部分だけは直撃を免れることになるが、おそらくは周囲からの衝撃波が地上に存在するもの全てを薙ぎ払うことでやっぱり全滅するだろう。 考えると馬鹿馬鹿しさでため息が出てしまいそうだ。 然貘は摘んでいたブーツを丁寧に脇に避けて置くと、改めて眼前に広がる灰色の水溜りのようなものを見下ろすのだ。 「そういえば海軍を持っているはずよね? どうせ私と戦わせるために集結しているんでしょう? ……ほら、国民が虐殺されそうになっているわ。助けてあげなさいよ」 然貘は都市の郊外に広がる住宅街を数千棟まとめてその踵で叩き潰し、直後にそこから伸びる足裏を都市に対して見せつけるかのように押し倒していく。 まるで縦置きしていた本が倒れるかのよう。 だが、実際に倒れ込んでいるのは全長22,000メートルという途方もない面積とそれに相応しい質量を有するもので、その効果予想範囲には都市の中心部がすっぽりと収まってしまうのだ。 然貘がペタンとそれを押し付けた瞬間に推定される死傷者数は200万を優に超え、損失額は小さな国家が破綻するほどになるだろうか。 そんな試算がされてしまうと、先ほど彼女自身が使った虐殺なんて言葉がまだ良心的であるように思えてしまう。 「どうしたの? 早くしなさい。……ああ、もう少し犠牲者がいないとやる気になれないわけね」 然貘はそう決めつけると、踵を右に捻るようにして中心部に向けて翳していた足裏を移動させ、更にはその足の指をギュッと握り込むと、突き出す形になった足の親指だけを使って地面をチョンと叩く。 たったそれだけのことで、仮にそれを水面にしたところで生じる波紋はすぐに消えるだろう優しい一撃であったが、その直撃を受けたリゾートエリアは跡形も残ることなく消し去られてしまうのだ。 数十棟のホテルがひしめいていた一画には、運悪く執行官による制裁に遭遇した観光客たち、正確には執行官の派遣決定を受けて生じた大規模なキャンセルによって生じた前代未聞の格安料金に目が眩んでやってきた愚か者たちが少なくても1万人以上、そして彼らを収入源とする現地の商売人たちが数千人。 小さな町に匹敵するだけの人数が存在したその区画は間違いなく午前中までは賑わいを見せていたが、それら全てが親指でチョンと触れられたことで消滅したのだ。 「どうかしら? ……ふふっ、それでいいの。頑張りなさい」 地上から噴き上がった膨大な量の火力投射が一筋の線となって彼女の足を照らす。 然貘が指摘した通り、万が一の場面に備えて基地に集結していた艦隊は総数40隻からなる大艦隊であり、その中には基地に収容しきれず湾内に展開している船まであるような始末。 比喩ではなく海軍の全戦力であり、戦略核ミサイル部隊を除いた純粋な通常戦力部隊としてこれ以上の規模の集団はこの国にはない。 主力となる最新鋭の戦艦が装備するのは51センチ口径の巨大火砲であり、それらを3門まとめた砲塔が前後に2つずつ存在する。 特注で作られた砲弾が生み出す破壊力は絶大であり、もし仮にこの戦艦が湾内から都市を砲撃するようなことができれば、理論上は単艦で大都市を殲滅することすら可能とされている。 その戦艦に及ばずとも周囲にはやはり大型の戦艦が存在し、巡洋艦と駆逐艦は搭載する砲が射程外になるのか、主な攻撃方法は艦対空ミサイルによるものだ。 それらの総力が注ぎ込まれた先にあるのが然貘の右足、その薬指の付近だった。 特別にそこが弱点になるわけでもないが、彼らの攻撃が到達可能な範囲内に存在しているが故に集弾したに過ぎないもの。 そして、そこに攻撃を集中し続けることができたのは、ひとえに然貘が我慢強く動かないでいてあげたからに他ならない。 だが、そのまま10秒が経過しても状況はなにも変わることがなく、30秒が経過してもそれは同じ。 そして1分が経過したときにようやく、然貘のため息という形で変化が訪れた。 「飽きたからもういいわ。ご苦労様」 吐き捨てるような言葉とともに、都市上空に存在していたストッキング足が動き出し、瞬く間にその場から離脱してしまう。 その動きはあまりにも早いもので、ミサイルが自動追尾しているのに追い付けないなどという奇妙なことが起きるほど。 そして、先ほどまで足があった空間を砲弾の雨が虚しく擦り抜けた直後、ドンっ、という大地を突き上げるような衝撃と共に都市の左右に壁が聳え立つ。 大艦隊による総攻撃を一身に受け止めながらもほつれの1つすら生まれなかったストッキング足は、その左右の足がそれぞれアウトソールを地面につけた状態で都市の東西を塞ぐように横たわっている。 「ふふっ、この姿勢は少し下品よね。……別に股の中を覗いても怒らないわよ。最期のときくらい本能に従って好きにしたらいいじゃない。ま、触れないけど」 脚を大きく開いたことでタイトスカートの裾がギチギチと悲鳴をあげているが、特に思い入れがあるようなものではなく破けたら破けたで問題ではない。 然貘はあぐらをかきながら大都市をその足で囲い込むと、徐々にその範囲を物理的に狭めてしまうのだ。 ゆっくりとした動き。しかしそれでも、都市に存在するあらゆる移動手段を凌駕する圧倒的な速度で大地を抉る両足は、頑強な地殻を割り砕いて掬い上げたのか、街全体を地底から持ち上げるかのように侵攻するのだ。 隆起した大地の津波は一瞬ごとにその高さを数百メートルずつ増していき、都市の半分を飲み込んだ時点ではその高さは10,000メートルを超えるまでに成長した。 この世界に存在する最大の山はその標高9,200メートルであり、それを超えるだけのものをこうも簡単に作り出すことができてしまう。 そして、足裏がかき集めた膨大な土砂はそのまま容赦無く突き進み、都市の中心部に聳えていた超高層ビル群をまるで存在していないかのようにあっさりと全滅させ、そのまま左右の足は都市だった更地で合流を果たすと、それぞれが持ち寄ってきた大量の土と都市の瓦礫をすりすりと擦り合わせ、そして次の瞬間には海に向けてグイッと押し出した。 一瞬にして湾の埋め立てが完了し、未だに健気な抵抗を続けていた海軍艦隊を戦艦からボートに至るまで全て土砂に埋め尽くす。 その上から何度かポンポンと叩いて固めることで、大都市は痕跡一つ残すことなくこの世界から消え去るのだった。 *** 帝都カストロヴィア。 現在この土地を支配するのはロッカヴェルデ帝国であるが、この帝都だけを切り取ればその歴史は数万年前まで遡ることができる。 それだけの年月があれば幾度もその支配者を変えてきたが、いつの時代にどんな支配者があっても都に選ぶのはこの土地であった。 豊富な土壌によって作物がよく育ち、源流の異なる複数の川が流れることで水源も十分、気候も穏やかで申し分ない。また、都の全体が小高い丘になっているのとその周囲が平原であるという地形から軍事侵略が極めて難しい。 特別なこだわりが無い限りはこの土地を都とすることは最適解に近く、故に長い年月をかけて多くの人々がここに集って生活を送ってきた。 総人口3,145万人。 帝国領内にもいくつも大都市と呼ばれるものはあったがこれは別格であり、規模であれば国家として独立していても何ら不思議ではなく、経済力の面に関しても同様に国家に等しいものだ。 皇帝とその一族が居を構えることから、帝都に備えられた軍事力も並外れており、戦術核ミサイル師団が3個、陸軍機甲師団が4個、歩兵師団が10個、さらに空軍は南北2つの基地に合わせて戦闘機450機を保有する。 もはや帝都に存在する戦力を開示するだけでも、あらゆる国家の侵略意思を挫いて平和をもたらせるような兵力であり、さらには海軍が加わることでそれは盤石となる。 だからこそ国際共同連という組織からの離脱と独立を選択することができたのだ。 だが、誤算だった。 国際治安委員会モフティロス。 その執行官という人智の及ばない存在がどれだけ強大であるかをまるで理解していなかったのだ。 国民に生じた被害はあまりにも甚大でその正確な集計は困難を極めており、信じ難いことに、衛星写真を通じて元々の街や都市の面積と、現時点で無事に残っている面積を比較して、面積によって生存者の割合を算定するという方法が真面目に行われる始末なのだ。 そして、その算定によれば、既に帝国領内の人口はその7割超が消え去っている。 然貘と名乗った一人の女は、この十数分の時間で1億人以上の市民を殺害したことになり、生き残っているのはこの帝都に住まう者たちだけ。 あまりにも非現実的な報告に誰もが絶句することになったが、複数の人工衛星が同じデータを提供し、複数の分析官が同じ結論を導き出した以上、信じるほかない。 然貘の視線が帝都に向けられたことに気付いたとき、ようやく皇帝からの核兵器使用の許可がなされ、速やかに弾道弾を発射したのがついさっきのこと。 ミサイルは極超音速で飛翔して一度宇宙空間にまで達すると、そこから遥か彼方に存在する目標である女に向けて一直線に突き進む。 そして当初の狙い通り、彼女の弱点となる可能性が高い顔の正面で起爆して核分裂反応を引き起こし、数千度の超高熱とあらゆる生物を即死させる莫大な放射線をその端正な顔に叩き付けるのだ 「ふふっ、目眩しならもう少し持続時間を長くした方がいいんじゃないかしら」 そして、彼女からそんな評価をもらうのだ。 帝国が保有するあらゆる兵器の中で最も強力であり、あらゆるものを破壊し尽くす悪魔の兵器であるはずのそれが、相手を絶命させるどころか怪我をさせることもできず、何とか引き起こした反応が目のまばたきだけ。 誰もが薄々と気付いておりながら、それでも微かな期待を寄せていた戦略核兵器は、残念ながら然貘に対してその程度の価値しか発揮しないのだ。 その数瞬後に戦略各ミサイルの第二弾が同じく飛来して、今度は彼女の着ている白ワイシャツの胸元から衣服内部に入り込み、心臓の目の前で同じく炸裂する。 ――だが、今回はまぶしさすらない。 然貘は2度目の核攻撃に対しては何も言わず、小さく苦笑してそれを見なかったことにしてしまうのだ。 「さて、あなた達はどうしてあげようかしら」 157,000メートルの超巨体が歩き出す。 帝都までの距離は百数十キロメートルほどあったはずだが、然貘にしてみれば僅か2歩の距離でしかない。 道中、街らしい灰色の点を見つけたのでそれを踏み付けるために1歩を多く要したが、だからといって到着時間が変わるようなものではない。 ついで感覚で10万人以上を虐殺した然貘は、帝都の手前で足を止めてその領域を一瞥するのだ。 長細い楕円形をしたその超大都市に目を凝らしていけば、大半を占める灰色の粒一つ一つが何かしらの建物であることが何となく分かる。 だが、その違いまでを見極めることは非常に難しい。 辛うじて識別できたのは、四角ではない丸っこい粒と、オレンジ色をした糸。どちらも周囲と違う特徴によって目立っていたから。 それぞれが、5万人を収容できる超巨大スタジアムと、全長400メートルを超える電波塔であるのだが、一度でも視線を外したらまた探すのが面倒に思えるほどに小さい。 「ふふっ、そうよね。何か面白そうなもの、なんて考えるのがバカだったわ。砂粒の形状を見分けられるわけないわよね」 自虐混じりに呟く然貘はその巨体でしゃがみ込み、続けて両方の膝を地面に付けて、さらには両手までもを地面に下ろす。 四つん這いの姿勢となってもなおその目線は遥か上空に存在し、やはり地上に存在するものを識別するに至るものではない。 然貘は四つん這いで軽く位置取りを整えると、3,000万を超える人間達をその生活空間ごと身体の真下に捉えてしまうのだった。 身体に対して平均的なサイズでしかないおっぱいも、重力の影響を受けることで本来の形を取り戻し、人々の視界を埋め尽くする自然背景と化すのだ。 「さて、ではあなた達の最期を全身で堪能させても……」 その瞬間、然貘のスマホが強いバイブレーションで通知を知らせる。 スマホを取り出してその画面に視線を向けてみれば、新着通知のお知らせに『制裁行動の中止:国際共同連への再加盟が決定』という一文が見えていた。 ロッカヴェルデ帝国の皇帝がまさに自分の身に危機が、それも核兵器ですら排除できない圧倒的な危機が迫ったことを理解したことでなした再加盟手続き。 それは制裁を加える理由が消滅したことを意味するものだ。 しばし逡巡した然貘であったが、今日初めて明確に意地悪な笑みを浮かべると、スマホの新着通知欄をスワイプしてそれを削除してしまう。 「ほら情報伝達の不備はよくあることでしょう? ……んっ、ふふ、ふふふ。くふっ」 その身体の下に捕らえている3,000万人が絶望しているのが手に取るように分かる。 追い討ちと言わんばかりに見せつけるようにスマホの電源を切り、そして更にはポイっと背後に向けて放り投げてしまう。 これだけの体格差で言葉を交わす手段はなく、然貘による制裁を止めるには、唯一の連絡手段であるスマホを通じてコンタクトをする他ない。 制度や規則、論理や倫理が語られる以前の問題として、手段が物理的にそれしか存在していないのだ。 だが、その手段はこうして失われてしまった。いや、破棄されてしまったと言った方がいいのだろう。 もう助からない。相手に助けるつもりがないのだ。 だからこそ、人々は狂ったように喚きながら逃げ惑い、まだ戦力を有していた軍隊は誰かの命令を受けることもなく頭上を覆う女体に向けて砲撃を行い、空軍基地では明らかに破損して使用できない滑走路に戦闘機が向かい始める。 「それじゃあ、再開させてもらうわね」 然貘がコンパクトに閉じていた両手脚をそれぞれ外側に向けて伸ばすことで、その超巨体の胴体部がゆっくりと降下するのだ。 大地と身体の間が縮まるたびに圧縮された空気が地表を薙ぎ払って、それだけでも数十万の建物を消し飛ばし、数百万の命を散らしていく。 最初に地表に触れたおっぱいは当然と言わんばかりにむにゅっと広がり、一般的な大都市であれば丸ごと消滅しているだろう超広範囲を丸型に押し潰す。 建物を粉砕する感触なんて伝わるはずもないのに、それでも然貘の口から艶っぽい吐息が溢れてしまうのは、自分が何をしているのかを正確に理解している証拠。 おっぱいが叩き付けられただけでも帝都は壊滅的な損害を受けたというのに、その直後にフニフニのお腹が追い討ちをかける。 再び数百万の建物が粉々に粉砕され、帝都の生存者数は一瞬にして桁が一つ減ってしまう。 更にはその衝撃が大地に伝播したことで、帝都全域に想定すらしたことない凄まじい地揺れが襲い掛かり、まるで地底から爆破されたかのように地表のものを吹き飛ばすのだ。 「んふっ♪」 身体中で感じる圧倒的な蹂躙。 その爽快感も優越感も、普通の人間が経験することは絶対にあり得ない凄まじい快楽刺激だ。 それに合わせてビクビクと身震いが止まらないことにすら背徳感が湧き上がって胸が熱くなってくるのだ。 もはや帝国が消滅したというのに、それでも執拗なまでにその巨体を大地に擦り付けるのは当人が無意識下にやってしまっていること。 その度に可愛らしく甘ったるい声を漏らしているのもの当然に無意識。 そんな状態が数分も続いてようやく脳が刺激に満足したのか、深く大きな息を吐きながらその場でゴロンと仰向けになる然貘。 「…………。………私、これは仕事じゃない方が楽しめるかも」 口にしてみた瞬間、その思い付きは確信に変わってしまう。 制裁。 完全なる執行官の裁量とされるそれは、口頭注意で済ませることもよし、こうして国家ごと殲滅するもよし、とされる絶対的な権力だ。 これまで然貘はそれ満足して仕事としてこれをこなしてきたが、別に仕事でないとできないわけではない。 「ふっ、ふふっ、ふふふふふ」 自分の思考があまりにも邪悪で理不尽なものであることを理解した然貘は笑いが込み上げてきてとまらない。 なぜこれまで自分は仕事にすることだけを考えていたのか今となってはもう理解できないほどに、スッと心に落ちてきてしまった答えだ。 たった一人の女性を相手に、世界中が震え上がることになるのは、それからほんの数日後の出来事であった。 〈終わり〉


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