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正義のヒロインと厄介なファン 1/2

靴底から伝わる気色悪い感触に思わず眉を顰めてしまう。 いつものことではあるが、この不気味な感覚に慣れることはできそうにない。 今しがた足元に存在した生き物を踏み潰した右足をそっと持ち上げてみれば、黒いローファーが生み出した足跡の中に緑色の液体に塗れた肉塊が一つ。 一瞬前までの姿などその面影すら残っていないというのに、それでもピクピクと痙攣するのは、まるで自分が絶命したことに気付いていなかったかのよう。 災禍巨獣 半年ほど前に初めてその姿が観測された際には、地方都市一つが壊滅し人口の半数を超える数万人の犠牲者を生み出した。 軍隊による総力戦を展開して辛うじて撃破に成功したものの、当時は自国領内での核使用という通常では検討対象にもならない非常識な議論が真面目にされたほど。 それ以降、災禍巨獣は全国各地に頻繁に出現するようになり、この半年間でその犠牲者数はついに百万を超え、度重なる出撃によって軍隊の弾薬が枯渇するという前代未聞な事態にまで発展したのだ。 「念のためこうしておきましょうか」 キーラは今しがた踏み潰し、単なる肉片と化していたそれに踵を振り下ろす。 全長40メートルの巨大な生物だったはずの肉片は、少女の一撃で粉々に粉砕され、そのまま四方八方へと飛び散ってしまう。 地面に叩き付けられた踵から爪先まで伸びる靴底は全長250メートルに達しており、巨大であるはずの生物を相対的に小さな存在だと思わせてしまう。 身長1,700メートル。 巨大な靴の持ち主であるキーラは授業中であったがゆえの制服姿で街の郊外に佇み、災禍巨獣の街への侵入を阻止したのであった。 「これで安心ね。……街の皆さん、退治はして差し上げましたけど、片付けくらいはご自身でなさってください」 白銀の長髪をスッと掻き上げながらキーラは背後に存在する街へと語り掛ける。 人口100万人を少し超える規模の地方都市では、災禍巨獣の出現と接近の知らせを受けて緊急避難が行われていた最中。 キーラが人間の1,000倍という超巨体で出現してから災禍巨獣を駆除するのに要した時間は僅か数秒のことであり、人々の間にはまだ脅威が過ぎ去ったことに気付いていないものも多い。 だが、それでも災禍巨獣の対策として提供された避難誘導アプリに映し出された人工衛星からの映像によって、少女が街を救ったことは瞬く間に広がっていく。 これで6度目。 この街に暮らす人々をキーラが守った回数であり、その存在は街の誰もが知るところとなった。 最初こそ災禍巨獣すら虫ケラのように踏み潰す少女の出現は恐怖でしかなかったが、こうして幾度も危機を救われ、更には同じ言葉を話すことができると知ってからは評価が一変。 呼び方こそ多様ではあったが、多くの人は彼女のことを守護女神や正義のヒロインと呼ぶのだった。 「さてーー」 災禍巨獣の駆除は終わった。 だが、キーラはしばらくこの変身を解くことなくその場に留まり、街に向けて微笑みかけてみたり、小さく手を振ってみたりする。 こうしていると、直接は見えないものの多くの人々が自分にカメラを向けるのが手に取るように分かるのだ。 避難誘導のためにと国土の上空に常に滞空しているだろう人工衛星に向けても目線を送ってあげ、ニュース映像に使うための素材を存分に提供してあげた。 本当ならポーズも取りたいところだが、1,700メートルの巨体で迂闊に動くようなことがあれば、それだけで被害をもたらしかねない。 この街に存在する最も巨大な超高層ビルでさえその高さは300メートル弱であり、キーラの膝にも届かないような小さな存在なのだから。 「……ふふっ。また世界でトレンド1位」 キーラが制服のジャケットからスッと取り出したスマホ。 掛け持ちしているSNSとニュースサイトをサッと見渡してみても、そこに載っているのは自分の名前と写真ばかりだ。 人工衛星から撮影したらしい見下ろし構図、街の人々が撮影したらしい見上げ構図、顔を正面から捉えているのは偵察用戦闘機によるものだろうか。 真っ白な素肌と翡翠の瞳、彼女の第一印象を尋ねれば誰もがクールだと答えるだろう美顔は、どの角度でも映える写り方をするのだ。 厄災巨獣という人類にとって最大の脅威をこうも容易く葬ってくれる美少女の存在は、世界中の話題を攫うのに十分過ぎるものであった。 「何せ無償で人々をお守りしているんですもの。このくらいの役得はあって当然です」 そうした反応を楽しんだキーラがスマホの通知をオンに切り替えた瞬間、スマホが壊れたのではないかと疑うほどのバイブレーションが始まる。 ポップな通知音も止まるところを知らず、画面上に浮かぶ通知内容のウィンドウはもはや人間の視力では追い切れないほど。 普段から使うプライベート用のものとは別に、こうした巨獣退治を通じた正義の巨人としてのアカウントを開設したのはつい先週のことだが、フォロワーの数はすでに百万を超えて今も増え続けている。 18歳の少女は、これによって承認欲求が急激に満たされていく多幸感に浸る。 思わず艶っぽいため息をこぼしてしまうほどに。 「ふっ、んふっ。……あら?」 ニヤニヤとスマホの画面を眺めていたキーラであったが、ふとその指が止まる。 目に付いた投稿の一つにあるのは2体目の災禍巨獣が街の内部に侵入しているというものであり、住宅街を薙ぎ払いながら歩き回る巨獣の姿が短い動画に収められていた。 キーラが驚いて街の全体を見渡すと、確かに彼女がいるのとは正反対の位置から街の内部に向けて真っ直ぐ伸びる一本の線が残っており、その先には先ほど踏み潰したのと同じ巨獣の姿があった。 「あー」 思わず頬をかくキーラ。 完全に見落としてしまっていた2匹目にとりあえず近寄るため街の外周を歩く彼女。 その足元では、一歩ごとに全長250メートル、幅90メートルの巨大な足跡が刻み込まれていく。 6,500万トンの質量によって歪められた大地は無惨には数十メートルに渡って沈み込み、そこに存在していたあらゆるものを消滅させる。 街への影響を気にしてゆっくりと歩いているものの、それでも彼女が一歩を踏み出すたびに街は大きな揺れに見舞われ、人々は悲鳴をあげて身を縮こめるばかり。 ぐるっと街の外周を回り込んでみたキーラがその場でしゃがみ込むと短いスカートが太ももによって捲り上げられ、見られてもいい、むしろ見せるために履いている白無地のショーツが堂々と露出した。 そのまま手を伸ばしてみるものの、既に住宅街を蹂躙しつつ内部まで侵攻していた災禍巨獣に届くことはない。それどころか、全長200メートル弱にもなる巨大な手のひらが接近してきた事に驚いた巨獣がその速度を上げてしまう始末。 キーラの端正な顔立ちにそっと焦りが浮かび上がる。 「街の中に踏み入ってしまえばどうにでもできるのですが……」 片足を踏み入れることができれば、それを軸にしてもう一方の足で災禍巨獣を踏み潰すことができる。 だが、どれだけ場所を選んで、最新の注意を払ったところで、キーラのローファーが犠牲者を生み出すことは避けられない。 運が良ければ数十人、万が一にも人口密集地帯を踏んでしまったら数百から千を超えるだけの人間を瞬時に粉砕してしまうのだ。 そんなことになれば、どう考えても直後のニュースの見出しにあるのは、自分が引き起こした惨事に対する非難の声になるのは確実なのだから。 「う〜ん、困りました」 手間ではないが厄介な問題に直面したキーラが唸りながら巨獣を観察していると、ふとその進路上に開けた場所があることに気がついた。 住宅街に併設した中学校の校庭。 生徒や教師はもちろんのこと、周辺住民が避難してきたことで、校庭は多くの人々で溢れてしまっている。 敷地の出入り口を横転したバスが塞いでしまったことで彼らは逃げ場を失い、辛うじて体力あるものだけが敷地のフェンスをよじ登って逃げ出そうとしていた。 慌ててスマホを取り出してその学校についてSNSの検索をしてみると、どうやらキーラが歩いた衝撃でバスが横転して閉じ込められてしまったとの投稿を見つけた。 「わっ、私のせいですか。これはマズイですね。私の正義のヒロインとしてのイメージが……」 何とかしなくてはとキョロキョロ辺りを見渡してみても役立ちそうなものはなく、制服についているポケットを漁ってみるものの、出てきたのは律儀に持ち歩いている学生証とハンカチだけ。 どうしようもなさそうだと察してため息を吐きそうになった瞬間のことだった。 「手伝ってあげよっか」 そんな声がキーラの頭上から降り注ぐ。 しゃがみ込んでいるとはいえ、それでもキーラの耳があるのは高度1000メートルを超えるはずだというのに。 そして、キーラがその声のする方へ視線を向けようとした瞬間、赤みがかった透明な球体が災禍巨獣をその周囲ごと押し潰したのであった。 推定直径200メートル。 1,700メートルという超巨体であるキーラにとってはボーリングの球とほとんど同じくらいの大きさであるそれは、天空に向けて筒状の白い棒のようなものが突き刺さっており、その棒を支点にしてグリグリと捻りを加えて直下のそれを擦り潰す。 その度に凄まじい質量が大地を揺るがし、直接触れていないはずの周囲の建物を倒壊させてしまうほど。 それと同時に、ほんのりと甘い香りが一帯を包み込み始めるのだった。 「――――え?」 地上にいる人々にとってはあまりにも規格外の存在であり理解できないものの、キーラにとってそれは自分の視界に収まりきるものであって理解できてしまう。 目の前にあるのは棒付きキャンディだ。 コンビニに行けばどこでも手に入るような珍しくもないお菓子が、ありえない大きさになって街の一角を押し潰している。 そして、そのお菓子の持ち主が指先で棒を回していることで、災禍巨獣は原型の残らない肉塊に変貌してしまうのだった。 「ま、こんなもん? うわっ、何これ気持ち悪っ」 キャンディの持ち主であった少女がそれを持ち上げると、キャンディ表面の粘着性によって血肉片が微量ながらもこびり付いてしまっていた。 当然のようにそれを再び口に運ぶようなことはせず、そのままポイっと投げ捨ててしまうのだが、手首の軽い捻りだけでも直径200メートルのそれは数キロメートルの距離を飛翔し、山脈を飛び越えて海に没して大きな飛沫を作り上げるのだ。 それを呆然と見上げていたキーラはようやく、自分が巨大な影の元にいることに気がつき、今度こそ顔を持ち上げる。 そこにあるのは、自分とは正反対である黒無地のショーツを履いた股間と太もも。そして、短いスカートが作り出す天幕だ。 今の自分がしているのと同じように、その場でしゃがみ込んでいる黒髪の少女。 この姿になったキーラにとって初めて、自分よりも巨大な存在と邂逅した瞬間であった。 *** 一万倍。 身長16,400メートルの超巨体で見下ろす街はあまりにも小さかった。 中心部に聳え立つ超高層ビルでさえローファーの爪先を超えることすらできず、地表に存在する建物はその大半が絨毯の毛よりも小さい。 その合間を歩き回る人間に至ってはもはや満足に存在を認識することが叶わず、もしやるとしても数千数万と集まってもらえばようやく点に見えるかどうか。 そんな小さな世界において唯一、認識することができる相手がいる。 それは、ライトグレーの上着と濃紺のスカート、そして長い脚には真っ白なニーハイソックス。 スラっとした肢体で人の目線を惹きつける美少女は、足元の街並みなどとは比較にならないほどの巨体であったが、それでも自分の足元にすっぽり収まってしまう。 人間の1,000倍という途方もない巨人は、人間の10,000倍という少女にとっては小動物のような存在に過ぎないのだった。 「あっ、貴方はいったい……?」 「私? あんたのファン。Twisterフォローしてるし、ファンクラブにも入ってる。あと名前は楼藍〈ろうら〉。よろしく」 「え? あ、そっ、そうなの? ……えっと。じゃあ、握手とかしますか?」 「それはいいや。そんなことよりちょっと頼みがあるんだけど」 そういうとキーラはその場ですっと立ち上がる。 あまりにも当然と言わんばかりに行われた動作であったが、それはただでさえ巨大な山脈であった存在がそれ以上のものへと姿を変えたようなものであり、見上げていたキーラや街の人々にとっては風景すらも変わってしまったように感じる。 あまりにも圧倒的な存在感。 楼藍がそこに居るだけで、キーラの体は自然と震え出してしまうのだった。 「私さ、あんたが街を守るところ見るのが好きなんだ。だから守ってみせて?」 楼藍がそっと脚を動かして位置を調節すると、続けて踵を地面につけたまま靴底全体をグッと持ち上げてそのまま突き進む。 全長2,400メートルに達する天井が街を覆い隠し、その直下に存在する数百という住宅街を丸ごと影で飲み込んだ。 さっき災禍巨獣によって破壊された一本線などは全てその影に収まってしまう。 パラパラと靴底から砂つぶがこぼれ落ちるが、中には直径数メートルにもなる岩すらも含まれており、上空に占位しているだけでも街に甚大な被害が生み出される。 「な、何をしているのですかっ。今すぐやめなさいっ!」 「やめないよ? で、ほら、どうする? 早くなんとかしないと何千人って市民が死ぬんじゃない?もうちょっと多いかもね」 「……っ!」 そんなことをあっけらかんと言ってのける楼藍に対して言葉を失う。 そういえば、さっきキャンディで災禍巨獣を押し潰したときだって、大勢がそれに巻き込まれて亡くなっているはず。 自分のファンだと名乗ったこの少女は、人命をなんの躊躇いもなく奪い去ることができてしまうのだろう。 その可能性に思い至ったキーラがその場から駆け出そうとした瞬間のこと。 凄まじい衝撃波と轟音が周囲に響き渡り、キーラも思わずその場で頭を抱えるようにして全身を丸めてしまう。 キーラの人生で一度も経験したことのないそれは、まるで爆発のようだと感じるほどであったが、数瞬の後に目を開けてみれば、その正体は単に楼藍が足をパタンと降ろしただけだということに気付かされる。 「…………ぁ」 あまりの出来事にキーラは小さな声を漏らすのが精一杯。 さっきまで眼前に広がっていた街並みが消え去り、その代わりに茶色の靴が堂々とそこに鎮座している。 更にはその周囲に衝撃が伝播したことで綺麗な円を描くようにして直径5キロメートルの範囲が更地と化しており、そこには瓦礫すら残っていなかった。 楼藍がローファーを持ち上げたことで、そこにはキーラ自身が悠々と寝そべることができる大きさでありながら、数百メートルもの深さで刻み込まれた足跡が一つ。 街の複数区画をまとめて粉砕した一撃による死者数は少なく見積もっても数万人、調査が進めば十万人を超えていたと報告されてもおかしくない。 「ごめんごめん。冷静になって考えたら、私が靴を履いたままじゃ支えるときに大変かなって思ってさ。脱ぐからちょっと待って。……あ、今やったのはデモってことで。本気だってこと伝わったでしょ?」 そんなことを言いながら楼藍が右足をお尻につけるようにして持ち上げ、踵に指をかけてスポっと履いていたローファーを脱いでしまう。 それを適当に放り捨てると、膝下までの紺色ニーソックスを履いた足を先ほどと同様に、まだ無事な建物が残っている一帯に差し向けるのだ。 靴を脱いだことで一回り小さくなったものの、それでも先ほどの一撃を目撃した人々にとってはなんら慰めにもならない無言の処刑宣言。 核兵器にも匹敵する犠牲を易々と生み出すそれは、ほんのりと少女の体温を足元の人々に伝えるのであった。 「ほい、じゃあ再開しよっか。……ねぇ、何してんの?」 「ぁ、あ、いや、その」 体が言うことを聞かない。 先ほど目の前で行われた凄まじい殺戮を目撃しただけでなく、それに伴う衝撃を全身で浴びたキーラは生まれて初めて恐怖で動けないという体験をしていた。 脳が必死に体を動かそうとしているのに、肝心の体は全身を震わせるだけでどうやっても動こうとしないのだ。 何もしていないのに徐々に呼吸が荒くなるのは過度な緊張に晒されたが故のことであり、少しでも気を抜いたらその場で崩れ落ちてしまいそう。 キーラにできることは、遥か上空から自分を見下ろす少女、長い黒髪を滴らせた超巨人を見上げることだけだった。 「なに、怖いの?」 「そ、そんなことはありませんっ!」 「あっそ。じゃあ、やる気の問題か」 しばし考え込んだ楼藍であったが、スッと足を持ち上げて場所を変える。 全長8,000メートルにもなる長脚は、その場から動くことなく街の大半をその股下に捉えることが出来てしまうため、軽く移動させるだけでも全く異なる地域へ到達するのだった。 新たに楼藍が履くニーソックスの影に飲み込まれることになったのは、中心部から遠く離れた山の麓であり、人工物らしいものは数える程しか存在しない場所。 「これならやる気になれる?」 「あ、そんな、や、やめてっ!! そこには学校がっ!!」 「だと思った。……で、友達とのお別れは済ませてあるの?」 ジリっ。 そんな小さな音がしたのは楼藍が学園の上空に翳した足を僅かに動かしたから。 些細な身動きであっても、一万倍の体躯でそれを行えば話はまるで違う。 単純な重心の移動でさえも大地を痛めつけて地揺れを引き起こし、もはや見えないサイズの極小生物たちの恐怖を根元から引き出してしまうのだ。 その直後から、キーラのスマホはこれまでにないほど鳴動し、ニーソックスの直下で怯える友人たちからの助けを求めるメッセージが滝のように流れ込む。 「まぁ、なんにせよ頑張ってよ。あんたのカッコいいところ見せてね。……10秒待ってあげる」 直後、どこか楽しげな声音によるカウントダウンが始まった。 間延びした声が告げるそれは、キーラが幼少期から過ごした学園とそこで積み重ねてきた人間関係の全てが消滅するまでの残り時間。 幼い頃に親を亡くして以来、この学園だけがキーラの人生のほぼ全てであった。 だからキーラはその長身痩躯で一目散に駆け出し、足元に広がっていた住宅街の残骸とオフィスビル街を文字通りに蹴散らして突き進む。 足元の様子など気にしている余裕がなかった。 逃げ惑っていた人間を踏み散らし、線路と高速道路を破断させ、数えきれないほどの建物を粉々に粉砕しながら5キロメートルをほぼ直線で突っ切ると、学園を背にして目の間の巨大な壁と対峙する。 そして、その瞬間、自分が対峙する相手がどれだけ巨大で強大な存在かを痛感する。 相手の顔が見えない。 2,400メートルの足裏が傾斜していることで、1,700メートルの巨人の視界全てを奪い去り、それが何であるか理解することすら許されないのだ。 その光景に絶句したキーラが息を呑んだ瞬間、楽しげなカウントダウンがゼロを読み上げたのだった。 「それじゃ、本番行ってみようか」 そう言いながら楼藍はゆっくりとニーソックス足をおろしていく。 本来ならば数瞬のうちに地面に付いて、そこに存在する全てを粉砕するはずだが、今回は違う。 薄い布一枚越しに小さくも暖かい点が二つ感じ取れる。 言うまでもなく、足元にいる正義のヒロインが精一杯に腕を伸ばして、自分の足を受け止めようとしているのだ。 あまりにも弱々しい抵抗。最初から存在していることを前提に感覚を研ぎ澄ましていなければ気付くこともできなかったかもしれない。 動画に写っていたキーラは地表から見上げている存在であることも手伝って、圧倒的に巨大で絶対的な力を秘めているように見えた。 それに一瞬にして心奪われ憧れたのは事実だと言うのに、その存在が今はこれほどまでにちっぽけな存在に成り下がってしまったのだ。 「本気でやってる?」 そんな問いかけをしたみたものの、それに対しての返事などない。 おそらく声を発することができないほど懸命に歯を食いしばっているのだろう。 あの端正でクールな顔立ちが苦悶に歪んでいるのを想像すると、どうしても苦笑が浮かぶのが避けられない。 ついつい意地悪をしたくなって足を軽く揺らしてしまう。 その瞬間、1,700メートルしかない小さな生き物はバランスを崩してその場に転倒し、足裏に感じていた手のひらによる小さな温もりが途切れてしまった。 数瞬、待ってみるもののキーラが立ち上がる様子がなかったので、そのまま更に足首を伸ばすようにして足裏を地面に近づけることにした。 地表と足がまさに触れようとした瞬間、消しゴムくらいの暖かな感触が生じた。 おそらくキーラが四つん這いになって学校に覆い被さって守ろうとしているのだと察すると、楼藍の口角が思わず吊り上がった。 憧れのヒロインを足蹴にしているという背徳感が、足先から脳髄までをゾワゾワと駆け巡っては全身に波及していくような感覚。 思わず股をキュッと閉めてしまうほどのそれを楼藍は心地良いとすら感じるのだ。 「……グチャグチャにしたくなってきちゃった」 ポロッとそんな言葉を溢した瞬間、足元から激しく動き回る刺激が伝わってきた。 これまでは耐えようとして身動きをしなかったというのに、体を捩るようにして動き回る理由は一つしかない。 逃げようとしているのだ。 自分の真下に存在する友人たちを見捨てて、『グチャグチャ』にされたくない一心で懸命に足掻いているのだろう。 なんとも可愛らしい反応をしてくれる。だが、ほんの僅かに楼藍が体重を乗せた瞬間、キーラの抵抗はその圧倒的質量によって鎮圧されてしまうのだった。 「ふっ、ふふっ、ふふふっ。…………うん、もういいよ。頑張ったじゃん」 踏み付けていた足を退かした瞬間、予想通り四つん這いになっていたキーラが崩れ落ちそうになりながらも、気力を振り絞ってゴロンと横に転がることで学園を自らの体で押し潰すことを避ける。 仰向けに寝転ぶキーラはその全身にびっしょりと汗をかき、また力を振り絞っていたのか全身が痙攣しており、顔は真っ赤で呼吸も荒い。 誰の目にも満身創痍であることが明らかな彼女は、涙で濡れた瞳で楼藍を見上げているが、それが睨んでいるのかどうかは楼藍には分からなかった。 「お疲れ様。やっぱあんたカッコいいわ。その姿、写真撮っていい?」 「はぁ、はぁっ、…い、いまは、ダメ、です、私のイメージが崩れちゃ…」 「は?何?もう一回踏まれたいの?」 「ひぇっ。ごっ、ごめんなさい。写真撮っていいです」 いつの間にかシャツの第一ボタンが弾け飛んでしまったことで豊満な胸元が露出していたことに気付いたキーラがそっと腕を当ててそれを隠そうとするが、上空からの舌打ちが聞こえてきたのですぐにその手を止めた。 無機質なシャッター音が聞こえるたびに僅かに首を傾げて目線を変えてみたり、体を捩ってポーズを変えてみたりするのは、普段からよくカメラを向けられるキーラの反射的な反応。 しかし、そのせいもあってか撮影を終えた楼藍は極めて満足そうに微笑むのだった。 「あ、あの……」 「何?」 「えっと、楼藍さん、でしたよね。あなたはいったい何者で、なぜこんなことをするのですか?」 「さっきも言ったけど私はあんたのファン。なぜって言われても、ファンなら推しの活躍が見たいって思うの当然でしょ?」 「…………へ、へぇ。そうなんですね」 何かの聞き間違いだと思って一度は聞き流したというのに、2度に渡ってファンだと言われたら流石に聞き流すこともできない。 活躍が見たい。 あまりにもふざけた理由にも聞こえたが、確かにこうして学園のみんなを守り抜く様子を彼女が間近で目撃したことも事実なのだ。 信じ難いことであるが、おそらく彼女は嘘を吐いていない。 あまりにも常識から外れた、厄介なんて言葉では言い表せないファンがこうして目の前に現れてしまった。 「で、では、私のことを、その……、殺そうとかは……」 「するわけないじゃん。まぁ、さっきみたく活躍の場を提供したりはするけど。あとちょっと虐めて遊ぶくらいかな」 「……念のためにお伺いしますが、貴方、自分が一体どれだけの人を殺めたか自覚していますか?」 「数えてないし、分かるわけないじゃん。多分7〜8万人くらい?ま、夜のニュースで推定値くらい出るだろうし、気になるならそれ見れば?」 「そ、そういう問題ではないのですが……」 何か大切なものが欠落しているというか、なんというか。 致命的なまでに価値観がズレてしまっている相手に対して得体の知れない恐怖を覚え始めたキーラだったが、幸いにも言葉が通じる以上は対話の可能性がある。 一方的な破壊を撒き散らすだけの災禍巨獣ではないのだ。 ようやく息も整ってきたキーラがスッとその場で立ち上がり、冷静になれと内心で自分に言い聞かせながら圧倒的な超巨体を相手に堂々と対峙する。 肩幅に足を開き、巨大おっぱいを支えるように両腕をその直下で組むのだ。 「楼藍さん、よく聞いてくっ……」 「ちょいタイム。そのポーズも写真欲しいから動かないで。あと可能なら敵対者に向けるイメージで表情を強張らせてみて」 言葉を遮られたことに一瞬の苛立ちを覚えるものの、はるか上空から自分を見下ろす視線に気圧されて何も言えないキーラ。 それどころか、言われた通りにしろという無言の圧に屈して、厄介ファンの要求通りに表情を作ってしまうのだ。 結果、四方八方からのシャッター音の嵐に巻き込まれ、楼藍が満足するまで身動きが封じられてしまう。 「オッケー。で、なんだっけ?」 「…………。楼藍さん、貴方の行いは極めて非人道的な大量虐殺です。到底許されるものではありません。今すぐにその変身を解いて投降してください。そうすれば、貴方の命だけは私が必ず保証いたします」 「ふ〜ん。でも私は自分のこと自分で守れるから大丈夫。だからさ、私の命じゃなくて友達の命を保証してあげたら?」 先ほどキーラが持てる力の全てを使って退けたニーソックス足。 それが再び動き出した瞬間、キーラの脳内では爆発的に絶望が膨れ上がっていく。 体力はある程度まで回復しているとはいえ全快には程遠く、そして全快の時ですら自分にできたことは四つん這いで踏ん張るだけだ。 そんなものが、再び当然だと言わんばかりに再び学園の全てをその影で覆い尽くし、直後にゆっくりと降下し始めたのだ。 「なっ、なんでっ!? さっき『もういい』って言ったのにっ!?」 「活躍の場としては、ね。でもさ、私は『ちょっと虐めて遊ぶ』とも言ったよね」 「そんな……。おっ、お願いします。それだけは、それだけは、やめてください。なんでもしますから。私の大切な人たちを奪わないで……」 「へぇ〜。なんでもするんだ。……本当になんでもする?私があんたに要求しようと考えてること結構エグいけど、いいの?」 「………………。かっ、構いません。その代わり、この学園にいる人たちのことを絶対に傷付けないと約束してください」 「は? 条件出すとか生意気でムカつくから足元のこいつら皆殺しにしま〜す」 黒ニーソックスの落下速度が急加速したことでもはや言葉らしい言葉が出ない。 キーラにできたことは理解したくもない虐殺宣言に目を見開いて、間に合うはずもなく、仮に間に合ったとしても意味がないと分かりながらも手を伸ばすことだけ。 この巨足が振り下ろされたら誰一人として助からない。 それどころか、存在していた痕跡すら残ることはないだろう。 ずっと一緒にいた人々が、今この瞬間にも圧倒的な暴力によってこの世界から消滅させられてしまう。 その計り知れない恐怖がキーラの脳を焼き焦がし、そして言葉にならない悲鳴が心の中でこだまするのだ。 「って言ったらどうする?」 だが、ニーソックス足は止まった。 地上まで数十メートルの地点でピタリと静止したことで、凄まじい暴風が地表に吹き荒れるものの、それは建物の外壁を吹き飛ばす程度で倒壊させることはなかった。 地表の人間にとっては幾分もの余裕があるが、楼藍にとってはまさしく数センチ手前での寸止めだ。 「……あ、あ、あああ」 「あのさ、私は確かにあんたのファンだけど、別にあんたの手下じゃないの。次に何かイラッとすることがあったら本当にやるから。分かった?」 「…………は、はい。分かり、ました」 敵わない存在。 キーラにとって生まれて初めてのそれは、あまりにも恐ろしい相手だった。 恐怖が消えない。怖い。怖い。怖い。 恐怖が人間の内面を埋め尽くした瞬間から、その人は極めて従順な存在へと変わっていくことを痛感させられてしまうのだ。 そして、人はそのことを屈服と呼ぶ。 〈続く〉


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