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ヘンリクト
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退屈(上)

退屈。 どんな人間であれ多かれ少なかれ抱く鬱屈とした感情だ。 大半の人間は日々の生活に刺激的な出来事などないし、昨日と今日、今日と明日を比較しても大差はない。 繰り返す日々に飽きを覚え、ときに退屈に苛立つこともあるだろう。 国を統べる国王の愛娘として生を授かったエレーナもまた、そんな退屈に苛立ちを覚えることが多いのだった。 エレーナは全てにおいて神から祝福された存在だった。 何十世代にも渡って続く王家の血筋は、その時世における優れた容姿を持つ者を積極的に取り込んでいる。 それらが長い時間をかけて幾重にも混ざり合うことで、あらゆる価値観においても美しいとされる人類の完成形が生まれたのだ。 肩まで伸びるブロンドの髪、吸い込まれるような青い瞳、全身の無駄のない肉付きは白い肌をより際立たせた。 もちろん、王家の選定は容姿だけでなく学問や武芸、芸術にも及んでおり、引き継がれる才能は代を重ねるごとに洗練されていく。 さらに幼少期からの優れた教育が加わることで、エレーナの秘めた才能は次々に開花していった。 秀才が二十歳までを勉学に捧げてようやく得られる法学位を僅か14歳で収め、また同時期には王家専属の剣術指南役に膝を付かせ、休日に作った彫刻は美術館からの希望で寄贈され、芸術家を志す者たちに向けて手本として公開されている。 家柄、財産、容姿、才能。 人間が羨むものを全ていた彼女だが、神が与えた最も偉大な祝福は人智が及ぶものではなかった。 彼女には物体の大きさを自由に操る不思議な能力があるのだ。 一粒の金があれば、それを巨大化させ金の山を作ることができる。 また、聳え立つ山脈を縮めて平らな道を作り出すこともできる。 あらゆる財物の価値を変え、地形変動すら自由に操る能力。 比喩ではなく全人類を幸福に導くことすらできる神の力を、エレーナは退屈しのぎに使うことにした。 自国の民を虐げる愉悦、異国の民を虐殺する快楽。 神に愛され全てを与えれた美しき少女は、道徳倫理の観念だけが著しく欠落しているのだった。 エレーナが城の外を歩くと周囲の反応は概ね二通りだ。 彼女の本性を知らぬ幸せな者は美しさに目を奪われ、彼女が歩いた後の残り香にすら感激するのだ。 一方、彼女の残虐性を知る者は目を伏せて足早に去ろうとする。 この王都城下町においてこれまで彼女がしてきた悪逆非道の犠牲者はすでに百を超えている。 露店で買い物中に店ごと縮められて踏み潰された者、レストランで食事中に縮められフォークとナイフで切り刻まれた者、就寝中に自宅に押し入られて縮めらたあげく指先で捻り潰された者。 なんの前触れもなく神の力を持つ少女に命を奪われてしまうのだ。 当然、エレーナに対してあらゆる対抗手段検討され、いくつかが実施されたが、そのどれもが実を結んでいない。 それどころか、常人の百倍まで自らの身体を巨大化させた彼女は、報復としてまったく関係のない無辜の民を四人選び、それぞれを足指の間で握り潰して血肉片に変えて見せた。 公開処刑だった。 それも白昼堂々、城下町の中央広場に集めた大勢の市民の頭上でのことだ。 自分たちの頭上を覆い隠す25メートルの素足は、細長く皺などない美しいものだった。17歳の少女らしくハリと柔らかさが両立していることは見上げるだけの小人にも理解できた。 だがそれと同時に、なんの容赦もなく市民を捻り潰す残酷な存在であり、本来は地面についているのが自然なものであることも理解できてしまった。 もしこのままスッと足が降りてきたら、どれだけの犠牲者が出るのだろうか。 広場に集まっていた人々は、悲鳴と絶叫の中で必死に逃げ回った。 幸いなことに、エレーナの足は何度か指先を擦り合わせたあと、もとのサンダルの中に収められた。 足首の紐と足の甲を押さえる紐だけで履くハイヒールサンダルは、よく磨かれた黄土色の革製品であり、傍目からは金で出来ているようにも見えるだろうか。 エレーナは逃げ惑う人々に向け、次に自分が不快に思うようなことがあれば、こんな遊びでは済ませない伝えて歩き去った。 残された人々はただ茫然と立ち尽くし、どうすれば残虐な女神の機嫌を損ねないで済むのか、という答えのない問いに苦悩することとなった。 日課の市民虐めを終えて城に戻ったエレーナはご機嫌だった。 自室に用意した巨大なベットに横たわりながら、今日の出来事を振り返る。 今日は利発そうな子供たちを何人か見つけたので、命を懸けた問い掛けを出してあげたのだ。 正解すれば解放し、間違えたら握り潰すという簡潔なものだ。 子供たちをまとめて1㎝まで縮めて左手に乗せた後、問題を出すごとに回答者の一人を右手に移し替えていく。 最初の回答者だった子供が問いに答えられず、あっさりと右手の中で握り潰される光景を残りの子供たちにしっかりと見せ付けてあげた。 彼らの怯える表情はエレーナの嗜虐心を十分にくすぐった。 結局、エレーナからの問いかけに答えられた子供はおらず、一人ずつ右手の中で握り潰すたび手に残る血肉片は増えていった。 「クスクス。知らないものは答えられないのよ。考えても無駄なことなのに、よっぽど死にたくなかったのね」 エレーナが与えた問い掛けはすべて異国の地名を答えるものだ。 必要なのは純粋に知識であり、知能の高さなど関係ない。 初等教育課程にあると思われる彼らでは、どうすることもできないのだ。 必死に生きようとする人間と、それを容易く遊びで消し去る自分。 この圧倒的な力の差は何度自覚してもエレーナを楽しませてくれた。 「明日は城下から逃げようとしてる愚民どもと鬼ごっこでもしようかしら」 暴虐の姫君から逃れるということ。 あの公開処刑の日から城下を去るものは後を絶たない。 結局、どうしたところでエレーナの気分によっては殺されるのだ。 身を守るためには、この場を離れるのが最も確実だろう。 彼らは家と職を捨て、家族と共に地方に逃げ出しているのだった。 もちろん、全員が人生設計の放棄を早々に決断できるわけではない。 エレーナは自分の部下に命じて逃げ出そうとしている者たちを調べさせている。 家財道具を運べる馬車は個人所有がほとんどなく、大半が業者への委託となるため、そこを見張るだけで良い。 そしてちょうど明日、城下を離れようとしている家族がいるのだ。 「そうね…。城門が見えなくなって安心できるくらいまで行かせてから、百倍の身体で追いかけましょう。まずは馬を踏み潰して……」 エレーナの脳裏には愉快な追いかけっこが展開されている。 安心しきったところに超高速で迫りくる巨大な自分、直後には馬を踏み潰すサンダル越しの鈍い感触。 彼の大切な家財道具を僅か一蹴りで全てゴミに変える自分、ようやく逃げ出す小人たち。 必死に走る彼らを一跨ぎにして振り下ろす巨大な足。 それに慄いて方向転換した彼らの行く手をもう一方の足で塞いでやるのだ。 股下に閉じ込めてからはどうしてやろうか。 下着を覗いた罪で即座に踏み潰してもいいし、今日の子供たちのように何かチャンスをあげてもいい。 適当に一人を踏み潰して、その靴底を残りに舐めとらせるなんてこともしてみたい。 前回、同じように鬼ごっこをしたときは簡単に追い付いてしまい、うっかり馬車ごと一歩で踏み潰してしまったのだ。 大して面白くもなく不満だったので、何度も足首をグリグリと捻って形がなくなるまでグシャグシャにしてやった。 「フフッ。本当にどうしようかしら。とっても楽しそう……」 エレーナの完成された美貌に笑みが咲いた。 見慣れたものでもつい視線を取られてしまう魔を帯びた魅力。 思考内容があまりに邪悪であることを除けば、天使や女神に例えても異論を挟むものはいないだろう。 しかし、私室内のエレーナに視線を向けることができる唯一の人物は、頭に浮かぶ凄惨な光景に引き攣った表情を隠せないでいた。 エレーナの専属メイドであるサクラは、働き始めて一年が経過してもなお主人である美少女の趣向に共感できそうにもなかった。 「ねぇサクラ、明日は鬼ごっこで遊ぼうと思うのだけど、どうするのが一番楽しいかしら」 「え!? あ、あの、えっと…。……止めておきませんか?」 「フフッ。そう言うと思った。サクラは優しいものね」 でも止めてあげない。 口に出さずともその意思はサクラに十分に伝わった。 この国で就労が許されるのは12歳からであり、それと同じくして王宮で働き始めたサクラはまだ純粋で心優しい少女だった。 海を隔てた遠い島国からやってきた異邦人でありながら、縁あってエレーナの従者になった彼女は、主人が暴挙を働こうとするたびに止めに入っているのだった。 他の者が同じように意見することがあれば、きっと数瞬後には矮小な水気のある肉片になっているだろう。 「でもそうね。……なにか代案をくれたら止めてあげるわ。何か思いつくことはある?」 「本当ですか! えと、えっと…… 明日は天気が良いそうなので、馬で遠乗りに行くのはどうでしょう! フロリナの町なら朝早くに出れば日帰りでも行けると思います!」 フロリナは王都から少し離れた宿場町だ。 決して大きな町ではないが、山越え前の拠点として多くの旅人が利用している。 ここで馬を休ませたり、仲間と合流したりするのだ。 そうした旅人を狙った宿と飲食店が立ち並ぶメインストリートは、それだけでも観光客を呼び込む魅力があるのだった。 サクラは船でこの国にやってきてから王都に向かうまでに一度だけ立ち寄っており、その多種多様な美食の集まりに魅了され、僅か二日の滞在にもかかわらず大好きな町だった。 サクラはその魅力を必死に主人に伝えようと言葉を尽くした。 このまま説得できれば、可哀そうな犠牲者を出さずに済むかもしれないのだ。 そんな様子をエレーナは愛おしそうに眺めていた。 「そう、分かったわ。明日はフロリナの町に行きましょうか。サクラも一緒に行くから仕度しておいてね」 「え、いいんですか?」 「もちろんよ。一緒に遊びに行きましょう」 意外にもあっさり採用されたことに驚くも、サクラは嬉しそうに何度も感謝を口にした後、美しいロングストレートの黒髪がふわりと舞うほど勢いよく部屋を出ていった。 フロリナの町にどんなお店があるのかを調べてくれるのだという。 一人になったエレーナの口元に邪悪な笑みが浮かぶのを見た者は誰もいなかった。 翌朝。 サクラは怯え引き攣った顔で主人を見上げていた。 約束の時間になっても馬舎へ現れない主人を呼びに言ったのが数分前。 エレーナの私室に入ると、彼女は普段と同じように白いドレスを身に纏い、ベットに腰かけてお気に入りのヒールサンダルを履いているところだった。 とても乗馬に適した服装ではない。 サクラが服装について確認しようとするのと、エレーナがサンダルを履き終えるのは同時だった。 「あの、その服でよろしいのですか……?」 「ダメかしら? お気に入りなのだけど」 ベットから立ち上がったエレーナは大きい。 もともと160台後半の身長にヒール分が合わさることで175㎝の長身となっているのだ。 平均的な体躯のサクラと比べると、頭一つ違ってしまう。 エレーナが好んで身に纏う白のドレスは神事につかう神官服を普段着に縫い直したもので、脚に入ったスリットからは白く細長い脚が惜しげもなく覗いている。また、胸元で交差するデザインは扇情的ですらあり、均整の取れた乳房の美しさ際立たせている。 「あ、いえ、とてもお似合いです。でも乗馬には向かないかと」 「乗馬? ……ああ、そういうことね。フフッ、それなら大丈夫よ」 首を傾げるサクラの手を引き、私室の窓を開け放つエレーナ。 そのまま躊躇わずに窓から飛び降りた。 手を引かれたまま落下するサクラが驚愕の表情を浮かべ何か言おうとしていたが、その前にエレーナの巨大化が終わっていた。 身長175メートルの少女が聳え立つと、威容を誇った王城ですら腰の高さしかない玩具のようだった。 丁寧に刈り揃えられた王宮庭園は突如として現れた姫君の両足に蹂躙され、無残にもサンダルの下で一メートル以上も押し潰されていた。 手の平に乗せたお気に入りの専属メイドが腰を抜かし、周囲を見渡しているのが面白かった。 「さ、行きましょうか」 「え、え、あれ? エレーナ様? …あ、私ったら土足で手の上に載るなんて失礼なことを」 「いいのよ気にしないで。……昨日握り潰した子供たちも土足だったのだから」 「あ、ひィっ」 サクラは昨晩の主人の話を思い出した。 いま、自分がいるのは右手の手の平だ。 なんの罪もない子供たちを容赦なく捻り潰した巨大な処刑場。 美しく温かく柔らかく良い匂いがするが、少女の手の平はこの世界のあらゆるものを握り潰してしまえるのだ。 もちろん、彼女がその気になれば次の瞬間には自分も意思のない肉塊と化してしまうだろう。 五本の長い指が今にも襲い掛かろうと蠢いていた。 直前にトイレを済ませていなかったら、間違いなく失禁していた。 先ほどまでは20㎝の身長差で見上げていた顔が、今では数十メートル離れてなお視界を覆い尽くしている。 その巨大で普段から見慣れた美しい造形に悪戯っ子の笑みが刺した。 「フフッ。ごめんなさい。少し怖がらせてみたかったの」 「う、うぅ…。ほ、本当に怖いので止めてくださいよぉ」 涙交じりに訴えるメイドに少しだけ罪悪感を覚えたが、 それよりも強い嗜虐的興奮が沸き起こってきた。 一瞬だけ、本当に一瞬だけ、このまま握り潰してみたくなった。 もちろんそんなことはしないつもりだが、気分が乗ってきたら衝動を抑えられるか分からない。 サクラはサディストの嗜虐心を掻き立てるのがうまいのだ。 それを伝えても本人は喜ばないだろうが。 「フロリナの町は確か南門から出て一本道よね」 「はい、そうです。……あの、まさか城下町を横切るおつもりでしょうか?」 「そうなるわね」 何でもないようにサラッと言うエレーナ。 25メートルもの巨足を降ろせるほど広いスペースなど殆どない。 この町で最も広いメインストリートですら、両足を並べて置くことはできそうもない。 被害を出さないためには、メインストリートを平均台を渡るように慎重に歩くしかないだろう。 だが、ちょうど太陽が昇り切り人々が活動を始める時間帯であり、移動の要であるメインストリートは込み合っているのだ。 そこに巨大なハイヒールが振り落とされるようなことがあれば、どれだけの被害がでるのか。 賑わうメインストリートが赤黒い血溜りなるのは容易に想像ができた。 「迂回しませんか?」 「フフッ。嫌よ」 優しく勇気のあるメイドのお願いを無下に切り捨てたエレーナは、広大な宮廷庭園を一跨ぎにして城下に足を振り下ろした。 幸いなことに王城周辺に住居はなく、人的な被害は出なかった。 ただし、足元では圧倒的な重量で舗装に使われていた煉瓦が粉々に砕かれている。 ハイヒールの接地面積は小さいものだが、その分体重が掛かってくるのだ。 特に体重が掛かるヒールの直下は数メートル沈み込むが、爪先部分の平らな靴底でも同じように足跡はくっきり刻み込まれる。 「城下に住まう市民たち、よく聞きなさい」 透き通る美声は伸びやかに城下町に伝播する。 人々は足と手を止めて声のする方に視線を向けると、そこに女神の姿を見た。 全身に一部の隙もない理想的な美しさを備えた少女が、王城すら見下すほどの巨躯で君臨していたのだ。 市民たちがその姿を見るのは先日の足指公開処刑以来のことだ。 彼らは固唾をのんで女神の次の言葉を待った。 「今すぐに建物から出て、広場や通りに集まりなさい」 エレーナは一度だけ彼らに忠告することにした。 従わない者、気が付かない者、気付いても動けない者などもいるだろうが、それならそれで別にいい。何の問題にもならない。 「あの、エレーナ様? う、嘘ですよね? わざわざ人を集めてだなんて、そんな……」 どうやら手の平のメイドは勘違いをしているようだ。 人々を建物から外に出して、その上を歩いて虐殺するとでも思っているらしい。 真っ青な顔で今にも倒れそうになりながらも、しっかりと目を見てそんなことをしないでと訴えてくる。 「ん、もしかしてサクラはそうして欲しいの? いいわよ、全部踏み潰しても。クスクス」 手の平のメイドにだけ聞こえるよう囁くと、音がするくらいの勢いで頭を横に振って否定する。 そんな滑稽な様子が面白かったので、からかうのは止めにした。 「今から私が町を歩きます。大きめの建物を踏んで歩くようにしてあげるから、ちゃんと外にいれば安全よ」 エレーナなりの慈悲のつもりだった。 市民たちを建物内に入れて自分がメインストリートを歩けば、被害は巨大な足跡が無数に刻まれる程度で済むだろう。 おそらく、全力で補修作業に掛かれば二か月で痕跡は消える。 それでは面白くないのだ。 だからその反対に決めた。 市民たちを外に出し、自分たちの町が破壊されていく様を見せつけてやるのだ。 うまくいけば死傷者は出ないだろうが、経済的な損失は莫大なものになるだろう。 少女が歩いた。 そんなくだらない理由でも、なかには人生を諦め命を絶つ者も出てくるのだ。 エレーナが思いついた悪戯は市民にとってあまりに無情なものだった。 歩き出す前に、サクラには揺れに気を付けるよう忠告しておいた。 身長175メートルの巨人の歩行による揺れは、超巨大質量の上下数十メートルの移動にともなうエネルギーだ。 サクラは自分の胴体よりも太い中指に腕を回してしがみ付くことにした。 「さて、そろそろいいかしら。フフッ。最初はどれにしようかしらね」 道路を埋め尽くした市民たちが蠢く様子をしばし観察してから、最初の一歩を踏み出すために右足を持ち上げた。 普段よりも高く持ち上げたのは、動かす風圧で他の建物を破壊しないための配慮と、足元の虫けらたちへの威圧だった。 エレーナに選ばれた不運な建物は、貴族の屋敷だった。 王城近くの一等地に屋敷を構えることは並大抵の貴族では不可能であることから、恐らく名家なのだろと思われる。 だが、王族のエレーナからすれば、その辺の一市民となんの変わりもない程度の存在だ。 持ち上げたサンダルの靴底を屋根に乗せて軽く左右に振ってみると、クッキーより脆い屋根は瞬時に破壊されつくし、屋敷の窓は全て粉々に吹き飛んだ。 しばらく爪先で屋敷を破壊する感触を楽しんだ後、特に力を込めることもなく足を自然に下ろした。 百年以上の歴史を持つ建造物がゴミになった瞬間だった。 エレーナの一歩を踏み出すたびに町が破壊されていく。 貴族の屋敷の次は兵士の詰め所だった。数百人が寝泊まりする宿舎も兼ねていたが、特に区別されることなかった。 歩みを止めない女神の足元では図書館、市民管理署、学校、商店と併設していた大型倉庫がその犠牲になった。 ふと踏み潰すか迷ったのは、自分の作品を展示している美術館だ。 少しもったいないような気もしたが、どうせ暇潰しに作った手抜き作品なのでいいかなと、他の建物と区別なく潰しておいた。 城下町も中心部から一キロも離れれば、小さな住居が立ち並ぶ普通の町と大差ない光景に切り替わる。 どれも同じようにしか見えなかったので、適当に何軒かをまとめて踏み潰しながら直進する。 最期に膝よりも低い石造りの城門を蹴り飛ばし、小さな瓦礫を撒き散らして城下町の横断は終了した。 振り返ってみれば、町の至る所に破壊の痕跡がくっきり浮かび、いくつかは黒い煙が立ち上っていた。どうやら住宅街の一部が火事になったらしい。 歩く途中で消防隊の待機所を装備ごと踏み潰したので被害は拡大しそうだ。 「酷い……」 王城から見下ろす形で慣れ親しんだ町が破壊されていた。 サクラはその破壊の張本人の手の平で惨状を嘆いた。 巨大なサンダルが振り下ろされるたび、人々の生活が奪い取られていった。 その証拠に瓦礫の傍で力なく崩れ落ちる者も多く、また家族うあ友人を探すため悲鳴のような声を上げる者もいた。 もちろん、怪我人は無数に出ただろうし、犠牲者も0で済んだとは思えない。 彼らはこれから先、数日かけて瓦礫の下から物言わぬ姿で見つかるのだろう。 生まれ育った町にどうしてこんな非情ことができるのか、真っ当な感性の持ち主であるサクラには理解できなかった。 「なかなか面白いわね。もう一往復しようかしら」 「!? だ、ダメですよ! もう行きましょう! ねっ!」 指にしがみ付いていた小さな人間が、両手を振りながら引き留めてくる。 健気な従者の心意気を汲み取り、これ以上城下町を壊すのは止めておいた。 城下町に背を向けて歩き出してみると、小さなメイドは分かりやすく安堵の溜息をついて手の平にへたり込んでしまう。 もし、この場で反転して急に駆け出したりしたら彼女はどんな反応をするだろうか。 これ以上壊さないでくれと泣きながら懇願するのだろうか。 意地の悪い笑みが浮かんでくるが、幸いなことに小さなメイドがそれに気づくことはなかった。 フロリナの町までの道のりは概ね70キロほどの一本道だ。 町と違って舗装こそされていないが、今日まで無数の人々が踏み固めてきた道はくっきりと浮かび上がっており、誰が使っても迷うことはない。 エレーナが丁寧に道を踏みながら歩いていくと、一歩ごとにサンダルが沈みこんで等間隔に足跡が生まれる。 人や馬なら乗り越えられる程度の深さだが、大半の荷馬車は通行不能になったとみて間違いない。 王都と南部都市の交易の主要ルートでもあったが、今日からは大幅に迂回するか左右の深い森を通ることになるのだ。 もっとも、森の木々も175メートルの巨人からすれば雑草のようなものに過ぎず、大した苦もなく蹴散らし歩いていけるのだが。 わざわざ道に足跡をつけているのは、小人たちを少し虐めてやりたかっただけだ。 人の足では二日かかるような距離もエレーナなら僅か10分。 散歩とも呼べない程度の気軽な距離でしかない。 「あ、エレーナ様、少し先に馬車がいますのでお気をつけ下さい」 「あら本当。……ねぇ、あれ邪魔だと思わない?」 「思いませんよ! エレーナ様なら簡単に避けられるのですから、踏まないであげてください!」 「嫌よ。なぜ私が気を使わなくてはいけないの?」 「そんなっ……」 絶句するメイドの様子を楽しみながら、エレーナは少し歩みを速めた。 一歩ごとに数十メートルを移動する巨躯でもって、同じくフロリナの町を目指していた馬車にグングン近づいていく。 一キロの距離を詰めるのに要した時間はほんの十秒ほどだった。 馬車のすぐ後ろに強めに足を降ろしてみると、馬が暴れたのか馬車はもうスピードで走り出した。 だが、悲しいことにそれでもあまりに遅く、エレーナから離れることは叶わないのだった。 「ああ、そういえば王都から逃げ出した愚民がいるのでしたっけ? もしかしてこれかしら」 昨晩、脳裏で何度も惨殺したのを思い出したエレーナ。 結局は今朝の遊びを思いついたので忘れていたが、実際に出会ったのだから放っておく理由もない。 たまたま進行方向が同じだった彼らは運がなかったとしか言いようがない。 「止まりなさい。……と言っても無理そうね。私が止めてあげるわ」 スッと持ち上げた脚を指し伸ばしていくと、巨大な影が馬車を包み込んだ。 革の匂いが漂う巨大なサンダルは少女の意思で振り下ろされ、その爪先のソール部分で二頭の馬を瞬時に挽肉に変えた。 直後にヒールが荷台の真後ろに叩き付けられ、馬車はハイヒールのアーチ部分にスッポリと収まってしまった。 もちろん、勢いのついた荷台は急に止まることなく足裏に激突したが、少女のサンダルはピクリとも動かなかった。 前半分が潰れた荷台から這い出てきた若い夫婦は、自分たちの頭上を覆い尽くしているものの正体が上手く理解できなかった。 だか、エレーナが惨状を確認しようと足を持ち上げたことで、彼らにも状況が飲み込めた。 あの暴虐の姫が自分たちを玩具にしようとしているのだった。 「なんだ二人しかいないのね。まぁいいわ。…まだ動けるかしら?」 遥か頭上から降り注ぐ美声に無意識に平伏した。 骨が折れた激痛が全身を駆け巡るが、それでも額を大地に擦り付けることができた。 生物としての本能が理屈を超えて従わなければならないと理解しているのだ。 例え同じ大きさの人間同士であったとしても、自分より遥かに高位で全てにおいて優れた存在が、今は神話の神の如き威容でいらっしゃる。 凡夫に出来ることはなにもありはしない。 ただ女神の望むようにすることが、この瞬間から彼らの生きる意味の全てだった。 「フフッ。なにをさせようかしら」 昨夜は結局、結論を出さないまま終わりにしてしまった。 やってみたいことはいくつかあるが、使える命は二つしかないのだ。 どれも捨てがたく悩んでしまう。 取り敢えず、足元で大破している荷台と馬の死骸を道脇の森に向けて蹴り入れると、ちっぽけなゴミは一瞬にして女神の視界から消えていった。 頭を下げたままの二人の小人は、すぐ近くで自分たちの財産の全てを失ったにもかかわらず、文句ひとつ言えないのだった。 「決めたわ。……あなたたち、殺し合いなさい」 無慈悲だった。 あまりに無慈悲な言葉に、流石に小人も頭を上げてしまう。 この夫婦はまさに昨日、結婚式を挙げたばかりであり、その足で町を去ろうとしていたのだ。 なぜ将来を誓い合ったばかりの自分たちが殺し合わねばならないのか。 ただ、愛するものと一緒に生活をしたかっただけなのに。 「生き残った方は助けると約束するわ。私が責任をもってフロリナの町まで送り届けてあげるし、治療できるよう手配もしてあげる。だから早く殺し合いなさい」 エレーナは人の本性をみてみたかった。 婚姻の際には変わらぬ愛の誓いを立てるが、その愛は命と比較してどれだけの価値を持つのか。 確かめるために前々から殺し合わせてみたいと思っていたのだ。 夫婦は怪我で痛む体に鞭打って立ち上がり、お互いに見つめ合った。 女神が望むのはどちらかの死。 これほど残酷な仕打ちを強いてくる存在など、彼らは書物で読んだ悪魔であるとしか表現できなかった。 神の如き才覚、女神の如き容貌、悪魔の如き心が姫君の正体だ。 だが、その圧倒的な存在に逆らう術などこの世界の誰も持ち合わせていないだろう。 だからこそ、彼らは従うことしかできなかった。 これ以上の苦痛を与えることを姫君が思い至る前に、望みに沿って終わらせることが最良なのだと自分自身に言い聞かせた。 小さく肉を打つ音が数度続いた後、生き残ったのは女だった。 「あら、もう殺してしまったの? あまり動きがなくて面白味に欠けたのが残念だけど、まぁいいわ」 結果はエレーナの予想通りだった。 命という生物にとってこのうえなく大切なものを守るためなら、愛する相手ですら殺すことができる。 高度な感情と知性をもった人間であれば、違う回答を出す者もいるかもしれないが、だいたいの生物はこうなるものだろう。 馬車をヒール下に閉じ込めたとき、折れた木片が男の腹部を貫いていた。 大きな血管を傷つけていたのか出血量が凄まじく、仮に女が何もしなくても残り数分の命だったろう。 「お疲れ様。自分の夫を殺した気分はどうかしら?」 問い掛けても女は放心したかのように何も言わず立ち尽くすのみだ。 流石のエレーナにも内心までは理解できないが、きっと何も考えることができない状態なのだろう。 強度の心理負担が思考を停止させることは経験上でもよく知っていることだ。 「ねぇ、実はあなたに謝らなくてはならないことがあるの。私、王族として罪人を裁くことも仕事なのだけれど、家族殺しの罪は死刑と定まっているのを忘れていたわ」 忘れてなどいない。 エレーナは法学を最年少で修めているのだから。 生き残った方をより絶望させてやりたくて隠していたのだ。 意地悪な自分に思わずニヤケてしまう。 「約束を破ることになってごめんなさい。でも法律なのだから守らないといけないの。それに、あなたが実際に人を殺したのは事実なのだから、逆恨みしてはダメよ?」 エレーナはしゃがみ込んで立ち尽くす女に手を伸ばす。 綺麗に整えられた人差し指の爪を小人の喉元に当て、そのまま指の腹で矮小な体を地面に押し倒してやった。 裁きの時だった。 「本当なら罪状を読み上げたりするのだけど、面倒だから今回は省略するわ。……フフフッ。さようなら、夫殺しの罪人さん」 グリっと。 指先を押し付けた瞬間、全身の骨を粉々に砕いた微かな感触とともに女の身体は粘り気のある肉片となる。 爪が喉元を切断したことで頭部だけは形を留めていたが、デコピンの要領で弾いたらその場で血煙になった。 温かい血肉が外気で冷やされ、急速に冷たくなっていく。 女神の下す裁きは端的なものだった。 そういえば、とエレーナが探したのは男の死体だった。 腹部に突き刺さった木片を妻に掻き回された激痛でショック死した男の死体はもちろん原型のままだ。 一応、勝者だった女の死体がグチャグチャなのだから、敗者たる者が形を残しているのは不公平だ。 エレーナはその場で立ち上がり、男の死体を足で動かして女の肉片の上に乗せた。 そのまま当然のように踏み潰し、体重をかけて徹底的に押し潰す。 三メートルほども沈み込ませた後でサンダルを持ち上げれば、彼らは完全に交じり合い、まるで一つの生物が踏み潰されたかのように見える。 夫婦の一緒にいたいという願いは叶えられたのだ。 フロリナの町はちょうどお昼時を迎えて賑わいを見せていた。 町の住人は二千名程度と決して大きな町ではないが、大陸中央部と南部を結ぶ交通要所の一つであり、常に人が行き交う活気ある町なのだ。 普段と変わらない一日を過ごす彼らの中で、一番最初に異変に気付いたのは町の外周部に設置された物見台の兵士だった。 木々を組み合わせて高さ十メートル程に作られた物見台は、数人が詰めていられるように簡易な机と椅子が運び込まれているのだ。 そこに置かれたコップの水面が微かに揺れたのだ。 最初は真下を大型馬車が通行したのかと思った。 もしくは重装備をした軍用馬車かもしれない。 しかし、馬車ならば揺れは真下を通り過ぎる一瞬だけのはず。 コップの水は断続的に揺れ続け、しかも少しづつ大きくなっていく。 遂には物見台そのものまで揺れ出し、壁に立て替えていた弓矢がその場に倒れた。 明らかに不自然な揺れ。 まるで、なにか巨人でも歩いているかのようだと、兵士の一人が冗談交じりに呟くが、それは数瞬のうちに冗談ではなくなった。 はるか遠くの山裾に隠れて見えなかったのだ。 美しき少女がこの町に向けて歩いてくる。 周囲の木々はヒールサンダルを履いた足首すら覆い隠せないでおり、彼女がどれだけ巨大かを嫌でも理解させてくれた。 175メートルもの女神がフロリナの町を訪れるのは、ほんの数十秒先のことでしかなった。 「フロリナの町に付いたら、絶対に人を殺しちゃダメですからね! 約束しましたからね!!」 いつになく強気で迫ってくる専属メイド。 ついさっきまで気絶していたとは思えない気迫だった。 だが、残念なことに未成熟な子供の体では可愛らしさすら覚える。 それも元から自分より小さく、今は小指より小さな存在であればなおさらだ。 サクラは主人に向けて精一杯に抗議しているのだった。 「フフッ。分かってるわよ。約束したものね」 「ちゃんと守ってください! さっきみたいな騙し討ちはなしですよ!」 さっきの騙し討ちとは、夫婦うち女の方を処刑したことだろう。 エレーナとしては最高に面白かったのだが、この小さなメイドはそれが気に入らなかったらしい。 女を指先で捻り潰した光景に耐え切れず、気を失っていたようだ。 しばらくして目を覚ましたサクラに男の死体も一緒に踏み潰したと教えてあげたら、ついにプンプン怒りだしてしまったのだ。 命の尊さなどと幼年学校の教科書のようなことを並べ立てられ、少し面倒になってきたので、人を殺さないと約束して適当に宥めることにした。 まぁ、気分次第で約束は破るのだが。 そんなエレーナの内心を感じ取っているのか、サクラはしきりに約束と口にして牽制してくるのだった。 フロリナの町まであと一歩まで迫る距離で、エレーナ立ち止まって町を観察してみることにした。 「王都に比べるとだいぶ小さな町ね」 「それはそうですよ。むしろ王都が大きすぎるんです」 「そうかしら? 王都なんて一日も持ちそうにないけど……」 なにをするつもりなんですか。 サクラはそんな質問が口から出そうになるが、答えを聞きたくないので何とか飲み込んだ。 エレーナが胸元に手を寄せているせいで、その上にいるサクラも地表から百メートル以上の高さで町を見ることができる。 一年前に町の中にいたときよりも町は小さく見える。もちろん、高いところから見ているからで、地上に下ろして貰って中に入ればまた違う感想を抱くのだろうが。 ふと、サクラの視界に一人の男が映り込んだ。 普段着とは思えないほど豪奢な衣服に身を包み、町の中から駆け寄ってくる。 彼は城門を一歩出てからその場に膝を付き首を垂れた。 おそらく、エレーナが何者なのかを知っているのだろう。 男は自分がこの町の町長であると名乗り、続けてエレーナを褒めたたえる数々の美辞麗句を流暢に謳い上げ、最後に訪問の理由を尋ねるのだった。 その振る舞いから察するに、町長であるというのも嘘ではなさそうだ。 「出迎えご苦労様。私たちは食事をしに来ただけよ」 エレーナがそう答えると、町長は素人目にも分かるほど安堵の表情を浮かべた。 きっと、エレーナの存在だけなくその悪逆の振る舞いも知っているのだろう。 彼が町で一番の店に招待すると申し出てくれたので、サクラは内心で飛び上がるほど喜んでいたが、主人は別のことを考えているようだった。 「そう、それは嬉しいわね。外で食べたいからここに用意してくれるかしら。……フフッ。私は少な目でいいわよ」 いつもの悪戯好きな子供のような顔だった。 別に外で食事をするなんて大した手間でもない。 サクラもたまにはそんなランチもいいかもなんて思っていた。 ただひとり、町長だけは額に脂汗を流してその場で固まっていた。 「ちょうどお腹が空いていたの。早めにしてちょうだいね」 そんな町長の不安を煽るために急かしてみるエレーナ。 そこまで食事をしたいわけではないのだが、小さな人間たちがどれだけ慌てふためくか試してみたのだった。 直ちに、と裏返った返事をした町長が町の中に駆けていくのを見送ったあと、サクラはなぜ主人がただの食事なのに楽し気にしているのか理由に察しがついた。 エレーナは元の姿に戻るつもりなどない。 百倍の大きさとは、質量換算すると百万倍にもなる。 その圧倒的な質量と体重がどれだけの脅威となるかは、王都やここに至るまでの道に刻まれた足跡が物語っている。 質量が百万倍ならば、それを維持する食事もまた百万倍が必要となるのだ。 「……あ、あの、エレーナ様。元のお姿に戻られてはいかがでしょう」 「嫌に決まってるじゃない。戻らないわ」 「いや、でも……」 「さっきの男の人は今の姿の私に提案したのだから、彼の責任でなんとかするのでしょう。今は楽しみに待つとしましょ」 美しき女神の微笑がなぜこうも恐ろしいのか。 フロリナの町の住民は二千人であり、一説によれば常に千を超す旅人や商人が町に立ち寄っているらしく、合わせれば常時三千名程度が生活していることになる。 当然、消費される食糧は毎日一人が三回として九千食であり、多少前後しても一万食程度と見積もっていいだろう。 百倍まで大きくなったエレーナの一度の食事には、この町全ての人々の三か月分以上の食料を必要とすることになる。 果たして本当にエレーナにランチを提供することが叶うのか。 無論、出来るはずもない。 町長が走り去ってから十五分が経過しただろうか。 立っているのも疲れたので、エレーナは地ベタに腰を下ろしていた。 彼女が足を揃えて折り曲げる座り方は、上品かつ優雅なものであり、そのままでも芸術足りえるものだった。 そんなエレーナのもとに次々と馬車がやってきては、荷台からテーブルを持ち出し設営したのちに多種多様な料理を並べていく。 町長からの強制命令として町の全ての飲食店に対して料理を提供させ、また全ての商店に保管している食料品を供出させ、一般家庭からも協力させているらしい。 あまりに短い時間でここまでの手配が出来るのは、町長の手腕なのかエレーナの悪名なのかはわからない。 ただ、この町を挙げての一大作戦に従事している者は皆、恐怖に顔を歪めながら必死に走り回っているようだった。 サクラはそんな彼らがあまりに気の毒で、何か言葉を掛けてあげたくなったが、上機嫌にしている主人に文字通り掌の上で転がされたためそれは出来なかった。 結局、一時間以上掛けて並べられたのは、あたり一面を覆い尽くすほどのテーブルと数百品目もの雑多な料理たち。 それこそ、この町に住む全員を集めて食べさせても余るほどの量だ。 その壮大な光景に感動したのか、町長は誇らしげにエレーナにたいしてこれでどうかと問いかけた。 エレーナが待ち望んでいた瞬間だった。 「そうね。まず、私は野菜が嫌いなのだけれど、なぜ並んでいるの? これはとても無礼なことよ」 そうでしたっけ。とサクラが首を傾げた。 いつも普通に食べていたような気がする。 だが、小人を虐めるために一時間も待っていたエレーナがあまりに楽しそうにしているので、水を差すのは止めて置いた。 殺さないと約束しているのだ。命までは奪わないはずだ。 「それと、食事時にはお茶を飲みたいのだけとどこかしら? 味付けを変える調味料は? そういえば手を拭くタオルもまだ貰ってないわね。ナイフとフォークもないけど、手掴みで食べればいいのかしら? そもそも、私から希望を聞かないのは何故? 今から食べたいものを伝えれば出してくれるのかしら? あ、しかもほとんど冷めてるわね」 女神が口を開く度に町長は全身が震えていく。 怒らせてしまった。あの、残虐な姫君を怒らせてしまったのだ。 普通の大きさの人間であれば、エレーナが要求していることなど当然のように対応できる。大したことではない。 だが、今の相手はあまりに大きい。大きすぎるのだ。 「それに少な目とは言ったけどこれは少な過ぎよ。前菜にもならないじゃないの。テーブルも低すぎて食べるのが大変。……ねぇ、最初に野菜が嫌いって言ったのに、なぜ下げようとしないのかしら? 私の話を聞いていないの?」 楽しかった。 小さな人間たちが懸命に準備したものを全部否定してやるのが楽しくてしかたない。 昨晩、サクラからフロリナの町の話を聞いた時からやりたかったのだが、これは最高に気分がいい。 まだ最後の仕上げが残っているのことにエレーナの胸が高鳴る。 その場でスッと立ち上がったエレーナは、足元に広がる無数の料理たちに視線を向ける。 何百もの人々が協力し合って私のためだけに用意された、数千人 分の豪華絢爛な料理の数々。 それに女神が点数を付けてあげることにした。 「0点よ。こんなもの食べる気にもならないわ」 思わず笑いだしそうになるのを堪えたエレーナは、足元に敷き詰められているそれらの上に右足を翳す。 背徳感で高鳴る胸の鼓動が抑えられそうにない。 とても行儀の悪いことだし、もしかしたらお気に入りのサンダルが汚れてしまうかもしれない。 いや、もし汚れてしまったならフロリナの町民たちに綺麗にさせればよいだけのことか。 余計なことを考えるのは止めよう。 今は、物陰から私の一挙手一投足に怯える哀れな虫けら達を虐めることに専念しよう。 エレーナは持ち上げていた足を、小人たちが用意した料理の上に思いっきり振り下ろした。 何度も何度も執拗に踏み潰し、そのまま踏み躙る。 料理どころか食器もテーブルも関係なく、そこにあった全てが砂と混ざり合いただの泥と化していく。 数百人の小人たちが一時間かけて準備したものを、エレーナの片足が僅か数秒で全て消し去ってしまった。 「フフッ。あなたたちには大変そうだから私が片付けてあげたわよ。……さぁ、早く作り直して頂戴」 靴底を地面に擦り付けながら命じてみる。 そんな不可能な要求に小人たちから絶望の声が巻き起こった。 もう食材はないのだ。 仮にあったとしても、さっきよりも格段に質は下がる。 そして、何をどう提供したところであの女は満足しないと言い張るだろう。 エレーナを始めてみる者にも彼女の性格がよく分かった。 あれは人を苦しめることに喜びを見出した異常者なのだ。 町中が王女の仕打ちに絶望するなか、町長だけはなんとか気を持ち直して口を開く。 その希望には答えられない。もう提供できる食材が残っていないのだと。 そして何より要望に応えられないことに対し、土下座しながら許しを請うた。 「あらそう。たった一度の食事すらできないなんて思いもしなかったわ。あなたたちは無能なのね」 意地悪なお姫様は口元を緩ませながら罵倒する。 相手がエレーナでなければ、殴り掛かることもできただろう。 だがもしそんなことをすれば、次の瞬間には自分が彼女の靴底の汚れになることは間違いない。 犠牲が自分だけで済む保証すらないのだ。 「でもおかしくないかしら。王族の私に食事を出せないのに、なぜ庶民が食事を取ることができるの? そんなことあってはいけないと思うのだけど、どうかしら」 すでに昼時も終わりごろ。 エレーナの嫌がらせに付き合っていた人々はいざ知れず、すでに大半の住民は自宅や職場近くの飲食店で食事を済ませただろう。 そんなことを指摘されてもどうすることもできないが、姫君はそれが気に障ったらしい。 「……先ほどの野菜のことといい、この町の住民は本当に礼儀知らずなのね。少し教育が必要かしら」 「エレーナ様! ダメですよ! 約束してますからね!」 不穏な発言に食いつくのはサクラだった。 エレーナのいう教育などただの暴力でしかないのは周知の事実。 こんなくだらないことで死傷者など出したくない。 サクラとしてはもう帰りたいというのが本音だった。 「ちゃんと約束は守るから大丈夫。……貴方たちは運がいいわ。サクラがいなかったら、全員をこのサンダルのシミにしていたわ」 右足に履いたサンダルの底を町に向けるエレーナ。 彼女のサンダルは上質な革製だったが、身長相応の体重を支え続けただけあって多少のくたびれが見える。 それが生活感を醸し出し、これが災害や兵器などではなく女の子の履物でしかない事を彼らに教える。 履物である以上、それが持ち上がればどこかに降りてくる。 誰しもが常に行う歩行という動作。ただ身体が大きいというだけで、それは多くの人命を脅威となるのだ。 「そうねぇ。食べ物に関する無礼なのだから、それに相応しい罰がいいわね。……決めたわ。この町に残ってる食料、すべて町の中央広場に集めなさい」 圧政の女神からの命令が下った。 それに対して理由を聞く者は一人もいなかった。 これは慈悲なのだ。 彼女の性格を考えれば先ほど仄めかした虐殺行為など容易く実行されるだろうし、せっかく助かった命をわざわざ危険に晒す必要などないのだから。 町民たちは女神の機嫌を損ねないことを第一に考え、恐らく最も賢明な判断と迅速な対応に移った。 「あら。素直なことはいいことね。言うまでもないけど例外は認めないわよ。商店も倉庫も家庭も全てよ。災害備蓄も子供のお菓子も乳児のミルクもダメ。……もし、隠したりなんてしたら後悔するわよ」 意地悪を楽しむエレーナと対照的に町の人々は必死だった。 この女神がいつ時間切れを言い渡すか分からなかったからだ。 いまこの瞬間にも時間切れだと言い放ち、未搬出のものを指して隠しているから連帯責任で皆殺しなんてこともあり得てしまう。 そんな焦りが彼らを結束させ、町中の全ての食料が中央広場に集結するのに一時間も掛からなかった。 そんな彼らの焦燥と恐怖はエレーナを楽しませてくれた。 「それじゃあ、確認のために町に入るわね」 当然だと言わんばかりに言い放ったエレーナがその巨体を動かす。 5万トンという質量。この世界で確認された最も巨大な海獣生物の2,500倍という圧倒的な存在は、普通の人間と同じ機敏な足取りで町の中に踏み込んできた。 町を覆う10メートルの城壁を悠々と跨ぎ越し、足を降ろした際の振動で崩落させてしまう。 もちろん、それは住宅も同様であり、人々は女神の歩行という暴力に悲鳴を上げながら逃げ惑うのだ。 「こんな小さな町なら10分もあれば全部壊せてしまいそう。……道が狭すぎて歩きにくいの。適当に建物を踏むけど、ごめんねさいね」 町から湧き上がる悲鳴はより大きくなり、エレーナの耳にもハッキリと聞き取れた。 手の平に乗せたサクラだけは主人の振る舞いに嫌悪を隠そうともしないでいたが、特に口を出そうとはしなかった。 エレーナは僅か数歩で町の中央広場に辿り着き、その数秒間で20棟の住居を瓦礫と砂の山に変えていた。 「まずは隠していないか確認するわね。この辺りでいいかしら」 エレーナがその場でしゃがみこみ、右手を地面に添えてからサッとひと撫でした。 子供が積み木の玩具を壊して遊ぶかのようにあっさり、そこにあった家々は二十メートル近い少女の手によって瞬時に破壊され、寄せ集められた瓦礫が小さな山となった。 続けて家が立ち並んでいた更地に指先を伸ばして、食糧庫の小さな扉を突き破る。 食料の保存は基本的に涼しい地下にすることが多く、上の建物を破壊しなければ確認が取れないのだ。 エレーナは四件の家を確かめ、小人たちが自分の指示通りに動いていたことに満足そうな笑みを浮かべた。 「はい、よくできました。じゃあ早速だけど、これ全部ゴミに変えてあげるわ」 そういったエレーナは先ほど地下貯蔵を確認するときに壊した住宅の瓦礫を掴み、食料品に覆い被せていく。 四件分の瓦礫では不足したので、新たに五件の住宅を叩き潰して瓦礫を作り、それを覆い被せることで完全に食料品を埋め尽くした。 数年ぶりの砂遊びを終えたエレーナはその場で立ち上がる。 「ねぇ、今からこれを踏み潰してしまうの。たった一人の女の子に食料を全部奪われて、飢餓に苦しむことになる気分はどうかしら? 悔しい? 勇気があるなら抵抗してもいいのよ、そっちの方が面白そうだし。 ……まぁ、貴方たちの内心なんてどうでもいいことね」 ズシン。 自分が作った砂山を踏み潰すエレーナ。 何の抵抗もなく砂山は押し潰され、サンダル型に削り取られていく。 ズシン。 もう片方の足も砂山の上に置く。 こちらも当然、同様に削り取られて沈んでいく。 ズシン。ズシン。ズシン。 エレーナが足踏みする度に五万トンの重量が小人の食料を押し潰し、瓦礫と混ぜ合わせて泥にしていまう。 何も残らないように徹底的に踏み躙る。 周囲の建物もその振動で次々と倒壊していく。 逃げ惑っていた小人たちもあまりの強震に走るどころか立つこともままならず、その場で頭を手で守りながら座り込む。 エレーナはそれが楽しいのか、不必要に長時間その場で足踏みを繰り返していた。 出来上がった大量の泥がサンダルに巻き上げられて周囲に撒き散らされる。 少し大きめの泥塊になると、住居を押し潰してしまうものまであった。 ようやくエレーナが満足したとき、中央広場だった場所は生ゴミと泥の廃棄場となっていた。 「ふぅ……。足踏みも結構な運動になるわね」 そんな他愛ものない感想を漏らすエレーナは、額に浮かんだ一滴の汗を拭い去った。 結局、エレーナが町中に侵入してからの数分間で町の半数近くが壊滅している。 サクラとの約束通りに直接の犠牲者は出していないが、きっと間接的な犠牲者は相当数に上るだろう。 後でサクラが怒るかもしれないが、それはその時に考えればいい。 「こうして虐めるのもいいけど、やっぱり殺さないと物足りないわね。……他の国なら少し派手に蹂躙してもいいかしら」 「ダメですよ! 不穏なこと言わないでください!」 メイドのサクラが主人を


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