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ヘンリクト
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退屈(下)

退屈。 それは豊かさの反面という性格がある。 家柄に恵まれ不自由のない暮らしをしていたサクラがそれに不満を感じるようになったのは10歳のときだった。 知らぬ間に決まっていた許嫁との婚約を知らされ、唐突に自分の人生の終着点が見えてしまったのだ。 その日以来、親の言うことを素直に聞いてきたサクラの中に自我と呼べるような考えが浮かび、やがてそれが目標となった。 外国への逃避。 この狭い島国を出て、自分の力だけで人生を切り開くこと。 サクラはその先に自由があり、自分の人生が続いているのだと信じていた。 結局、親にそれを打ち明けることはついぞなく、半年かけて十分な準備が整ってから夜逃げのように家を飛び出したのだった。 海を渡り辿り着いた国では何もかもが新鮮だった。 最初の違いは言語であり、次に食事、価値観、文化、政治。 常識というものは不変ではなく、地域を移れば根底から覆ることがあると知った。 小さな商店に住み込みで働きながら、中古書店で購入した教科書を使って猛勉強し、ついには難関とされる公従者試験を突破した。 異国人が公従者として雇用されることは滅多になく、またそれが女性であり、未成年であったことから神童と呼ばれた。 そして初めて仕えることになったのがエレーナ姫であり、その日からサクラはただのメイドになった。 傑出していた島国の神童も、女神の前では凡人でしかなかった。 全てにおいて規格外な女神は、その外見と裏腹にとても残酷で惨忍な性格をしていた。 サクラの苦悩の日々はこの日から始まったのだった。 上機嫌な女神は小さく鼻歌を歌いながら歩いていた。 つい先ほど自国の王都を軽く踏み躙り、さらにフロリナの町を半壊させたエレーナ姫はその足で隣国バルリアを目指していた。 川幅200メートルの大河を国境として接しているバルリアもまた、王を中心とした国であり、数百年に渡って交流のある同盟国でもあった。 人口一千万という小国ではあるが、海と山に囲まれた地形によって豊富な農作物と水産資源に恵まれたのだ。それらの輸出によって国は栄え、国民は十分な公共福祉のものとで平和に暮らしている。 また近隣諸国とは友好的に接し、常備軍を持つもその規模は最小限のものでしかない。 経済、外交、政治の各分野においてある程度の成功を収めている国がバルリアだった。 「あ、あの! エレーナ様! 止めましょうよ! いくらなんでも、これはあんまりですよ!」 何度目になるか分からない制止を続けるメイド。 主人の手の平から必死に訴えかけているが、聞く耳を持ってもらえないでいた。 フロリナの町で暴虐の限りを尽くした美しき姫は、それ以上のものを求めて標的を国外へ向けたのだ。 そして、残念なことにフロリナの町から最も近いのがバルリアだった。 「あら。なら自国民ならいいのかしら? 私はどちらでもいいから、サクラが望むなら引き返してあげるわよ?」 「そんなこと言ってません! お願いですから今日はお城に帰りましょうよ! どうして酷いことしようとするんですか!」 「楽しいからに決まってるじゃない。ほら、もう国境が見えてきたわよ」 二つの国を隔てる大河が流れる。 川幅200メートルもの巨大な川は、長きにわたって人間の交流を阻んでいた。 舟が生み出されて初めて交流し、建築技術の向上によって橋が架けられ、ようやく自由な行き来が出来るようになったのはつい最近のことだ。 両岸の橋のたもとには両国の軍隊が検問所を設置し、行き交う人の素性を確認していた。 とはいえ、数百年に渡る友好関係にある両国の素性審査などは最低限、いや正確には形式的なものでしかなく、検問所にいる兵隊たちも20名程度だった。 橋の手前で立ち止まったエレーナ姫の巨体が作り出す影は、兵士たちを覆い隠してしまった。 遠目にしか見たことのない自国の美しき姫君を前に、兵士たちが抱くのは恐怖心だけだった。 「フフッ。こんな辺境でのお仕事ご苦労様」 エレーナが彼らにかけたのは労いの言葉だ。 だが、その麗しい声音には言葉通りの意味がないことをサクラは感じ取った。 言い知れない不安が胸をよぎる。 「実はバルリアの国は今日でお終いになるのよ」 足元に集まってきた兵士たちは姫の言葉がよくわからなかった。 国が終わる、とはどういう意味だろうか。 歴史上から消え去った国は無数にあるが、それらは全て長い年月をかけて徐々に姿を消したのだ。決して、今日の明日で消え去るようなことはない。 いったい、何を言っているのだろうか。 彼らはそんな当然な疑問の答えを知ることはなかった。 エレーナが前触れなく足を振り落とし、左右に軽く振ったのだ。 砂浜に書いた文字を消すかのような単純な動作によって、足元にいた兵士たちは弾け飛んで靴底にへばりつく汚れとなった。 「だから貴方たちも必要なくなったの」 サンダルの底にこびり付いた赤黒い泥が20人の生きた証。 だが、エレーナが地面にサンダルを擦り付けて汚れを落とせば、その証すら残らず消え去った。 「な、なにしてるんですか!?」 「う~ん、人員整理かしら?」 何の罪もない兵士たちを屠ってご満悦なエレーナ。 怒りと恐怖で言葉を失ったサクラは二の句が継げなかった。 姫にとっては理由なんてどうでもいいのだろう。 とにかく、小さくて弱い人間を潰したくて仕方ないのだ。 ついでと言わんばかりに検問所の建物を蹴り壊したエレーナが橋の上に足を乗せると、木造の橋は軽い感触と共に瞬時に壊れ、巨大なサンダルは危うく川に浸ってしまうところだった。 エレーナの重量を支えられる建造物など世界に存在しないし、おそらく将来に渡っても生み出されることもないだろうが。 「役に立たないわね。サンダルが濡れちゃうじゃない」 革で作られたサンダルを水に濡らしたくはない。 だが、200メートルの川幅はいくら175メートルの巨人であっても跨ぐことは出来そうになかった。 助走をつけて跳ぼうかと思ったが、もし失敗するようなことがあればずぶ濡れになってしまう。 しばし迷ったがもう少し大きくなることで解決することにした。 そして、その次の瞬間には1,750メートルという山と背比べが出来るほどの大巨人がそこにいた。 「ふう。千倍まで大きくなると景色が良いわね。サクラはどうかしら?」 「えっと……、もしかしてこれ私も大きくなってます?」 「そうよ。千分の一だと流石に力加減が出来ないの。うっかり潰さないように十倍まで大きくなってもらったわ」 「そうでしたか…… さっきまでと同じなので大丈夫そうです」 うっかり潰すなんて怖いこと言わないで欲しい。 一言文句を言いたくもなったが、今日の主人はいつにもまして残虐性向が強いのだ。 万に一つも自分が酷い目に遭うのは嫌なので、今日はできるだけ穏便に過ごせるように頑張ろう。 「さて、まずはこの役に立たないゴミを片付けようかしら」 エレーナがゴミと呼んでいるのは足元の橋だ。 全幅200メートルの大河を結ぶ橋の建設は一大事業であり、両国の共同出資によって建設される巨大構造物。 当然、そう簡単に建設することはできず、この橋のほかには何十キロ以上も離れた先の一本あるのみ。それ以外では渡し船が必要になる。 まさに交通の要であり、この橋にもしもがあれば計り知れない損失が生まれることになる。 両国の国交も物理的に断絶することになるだろう。 しゃがみ込んだエレーナが巨大な手を伸ばしていくと、橋と手はほとんど同じ大きさだった。 だがそれも長さだけを比較したときの話だ。幅や厚み、質量は文字通り桁違いであり、巨大な橋が少し長い爪楊枝のようにしかみえなかった。 あまりに細くて弱弱しいそれは、実際にとても脆いものであり、エレーナの手の中で小枝よりも簡単に壊れてしまった。 何度か手の平をギュッと握り、巨橋だった木片を粉々に磨り潰してから、その残骸を川に投げ捨てる。 両手を叩いて手に残る小さな破片を落としていると、対岸にあるバルリア側の検問所が目に入った。 たった今、橋を握り潰した巨大な手がそこへ差し伸ばされる。 ピンと伸びた人差し指。10メートルもある指先が襲い掛かろうとしているのは、その半分程度の大きさしかない小さな小屋だった。 その周囲の兵士たちは呆然とエレーナを見上げている。 「バルリアの兵士の皆さん、さっき私が対岸の検問所を蹴散らすの見えたかしら? ……フフッ。逃げなくていいの?」 ほんの僅かに指先を動かしてみる。 エレーナからすれば1㎝もないような小さな動き。 たったそれだけで検問所の建物は叩き潰され瓦礫と化す。 指先が巻き起こした暴風は、外に出ていた兵士たちを容易く薙ぎ倒していく。 転げ回りながら全身を強打することで、骨は砕け肉が削がれる。 呻き声を上げたまま動かなくなる者もいた。 巨木の如き女の子の指先は、触れることすらなく人間を弄びズタズタにしてしまうのだ。 「ほら、もう一度チャンスをあげるから頑張ってみなさい」 エレーナは動かない兵士たちの頭上に手の平を翳した。 平均的な女性よりも少し大きめの手は、数百平方メートルを覆い尽くす。 倒れた兵士たちの中で意識のあった数名が、この残虐な女神から逃れようと動き出す。 地を這うように逃げる姿はまるでナメクジのようであったが、怪我で鈍った彼らの動きはナメクジよりも遥かに遅い。 エレーナにはそれが動いているようには見えなかった。 「はい時間切れ。さようなら」 そっと地面に手を付くエレーナ。 その下にいた兵士たちは一人残らず押し潰された。 兵士だけではなく何十本もの木々も巻き込まれたが、それらが束になってもエレーナの手を止めることはできなかった。 大地に刻まれた巨大な手型は深さ二十メートルにもなり、雨が降れば小さな池となることだろう。 手の平についた砂を払い落としたエレーナは、立ち上がって周囲を見渡す。 今のエレーナの視界を遮れるものはなにもない。 一番近い町を一瞬で見つけた彼女は、不敵な笑みを浮かべる。 ここまで大きくなって遊んだことは今まで一度もない。 なにをしてやろうか、そのワクワクが彼女の胸中で渦巻いていた。 「エレーナ様! お願いです! お願いですからもう帰りましょう! これ以上は本当にダメです! 国際問題、いや戦争になってしまいますよ!」 涙交じりに訴えるメイドが可愛らしい。 橋を叩き潰して兵士を玩具にしてからというもの、手の平で震えながら説得しようとしている。 意図的に無視していたが、次第に泣きじゃくる声が大きくなってきたのでそろそろ反応してあげることにした。 「そうね。そうなったら大変ね」 「なっ、なに他人事みたいに言ってるんですかっ! エレーナ様がこんなことするからですよ!」 「フフッ。そんなに心配しなくても大丈夫よ」 「大丈夫なわけないですよ! どうするんですか!」 ついに泣き崩れたメイドに主人が微笑みかける。 普段は気丈なのにどうしたのだろうか。 今日はずっと無意味に頑張っていたようだし、疲れてしまったのかもしれない。 だからサクラの心配をちゃんと解消してあげようと思う。 「ねぇサクラ。これから大丈夫ってことを証明してあげるわ。よく見ていて頂戴」 「……本当ですか?」 「もちろんよ」 エレーナの優しい言葉に安堵を浮かべたサクラ。 気が抜けたのかそのまま倒れこむようにして動かなくなった。 主人の手の上で寝転がるなんてこと、普通に考えればとんでもない無礼であるが、そこまで気が回らないくらい疲れているらしい。 最も国境に近い町は人口十万人程度の中規模都市だった。 川からの直線距離はおよそ15キロ。 人間が歩けば半日、馬なら三十分くらいの距離だ。 友好的外交政策のお掛けで一度も戦火に晒されたことはなく、むしろ交易拠点として発展してきた歴史がある。 そんな平和な町が今、かつてない危機が迫りつつあり、それに町の誰もが気付いていた。 しかし、とても残念なことに彼らは長く平和な暮らしの中で危機への対応方法を忘れていた。 逃げる。 そんな単純な正解に思い至らなかった彼らは、意味もなく警察や役場に押し掛け、また災害時の避難場所に集まった。 自宅に地下室がある者はそこに逃げ込んだりしていた。 それがどれだけ愚かで無意味だったか。彼らは自らの命を代償にして学ぶことになる。 何の予告も忠告もなく当然のように町に入り込んできたサンダル。 女性用の一般的なデザインのハイヒールサンダルは、しかし大変高級な素材で作られていることが素人目にも分かるものだった。 それが履く女性が若く美しい少女であることは、この町に住む全員が知っていた。 なぜなら、それは数キロ手前からでも見ることができたからだ。 断続的な大地震を伴いながら移動してくる少女は、雲を貫く程巨大で身長が1,750メートルもあった。 最初に犠牲となったのは町の郊外で牧畜を営んでいた家族だ。 無遠慮に振り落とされたサンダルに牛舎と住居をまとめて踏み潰され、8人の家族は何を知ることも無く即死した。 彼らを踏み躙ったのは反対の足で牧羊地を踏み躙り、適当にサンダルを地面に擦り付ければ、彼らが代々受け継いで大切にしてきた家畜たちは大地のシミになった。 250メートルという巨足はなんの容赦もなく小さな人間たちから全てを奪い去る。 牧羊地をただの足跡に変えたエレーナの次の一歩は住宅街に襲い掛かる。 数十棟もまとめてサクッと押し潰し、逃げ惑う人間たちを吹き飛ばす巨大なサンダル。この国の国民たちが人生の中で見てきたどんな建物よりも巨大で美しい脚が聳え立つ。 この脚が振るわれる度に町の様子が一変していく。 直接押し潰されるものは勿論、巻き起こる風ですら建物は倒壊してしまうのだ。 突如として地獄と化した町中にあっても、住民たちは生き残るため転げ回りながらも必死に逃げようとしている。 そんな小さな彼らを見つける度、エレーナは嬉々として足を振り下ろして命を奪う。女だろうが子供だろうが関係ない。 女神の遊びからは誰一人として逃げることはできないのだ。 ほんの数分で立ち並ぶ幾千の住居が瓦礫と砂となり、また一万を超える人々は姿形を留めることなく瓦礫の下でシミと化した。 都市を守ろうとした駐屯兵一千人もそれに巻き込まれ、鎧を身に着けることすらできないうちに死んでいった。 エレーナにとって一般市民も兵士も関係なく、すべては小さく弱い生き物でしかない。 都市の中心部には比較的大きな建物が集中している。 最も目立つのは三角の青屋根が特徴的な教会であり、群を抜いて背が高い。 王は神に選ばれた人間であるから統治し君臨する資格があるのだとする国の教えを広く知らしめるため、バルリアでは全ての都市に教会の設置を義務付け、それよりも大きな建物の建造を原則として認めていない。 この都市もまた、その原則に忠実な街づくりをしていた。 教会の両脇には行政庁舎と市民ホールが聳え立つ。 十万人規模の都市を運営するための行政庁舎は相応の大きさが必要であり、また選挙をはじめとした大規模行事のため建造された市民ホールはそれ以上に大きくある必要があった。 中心部は交通の便が良いことから裕福層がこぞって住居を構えており、それを目当てにした小売店が大通りを埋め尽くす。 名実共にこの都市の中心であり発展の象徴でもある。 エレーナが一蹴りでその全てを薙ぎ払うことに爽快感を覚えたのも無理はないことだった。 残っている住宅街は大して面白くもなく、流れ作業のように適当に片付けていく。 十万人規模の都市を地図から消し去ることなど大した労でもない。 彼らが数百年かけて築き上げた都市は、女の子が30分遊んだだけで全て無くなってしまった。 「ほら、大丈夫でしょ」 「………………」 サクラの淡い期待を完全に裏切った主人。 何を言いたいのか自分でもわからない。 他国で殺人を……それも虐殺を働けば当然のように自国民を巻き込む戦争へ発展し、双方に大きな損害が出ることだろう。 人類の有史以来、何度も繰り返されてきたもっとも愚かな行為であり、あらゆる努力を通じて回避しなければならない事態。 サクラはそう教わってきたし、おそらく世界中の誰もが同じ認識を持っているはずだ。 だが、その認識を改めなくてはならない。例外があるのだ。 圧倒的な力。 例えば、常人よりも千倍も大きな女の子の存在はどうだろうか。 山の頂上の如き遥か高みから全てを覗き見、時速4,000キロという人体が容易に弾け飛んでしまうような超高速で移動し、五千万トンという超質量でもって全てを踏み潰す女の子。 その白く美しい身体は表皮だけで30センチの厚みがあり、仮に攻城槌を叩き付けることが出来ても破けはしないだろう。 もっとも、人間にそんなことはできない。 なぜなら女の子はサンダルを履いているからだ。 履いている本人にとってはごく薄いソールだが、それでも厚みが5メートルある。ただでさえ重くてようやく動かしている攻城槌を5メートルも持ち上げることは不可能だった。 彼女がサンダルを脱がない限り、人間はその足に触れることすらできない。 唯一、人間たちに出来ることは矢を射かけることだけだ。 砦に備え付けて使う巨大弓を量産して一斉に放てば、彼女の足首にシャワーと同じくらいの感触を与えられるかもしれない。 それが人類の限界。 おそらく、彼女はちっぽけな人類を嘲笑うために少し時間をくれるだろう。 彼らが恐怖に震えながらも健気に戦う中、足指を動かして兵士たちを転げ回らせ、その場で足踏みして吹き飛ばしたりするのだ。 だから逃げる時間はある。 賢い人間は全てを投げ出して逃げるだろう。 人間が走る速度は瞬間的には時速40キロに達し、馬を使い潰す覚悟で走らせれば時速100キロを超えることもある。 息を切らせて必死に逃げる。命が掛かった極限状況で全ての力を振り絞ることで、普段の何倍もの力を発揮する彼ら。 しかし、一時間もすればどんな人間であっても体力も気力も尽きてしまう。 馬から降りて倒れ込む彼らは、悠々とこちらに歩いてくる悪魔に絶望して悲鳴を上げることになる。 遥か高みからこちらを見据える視線に怯え、意地悪く微笑む表情に怯え、巨大地震の如き足音に怯え、しかし疲れ切った彼らに出来ることは這い蹲るようにして数メートル移動する程度だ。 一時間かけて逃げてきたこの場所に、ほんの数十秒でたどり着いてしまう彼女。 残念でした、なんて笑いながら逃げ出した兵士をサンダルのシミに変えてしまうのだ。 もちろん、彼女にとってこれは退屈しのぎの遊びでしかなく、故に言葉が通じても交渉の余地などない。命乞いは彼女の嗜虐心をくすぐり更なる悲劇を生むだろう。 抗うことも、逃げることも、祈ることも、全て意味がないのだ。 人類に出来ることは奇跡を信じながら、250メートルの巨大なサンダルが頭上に落ちてくるのを待つことだけだ。 エレーナの言う通り、確かに大丈夫なのだろう。 王都を目指して歩くエレーナ。 途中で見つけた町や村に寄り道しては数百数千の人間を踏み躙った。 小さな村は数歩で消え去り、町ならば数分間は遊ぶことができる。 特に不運だったのは町と町をつなぐ林道を移動中にエレーナに見つかった商隊だった。 野盗から身を守るため雇った傭兵と合わせて二十名程度の彼らは、70メートルもある巨塔が周囲の木々を薙ぎ倒しながら暴れ回ることによる暴風と激震で地に倒れ伏した。 数秒後に彼らが目にしたのは、自分たちを取り囲む幅20メートル、深さ30メートルもの巨大な溝だ。 エレーナがサンダルのヒールで描いた直径100メートルの丸印は、小人にとっては決して逃げることの出来ない自然の檻である。 彼らを閉じ込めた本人であるエレーナは、特に狙いを定めることもなく檻の中にヒールを差し込む。 ザスッ。 7㎝の細いヒールは地面を紙粘土よりも簡単に貫き、そこに数十メートルの大穴を開ける。 閉じ込められた小人たちはようやく状況を理解して悲鳴を上げた。 これはゲームなのだ。 狭い空間に閉じ込められた彼らは、空から降ってくる巨大な柱を避けねばならない。 制限時間も再挑戦も許されない文字通り命懸けのゲーム。 彼らに出来ることは女の子が一瞬で書き上げた落書きの中で逃げ惑い、奇跡が起こることを願うのみ。 だが、休むことなく降り注いでくる二本の巨槍に容赦はない。 人間の体を肉も骨も関係なく瞬時に叩き潰し、そのまま何十メートルも地中に埋め込んでしまう。 僅か数秒で皆殺しにされてしまった彼らだったが、目敏く意地悪な女神はサンダルのソール部分で自ら書いた円を丸ごと踏んで確実に全員を押し潰した。 残酷なゲームの勝者は嬉しそうに敗者たちの亡骸をグリグリと踏み躙ると、次の瞬間にはもう興味がないと言わんばかりに歩き去って行った。 バルリアの王都では人々が自らの運命を知ることもなく、いつもと変わらぬ生活を続けていた。 王都で暮らす市民は三百万人を超えており、総人口の3割が集まる異常な人口密度だ。 半径50キロ程度の空間にそれだけの人間が集まれば様々な問題が生じる。 例えば飲食店の席数は常に不足しているし、病院も予約なしでの診療は受け付けられず、膨大なゴミ処理の費用は行政府を長年悩ませている。 そんな王都での悩みや問題は今日、このあとで全て解決することになる。 残酷な姫君がすぐそこまで迫っていたのだ。 「流石に王都は広いわね」 エレーナは眼下に広がる街並みに満足そうに微笑む。 先ほどまで適当に潰して来た村や町とは桁違いの広さを持つ王都。 常人の1,000倍も大きいエレーナにとっても、直径100メートル程の広さに感じるのだ。 もっとも、足元を気にせず歩けば何万人もの犠牲と引き換えに数分で横断することができる。 人の足では数日かかる距離でも、女神には軽い運動にもならないことだ。 「せっかくだし、もう少し大きくなりましょうか。これ以上大きくなるのは久しぶりね」 なんの前触れもなかった。 エレーナがそうなりたい考えた瞬間には、彼女の身体はその望みを叶えることができる。 1,750メートルの大巨人ですら指で摘み上げることができる存在。 王都を囲う山々でさえ足首を隠すことも出来ない超常の存在。 常人の一万倍の巨躯となったエレーナは、成層圏からちっぽけな灰色を見下ろしていた。 あれだけ広大だった王都も今では私室と大して変わらない。 17,500メートルという大きさは、全ての常識的感性を狂わせてしまうのだった。 「……エレーナ様? あ、あの、なにをしたんですか……?」 「少し大きくなっただけ。これでサクラも150メートルの巨人になれたわよ」 「私が巨人……?」 エレーナと対比する縮尺が同じだからかあまり実感が湧かない。 150メートルというと、自分が仕えているお城よりも大きいことになる。 毎日のように見え上げていた巨大な城の倍も大きな自分。 一般人のサクラにはどうしても理解ができなかった。 「ふふっ。後でサクラにも町を蹂躙させてあげる。とっても楽しいわよ」 「えっ!? 嫌です! やりませんよ!」 手の平でブツブツ文句をいう小さなメイドを無視して、エレーナは踵をお尻に付けるようにして膝を曲げる。 そのまま細くしなやかな指先を器用に動かし、サンダルの靴紐をサッと解いてしまう。 脱ぎ去ったサンダルは倒れないようにしっかりと大地に下ろし、そのすぐ真横に純白の素足を置いた。 もう片方も同じように脱ぎ去って並べれば、女の子の履物という山脈が出来上がった。 700メートルのヒールが生み出す巨大なアーチは、人類の作り出すあらゆる構造物をその下に納めることができる。 「まずはこの辺りからにしましょうか。郊外にあるのだから、住宅街かしらね」 そう言ってエレーナが持ち上げた右足。 あまりに巨大なそれは住民たちから太陽を奪い去った。 巨大な影に覆い尽くされたのはエレーナの想像通り住宅街であり、その下では数千の人間たちが空を見上げて呆然としていた。 彼らには自分たちの頭上を支配するものの正体が分からない。 微生物たちの視野に収まり切らないからだ。 だが、ほんの微かに漂って来る若い女の汗の匂いだけがその正体を探るうえでの唯一のヒントだった。 エレーナが足を降ろせば彼らは死ぬ。 年齢も性別も善人も悪人も関係なく全てを蹂躙して消し去る。 家も家財も金も思い出も全てまとめて一踏みだ。 エレーナの足は簡単に彼らを虐殺する力があり、またそれをする正当な理由もある。 楽しいからだ。 圧倒的な力を無慈悲に振るってちっぽけな人間たちから何もかも奪い取ってやるのは楽しい。 だからこそ、2,500メートルの巨足はなんの躊躇いもなく振り落とされた。 足裏には一瞬だけ何かが崩れるような小さな感触が伝わったが、次の瞬間には大地を踏み締める感触にとって代わった。 数千の建物とその何倍もの人間を大地に埋め込みながら、白く美しい脚の塔が建設される。 「うーん、あまり感触がなくて面白くないわね。この辺りは適当に終わらせてしまいましょう」 エレーナは軽い足取りで歩き始める。 なんの容赦もなく全てを消し去っていく素足。 一歩ごとに天地を引っ繰り返すほどの衝撃を大地に与え、数キロ離れた建物を崩壊させるほどの圧倒的な質量。 たまに少し力を込めて踏み付けてみれば、足跡だけでなくその周囲に押し出された土によって数百メートルもの山脈が築かれる。 適当に足を滑らせれば数十キロを瞬時に更地に変え、足の親指で描いた適当な絵も人類からは地形として認識されるだろう。 だが、次の瞬間には絵だったものを踏み固めて消してしまったので、人類がそれを観測することは生涯できないのだが。 何分か掛けて丁寧に王都外周部を葬り去り、何十万人を足裏の汚れに変えたエレーナは、王都の最南端にある港に人々が集まっていることに気が付いた。 海と山に囲まれた町から逃げる手段のうち、大巨人が暴れ回る山側からの逃走は不可能であることが明白だったからか、人間たちは船での脱出を図ろうとしているらしい。 エレーナはクスリと笑ったあと、港を目指して王都を縦断するように歩き出す。 中心部に近づくにつれて建物の背が高くなり、先ほどまでのものによっては先ほどまでの住宅街の何倍も大きな集合住宅や倉庫なども立ち並んでいたが、踏み潰したエレーナにはその違いがわからない。 砂粒が数ミリ大きくなったからなんだという話だ。 一応、中心に残る王城だけはうっかり潰してしまわないように気を付けたが、どうやら歩いた振動だけですでに半壊しているようだった。 人口密度の高い中心部では僅か一歩で十万人以上の命を奪っているのだが、そんな実感ももちろん湧かない。 数秒で五十キロ以上の距離を移動したエレーナは、港から二キロも離れたところで足を止めた。 自分の片足と同じくらいの広い港には、小さな木屑に微生物たちが群がっている様子が見て取れる。 運良く出港準備が整っていた船はすでに出航しているらしく、港に残された数少ない船には人々が殺到し、定員数を遥かに超過してもなお乗り込もうとしている。 まったく無意味なことに笑いそうになるが、彼らにしてみれば命懸けの逃避行なのだろう。 「フフッ。私もたまには水遊びをしようかしら。貴方たち、一緒に遊んでくれる?」 そう言い放った直後にエレーナは脚を伸ばして大股で一歩を踏み出した。 足を降ろすのは先に出向していた船の真上。 青い海にポツンと浮かんでいるゴミを地上16キロの視点から見つけた瞬間、それを目標に踏み出してみたくなったのだ。 舩に乗り合わせていた百四十名のうち、この非常事態に気付いた数名が悲鳴を上げ、それにつられるように船内が悲鳴と怒号で満たされる。 10キロも離れた陸地に聳え立つ身長17キロの女神。 悪戯っ子のような笑みを浮かべながら女神が差し伸べた裸足は誰もが見惚れる美しさであり、見るだけでも劣情を煽るほどだった。 しかし、その実態はまるで島が降り注ぐかのような天変地異。 2,500メートルの足裏という異常な存在が、遥か天空から降り注いてくるのだ。 女神の足は容赦なく確実に自分たちを捉え、瞬時に粉々にしてゴミクズにしてしまうだろう。 エレーナは彼らが怯え嘆く様子を楽しむため、じれったくなるほどゆっくりと足を降ろしていた。 足裏に全神経を集中しながら少しずつ下ろすと、海面に触れたのとほぼ同時に母子半球のあたりで船を破壊する感触を捉えることができた。 そのまま着水した足は次の瞬間には海底に到達し、足首までを水に濡らす。ひんやりした海水は今日一日歩き回り、すでに何十万人と罪のない人々を虐殺した足を優しく冷やしてくれた。 粉砕した船などもう跡形も残っていない。 そしてもう片足も海に差し入れると、エレーナはその場でクルリと身を翻し、王都とちっぽけな港を海側から正面に捉えた。 その場でしゃがみ込んで港を眺めてみると、エレーナが海に足を入れたことで生じた波紋が広がっているところだった。 それは高さ100メートルを超える巨大津波であり、地表に到達すればすべてを押し流して王都を消し去るだろう。 「あー、こんな些細なことでも滅んでしまうのね……」 津波が王都を飲み込むまでの残り時間は数十秒程度だろうか。 使い捨ての玩具を不注意で壊してしまうのはもったいない。 エレーナは千メートルの海底から莫大な海水を撒き散らしつつ足を引き上げ、躊躇いもなく無造作に王都へ振り下ろす。 2,500メートルの素足で再び数万人を踏み潰した女神はその場で脚を開き、そのまま真っ直ぐに港の上に腰を下ろした。 バルリアで最も栄えた港は女の子のお尻の下敷きとなって瞬時に押し潰され、押し掛けていた数万人の避難民ごと地中に埋めてしまう。 海水がドレスの裾とパンツを湿らせて不快感を生み出した。 女神の長い美脚が海岸線に広がり、人類を滅亡させる力を持って到達した高さ100メートルの津波を軽く受け止めて消滅させた。 「ねぇ、私は貴方たちを大津波から救ったわ。感謝の言葉はないの?」 感謝を強要するエレーナは自分のあまりに滑稽な言い分に思わず苦笑してしまう。 大自然すら容易く捻じ伏せる圧倒的な力を使った壮大なマッチポンプ。 エレーナからすれば足を水に浸して座っただけだが。 だが、王都に生きる人々の中には女神の怒りを恐れて一心不乱に感謝と敬意を伝えようとするものも大勢いた。 しかし、悲しいことに0.2ミリしかない微生物がどれだけ声を振り絞ろうとも女神の耳に声は届かず、もし届いても女神は聞き流してしまうだろう。 「それに知ってると思うけど私は隣国の王族よ? せっかく遊びに来たのに、誰も出迎えないのはどういうことかしら?」 開脚姿勢のままエレーナは町中に手を指し伸ばす。 目に付いたのは大規模な市民ホールだ。 繊細な指先を近付けて比較すれば、数千人を収容できる巨大ホールがまるでゴミクズのように見える。 あまりに小さく可愛らしい存在を虐めたくなったので、伸ばした人差し指をそのまま突き刺して軽く捻り潰した。 そこに隠れて震え居ていた住民たちは自分が女の子の指先で押し潰されることを知ることはなかった。 「でもいいわ。貴方たちの無礼は許してあげる」 市民ホールを磨り潰した指先に息を吹きかけて瓦礫を落とす。 何千人もの市民を屠った指は、一瞬にしていつもの美しさを取り戻した。 指先が着地した衝撃で建物が崩れ落ち、瓦礫の下敷きとなった人々が呻き声をあげている。家族や友人を亡くしたのか、泣き叫ぶものも無数にいる。 エレーナの悪戯は平和な町を容易く地獄に変えてしまう。 「フフッ。私はとても優しいから、貴方たちに大切なことを教えてあげるわ」 エレーナは意地の悪い笑みを隠すように口元に手の甲を当てる。 ほんの少し希望を与えてから命ごとそれを奪い去る。 何度やっても飽きない遊びだ。 きっと彼らは許すという言葉を真に受けて自分たちが助かるかもと思っているだろう。 そんなわけないのにおめでたいことだ。 だからこそ、しっかり教えてあげなければならない。 「貴方たちは数秒後に死ぬの。私が両脚をサッと閉じて、貴方たちのちっぽけな職場も自宅も学校も商店も全部まとめて磨り潰すわ。いったい何人が私の太腿と脹脛の犠牲になるのかしら。楽しみね」 エレーナは愛おしそうに自分の脚を撫でる。 美しい肌と肌がお互いに人の温もりを伝え合い、力のままに柔肉がしなる。 これから何万人という罪のない人々を虐殺する美しい脚。 山脈の如く聳える殺戮兵器はとてもそんな残酷で強力な力を持っているようには見えない美しさだった。 「ああ、そうそう。これは特に天罰とかではないわ。私が楽しそうだと思ったからやるだけ。だから、許しもなにも関係ないの。貴方たちがどれだけ言葉を尽くして懇願しても運命は変わらないわ。私の脚の下で一瞬で潰れて死ぬ。それが貴方たちの最期。どう、よく分かった? フフフッ」 人々は残酷な女神から逃れようと必死に走り出す。 しかし、女神が残した巨大な足跡や振動で倒壊した瓦礫が行く手を阻むんだ。 ただでさえノロマな彼らは満足に逃げることも出来ず、大半の者は泣き叫ぶだけだ。 「それじゃあ、潰すわね。さようなら」 エレーナは躊躇うことなく勢い良く脚を閉じた。 それは文字通り一瞬だった。 半径8キロの範囲にあった数千数万の建物とそこに住む人々を消し去り、地表を深さ100メートルまで削り取った美しい脚。 寄せ集められた膨大な土砂と瓦礫によって、バルリア王都に巨大なゴミ山脈を築き上げた。 何度か両脚を擦り合わせれば、奇跡的な生存者すら残さない。 女神の遊びに奇跡などないのだ。 「うん、やっぱり気分が良いわね。全部綺麗になくなっちゃった」 自分の引き起こした大惨事にうっとりした表情を浮かべるエレーナ。 ゴミゴミしていた小さなものが一瞬で全て消える爽快感。 数ミリ程度の小さな家も、小人にとっては人生を掛けて作り上げるような大切なものなのだ。 それをこんな簡単にそれも何万も奪い取れる自分の力。 圧倒的な優越感がエレーナの心を満たしていく。 「楽しかったわぁ。もう今日はここまでにしましょうか。……サクラ、帰りましょう」 手の平で真っ青な顔をしていた可愛い従者が目に見えて嬉しそうな表情を浮かべた。 こんな非常識で残酷で無慈悲な虐殺がようやく終わるのだ。 今日一日のエレーナは特に酷かった。 ここまでの暴虐を働くことは今までなかったのだ。 何が主人を駆り立てたのか分からずサクラは困惑していた。 それもようやく終わるのだ。 「そうしましょう! それがいいですよ!」 「フフッ。嬉しそうね」 「そんなことないですよ! 帰ったらお風呂にしましょう。お体を洗わせて頂きます」 「いつもありがとう。それじゃあ、帰る前にサクラにお願いしたいことがあるの」 「なんでしょうか?」 これから自分が何をさせられるのかも知らず、サクラは楽し気に首を傾げていた。 もう頭の中では城に帰っていつも通りの日常を送ることでいっぱいなのだろう。 エレーナは虐殺を働いた両脚を少し持ち上げ、その場にしゃがみ込むように姿勢を変えた。 そして、手の平のサクラをそっと地上に下ろした。 手の平に乗るような1.5㎝のメイドが、150メートルの巨人として王都に降臨した。 使用人として実用性ばかりを追求した無骨なロングブーツは、22メートルの小さな足跡を地表に刻み込んだ。 町の全てが自分よりも小さいという初めての体験に戸惑いを隠せないサクラがモジモジと足を動かすと、靴底で瓦礫が砂と変わる。 「あの、えっと……」 「サクラには簡単なお掃除をして欲しいの」 「お掃除ですか? メイドなので確かに得意ですけど」 「そう。心強いわ」 サクラはご主人の微笑に混じる狂気を敏感に感じ取った。 美しい顔に笑顔を浮かべているはずなのに寒気がする。 これはダメだ。怖い。 何をさせられるのか分からないが、サクラは得体の知れない恐怖に身が支配されるのを実感した。 「エ、エレーナ様?」 「サクラにはあれを片付けて欲しいの」 エレーナが指差す先には崩れ掛けの王城があった。 先ほど16,800メートルの巨人が歩いた振動に耐え切れず、半分以上が瓦礫となっていた。 だが、もっとも大きく頑丈に作られた中央棟だけはまだ健在だ。 満足に逃げることが出来なかった王とその一族、数百の使用人とその何倍もの兵士たちが身を寄せている。 超常の力を悪戯に振るう女神が去るのをじっと待っているのだ。 「…………」 「丁寧にやる必要はないわ。そうね、今のサクラなら一蹴りで終わるんじゃないかしら」 「……あのっ」 「サクラは凄いわね。たった一蹴りで一つの国の歴史を終わらせるなんて、私でもやったことのない蛮行よ。フフッ」 「嫌です! そんなことしたくありません!」 「歴史に名を残せるわよ。数百年続いた王家を安っぽいブーツで蹴散らしたメイドさんだって」 「うぅ……」 エレーナは何があってもやらせるつもりだ。 自分よりも遥かに小さく弱っちい存在が、それ以上の弱者を蹂躙していく様を見たいのだろう。 自分が使える主人の人格についてはよく知っている。 どれだけ理屈を立てて拒んでもその強大な力で捻じ伏せ、思い通りの結果を生み出す。 サクラが嫌がる様子すら楽しんでいるようだ。 「……わかりました」 「フフッ。ありがとう」 サクラは足元に視線を落としながら慎重に歩き出した。 今のサクラは身長150メートルの大巨人であり、一歩ごとに22メートルの巨足を振り下ろしてしまうのだ。 もし気付かずに人を踏むことがあれば、分厚い靴底に阻まれて感触を得ることもなく殺してしまうだろう。 だが、サクラがどれだけ注意を払っても犠牲を0にすることはできない。 王城を目の前に捉えるまでに踏み出した十数歩の間に、サクラの履いたブーツは50人の命を奪った。 大半は瓦礫の下敷きとなって奇跡的に生き残っていた人々を、瓦礫の上から踏み潰したものだ。 サクラには殺意も悪意もない。 ただただ、彼らは小さく弱くちっぽけだった。 「これがお城なの……? 小さい」 バルリア王都の中心に作り上げた王城は高さが90メートル。 この世界における建築技術を考えれば、十分に巨大な構造物だった。 周囲を囲う20メートルの城壁はすでに崩れ落ち、水を張った堀は瓦礫で埋もれ、跳ね橋はチェーンが切れ落下していた。 まだ健在な中央棟からは無数の人々が不安げな視線をサクラに向けている。 この小さな巨大メイドが何をしようとしているのか、得体の知れない怪物に向ける恐怖心が募るばかりだ。 そんな彼らに対してサクラは同情を覚える。 彼らは何も悪いことをしていない。今日まで普通に暮らしてきただけだ。 それなのに意地悪な女神に目を付けられ、ただの使用人に過ぎない自分に処分されてしまうのだ。 あまりに可愛そうだ。 チラリと後ろを振り返って主人の様子を伺うが、残念ながらどうやっても彼らが助かる道はないようだ。 サクラが数百人を殺戮するのを今か今かと楽しみに待っている。 「フフッ。サクラはだいぶ焦らすのね。小人を怯えさせるのが楽しいのかしら」 「そんなことないです……」 「そうなの? でも、時間を掛けても結局は全員を殺してしまうのだし、怯えさせるだけ可哀そうじゃないかしら」 「……」 エレーナは言外に早くやれと言っている。 メイドの一蹴りで王城を粉々に粉砕し、中にいる王族を皆殺しにしてこの国を滅ぼせと言っているのだ。 それは、13歳の使用人の女の子にとってとても簡単な仕事だった。 サクラは自分の胸より背の低い王城を見下ろし、この期に及んでも躊躇いを消しきれないでいたが、覚悟を決めて右足をそっと持ち上げた。 「……ごめんなさいっ!」 巨大で可愛らしいメイドはギュッと目を瞑って脚を振り抜いた。 ロングスカートを履いているせいで小振りではあったが、石造りの堅牢な城を粉々に吹き飛ばすには十分過ぎる破壊力。 ブーツが蹴散らした瓦礫は数百メートルも宙を飛び、まだ無事だった市街地に降り注いだ。 メイドによる殺戮は一瞬にして完了した。城にいた人間は誰一人として生き残ることはできなかった。 それどころか、人間としての形を残している者すらおらず、全員が血飛沫となって瓦礫のシミとなった。 蹴り壊した感触はクッキーより脆く、砂の城でも蹴ったくらいの感覚。 バルリアという国はこの瞬間に地表から姿を消した。 原因はメイドの一蹴り。歴史に残る暴虐だった。 「はい、お疲れ様。初めて人間を殺した感想はどう?」 「どうしてそんな言い方するんですか!!」 「フフッ。興奮してるの?」 「してませんよっ!」 ついに怒り出したメイドを適当に宥めながら、エレーナは帰り道を歩き出す。 忘れないようにサンダルも回収し、来る途中に見落とした村や町を見つけては2,500メートルの素足の下敷きにして地図から消していく。 国境になっている川を踏み付けると、足跡に水が流れ込んで小さな湖が出来た。 次に足元に見付けた町を踏み潰そうとすると、手の平のメイドが元気に抗議してきた。 すでに自国領内であり、その町は今朝エレーナがいちゃもんをつけて虐めたフロリナの町だというのだ。 確かによく見れば似ているが、16,800メートルの女神からすると町の違いなどあってないようなものだ。 サクラが猛烈に抗議してくるのが面白くて、町に足を翳して脅してみたりする。 2,500メートルの巨大な何かが町を覆い尽くし、パラパラと数メートルもあるゴミや残骸が零れ落ちる。 100倍の時に虐めたときとは桁違いの混乱を生み出し、人々を恐怖へ突き落す。 そして、しばらく楽しんでからスッと片足を降ろして町を踏み潰した。 町に済む数千人を一人残らず虐殺し、跡形も残らず消し去るためにグリグリを踏み躙ってみる。 一日に二度も女神に襲われた不運な町は、女神の素足に微かな感触を与えてその歴史を終えた。 城に帰ったエレーナは汗を流すためお風呂に入った。 帰りがけにフロリナの町を踏み潰したのが気に入らなかったのか、サクラは口を聞いてくれなくなった。 ずっと頬を膨らませて怒っているが、数日もすればまた仲良くなれるだろう。 そんなことよりも次はどの国に遊びに行こうか。 サクラの生まれ故郷で遊ぼうかと思ったが、流石に仲直りが出来なくなりそうなので止めておく。 楽しいお遊びは終わりそうにない。


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