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サボり(前編)

サボり。 それは誰もが一度は考えたことがあるだろう怠惰な思考であり、それを本心から批難できるような聖人君子はなかなかいない。 どれだけ真面目な人でもふと気が緩み、心の赴くまま休んでしまうことはある。 もちろん、普通の女子高生でしかない羽華祢もその例外ではない。 早朝のベッド、百七十六センチという長身痩躯の肢体を横たえる羽華祢は微睡みの誘惑に容易く負けてしまった。 二度目に目を開けたときに嫌な予感がして飛び起きてみたが、どれだけ焦ったところで過ぎ去った時間が戻ることはない。 シャカシャカと歯を磨き、トースト一枚の朝食を胃に押し込み、入学から二年程お世話になっている制服に袖を通した。 グレーのセーターを内に着込んだブレザー姿は傍目にも可愛らしく、膝上二十センチまで織り込んだスカートから覗く生足は妖艶ですらある。 最後に長く美しい脚に濃紺のニーソックスを履くと、通学用のリュックを適当に掴んで部屋を出て、玄関で履き慣らしたローファーに足を突っ込む。 その勢いのまま玄関のドアを開けた瞬間のこと。 「…………なんか、今日はいいかな」 太陽の日差しを浴びた羽華祢の口から呟きが漏れる。 おそらく、このまま全速力で駅まで走ればギリギリの電車に間に合うだろう。 女子の平均を軽く上回る身体能力を生まれ持った羽華祢にとって、駅までの一キロという道のりなど一息で駆けて行ける。 だが。 「あー、うん。いいわ。今日はサボろ」 一瞬でもやる気を失ってしまえば、もう一度その気になるのは難しい。 そして羽華祢という少女は頑張ることが大嫌いであった。 できるかどうかではなく、したいかどうかが彼女の判断基準である。 スマホを取り出して仲良しの友達に学校を休むと連絡すると、その場で小さく背伸びした。 これまで何度も同じ文面を送ったおかげで、メッセージは予想変換によって実にスムーズに入力できた。 まだ自宅の前。このまま自室に引き返してゴロゴロするか、街に出て遊び回るかは自由だ。 だが、羽華祢には他の人にはないもう一つの選択肢がある。 「ん。せっかく着替えたんだし、他の世界に行くか~」 物心ついた頃に羽華祢に備わった異能の力。 無制限に存在する平行世界間を自由に行き来するという人智の及ばない力は、羽華祢に無限の選択肢と可能性を与えてくれた。 ファンタジーのような剣と魔法の世界もあれば、すでに人類が滅び去った荒野のような世界もあり、行く度に羽華祢を驚かせ楽しませてくれる。 もともと真面目だったはずの羽華祢が、学校生活を退屈に感じてサボり癖がついたのもこの力の存在に気がついたからだ。 「ま、適当にランダムで行こうかな。面白い世界だといいけどなぁ~」 リュックを玄関に置いた羽華祢が誰に言うでもなく呟いた。 どれだけ平行世界を訪れたとしても、それは常に新鮮な経験を与えてくれるだろう。 世界の広がりは果てしなく、仮に羽華祢が寿命を迎えるまで空間跳躍を繰り返したとしても、全体の一パーセントも踏み入れることはできないのだ。 だからこそ、ランダムに転移すれば確実に未知の世界へ踏み入ることができる。 おサボり少女の暇つぶしは、神の領域へ踏み込んで行われるのだった。 その大都市では朝の通勤通学ラッシュが終わり、普段と変わりない日常が始まったばかりであった。 人口百万超、さらに日中は周囲の町から職場や学校を求めて人が流入することによって総計百二十万もの人間が活動するその都市は、まさに大都市といった風格だ。 北部の山々と南部の海に囲まれたことによって、都市でありながらも一時間もあればどちらの大自然も満喫できるし、新幹線が停車する大規模な駅や、国際便も扱うハブ空港、大型フェリーが行き交う港など、交通の便も非常に発達していた。 都市の中心部に広がる高層ビル群は経済発展の象徴でもあり、高さを競い合うかのように次々と建設が続いている。 特に高さ二百メートルを超すような超高層ビルの上層階には展望台が設けられており、日中は観光客が途切れることなく訪れていた。 展望台の望遠鏡を覗き込んでいた観光客の一人が、ふと北部に広がる山脈に異質な存在を見つけた。 女の子だ。 ブレザーの制服に身を包んだ、とてもスタイルの良い女子高生が立っている。 しきりに周囲を見渡しては手に持ったスマホで写真を撮っているらしい。 この大都市は観光地の側面もあるため、学生がスマホを片手に歩いていたとしても不思議ではない。 だが。 都市中心部のこの展望台から彼女がいる北部山脈までは直線距離で十五キロ以上離れており、いくら望遠鏡を使っても本来であれば見えるはずがないのだ。 常識の中で生きてきた彼らにとって、身長千七百六十メートルもの巨人が存在することなど想像すらできなかった。 もっとも、当の本人である羽華祢もまた、千分の一という極小の世界が存在することを想像すらしていなかったのだから、これはお互い様なのかもしれない。 「え、嘘でしょ。マジかぁ~」 未知の世界にやってきたおサボり女子高生は、いつものように周囲を観察して状況の理解に努めていた。 もし、危険な場所であればすぐに別世界へ避難する必要があるからだ。 周囲をキョロキョロ見渡していた羽華祢は、とりあえず危険がなさそうだということを理解すると、続けて頭の中に浮かんだ違和感に戸惑った。 知らないはずの世界なのに、なぜか見覚えがあるように感じるのだ。 数瞬の思案を経て、羽華祢はその違和感の正体が目線の高さであり、まるで自分が地図アプリでも開いているかのような目線を有していることに気がついた。 もしかして、と足元へ視線を落としてみれば、そこにはブラウンのローファーによって踏み潰されてしまった小さな木々が倒れていた。 それが芝だと言われても信じてしまいそうな大きさだが、芝と違って幹が折れた木は二度と立ち上がることはない。 「ミニチュアの世界に来ちゃったかぁ~。……ふーん」 確かに少し先へ視線を送れば灰色の大地が広がっており、目の焦点を合わせてしっかり観察すればそれが建物だということも分かる。 自分が暮らしているような一軒家など、ローファーのヒールにも届かないほど小さいであろう極小世界。 これまで経験してきた異世界のどれとも違う不思議な世界は、羽華祢の興味と関心を最大に引き出してくれた。 とりあえず、これまでの異世界と同じようにスマホで記念撮影をしていく羽華祢。 パシャパシャと無遠慮に周囲を撮影するが、小さな世界では必然的にカメラは下向きばかりになってしまう。 「ん~? あっ」 撮影した画像を流し見ていると、非情に写りの悪い一枚が目に止まった。 どうやら何かが太陽の光を反射したらしく、ほとんど真っ白な写真が出来上がっている。 その写真を撮影しただろうあたりに目をやれば、緑色の木々が連なる山中になにやら黒い板のようなものが敷かれていることに気がついた。 一つ一つはタブレット端末と同じくらいの大きさであるが、それらが十枚ほど密集しているようだ。 もう少し観察するために近づいてみれば、どうやら山を切り開いて設置されたソーラーパネルが連なっているらしいことが分かる。 「…………」 無機質な黒色パネルを見下ろしているだけだというのに、何故か胸がうずくのを感じた。 無意識のうちにモジモジと足を動かしてしまい、踏み付けていた大木を粉々に磨り潰してしまった。 羽華祢はどうして自分がドキドキしているのか分からず、似たような感覚に陥った過去の記憶を呼び起こす。 それは羽華祢がまだ小学校に入学する前、記憶がはっきりしないほど幼かったときの出来事。 近所の公園に遊びに行ったとき、ふと砂場に誰かが築いた小山が残っているのに気がついた。 まるで吸い寄せられるようにその小山に歩み寄ると、なぜだか無性にそれを踏み潰してみたくなった。 あのときの感覚、誰かが懸命に作ったなにかを壊そうとするときによぎる背徳感が今の羽華祢が感じているものに一番近いだろう。 結局、あのときは我慢できずに踏み潰してしまったが、今はどうだろうか。 あれから十年以上が経過し、平均的な大人よりも大きく育った今の羽華祢なら。 「…………しゃ、写真! 写真撮るのに邪魔だから! 仕方なくだからっ!」 人間の本質はそう変わるものではない。 変わったことがあるとすれば、小さな子供用スニーカーを履いていた右足が、いまでは二十七センチの合成皮革のローファーを履いていることくらいだ。 もっとも、例えここにいるのが十年前の幼い羽華祢だったとしても、足元の発電設備をゴミに変える労力は同じだっただろう。 右足をそっとソーラーパネルに重ねていけば、パキパキと軽い音を立てながらクッキーよりも容易く砕けてしまう。 その感触を楽しみながら足を大地まで付けてしまえば、総工費数億円は下らない巨大施設は見る影もなく破壊し尽くされてしまった。 それだけに留まらず、羽華祢の体重を支えきれなかった山肌が崩れ落ちることで、周囲のパネルもその崩落に巻き込まれでグシャグシャと割れ砕けては土砂にまみれる。 「え、あ、ふっ、ふーん。……ふへっ」 自分がたった一度、そっと足を踏み出しただけで半壊してしまった施設群。 あまりにも貧弱で情けないそれは、きっとこの世界に暮らす極小人間が数百数千と集まって築き上げた一大建造物なのだろう。 そんなことを考えていると先ほど似たような、だけでもそれ以上に強烈な衝動がゾクゾクと背中を駆け回った。 その衝動に任せるように、続けて左足をまだ健在なソーラーパネルに向けて振り下ろす。 先ほどの躊躇いがちに感触を楽しもうとするそれとは異なり、勢いよく振り下ろされたブラウンのローファーは二百七十メートルという巨体に相応しい質量によって大地を蹂躙する。 小さな人間が作り出したちっぽけなそれを瞬時にゴミに変えるのはもちろん、その残骸を膨大な土砂と共に数十メートルも上空へ巻き上げる。 鉄と土で構成された滝が崩れ落ちる様は災害のようですらあったが、実際にあまりの衝撃に耐えきれなかったのか、山肌の一部が崩落して麓の村の半分ほどを飲み込んで消し去ってしまった程だ。 何も考えず無造作に足を踏み鳴らすだけでも地形を歪めてしまう力。 その絶対的な力は、それを有する少女に圧倒的な優越感をもたらしてくれた。 「ふへへっ♪」 いけないことをしている自覚はある。 だが、十代の少女には受け止めきれないほど巨大な優越感が自制心を遥かに凌駕していた。 羽華祢の視線は足元から続く土石の川の先、ようやく騒ぎ出した小さな村に向けられていた。 これまで呆然と空を見上げるばかりだった彼らは、山から押し寄せた莫大な土砂によって自分たちの命が脅かされて初めて危機感を抱くことができたのだ。 あまりに非常識な光景に引き続き呆然とする者もいたが、大半の人間は山よりも大きな女子高生に背を向けて走り出し、極僅かな者は土砂に埋もれた被災者の救出に向かった。 羽華祢からすれば二ミリもない極小の生き物たちが動き回る様は、蟻が這い回っているようなものであったが、悲しいことに人間の動きはそれより遥かに鈍い。 蟻は秒速十センチで移動するが、この世界の人間は懸命に走ったところで一秒間に進める距離は一センチに満たないだろう。 もちろん、極小人間がどんなに力を振り絞ったとしても羽華祢のローファーの甲に達することは出来ないが、蟻はそのくらいは当然にやってのける。 もし仮に、羽華祢が自分の世界から蟻を持ち込んでいれば、この世界では軍隊を投入してようやく互角に渡り合えるかどうかという怪物になるのだろう。 だが、そんな怪物も所詮は虫ケラ。 女子高生が気まぐれに何百何千何万という大軍を容易く踏み躙ってしまえるのだ。 そんな人間の様子をしばし観察していた羽華祢だったが、僅か一歩先にノロノロ動き回る人間がいるのを黙って見ているのは限界だった。 「お邪魔しま~す!」 他人の土地に足を踏み入れるのだから挨拶くらいはする。 持ち上げた右足のローファーは、ぱらぱらと砂を撒き散らしながら小さな村に迫る。 人間では走破に十数分を要する距離を一瞬で詰めた巨足は、先ほどの土石流によって半壊した村の北部でその侵略を止めた。 救助のためそこに残った人々は、急速に空が暗い影に覆われる光景に脅え、続けて空から降り注ぐ土砂に襲われることで、その場で頭を手で抑えてしゃがみ込んだ。 ほとんどの村人が信じがたい光景に言葉を失うが、数名は空を覆い尽くす巨塊が女の子の靴底であることを理解していたのか、止めてくれと懸命に叫んでいた。 だが、そんな彼らの防御姿勢も助命も懇願も、千七百六十メートルの超巨体を有する女子高生を前にして無意味だった。 なぜなら、それらは全て靴底の下で行われたことであり、羽華祢の視界には写らないからだ。 ズン、とローファーを踏み降ろした羽華祢は、意地悪にもその場でグリグリと足を捻って周囲のあらゆるものを踏み躙っていく。 人間はもちろん、彼らが暮らしていた住居も、大切にしていた車も、仕事場であった畑も、村を構成していたあらゆる物を消え去ってしまう。 「あ、これヤバいわ」 片足で村人と彼らの暮らしを根こそぎ踏み躙った羽華祢は、足裏から伝わる感触にこれまでにない充実感を噛み締めていた。 それと同時に、頭の隅に残っていた理性の枷が外れるのが分かってしまった。 なんとなく感じていたことではあるが、どうやら自分にはサドの気があるらしい。 そんな自分にとってこの世界は実に都合のよい場所だった。 なにせ遠目に見える町並みは大都市といっても過言ではないほど巨大であり、しかしながらそのどれもが羽華祢より遥かに小さいのだから。 今の羽華祢にとってこの世界は自分の欲望の限り、好き放題に振る舞える場所なのだ。 そんなことを考えていると、今こうして足元に広がるちっぽけな村など急速にどうでもよく思えてきた。 残っているのは一軒家が十数棟に集会所らしき建物が一つ、他には恐らく最初から一つしかなかったであろうコンビニ。それ以外は田畑が広がるだけだ。 「こんなショボい所で遊んでも面白くないか。じゃ、サクッと消しちゃお」 先ほどまで執拗に大地を踏み躙っていた足が再び宙に浮く。 次の狙いは住宅に決めていたらしく、なんら躊躇う素振りもなく木造住宅の密集地帯に振り下ろされた。 凄まじい衝撃と轟音がその破壊力を物語るが、それ以上に彼女が足を振り下ろした跡地の惨憺たる有様のほうがより破壊力を明示している。 二百七十メートルの巨足はそこに存在していたはずの人工物を全て消し飛ばし、それどころかその土地を数十メートルも沈めこませ、更には放射状に広がる巨穴を穿つ。 人間がその穴を埋めるには建設用重機を持ち出して数週間かかるであろうそれを、まるでリズムゲームでもするかのように淡々と生み出していく羽華祢。 羽華祢にしてみれば足元を見ながらゆっくり足踏みをしているに過ぎないが、この世界の住人たちには砲爆撃に等しい破壊の嵐が吹き荒れているのだ。 コンビニなどは真横にローファーが振り下ろされた衝撃波だけで粉々に吹き飛び、唯一鉄筋コンクリート製だった集会所はローファーの踵部分によって地下深くに埋葬された。 彼女の超重量に押し潰された田畑では、土が鋼鉄のような硬度まで圧迫されており、恐らく未来永劫に渡り作物が育つことはないだろう。 最後に残ったのは村の外れにあった小さな祠と墓地だった。 村人たちに大切にされていたのか、手入れの行き届いた神聖な場所である。 羽華祢も一瞬だけ逡巡したが、悪いことをする背徳感を味わいたい気持ちが勝った。 村を踏み躙ったローファーの爪先で軽く蹴りつけ粉々に粉砕すると、同時に周囲数百メートルへ残骸を撒き散らしてしまった。 女子高生が足踏みを初めてから僅か数秒。 人口三百人ほどの小さな村は、文字通り跡形もなくこの地表から消え去っていた。 「はい、おしまい♪」 巨大な足跡が折り重なる赤茶けた大地に佇む長身女子高生。 自分の破壊行為に満足げな笑みを浮かべる彼女は、村から伸びる小さな道路に沿うように歩き大都市を目指す。 道路を舗装するアスファルトなど羽華祢の体重を一瞬たりとも受け止めることができず、霜柱よりも容易く踏み砕かれてしまっていた。 数百メートルおきに二百七十メートルの巨大な足跡を刻み込む女子高生の接近は、その凄まじい足音によって大都市で日常を送る百二十万人のほぼ全員が知ることになった。 町中に悲鳴と怒号が響き渡るが、その原因を作った女子高生にそれらが伝わることはない。 あまりに小さな生き物の小さな声など、羽華祢にとっては虫の羽音にすら劣るのだから。 それはあまりに不可解な指示であった。 その大型旅客機はついさっき乗客の搭乗が完了したばかりであり、普段ならば離陸までは今から二十分程度かかるはずだった。 だが、そうした通常時の手順を省略して即時、滑走路に向かうよう指示があったのだ。 不思議に思いながらも最短ルートで滑走路に向かうと、その到着とほぼ同時に離陸の指示があり、約二百名の乗客を乗せたその機体は急激な加速を始める。 機首が持ち上がり浮力を経て空へ旅立とうとした瞬間、機体の前方に突如としてブラウンの小山が立ちはだかった。 咄嗟に小山との衝突を回避しようと懸命に操縦感を引いて機体を持ち上げようとするが、残念ながらその努力が報われることはなかった。 飛行機の行く手を遮るように振り下ろされた女子高生のローファーは、全長六十メートルの鉄の鳥が高速で衝突しようと、そのまま燃料の気化爆発に巻き込まれようと、ピクリとも動くことはなかった。 「残~念。間に合わなかったね」 思わず意地悪な笑みを浮かべてしまう羽華祢。 自分が空港についたときにちょうど飛び立とうと頑張っていたその機体を見つけ、つい虐めたくなってしまったのだ。 恐らくギリギリで回避が間に合わないだろうタイミングで進路に足を置いてやった。 結果は羽華祢の予定通り。 小さな人間を何百人か乗せていただろうそれは、原型を留めることもなく小さな火の玉となって足元に転がっている。 どう見ても誰一人助かることはなかっただろうが、念のため消化を兼ねて踏み潰しておいた。 「最初に逃げ道を潰すのは定番だもんね~。……よっ、と」 滑走路の上で立ち往生していた飛行機を踏み潰す。 それは数百人を乗せて空を飛ぶ一般的な機体であったが、羽華祢からすれば乾電池よりも小さく、アルミホイルよりも脆い棺桶でしかない。 当然、そんな小さなものがローファーから伝わる超重量を支えられるはずもなく、そのまま抵抗することなくアスファルトに押し付けられて形を失う。 乗客の運命などわざわざ確認するまでもなく、滑走路に綺麗に刻み込まれた足跡の中に残る残骸を一瞥すればそれだけで事足りた。 「じゃあ次はあなた達ね~」 飛行機を容易く踏み潰したローファーが再び動き出した。 目標は眼下に捉えている旅客ターミナル。 全面がガラス張りで作られた大型施設であり、羽華祢としては、最初は小突く程度にして小さな穴を開けて怖がらせてやるつもりだった。 だが、ガラス張りで内空間の広いターミナル施設は想像よりも遥かに脆く、ローファーの先端部が触れた瞬間に爆散するように飛び散ってしまった。 蹴り出された膨大な瓦礫がそのまま数百メートル先まで飛び散り、民家を数十棟まとめて押し潰してしまう。 たった一蹴りしただけで全体の半分以上が失われてしまい、残された半分も凄まじい衝撃波によって破壊され尽くし、ガラスが一枚も残っていないのはもちろん、断面に近い場所から徐々に崩れ始めてしまった。 ターミナルの中で飛行機を待っていた一万超の人々のうち直撃を受けた半数は瞬時に血飛沫となり、残された半分の者たちも大半が二度と動くことはない。 極僅かに幸運なものだけが命を繋いだが、それが途絶えるのも時間の問題であろう。 「うわっ、弱すぎでしょ! ツンツンして遊ぼうと思ったのに……」 これは羽華祢の想像を超えた凄まじい破壊行為だった。 まだ自分の持つ力のイメージが上手く出来ていなかったようだ。 試しにターミナルの残り半分を少し強めに蹴ってみれば、先ほどのものよりも遥かに細かく粉砕され砂粒のようになった瓦礫が宙に舞った。 この大都市の象徴の一つでもあった空港は、おサボり女子高生の暇潰しによって僅か数秒で壊滅的な損害を負う羽目になった。 まだ辛うじて機能しているのは管制塔と格納庫だが、それが残っていたところで何ができるわけでもない。 格納庫を左足、管制塔を右足でそれぞれ踏み潰した羽華祢は、少し不満げな表情を浮かべながら最後に残しておいた玩具に視線を向ける。 その玩具は、どうやら自分たちの存在が見落とされているとでも思っているのか、ノロノロと離陸の準備を進めているようだった。 全長二キロを超す滑走路が二本並ぶ空港の敷地は広大である。 だが、その滑走路に匹敵する身長を誇る女子高生にとっては自室にも劣る程度の狭苦しい環境だ。 だからこそ、羽華祢が襲いかかったのとは正反対の方向から飛び立った飛行機であっても、容易く追い付かれてしまうのだ。 機体の高度が千メートルを越し、窓から見える地上の様子が豆粒のように小さくなり始めた頃、突如として背後に灰色の壁がそびえ立った。 無骨な印象どころかむしろ柔らかそうな印象を与えるその壁は、驚くべきことに高速で飛行する機体に容易く追い付こうとしている。 乗客たちは遮るものがない自由な空間、空の上に壁が出現するという奇妙な状況が理解できなかった。 だが、理解できないなりにもこれが危険な状態であることは察することができた。 そんな乗客たちの不安を分かっているかのように、飛行機は異常なほどの加速で背後から迫るその壁を振り切ろうとしていた。 もちろん、時速四万キロで歩く女子高生が振り切られるようなことはないし、彼女の着る灰色のセーターが飛行機程度を粉砕できないこともない。 「へへっ! 逃げられませんよ~」 滑走路から飛び立った飛行機を真後ろから追いかけた羽華祢。 ノロノロと浮かぶそれは数十秒待ってようやく羽華祢のお腹あたりまで上昇し、その後からは気持ち程度に飛行速度が上がったような気がした。 だが、その程度。 追い付かないようにそっと追い掛けていたのを止めて普段と同じ速度で歩き出せば、一キロ以上も開いていた距離は一秒経たずに埋め合わせ、それどころか接触してしまう。 ポフッ。という軽い感触がお腹あたりにあったが、それが女子高生と衝突事故を起こした飛行機の最後の抵抗であった。 羽華祢はただ歩いただけ。それだけのことであるが、音速に迫る速度の飛行機に容易く追いつき、手を動かすまでもなく粉砕してしまえるのだ。 セーターに付着した残骸を手で叩いて落としてしまえば、数百人が空中で散華したことなど最初から存在しなかったかのように消え去ってしまう。 「どうですか皆さん、飛行機を使っても私から逃げられないんですよ? 絶望してくれましたかぁ~? へへっ」 意地悪な女子高生による悪趣味な見せしめは効果的であった。 彼女が歩き回ったことで無残に踏み躙られた住宅街はもちろん、大都市のどこに居ても見ることが出来る空中処刑は人々を存分に恐怖させた。 文字通り山のように巨大な生き物が、自分たちと同じ知恵を持ち、躊躇いなく破壊と殺戮を働くという事実は控えめに考えても絶望的と言っていいだろう。 百万を超す人々からの恐怖の視線を全身に浴びた羽華祢は、満足に見えもしない極小人間たちの発する恐怖を感じ取った気がした。 それは勘違いだったかもしれないが、背中をゾクゾク駆け巡る嗜虐心は本物だった。 「じゃ、次は港をぶっ潰しま~す♪ 泣いても止めてあげませ~ん!」 羽華祢の宣言は大都市の隅々まで、もちろん港にいた人々の元にも届いた。 この都市の沿岸には貨物船が出入りする物流拠点としての港と、大型客船が乗り入れる商用港の二つがあるが、そのどちらのことを言っているのだろうか。 そんな些細な疑問を抱いてしまうのは、その世界に生きる人間であれば同然のこと。 だが、異世界からやってきた千七百六十メートルもの超巨体の少女にとってはそんな区別などどうでもよいことだ。 なぜなら、二つとも壊せばいいだけのことであり、選ぶ必要などないのだから。 そのクルーズ船はとても不運だったと言っていいだろう。 なにせ世界を巡る長旅の途中、たまたま今日この港に立ち寄っただけなのだから。 全長三百メートル、最大乗員数二千五百名、甲板にはプールを備え、船内にはコンサートホールまで内包する十八階建ての大型船は、明日の朝には出港する予定だった。 この港の中で特筆して巨大な船体は豪華な装飾が至るところに施され、誰もの目を惹く存在である。 もちろん、港の周囲に広がった雑居ビルを踏み潰しながら歩み寄ってくる巨大な少女にとってもそれは同じことであり、目を付けられた瞬間に運命が決まってしまった。 「なんか凄いの居るじゃん! なにこれ写真撮ろっ!」 羽華祢は初めて実物を見た豪華客船に向けて、スマホのカメラを立ち上げて何枚か写真を撮っておく。 現物である以上は当然のことであるが、それでもこれだけ小さなものが細部まで作り込まれているのは珍しく思えたからだ。 撮影した画像を拡大して眺めてみれば、こちらを見上げて驚愕する人間たちの姿が写り込んでいた。 撮影した画像を時系列ごとに眺めるたびにその数はどんどん減っていき、最後の一枚では見える範囲に人は残っていない。 どうやら我先にと船内に逃げ込んでしまったらしい。 「へへっ。まぁ、本人がそれで満足ならいいんだけどさぁ~。あんまり意味ないと思うけどなぁ~」 停泊するクルーズ船の真横までやってきた羽華祢がその場でしゃがみ込むと、巨大なはずの船体がまるでティッシュ箱のように見えてしまう。 さらに女の子の影に覆われて太陽を遮られてしまったことで、どことなく弱々しい印象すらあった。 短いスカートが太ももに掛かることで捲れ上がり、淡いピンク色の下着を見せつけるようになってしまったが、羽華祢がそれを気にする素振りはない。 砂粒のような生き物にパンツを見せたところで羞恥心を覚えるはずもないからだ。 「ツンツンしちゃうぞ」 羽華祢がその細い指先を突き付ける。 だが、先ほどまで遊んできた施設がどれも貧弱であったことを考えると、あまり強く突いてしまうとあっさり壊してしまうことになりかねない。 この港に全長三百メートルを超す巨体で、羽華祢が玩具に出来そうな船はこの一隻だけ。 うっかり壊してしまうようなことは避けたいところだ。 だからこそ、指の腹でそっと撫でるように船の上層部に触れてみた。 だが、この世界の人間が一生懸命に作り上げた豪華客船は泥舟の如き脆さであり、女子高生の指先が触れた瞬間からバキバキと耳障りな破壊音をあげながら壊れていく。 船体部位が木製だろうが金属製だろうが、そんな些細な違いは結果には影響がなかった。 まるで子供が地面に文字を書くかのように船体を削り取った指先には無数の破片が付着するが、羽華祢がそっと息を吹きかければ元の肌色を取り戻す。 「あははっ。なんだこれ、弱っ!」 船内の乗客たちはあまりの出来事に叫び声を上げていた。 女子高生が歩み寄ってくるときは断続的に続く地響きに怯え、彼女が座り込んだときには凄まじく巨大な影に飲み込まれて怯え、彼女の指先が船体に触れたときにはその衝撃に怯え、その後に続く強烈な破壊音に怯える羽目になった。 そのどれもが想像すらしなかったことであり、小さな生き物にとっては生死を分ける出来事である。 実際、上層階の客室に逃げ込んでいた乗客たちの中には、羽華祢に気づかれることもないまま指先に磨り潰されたものも多いのだ。 「次はどうしよっかな~。いっそこのまま叩き潰しちゃおうか?」 羽華祢が広げた右手を船体の上空に翳す。 百七十メートルの巨大な肌色の壁はクルーズ船より幾分が小さくはあったが、秘められた質量は船を粉々に消し飛ばすには十分な破壊力を生み出すことだろう。 先ほど指先で上層部が削り取られたことによって、乗客たちの一部は空に控えた女子高生の片手を見上げることができた。 あれが叩き付けられれば、自分たちの身は跡形もなく消し飛ばされることだろう。 そして、少女がその気になれば今すぐにでもその虐殺が始まり、恐らくは一秒と経たずに皆殺しが完了するのだ。 小さな彼らに出来ることは存在するかも分からない安全地帯を求めて逃げ回るか、山すら蹴り崩してしまえそうな巨人に向けて止めてと懇願するだけのこと。 「あはっ、こんなのが怖いんだっ。可愛そうだから叩くのは止めてあげるね」 羽華祢の言葉と共に高層ビルに匹敵するほどの巨大な手の平は上空から消えた。 乗客たちは自分たちの祈りが届いたのだと無邪気に喜ぶが、次の瞬間に襲いかかってきた強烈な浮遊感によって床に押し付けられてしまう。 一瞬前まで上空に占位していたはずの女子高生の右手は、今度は船底を掬うようにして姿を表したのだった。 世界有数の巨大船舶は当然のように女子高生の片手で持ち上げられ、そのまま顔の高さにまで連れ去られてしまった。 「うわ~。なにこれ紙コップみたいなんだけど。絶対すぐ壊れちゃうでしょ……」 女子高生の片手にまったく負荷を感じさせることができないそれ。 相対的に僅か百二十グラムでしかない豪華客船は、その体積から考えれば紙コップよりも脆い物であるかもしれない。 同じ船が十隻集まったところで羽華祢は片手で持ち上げてしまえるだろう。 顔を近づけてじっくりと観察してみれば、細部に至るまで装飾が施された船体は確かに本物のようにしか見えなかった。 「ふぅー」 羽華祢がそっと息を吹きかけてみれば、その吐息は質量を有する暴風となって、船体部を破砕してそのまま吹き飛ばす。 それは砂に息を吹き付けて飛ばすのと似た光景だったが、飛び散ったのは砂粒ではなく数十センチを超す残骸と人間だった血肉片だ。 そのまま船体を舐め回すように息を吹きかけ続けたことで、数秒たらずで豪華客船はまるで廃船であるかのような惨状へ変貌した。 女子高生の指先と吐息によって蹂躙されこの世から去った乗客たちは二千を越し、未だ息のある乗客たちは当初の半数以下まで減っていた。 その大半も重症を負い、このまま何もしなくともやがて死に至ることだろう。 そんな彼らの耳に飛び込んできたのは、バキバキという凄まじい軋み音。 これまでに経験したどの音よりも大きなそれは、実際に見ずとも女子高生が船を握り潰そうとしているに違いなかった。 どうあっても助かる道はなく、人々は圧潰する船体の内部で泣き叫びながら生涯を終える。 一方、十分に手加減をして楽しむつもりだった羽華祢は、ほとんど一瞬で船体を握り潰してしまったことに不満げだった。 「はぁ~。ま、こんなもんか」 船体の中央部を握り潰したことで、前部と後部は形を保ったまま落下していく。 それぞれが自由落下した直後、羽華祢の両膝に衝突して砕け散ってしまった。 船は残骸となっても海に帰ることは叶わず、女子高生を僅かに不快な気分にさせることしかできなかった。 膝に突いた残骸をはたき落とした羽華祢は、そのままスッと立ち上がると足元を見下ろす。 港にはまだ無数の船が残っているが、そのどれもが小型の漁船のようだ。 中には遊覧船のようなものも混じっているのかも知れないが、真上から見下ろす羽華祢の目には見分けはつかなかった。 あまりに小さなそれらは玩具にすることもできないが、無事に残しておくというのも何だか違う気がした。 「みんな埋めちゃお♪」 立ち上がった女子高生のローファーがその場に振り下ろされる。 コンクリートで埋め立てられているはずの大地を容易く踵で粉砕し、その瓦礫を港に停泊する小型船群に向けて押し出していく。 女の子の片足で押し出される莫大な土砂は、ちっぽけな船など簡単に飲み込んで見えなくしてしまう。 船が十や二十集まっていようが結果は同じこと。 「えい、えいっ♪」 羽華祢が上機嫌に足を踏み鳴らすたびに港の埋め立てが進んでいく。 足元にあった運行管理施設も踏み潰して土砂の一部としたし、近場の駐車場に置いてあった自動車も数え切れないほど巻き添えにしてやった。 特に意識したわけでもなかったが、恐らく数百数千の犠牲者もいたことだろう。 周囲一帯が女子高生の砂遊びによって消し去られてしまうのは、ほんの一分ほどの出来事であった。 先ほど船を撮影したときには綺麗に整っていたこの場所も、今となっては見る影もない荒野と化しており、スマホに残った写真と見比べた羽華祢を苦笑させた。 ひとしきり笑った羽華祢は同じ海岸沿いに整備されたもう一つの港を目指して歩き出す。 二つの港は十五キロ程の距離を置いて整備されているらしく、人間の足では歩いて三時間以上は掛かるだろうか。 だが、今の羽華祢にとっては数秒で詰められる距離でしかなく、その数秒という時間はそこに居た人々が避難するにはあまりにも短い時間だった。 羽華祢は移動する際には無意識のうちに道路を選んで歩いていた。 長さ二百七十メートル、幅九十メートルもの巨足を踏み出すたび、道路だったそこには深さ十メートルを超す大穴が穿たれ、周囲の建物は激震に煽られ次々に倒壊していく。 目的地しか見ていなかった羽華祢が気付くことはなかったが、この僅か数秒の移動のために数千の犠牲者が生み出されていた。 「はい到着~」 羽華祢の足元に広がるのは先ほどの港のような華やかさを一切感じさせない、無骨で無機質な港であった。 たまたま居合わせたコンテナ船が四隻、そしてそれらに積載される予定の貨物コンテナと、積載されてきた貨物コンテナが無数に積み上げられている。 その脇に聳える巨大なクレーンはきっと積み下ろし用なのだろう。 埠頭のそこら中に立ち並ぶ倉庫群は一つ一つが学校の体育館よりも巨大なものであるはずだが、今の羽華祢には雑草が生えて居る程度にしか思えなかった。 どの施設に目をやっても極小の粒がノロノロと動き回っており、作業員たちの避難はまるで進んでいなかったらしい。 「今から大怪獣の羽華祢ちゃんがここを地獄に変えちゃいま~す♪ まずは逃げ出そうとしているそこの船を沈めようかな」 荷物の積み下ろしを終えたばかりだった一隻のコンテナ船。 停泊中だった四隻の中で最も大海に近い位置にあったその船は、巨人の接近を知って真っ先に退避行動に移ったばかりだった。 全長二百メートルの中規模コンテナ船はその巨体に搭載された大型エンジンを最大出力で回転させ、荷を積むことを諦めることによって、理論上の最大加速でもって埠頭を離れようとしていた。 だが、意地悪な女子高生はその必死の逃避行をニヤニヤしながら眺めることができた。 残念ながら二百メートルの巨体が動くには相応の時間が必要であり、仮にこのまま五分待ったとしても船は羽華祢の歩幅から外へは逃げられない。 結局、三十秒ほど観察してからローファーの爪先でチョンと叩いてしまえば、コンテナ船は中央部から弾けるように折れ曲がり、そのまま海中に没してしまった。 そのあまりに唐突な破壊行為を前にして乗員が退艦する暇などありはしなかったが、もし海に逃れたとしても船の爆散に巻き込まれて死に至ることだろう。 「楽勝っ♪ 他の船たちもちゃんと見てた~?」 見ていた、というよりは見せつけられたという方が正しいだろうか。 大海原を堂々と航行する大型船舶が、それに匹敵するほど巨大な革靴の下で容易く捻り潰されてしまったのだ。 乗組員たちの安否など誰の目にも明らかであり、あまりにも酷い最期に言葉を失う。 この少女がどれだけ強大な力を持っているのか、またその力を振るうことになんの躊躇いもないという残酷な現実を思い知らされてしまった。 だが、そんな彼らがどれだけ泣き喚いても羽華祢が楽しい遊びをやめることはない。 「へへっ。これは邪魔だからどっか行ってね~」 羽華祢がコンテナの上げ下ろしを行う巨大クレーンを三基まとめて軽く蹴りつければ、当然のように鋼鉄の巨体は折れ曲がり、続けて根元から浮かび上がって数キロ先の海面に小さく水飛沫を立てる。 埠頭に接岸しているコンテナ船はクレーンが取り払われたことで、どことなく怯えているかのように見えた。 「どーんっ♪」 羽華祢がコンテナを満載した船のすぐ真横に巨足を振り下ろす。 少女の悪戯によって埠頭のコンクリートは粉々に粉砕され、埠頭だった場所には海水がなだれ込んで海の一部と化してしまう。 その衝撃は当然ながら船にも伝わっており、衝撃によって船に積まれていた重量二トンを超す鋼鉄のコンテナがまるで綿埃のように宙を舞った。 数瞬の間を置いてコンテナは雨のように海面に降り注ぎ、それは元々コンテナを積載していた船にも襲いかかり、その質量で船の竜骨を圧し折ってしまう。 羽華祢が触れてすらいないというのに、船は無残にもその場で鉄屑と化した。 「あはっ。次はお前だぞ~」 上機嫌な羽華祢はその場でしゃがみ込んで三隻目の船に手を伸ばす。 先ほど足を踏み鳴らしたことで積荷のコンテナが崩れてしまい、全く身動きが取れなくなってしまったその船は既に傾斜して沈み始めていた。 そんな船に追い打ちを掛けるべく、女子高生は差し伸ばした手の中指を親指の腹に乗せると、中指の爪を見せつけるように船体に寄せていく。 ふざけて同じように友達の額を弾いたことがあったが、相当痛かったらしく涙目になるだけでなく不機嫌にさせてしまい、しばらく口を聞いて貰えなくなった。 羽華祢のデコピンの威力は哀れな友達の額で検証済みであり、全長二百メートルの大型船舶を吹き飛ばす程度は容易いのだ。 女子高生が放つ特大のデコピンはこの世界に存在する通常兵器を凌駕する破壊力で、鋼鉄の船体を角砂糖のように粉砕した。 「じゃあ最後に残しておいた一番大きいやつだけど…… うん、一番小さくしてあげよう!」 停泊中のコンテナ船で最も大きなその船の全長は四百メートル超。 間違いなく世界最大級の船であり、小さな町一つがその中に収まる程だった。 当然、船体には鋼鉄が使用されており、その途方も無い重量は小さな山と例えても遜色ないものだろう。 だが、その小さな山を遊び道具にしようとしている女の子は、残念ながら大きな山ですら踏み均してしまえる巨人だった。 彼女の両手が船体底部に滑り込むと、なんの苦もなく鋼鉄の塊を宙に攫う。 羽華祢にしてみればそっと持ち上げたつもりだが、船内に残されていた乗員たちにとってはあまりにも暴力的な動作であり、大半の者は天井や壁に打ち付けられてそのまま動かなくなってしまう。 凄まじい圧力によって鉄が無理やり捻じ曲げられる不快な轟音が船内に響き渡り、続けて天井と壁がその役割を入れ替えるように反転する。 女子高生が持ち上げた玩具を軽く握って圧縮し、そのまま真っ二つに圧し折って一塊を作り出す過程で数百名の乗員たちがこの世を去った。 続けて羽華祢が船をギュッと握り締めていけば、最終的には元の十分の一程度の大きさになった鋼鉄の塊が手の平に残る。 最も巨大だった船は、羽華祢の宣言通り最も小さなゴミとなってそのまま海洋に向けて投げ捨てられてしまった。 「これで船は全滅だね~。じゃ、この辺のゴミは適当に片付けようかな」 この辺のゴミ、とは羽華祢の足元に聳え立つ倉庫群のことだ。 立ち上がった羽華祢が無遠慮に倉庫群にローファーを振り下ろせば、何棟かの倉庫が軽い感触を靴底に与えて消えていく。 降り積もった新雪に足跡を付けているのと何も変わらない気軽さで倉庫を踏み潰していく女子高生は、その足元で悲鳴を上げて逃げ惑う人間に気がついた。 建物の中に隠れて巨人の襲撃をやり過ごそうとしていた彼らは、突如として始まった殲滅行為に驚いて外に飛び出してきたのだ。 「ぷっ。まだ居たんだ。……馬鹿だなぁ♪」 踏み潰すのを止めた羽華祢がローファーを左右に振って地表を薙ぎ払う。 巨大な津波と化した革靴がそこに存在していた倉庫はもちろん、その合間を縫って逃げ惑う人間たちをも一瞬で消し飛ばしてしまう。 あまりに圧倒的で、無慈悲で、絶望的な殺戮行為は彼女の面白半分に好きなだけ繰り返される。 砂粒のような人間がどこを目指して逃げていようと、建物の中に隠れ潜み続けようと、諦めて羽華祢に向けて跪いていようと、女子高生は区別することなく彼らを蹂躙する。 無数に思えた倉庫群も羽華祢が一分も遊べば消えてなくなってしまう。 当然、そこに居たはずの何千という人々も跡形もなく消滅していた。 「お掃除完了~♪ ん~、やば。これめっちゃ楽しいわ」 羽華祢はずっと足元を見ていたことで疲れた首を労るように、その場で大きく伸びをする。 この極小世界に来てからというもの自分でも驚くほどイジメっ子になってしまった。 町のあちこちで黒煙が立ち上っているのは、恐らく羽華祢が何かしらを破壊したからなのだろう。 耳をすませば微かにサイレンの音が聞こえるような気もする。 これだけの破壊を行えば、犠牲者の数は少なく見積もっても十万に達するだろう。 「……でもさぁ、まだ全然足りないんだよねぇ」 意地悪な笑みを浮かべる羽華祢は、その場でローファーから足を抜き出す。 彼女が普段から履く濃紺のニーソックスは、汗を吸ったせいか僅かに本来よりも色合いが濃くなっている。 空気に触れたことで徐々に熱が失われていくのが心地よかった。 「へへっ。ちょっと踏んだ感じに慣れちゃったから一工夫♪ もう少し遊ばせてね~」 港だった更地に靴を揃えて置いた羽華祢は、眼前に広がる大都市を見渡して小さく舌舐めずりする。 百万人が暮らす都市はおサボり女子高生の暇潰しには丁度良い遊び場。 羽華祢が興味本位にスマホで撮影した画像が、この都市が健在だった頃の最後の一枚となることだろう。


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