いじめの正しい対処法
Added 2021-12-26 08:51:46 +0000 UTCいじめの正しい対処法。 そんなワードを検索ウィンドウに入れるのはこれで何度目だろうか。 中学校を卒業するまでは少ないながらも友人はいたし、学校生活もそれなりに楽しんでいたはずだ。 転機となったのは間違いなく高校入学のタイミングであり、突如として始まったいじめは真面目な性格の椿季にとって非常に辛いものだった。 教室に入れば自分の机がなくなっており、空き教室に隠された机をようやく見つけ出してみれば、教科書とノートが切り刻まれていた。 下駄箱から靴がなくなったことも一度や二度ではないし、自分の顔とアダルトサイトの全裸画像を合成した写真が学校内に出回ったこともある。 最初は気丈に振る舞っていた椿季であったが、夏休み明けに学校に行けなかったことをきっかけにして、今日まで自室の中に籠もり続けていた。 机に向かって姿勢よくノートパソコンをイジっている椿季。 百四十七センチで成長が止まった小柄な体は小学生のようであり、同じ高校一年生のクラスメイトたちと並ぶと非常に目立ってしまう。 美意識が希薄なこともあって椿季が選んだ部屋着は灰色の上下スウェットであり、控えめな胸元と相まって大人の色気とは無縁だった。 ボブカットに切り揃えた黒髪と、引き篭もってからより一層悪くなった視力に合わせた黒縁メガネはよく似合っていた。 「あれ、これは初めて見るページです」 椿季はこれまで何度も、それこそ何百回も同じ検索を繰り返してきた。 いじめの対処法。 ネット上にはあらゆる対処法が示されていたが、引き篭もってから一日中同じような検索をしていれば一通りのサイトには目を通せてしまう。 椿季があたらしく見つけたサイトには、いじめの根本的な対処法はこちら、というシンプルなバナーがひとつだけ貼り付けられていた。 特に珍しくもない形式であり、椿季も何ら疑うことなくバナーをクリックしてしまう。 ページが遷移するのと同時に爆発的な光量が画面から溢れ出し、椿季は思わず目を閉じてしまった。 だから彼女は知らない。 一瞬だけパソコン画面に表示された、『全部壊せばいいじゃん♡』という対処法と、それを実現するための力をあげるという一文を。 目を開けた椿季は視界に飛び込んできた見覚えのない景色に困惑していた。 眼前にあるはずのパソコンはなく、その奥に広がるはずの壁もない。 それどころかいつの間にか屋外に出てしまっているようだった。 周囲を見渡しても人も車も建物も何一つ存在せず、広大な原っぱの中心に放り出されてしまったのかと思うほどだった。 だが、ふと足元に視線を移したときに、ようやく見覚えのあるものがあった。 自分が暮らしている人口二万人程の小さな町だ。 「……え?」 見覚えはあったが、実際に生でそれを見たことはなかった。 なぜなら、椿季が町の全体像に見覚えがあるのは、ネット上で人工衛星から撮影した画像を見たことがあったからだ。 ネットで見た地図では、全体的に緑色をした大地の一部が灰色になっており、その灰色にフォーカスすることでようやくそれが人間の作った町だということが分かる。 最初にそれを知ったときには感動を覚えたものだが、何度か試していろいろな地域を見て回ったことで飽きてしまった。 そのときに見た自分の暮らす町は南北に三キロほど広がっていたはずだが、それと全く同じ形をした何かが足元にポツンと存在している。 その真横には自分の小さな足があるが、それと比べても三分の一ほどの大きさも無い。 それが二十二センチの小さな素足であることから逆算すれば、今の自分は身長七十キロを超していることになる。 普通の人間の五万倍という非常識な計算結果となってしまうが、椿季はその事実を意外にもすんなりと受け入れることができてしまった。 幼い頃から読書好きで、多くの創作物に触れてきた彼女にとって、非常識な出来事を咀嚼して理解することはさほど難しいことではないのだ。 「世界が小さくなってしまいました。……いえ、私が大きくなったのかもしれませんね」 誰に聞かせるでもなく呟きが溢れてしまう。 足元に存在するゴミのような町に目の焦点を絞って観察してみれば、細部まではとても見えないものの、おぼろげに馴染みの建物が見えた気がする。 自分の家はもちろん、近所のコンビニやスーパー、通学に使う駅とそこから伸びる線路。 休日に遊びに行くショッピングモールと、苦手にしている病院もあるようだ。 分厚いガラスをはめ込んだ黒縁メガネの奥でしきりに動き回る瞳は、楽しげでありつつもどこか怪しい光を醸し出す。 椿季にはその様子は見ることができないが、きっと町の人々は慌てふためいているだろう。 彼らからすれば椿季の可愛らしい素足ですら国内最高峰の山を遥かに凌駕する大きさであり、その爪先の上に触れるためには飛行機やヘリコプターが必要になるのだ。 当然、椿季の全体像を視界に収めることはできない以上、これが人体の一部らしいということが分かったところで、それがスウェット姿の女子高生とまでは分からない。 「あ、そういえば。この辺りには隣町があったはずですが……」 椿季の右足が置かれているのは、彼女の暮らす町から数キロ離れた場所だった。 記憶が確かならそこには同じくらいの規模の町があったはずだ。 だが、椿季がいくら目を凝らしても町らしきものは見当たらず、そっと足を持ち上げてみれば縦に十一キロ、横に四キロという途方もなく巨大な足跡が穿たれていた。 足跡は深さが実に五百メートルを超え、ちょうど親指の付け根に相当する部分には僅かに白い粉のようなものが残っていた。 また、よく目を凝らせば、その白い粉に向かって伸びる糸のようなものが足跡の外側に残っており、どうやらそれは近隣の都市から伸びる幹線道路であるようだ。 どうやら椿季が何度か訪れたことがある隣町は、もうこの世界には存在しないらしい。 「踏んでしまった……? 私が、大勢の人たちを殺した……?」 自分が大きくなったことは理解できた。 だが、そうなったことによって得た力がどれだけのものか実感が湧いていなかった。 今の椿季であれば僅か一踏みがキロトン級核兵器に相当し、それに体重を乗せてみればメガトン級核兵器まで破壊力は増大するのだ。 それをいつでも、好きなだけ、気分次第で自由に振るうことができる存在。 それが椿季という小柄な女の子に与えられた、いじめに対処するための力だった。 無意識のうちに奪い去った人命は二万を越し、おそらくその数倍の負傷者が周囲の町で呻いていることだろう。 もちろん、それは椿季が暮らす町であっても例外ではない。 椿季の脳裏に浮かぶのは過去にテレビで災害被災地の光景であったが、実際の被害はそれを上回っていることだろう。 椿季はまだ何一つ、それこそ一歩踏み出すことすらしていないというのに、既に歴史に名を残すほどの大虐殺を働いてしまっているのだ。 「……凄い」 ようやく思考がまとまり、自分を客観的に捉えることができるようになった椿季は、胸の奥から込み上げてくる焦りにも似た衝動に心を震わせる。 しばらくすると、これまで一度も経験したことのない感情の正体が優越感だと分かった。 小さい小さいと周囲にからかわれてきた自分が、圧倒的に巨大で強大な存在となった事実を心が受け止めきれないのだ。 足元を見下ろす椿季の瞳は、これまで以上に色濃く怪しさをまとっていく。 直径五百メートルを超す巨大な瞳が見据えているのは、やはり自分の暮らす町だ。 生まれ育った故郷であり、思い出の詰まった町は、今の椿季にとっては床に積もった埃のようなものでしかない。町の住人たちには残念なことではあるが、椿季がそんなものに価値を見出すことは難しい。 先ほど持ち上げたままの右足をそっと動かして、自分の暮らす町に翳してみる。 小さな素足は片足だけで町を完全に覆い尽くし、椿季の視界から町を見えなくしてしまう。 もちろん、町に暮らす人々にとっては空が全て肌色に塗り替わり、あらゆる光を奪い去られてしまったことになる。 「このまま足を下ろしたらみんな死んでしまうのですね……」 背中を駆け巡るゾクゾクが止まらない。 ついさっきまで普段どおりに暮らしていた人々が、それも自分が顔見知りの人たちが、なんら尊厳を保たれない方法で殺されようとしているのだ。 小柄な椿季がフリーサイズのスウェットを着ていると裾が余ってしまい、たわんだ裾が足首に掛かるようにして残っていた。 だらしないように見えるが、それは相手が同じ大きさの人間である場合の話だ。 肉眼で捉えることもできない細菌のような存在に対して、自分がどう見られるかなど考える必要はない。 そもそも、相手からも自分を満足に見ることもできないのだから。 「お父さん、お母さん、それから近所の皆さんと、友達だったみんな。今日まで良くしてくれて、ありがとうございました。引き篭もってしまったことを心配してくれて嬉しかったですよ」 椿季の声は足元までしっかりと届いていることだろう。 だが、あまりに凄まじい質量の差が意思疎通を阻む大きな壁となり、椿季の発した声を声として認識できる人間などいなかった。 もし仮に認識することができたとしても、彼らにとってその内容は意味不明なものだったろう。 どうして分かれの挨拶のようなことを言い出す必要があるのか、まだ小柄な女の子の中で燃え上がる嗜虐心に気がついていない人々には理解できなかったからだ。 「――――でも、もう皆さんは私にとって必要がない存在になってしまいました。どうやっても会話は成立しないでしょうし、皆さんが何をしていても私は気がつくことができません。なんだか寂しい気持ちです」 椿季が持ち上げた右の足裏に意識を集中させる。 凄まじく小さなものを感じ取るためには細心の注意が必要であり、そうしなければせっかくの感触を楽しむことができない。 生まれ故郷を踏み躙るという、一度しか経験できない貴重な機会なのだ。 優越感と背徳感を存分に味わいたいと考えるのは、椿季にとっては当然のことだった。 「でも、皆さんに二度と会えないと分かれば私も諦めがつきます。だから今日でお別れしましょう。……大変お世話になりました。では、さようならっ♪」 嗜虐心を隠しきれないまま一方的に言い放った椿季は右足の踵を町外れに下ろした。 町に暮らす人々はこれまで一度も経験したことのない大衝撃によって宙に舞い上がり、周囲の建物が次々に倒壊する様子を見せつけられる。 五キロ以上も離れた場所に落下したらしい踵がもたらした甚大な被害はそれだけで町に壊滅的な打撃を与えたが、本番はこれから倒れ込んでくる肌色の巨壁だ。 全長十一キロに及ぶ巨大な壁は、町に暮らす人々が泣き叫びながら逃げ回る様子を楽しむかのようにゆっくりと倒れ始めた。 この世界でもっとも大きな山は標高約八千メートルであり、それを軽々と上回るほど巨大なそれは人間たちの遠近感を狂わせるのに十分だった。 まだ一キロ以上も離れているはずだというのに、手を伸ばせば触れられるような気さえするのだ。 それは確かに勘違いであったが、彼らはその全員が椿季の素足に触れることはできた。 極限まで圧縮された空気によって肉体はバラバラに弾け飛び、その弾けた肉片をしっかり踏み締めた足裏は大地に触れただけでは止まることなく、そのままズブズブと地殻を割り砕きながら大地を突き進む。 小柄な女の子が体重を乗せて踏み込んだおかげで、素足はそのまま深さ一キロまで地表を押し下げ、人間が自力でよじ登ることが不可能なほど深い足跡を生み出した。 椿季は背徳感を楽しむために十数秒かけてゆっくりと踏み降ろしたが、それだけの時間では巨大な足裏から逃れることは叶わない。 人口二万人の町はこの瞬間から生命が存在しない死の世界へ変貌してしまった。 「踏んでしまいました……。私は悪い子ですね」 身勝手な理由で行った大虐殺。 椿季にとってはただ足を下ろしただけでしかなく、大虐殺という実感は湧かなかったが、それでも確かに家族を含めた顔見知りを大勢踏み潰してしまったのだ。 それだけの罪を犯したというのに、椿季の心に罪悪感が芽生えることはなかった。 大きさの違いが認識の違いを生み出したが、その差は決して埋まることはないだろう。 椿季の視線が足元から少し前方に注がれると、そこにある米粒のようなものを捉えた。 一年生の一学期だけ通った高校だ。 少しでも偏差値の高い学校へ行こうと勉強を頑張り、電車で片道二時間かけてでも通うことを選んだその高校は、椿季に辛く苦い経験を植え付けてくれた。 自分をいじめた人、それを見ながら放置した人。 あの狭い空間にはそうした人間が集まっていることだろう。 「久しぶりに学校に行きましょうか。……たくさんお話をしなくてはいけません」 椿季の通う高校までは直線距離にして四十キロ程離れている。 途中を山脈が横切っているため大きく迂回する必要があったが、今の椿季であれば真っ直ぐに突き進むことも容易い。 それどころか、四十キロの距離など一歩の距離であり、この瞬間にも踏み潰して全てを終わりにしてやることだってできるのだ。 「あ、でも、私は悪い子になったので学校に行くまで寄り道しますね。新しい発見がありそうでワクワクします」 椿季は成層圏すらも超えた遥かな高みから地表を見渡す。 点在する町や都市はどれだけ巨大であったとしても、椿季からすれば塵やカビのようにしか見えない程度のものでしかない。 それらを踏み潰そうとすれば、小さなものは一回、見える限りで最も大きなものでも十回もかからず消滅させてしまえるだろう。 ようやく自らの力を理解し始めた椿季は、手始めにどこから蹂躙しようかと思案する。 通学途中の道草などこれまでしたことはなかったが、今の椿季を咎められる人間はこの世界には存在しないのだ。 「あれ? これは……虫? じゃないですよね?」 地上を見下ろしていた椿季の眼前、脛くらいの高さを移動する小さな何かが目についた。 最初はピントが合わずよく見えなかったが、しっかりと見つめていけばそれが飛行機であることが分かる。 全長七十メートルの大型旅客機は五百人の乗客を乗せて高度一万メートルを飛行中であり、眼下には標高千六百メートルの火山を見下ろしながら目的地の空港を目指していた。 椿季からすると相対的に二ミリに満たない機体はあまりに小さく、目を凝らしていなければ気がつくこともできなかったはずだ。 仮にこの飛行機が最初に椿季が考えたように虫であれば、それはこの世界最大の生き物であり、そんなものが存在する限り人類が栄えることはなかっただろう。 「どこに行かれるのですか? ……そちらは行き止まりですよ」 地上と違って遮るものがない空に行き止まりなどという概念は存在しない。 燃料の許す限りはどこへだって飛んでいくことができるはずだった。 だが、椿季の言葉に偽りはない。 彼女がそっと左脚を前方に押し出せば、小柄な体躯に相応しいほっそりしたふくらはぎが飛行機の行く手を阻んだからだ。 灰色のスウェットに包まれたふくらはぎは、飛行機の乗客たちが眺めていた火山よりも巨大であり、飛行機のパイロットたちにはまさに壁のようであった。 突如として出現した壁を避けるために操縦桿を捻って機体を傾け、エンジン出力を最大まで引き上げて急速に反転を試みる。 目測では機体の旋回はギリギリで間に合い、衝突は回避できるはずだった。 突如として急速接近してきたふくらはぎに体当たりされたことで、全長七十メートルの機体は空中で爆散し、乗客と乗員はその場で破片とともに飛び散った。 「私の思い通りに動かないなんて生意気です」 飛行機が自分の脚にぶつかって飛び散るのを楽しみにしていた椿季。 乗客たちの運命を自分が握っているという状況を楽しんでいた彼女にとって、微生物たちがそれを回避しようとするのは不愉快でしかなかった。 予定とは異なるものの、飛行機がスウェット生地の一部で弾け飛んだことに変わりはない。 飛行機がどのような行動を取ったところで、椿季に見つかった時点で生存の可能性はなかったのだ。 五百名を容易く蹴散らした椿季は、持ち上げた左足と地表の火山を見比べる。 標高千六百メートルの中規模な山であり、椿季もずっとその山を見上げながら育ってきた。 雄大な自然の一部であり、屋外で過ごす上では常に視界に入ってくる世界の背景でもあった火山が、今では幼子が作った砂山のような大きさで足元に存在している。 真上から見下ろす火山の直径は約十キロ。片足と比較して丁度良い大きさだった。 「そういえば、この山に登ったことがありませんでした。……ちょうど良い機会なので登山をしてみましょうか」 この山を登るための平均所要時間は二時間程度と言われている。 あまり運動が得意ではない椿季が挑むとしたら、その倍の時間を見込む必要がある。 自宅との往復を考えれば丸一日がかりの一大イベントとなるだろう。 当然ながら今のように思いつきで登るようなことはできるはずもないのだ。 だが、今日の椿季はそんな登山を約一秒という短時間で終わらせることができた。 生意気な飛行機を叩き落とした左脚を僅かに動かし、そのまま火山に足を踏み入れたのだ。 四兆三千七百五十億トンという途方も無い体重を有する少女は、何の苦もなく火山を片足で押し潰し、そのまま地下一キロまで続く深い谷に変えてしまった。 足の周囲に盛り上がった土はあまりに膨大で、それだけでも標高千メートルを超すような山脈を作り上げてしまっている。 椿季が意図せず作り出した山脈は当然のように火山周囲の町を飲み込み、数万人が悲鳴を上げる暇すら与えられずに葬り去られた。 彼らの暮らす町並みも半分以上が土に埋もれて見るも無残な姿に変貌する。 火山の奥底から吹き出したマグマが椿季の素足に触れたが、ほんのり温かさを感じる程度で足裏の薄皮一枚を焼くこともできなかった。 「簡単に登頂できてしまいました。なんの感慨もありませんね」 山を押し潰した左足をグリグリと捻って被害を拡大させてやる。 彼女の足首が捻られるたびに全長十一キロの巨足が左右に振れて、ただでさえ一キロ以上もある深い足跡をより深く掘り進んでいく。 大地に伝わる振動だけで周囲数キロの建物を容易に倒壊させてしまうほどの圧倒的な力。 少女の蛮行は周囲に暮らす数十万人を大地に這い蹲らせることになった。 数秒ほど山だった窪地を踏み躙った椿季が満足そうに足を持ち上げれば、そこに残るのは直径十数キロに渡る巨大な穴だけだった。 山すら踏み潰すほどの巨人が出現した。 そんな非常識な現実を本人の次に受け入れることができたのは国防軍だった。 宇宙空間から地表を監視する偵察衛星によってスウェット姿の女の子が突如として映り込み、そんな異常な状況を確認するために戦闘機を緊急発進させたのだ。 衛星と戦闘機から送られてきた情報は一致しており、理解し難いが確かに身長七十キロ超の小柄な少女はそこに存在していた。 そして、その超巨人が自分たちに対して悪意を抱いていることも明らかだった。 出現と同時に一つの町を押し潰し、続けて右足でもう一つ町を踏み潰した。さらには標高千六百メートルの山を踏み躙り、その土砂でもって周囲の町を住民ごと生き埋めにしたのだ。 彼女の引き起こした被害は極めて甚大であり、推定される犠牲者はすでに十万を超す。 過去一世紀に渡って実戦を経験していない国防軍であっても、これだけ甚大な被害をもたらす外敵が現れればその排除に躊躇うことはなかった。 偵察用の戦闘機が戻るのを待つことなく、発進可能な機体から次々に飛び立っていく。 最新鋭の戦闘機が二十機ほどの編隊を組んで、無慈悲な大虐殺を行う女の子の元へ飛び立った。 高度一万五千メートルまで上昇した戦闘機群は、雲すら眼下に見下ろしながら飛行するが、正面に捉えた灰色の巨塔がそれより遥か上空まで伸びていることに言葉を失う。 世界有数の打撃力を誇る航空戦力であるはずの彼らは、椿季にとっては膝下をノロノロと浮遊する塵のようなものだ。 椿季がそんな戦闘機たちに気がついたのは、彼らがちょうど真正面から向かってきたこと、先ほど旅客機を見つけたことでその周辺高度に気が向いていたからでしかない。 「国民を兵器で攻撃するなんて酷い人です。ミサイルが当たったら私は死んでしまうかもしれませんよ?」 マグマですら薄皮の一枚も破られなかった少女が口にするとそれは嫌味だった。 椿季はようやくやって来た国防軍を歓迎するため、うっかり壊してしまわないようその場で身動き一つせずに待ってあげた。 迫りくる彼らに向けて一歩でも踏み出してしまえば、細脚とそれが生み出す風圧だけで彼らは一瞬にして消滅してしまうことだろう。 ノロノロ近づいてくる戦闘機たちを一分ほど辛抱強くまってあげると、ようやく搭載しているミサイルの射程に入ったらしく一斉射してきた。 いくら集中しても飛行中のミサイルはあまりに小さすぎて見ることは叶わなかったが、膝の周辺を注視していればミサイルが直撃したらしい微弱なオレンジ色の閃光が確認できた。 あまりにも貧弱な破壊力しかもっていないミサイルは、少女を殺傷するどころか、スウェット生地の極一部に見えないほど小さな黒煤を残しただけ。 「とっても痛いです。……だからこれは正当防衛ですよ」 攻撃の前から戦闘機を見つけていなければ気付くことすらなかったはずだ。 蚊に刺されたような、いや、それ以上に貧弱な攻撃に対して、椿季は些細な反撃を試みる。 そっと腰を屈めて姿勢を下げると、両手を打ち合わせるようにして飛行機編隊をまとめて叩き潰してあげた。 椿季からすれば時速六十メートルでしか動けない戦闘機など、ほとんど止まっているようなものでしかなく、空中で叩き潰すことなど容易だ。 実に全長七キロを超える巨大な手は、彼らが離陸に使った滑走路の数倍もの大きさであり、それらが打ち合わされる速さは光速のようですらあった。 戦闘機群はあまりに突然訪れた少女の反撃に対して、回避行動に移ることすらできないまま少女の手の平で弾け飛ぶ。 まだ発射していなかったミサイルが暴発し、機体の燃料に引火して大爆発を引き起こしたが、残念ながら少女に気づいてもらうことすらできなかった。 二十機の戦闘機を叩き潰した手の平を見てみた椿季だったが、その残骸はあまりにも小さくよく見えず、とりあえず息を吹きかけて掃除を済ませておいた。 その瞬間、綺麗になったばかりの手の平に小さな光が瞬いた。 心なしか先ほどのものより一回り大きな光だったような気がしたが、痛みや熱さを感じないのは相変わらずのことだ。 「あれ? 他にもいたのでしょうか?」 周囲を見渡す椿季だったが、周囲に戦闘機の姿はない。 しかし、それでも二度三度と手の平を狙ったミサイルは確実に炸裂しており、どこかに何かがいるはずだった。 ミサイルが飛んできている方角に視線を向けていけば、ようやくその無礼者の正体を掴むことができた。 直線距離にして百キロ以上も離れた海上からミサイルは発射されているのだ。 大型空母を中心においた国防軍の十数隻の艦隊は、沖合での訓練を切り上げて急速に本土へ接近、空軍から共有された情報を元にして椿季へ対艦ミサイルを打ち込んだ。 あまりにも常識はずれの巨体を持つ彼女に対してであれば、射程ギリギリから放ったミサイルであっても外れるようなことはない。 空母の艦載機たちが発艦準備を終えると、周囲の駆逐艦は味方誤射防止のためミサイルの雨を一時的に降り止ませた。 先ほど椿季を襲撃した戦闘機と比較して一回り小型の艦載機は、発艦を終えた機体から次々に巨大な女の子に向かう。 相手が他国の戦闘機群でない以上、編隊飛行をする理由はなく、一刻も早く少しでも多くの機体を送り込むことを選んだかたちだ。 「見つけましたよ。……あ、もしかしてあの港が皆さんの母港だったりしますか?」 椿季からみて半歩先、陸地と海の境目に異様なほど大きな港が存在している。 大型艦船を修理できる巨大なドックがいくつも立ち並び、その周囲には数え切れないほどの倉庫が聳え、その隙間を縫うようにクレーンが設置されている。 少し離れた場所に置かれた丸型の建物は石油の備蓄をしているのだろう。 海軍の一個艦隊をまとめて収容して面倒を見ることができる巨大施設は、五万倍の巨体を持つ少女の興味を惹くことができた。 だが、興味を惹いてしまったことは彼らにとっては不幸以外のなにものでもない。 椿季が右足を大地に付けたまま前方に滑らせていくと、五本の足指が肉の津波となって二つの村と一つの町を飲み込んで磨り潰し、軍隊の母港がある港町の手前で静止した。 横幅四キロを超える可愛らしい爪先は、まるで山脈であるかのように町を見下ろしている。 三万人が暮らす港町など一秒足らずで押し潰してしまえる少女の足先は、小さな人々に恐怖を植え付けるには十分すぎる迫力だった。 「こういうのやってみたかったんです。……兵隊さんたち聞こえますか? 今すぐ私への攻撃をやめてください。言う通りにしないと皆さんの帰る場所がなくなってしまいますよ?」 モジモジと足指をクネラせる椿季。 指の一本ですらこの国の最大人工物を遥かに凌駕する大きさと質量であり、それらが五つも動き回れば微小世界の建物は耐えきれない。 指の周囲一キロに渡って次々に建物が倒壊し、町中に悲鳴が満ち溢れる。 そこから更に半歩先の海上に展開した国防軍艦隊は、偵察衛星を通じて少女の唇の動きを読み取ることで、彼女の要求を理解することができた。 たった一人の女の子に艦隊が脅迫されるという前代未聞の自体であったが、彼女の足指とその眼前に広がる町並みの小ささを考えれば、確かに彼女は一瞬にして町を消し去ってしまえることだろう。 自分たちのミサイルが少女へ到達するには数分を要することを考えれば、住民たちを防護することは不可能だった。 各駆逐艦が発射したミサイルを着弾前に自爆させ、発艦した艦載機を呼び戻す。 そんな彼らの様子を見ていた椿季は、自分の思い通りに人間を動かせたことに嬉しそうに頬を緩ませた。 「ありがとうございます。……では、次は私のことを殺そうとした罰として自殺して頂けますか? お互いの船で攻撃し合って死んでください」 少女の過激な要求に兵士たちは言葉を失う。 彼女の要求は極めて単純であり、理解できないわけではなかった。 死ね。 先ほどの攻撃中止の要求は迷うことなく受け入れられたが、それに続いた要求を受け入れられる人間などいるはずもなかった。 誰もが何をするでもない無為な時間がしばし過ぎ去ったが、その状況を強引に動かしたのは椿季だった。 町に踏み入る寸前で止めていた爪先を軽く持ち上げ、そのまま彼女の感覚でちょっとだけ、この世界に住人にとっては五百メートルほど町に進出させてから指を下ろし、そのままギュッと足指を握り込む。 郊外に広がっていた住宅街を何百とまとめて叩き潰し、その残骸を掻き集めて消え去った足指は、町に暮らす人々にすれば巨竜が町を喰らったように見えたことだろう。 なかなか動きを見せない艦隊への見せしめとして奪われた人命は実に二千を超すが、その被害を正確に把握するにはどれだけの時間がかかることだろうか。 「ほら、早くしないと町が悪い女の子に蹂躙されてしまいますよ? 次はいまの倍の面積を足指が食べてしまいますからね?」 あまりにも無慈悲な虐殺行為を平然と行う女の子。 彼女の足元に広がる町では至る所で火災が生じているが、それを意に介す様子はない。 恐らくは気づいてもいないのだろう。 兵士たちはここでようやく、自分たちが相手にしている存在を理解することができた。 これまで駆逐艦が発射した対艦ミサイルはすでに四十発を超えており、それだけの投射量であれば小さな町くらい消し飛んでいてもおかしくないのだ。 だが、現にそのミサイルの雨をすべて受け止めた少女は健在であり、それどころか着ている衣服に焦げ目をつけることすらできていない。 空母から発艦した戦闘機軍は艦隊の上空を旋回して出番を伺ってはいるが、彼らが搭載しているミサイルは駆逐艦が搭載するものより威力に劣るものだ。 そんなものをどれだけ撃ち込んだところで、少女を撃破することは叶うまい。 勝てない。 彼らの脳裏に浮かんだ結論は誰もが言葉にすることなく共有しており、そんな相手から国民を守るのであれば手段は一つしか無い。 全面降伏と完全な服従。 強者をおもねることで許しを得ようとする負け犬の思考だったが、それ以外に彼らが国民を守る手段はないのだ。 各艦がそれぞれ僚艦に対して照準を合わせたことで、危険を知らせるアラートが鳴り響くが、直後に飛来したミサイルと砲弾によって船体が爆散することでアラートは解除された。 たった一人の女の子に脅されたことで、十二隻の艦艇と乗組員三千余名がなにをすることもできないまま海の藻屑となって沈んでいった。 「あれ? 意外と皆さん素直なんですね。怒って攻撃してくると思っていましたよ」 椿季の想像する以上にこの世界の軍人は強靭な精神力を有しているらしい。 ちょっとした意地悪のつもりでしかなかったが、彼らはちゃんと言うことを聞いて死を選んでくれたのだ。 もちろん、彼らがそれを選ばないのであれば椿季が変わりにやってあげるだけのことだが。 しばらく沖合の船が沈む様子を眺めていた椿季だったが、やがてその視線は真下の港町に向けられる。 一部が損壊してはいるものの、まだ半分以上が無事なままの港町。 何千もの人間が命を捨てて守り抜いたそこには、傷つき助けを求める人々で溢れている。 「でもまぁ、悪い女の子が約束を守るはずないですよね♪」 ちまちまと爪先で削り取るのはもう止めにする。 右足をグワっと大きく持ち上げ、その全長十一キロという途方もなく巨大で足元のカビのような町を半分以上も覆い尽くす。 町の住人たちは、つい先程まで山脈のように聳え立っていたはずのそれらが空に浮かび上がるという状況に恐れ慄くばかり。 一部の人間だけが危機を察して逃げ出したが、残念ながらどこまで走っても上空の足裏が途切れることはなかった。 「えーい」 そんな腑抜けた掛け声と共に足を振り下ろす椿季。 足元のカビを踏み付けるのに狙いを定める必要はなく、どこに振り下ろしたとしても町には甚大な被害が生じるし、その膨大な質量が叩き付けられた事による衝撃波が町の残部を軽々と消し飛ばすことだろう。 事実、彼女が振り下ろした右足は町の中心に聳える少数の高層ビルと、その周囲に建ち並んでいた雑居ビル、さらにその郊外に広がる住宅街までを含めて、おおよそ千数百棟の建物を大きさや用途で隔てることなく平等に押し潰した。 艦隊の母港だった大きな港は、親指の付け根あたりでぺちゃんこになったようだ。 逃げ惑う人間など彼女の素足が接地する前に圧縮された空気の圧力に押し負けて弾け飛び、ほんの一瞬にして全ての生者を物言わぬ肉片に変えてしまう。 町があった場所に綺麗に残された足跡は、爪先部分が海に侵入したせいで海水が流入し始めており、放っておけばいずれは海の一部となるだろう。 三万の人命と共に一つの町を消し去った小柄女子高生は、満足そうに小さく鼻を鳴らした。 「さて、遊ぶのはこの辺にしましょうか。そろそろ学校に行きましょう」 今しがた踏み潰した町に背を向けた椿季は、そのまま大股を広げて四十キロ先へ左足を振り下ろした。 彼女の注意は最高の玩具である自分の高校にだけ向けられていたので、その玩具で遊びやすい場所に移動するだけの歩行にはなんら関心を示してはいない。 だからこそ、今しがた踏み潰されてこの世界から消滅した村が一つあったことにも気がつかないし、続けて踏み下ろした右足で大都市の一部を踏み潰して数万人の人命を奪い去ったこともどうでもいいことだった。 更にはそのまま脚を折りたたむようにして腰を下ろし、いわゆる女の子座りの体制に移行するためには九十万人の犠牲が必要だ。 安物のスウェット生地に包まれた細脚は、ほとんど肉が付いていないというのにそれでも凄まじい質量を有しており、膝を曲げてもなお数十キロに渡って大地を蹂躙する。 その過程で三つの町と七つの村をそこに暮らす人間が悲鳴をあげることすら出ないほどの短時間で磨り潰し、同じだけの被害をもたらしながら反対側の脚も横たえていく。 それだけで既に三十万を超す犠牲者が存在したが、最後に椿季の八十センチの小ぶりなお尻が大都市の半分ほどを押し潰したことでその数は一気に膨れ上がる。 この世界は常人の五万倍も大きな女子高生が座り込んでくることなど考えてはおらず、彼女が身動ぎするたびにあらゆるものが壊れてしまうのだ。 結局、大地ですら彼女の体重を完全には受け止めきれなかったのか、椿季の体は本人が感じ取れるほど豪快に沈み込んでいく。 下半身だけで九十万という人命と彼らが生きていた痕跡を全て押し潰した椿季は、広げた両の太ももで切り取った大都市の一部に視線を落とす。 「学校の皆さんこんにちは。少し私とお話しましょう」 椿季はそう語りかけると、右手の人差し指を大地に下ろし、女の子座りをした自分の両膝を繋ぐように線を描いた。 女の子の指一本が触れただけで数十の建物が押し潰されてしまうが、それが動き回るのであれば被害は加速度的に広がっていく。 例え高層ビルであっても少女の指先が衝突すれば瞬時に粉砕され、指先の通り道でどれだけの人間がどれほど大声で泣き喚いても指先に擦り潰される運命は変わらなかった。 女の子の股と地面の落書きによって隔離された僅かな空間で生存する六万人超の人々は、これまでの人生で一度も経験したことのない絶対的な恐怖に直面していた。 もはや天体サイズと呼んで差し支えのない大巨人によって逃げ場のない空間に囚われたのだからそれも当然のことであった。 その狭い空間のほぼ中心部に存在するのが椿季の通う高校だった。 普段通りに授業中だった学校は、満足な避難をすることも出来ず、教員も生徒も未だ校舎の中で生存していた。 「私のことを覚えていますか? ……そうです。貴方たちが根暗チビって呼んでいた女です」 椿季につけられたあだ名は幾つもあったが、一番よく言われたのが根暗チビだった。 高校に入学してからというもの、学校では名前で呼ばれるよりそう呼ばれた回数の方が遥かに多いほど。 椿季の外見を侮辱するシンプルなあだ名は椿季本人の心を傷つけるのに十分であり、何度やめてと伝えても最後まで呼び方が変わることはなかった。 そんなことを思い出してしまうと、辛かった頃の記憶が蘇り、今すぐに彼らを叩き潰してしまいたくなる。 だが、せっかく訪れた復讐の機会を楽しまないのは勿体無いことだ。 「その根暗チビのお股に閉じ込められた感想を聞かせてくれませんか? とってもとっても小さなバイ菌さん♪」 そんなことを言っていると自分でも笑い出しそうになった。 五万分の一という体格差があっては意志の疎通など叶うはずもないのは明らかであり、こんなことは自己満足以外の何物でもないことは自分でも分かるのだ。 もしかすれば、スマホでも持っていれば彼らとコミュニケーションを取ることも出来たのかもしれないが、よく考えれば彼らの連絡先など知らないし知りたくもない。 「バイ菌さんは無口なんですね。……命乞いくらいすればいいのに。もしかして今の私のことがよく分かっていないのですか?」 椿季が右手の小指だけをピンと差し伸ばし、高校の真正面にゆっくりと突き刺した。 体の各部位でも特に小さな部位である小指は、それでも学校の敷地と比べて倍以上の幅がある肌色の巨塔だった。 そこに存在する百数十の住宅をまとめて押し潰した小指。 短く切り揃えられた爪が大地に食い込んだかと思うと、まるで紙粘土にでも突き刺したかのように大地にズブズブと沈み込んでいく。 高校からは直線距離で五キロほど離れているはずだったが、それでも校舎内の誰もがそれを間近に存在するかのように感じていた。 周辺を囲う灰色の壁は彼らの理解できる限界を超えていたが、正面から見る小指であればそれが人間の一部であることは理解できてしまった。 「それ小指なんですよ。軽く地面に触れただけですけど、それでも凄い数のお家を潰して、何百人も殺しちゃいました」 もはや椿季にとって虐殺も蹂躙も特別なことではなかった。 今日だけで既に百数十万人の命を彼らの尊厳ごと粉々に踏み潰してきたのだ。 たかだか数百人程度の虐殺くらいで騒ぐこともない。 だが、この瞬間まで普通に暮らしていた人々にとってそれはあまりに理不尽で受け入れ難い現実だった。 学校の中で山のように巨大な指先を呆然と眺めるばかりの生徒たちも、その真下に見慣れた町並みが広がっていたことは覚えている。 それが今はない。代わりに女の子の小指がそこに存在するのだ。 それはつまり、そこに暮らしていた人々が押し潰されてしまったということだった。 「小指だけで町のひと区画を押し潰せてしまうなら、このまま右手を押し付けたらどうなると思いますか? 同じように左手も下ろしたら? そのまま適当に撫で回したら? きっと大勢の犠牲が出てしまいますよ。大虐殺ですね♪」 校舎内に取り残された生徒たちだけはなく、椿季の太ももに閉じ込められた数万人が現実的な恐怖に怯えていた。 聳え立つ灰色の巨塔があらゆる人工物を凌駕する大きさと質量を有しており、またそれが気の向くまま暴れ出すかもしれないということへの恐怖。 だが、それに対してどれだけ恐怖を感じ取ったところで、彼らに出来ることなど泣き喚くか命乞いをするか、罵倒するかくらいだ。 もちろん、誰がどれを選んだところで椿季にとってはどうでもいいことだった。 結局のところ、椿季はいつでも自由に彼らを殲滅することができてしまうのだから。 「これでバイ菌さんにも理解できましたか? 私はもうチビじゃないんです。この世界の誰よりも大きくて強くて、……何より、皆さんのことが大嫌いな女の子なんですよ」 椿季の心を圧倒的な優越感が埋め尽くしていく。 これまでの人生で体躯が小柄であることを笑われたことは数え切れず、程度の差はあれども常に劣等感を覚えていた。 だが、たかだか数十センチの違いなど今となってはあまりにも馬鹿馬鹿しい違いでしかない。 今の椿季であればたとえ身長二メートルを越す巨漢であっても見ることすらできない砂粒以下の存在でしかないのだ。 そんな人間など何百何千万、それこそ何億集まったところで、指先一つで簡単に捻り潰してしまえるのだから。 「ついでに言うと、私は意外と意地悪だったりします。全く寛容さのない子供なので、嫌いな人を虐殺できるなら必ずしちゃいますよ♪ 許すつもりはないので謝罪は必要ありません。……たくさん後悔して泣き叫びながら死んでくれればそれでOKです!」 もし仮に太ももの間で生かされている彼らが椿季の言葉を理解していれば、きっと椿季の期待通りの恐怖に引き攣った情けない表情を見せてくれたことだろう。 大自然ですら容易く踏み躙る巨人から明確な敵意と殺意を向けられる恐怖など、どれだけ精神が強い者であっても耐えられるはずもない。 交渉の余地などない。彼女がそうすると決めた以上、そうなることが運命なのだ。 そんな微生物たちの反応を想像しながらニヤニヤしていた椿季は、彼らを怯えさせていた小指を引き上げてあげると、代わりに腰を曲げるようにして彼らに顔を近寄せる。 地表の人間にとってみれば直径十キロを超える途方もなく巨大なそれは小さな天体のようですらあったが、外見は確かに可愛らしい女の子の顔だった。 「皆さんのようないじめっ子をどうやって始末するかずっと考えていました。虫みたく手で叩き潰してもいいですし、十キロちょっとのよわよわ握力で握り潰してもいいですよね。素足で踏み潰すなんて屈辱的な終わらせ方も魅力的ですし、息を吹きかけて校舎ごと粉々にするのも捨て難いです。……でも、バイ菌さんはやっぱり消毒が一番だと思います♪ もう少しで唾液が溜まるので、そうしたら殺菌してあげますね」 椿季は口の中でわざと舌を激しく動かし、唾を歯に押し付けるようにしてクチュクチュと水音を町中に響かせる。 それはあまりにもはしたなく、下品とも取れる音だった。 校舎内の生徒たちは突如として天空から降り注ぐ異音に怯え空を見上げるが、そこには意地悪に微笑む女子高生の顔があるだけ。 どれだけの恐怖に突き動かされたとしても、彼らの逃げ道はすでに奪い去られてしまった。 少女の口内に唾が溜まりきったときが彼らの最期。 そしてそれは数秒という極めて短時間のうちにやってきてしまった。 「お待たせしました。処刑の時間ですよっ♪」 鼻息で吹き飛ばしてしまわないように息を止めた椿季は、地表により顔を近づけていく。 町のひと区画を優に覆い尽くす巨大な顔面が接近する様子は、空が落ちてくるかのようであり、人間の理解力の外側にある異常事態だった。 椿季の通っていた高校の敷地の真上には全長数キロに渡る巨大な唇が占位し、小さく窄められた唇から透明で粘着質な液体が溢れ出す。 ツーッと糸を引くように落下した一雫は、それだけで学校の敷地内に存在するプールを充たしてしまえるだけの膨大な量だ。 そんなものが上空一キロメートルの高度から降り注げば、どれだけ頑強な作りをした建物であっても一瞬も耐えることなく押し潰され、そのまま液体に飲み込まれてしまう。 何百という生徒たちが悲鳴を上げていたが、少女の唾液一滴がそれら全てを強制的に黙り込ませ、そのまま二度と言葉を発しない無残な肉片に変えてしまった。 同じように周囲に唾液を垂らす度、学校の周囲に広がっていた住宅街が押し潰されて消え去り、代わりにヌメヌメと光るそれが居座るのだ。 十数秒ほど時間をかけて口内の唾を全て吐き出した椿季は、あまりに惨めな最期を遂げた友人たち、ついでに押し潰した地域住民たちに思いを馳せてクスクス笑いが堪え切れないでいた。 「ふふ。バイ菌さんに相応しい最期だと思いますよ。……とっても汚いですね♪」 いじめっ子を退治ししてすっかりご機嫌な椿季は、その場でスッと立ち上がる。 立ったままの目線でみれば自分の吐き出した唾などごく少量でしかないことがわかる。 あまり見栄えの良いものでもないので、適当に足を動かして周囲の土を掘り起こし、そのまま唾に被せておいた。 女子高生による乱雑な後処理だったが、それでもその犠牲者は十万を超えるのだ。 ようやく太ももの支配から逃れられたと浮かれていた人々は、自分たちが極めて矮小な存在に過ぎず、椿季の意識の外側にあることに気づいていなかった。 彼らが喜んでいようと、悲しんでいようと、どちらにせよ椿季の興味は向けられない。 無意識のうちに虐殺されてしまうのも当然のことだった。 「さて、いじめの対処は済みましたし、これからどうしましょうか。……私が苦しんでいるときに助けてくれなかった社会への復讐、とか楽しそうですよね。人類の皆さんは全員が連帯責任ですよ♪」 椿季が目線を前方に走らせれば、まだ手付かずの大都市が広がっていた。 さらにその奥にも無数に町や都市は存在するし、海峡を跨いだ先には数千万人が暮らす首都がある。 海を渡り別大陸に至れば数億の人々がまだのうのうと生きているのだ。 本来の性格を隠す必要がなくなった小柄女子高生は、手始めとして眼前の大都市に向けて歩み出すのであった。