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買い物

買い物。 初冬らしく寒さが堪える気温が続いている。 就寝時には毛布が必要だし、外出時にはコートが手放せない。 そんなある日、栞捺は大きなショッピングモールに買い物に来ていた。 同居人から貰ったお小遣いは一万円。中学生の栞捺にとっては大金だ。 初めて買うブーツはどんなものにしようか、栞捺の歩みは自然と軽いものとなっている。 去年まで小学生だった栞捺の靴は殆どがスニーカーとサンダル。 履いたことのないブーツは大人の女性らしさがあって憧れがあった。 冬になっので買ってみてはどうかと実沙が提案してくれたときは大いに喜んだものだ。 「これにします!」 いくつもの店を見て回り、二時間以上も悩んで買った一足。 ブラウンのショートブーツは飾り気が少ないが、しっかりとした作りで本格的なものだ。 今日は最初から履いてきた古いスニーカーを捨ててもらって、買ったばかりのブーツを履いて帰るつもりだった。 会計を済ませて店を出る前に、スマートフォンで写真を撮る。 直接撮影したり、鏡越しに全身を撮影したりした。 今日の服装は白いレースのワンピースの上にピンクのダッフルコート。 覗く細い脚には黒いタイツを履き、その先には買ったばかりのブラウンのショートブーツ。 栞捺のお気に入りの装いである。 『ブーツはこれに決めました! ありがとうございます!』 写真と一緒にお礼のメッセージを送る。 瞬時にメッセージが既読になり、間を開けず返信が届いた。 『かわいいね! よく似合ってるよ♪』 お店に人にも同じことを言われたが、お気に入りを何度褒められても嬉しいものだ。 栞捺が返信を打っている最中、続けてメッセージが届いた。 『ならもうその町に用はないよねっ♪ 蹂躙しちゃえ☆』 一瞬にして栞捺の顔から血の気が引いた。 こんな意味不明なメッセージは本来ならジョークでしかないが、送り主にはそれを実現する能力があるし、実際に面白半分で街をいくつも消し去っているのだ。 まさか。まさか。まさか。まさか。 さっきまで打っていた文章を消し、新たな文章を書き始めようとした瞬間、栞捺の視界が一瞬だけ途切れたのだった。 栞捺が買い物に来たショッピングモールは巨大だ。 敷地面積は150,000㎡以上、テナント数250店舗以上、平均来場者数は3万人を超える国内有数の巨大ショッピングモール。 今日は休日であり、施設内は小柄な栞捺では動くのが大変に感じるほどであり、平均など優に超えていただろう。 そんな超巨大施設の半分が今、栞捺の220メートルあるブーツの下に消え去った。 一瞬のことで逃げる暇なんかなかった。間違いなくそこにいた全員が死んでいるだろう。 栞捺は再び自分が引き起こした惨劇に呆然としている。 硬直した手に握っているスマホが振動し、メッセージの着信を伝えた。 送り主はもちろん実沙だった。 『30万人殺したら元に戻してあげる! 千倍サイズだし楽勝だよ! その町をしっかりブーツの試し履きに使ってね♪』 またあんな惨いことをしなければならないのか。 前回、脅迫されながら自らの故郷を踏み躙ったのは先月のこと。 その後は特になにもなかったので油断していた。 断わってみようか、そんな考えが頭をよぎるがそれに意味がないことは経験している。 どうせ命を人質にされて強制されることになるのだ。 あの人が思いついたからには、どんなに非道で残酷であってもそれは絶対に実行される。するしかないのだ。 ショッピングモールの中で生き残った一万人の小人は出口に殺到していた。 なにが起こったかはよく分からないが、自分の命が危険に晒されていることは分かったからだ。 いくつかの出口は揺れで倒壊した瓦礫が塞いでいたが、幸いにも無事な出口は他にたくさんあった。 避難とは呼べないほどの混乱の中で多くの怪我人と死傷者が出た。 転倒した小人が次々に踏みつけられ、ついには頭蓋骨を砕かれてしまうほどだ。 必死に逃げようとする彼らは、その遥か頭上に女の子が履くブーツが翳されていることを最期まで知ることができなかった。 「あ、あの、その…… ほ、本当にごめんなさい!」 ズドォン。 買ったばかりのブーツでショッピングモールの残りを踏み潰した。 最初は手加減しようとも思ったが、大怪我を負って生き残るよりも痛みがないまま死んだほうが楽だと考えなおし、全力で足を振り下ろしたのだ。 22センチの小さな足は、220メートルの殺戮兵器となって数千の小人を瞬時に抹殺した。 続けて三回ほど足踏みをすれば、あれだけ巨大だったショッピングモールは完全に破壊されつくし、瓦礫と足跡に変わってしまった。 僅かに数百人は建物から脱出していたが、大きすぎる足裏は彼らを意識することなく巻き込んで地面を踏み締めた。 ほんの数秒で何万人もの命を奪った事実が栞捺の心に圧し掛かる。 「う、うぅ……」 罪悪感で喉が詰まる。 ついさっきまで自分が買い物を楽しんでいた場所を踏み潰してしまった。 楽しそうにしていた家族連れ、笑顔で対応してくれた店員さん、美味しそうだったレストラン、気になっていた洋服屋さん、それら全てが一瞬にして消え去って……いや、消し去ってしまった。 栞捺は次に近くの駅に視線を向ける。 ショッピングモールを利用するお客さんのために新しく作られた駅は、周囲の建物よりも大きく綺麗だった。 普段から利用者が多い駅でもあるが、今日は栞捺から逃れようとして人が殺到している。どうやら駅の中に入ることすらできず、ロータリーに人が溢れているようだった。 栞捺が来るときは駅からショッピングモールまで5分ほど歩いたが、今なら普通の歩幅で一歩未満の距離だ。 駅がいくら大きいと言っても高さを踏まえた印象であり、面積的には一足でも十分に踏み潰すことができる。 栞捺は右足を持ち上げると、すっかり汚れた靴底を駅に向ける。 数万人を踏み潰した靴底から大小さまざまな瓦礫が落下し、真下にいる人間が次々に死傷していくが、靴の下の様子など知るすべもない。 「み、皆さん聞こえますか! 本当にごめんなさい! この後で皆さんを踏み潰します……」 超巨大な靴底に怯える小人は栞捺の言葉に怯える。 ついさっき、この巨人は大破壊と殺戮をいとも簡単に行って見せた。 何やら罪悪感らしきものはあるらしいが、容赦などなく皆殺しだ。 そして次は自分たちをそうすると言うのだ。 「で、でも! 少し待ちますから! 家族とか恋人とか、大切な人とちゃんとお別れしてください!」 栞捺なりの優しさのつもりだった。 前回はすぐ隣に実沙がいたので出来なかったが、今回は一人だ。 パニックだった先ほどは思い至らなかったが、少し時間をあげるくらいはしてあげたい。 いきなり踏み潰されるなんてあんまりに可哀そうだ。 死刑宣告を受けた小人の反応は大きく三種類。 素直に電話を掛けたり抱き合ったりして最期を待つ人、その場に泣き崩れて慈悲を請う人、全速力で逃げ出す人だ。 だが、栞捺の与えた一分をどんな過ごし方に使ったとしても、女子中学生のブーツに踏み潰される最期に変わりはない。 「……えいっ」 栞捺はブーツを振り下ろす瞬間、目をつぶった。 なるべく残酷な光景は見たくなかったのだ。 底の厚いブーツ越しにクシャっという微かな感触が伝わり、駅を踏み潰したことが分かった。 そのまま目を開けてみれば、先ほどまで確実に存在していた建物が消え、代わりに自分のブーツがそこにあった。 位置関係からすると爪先の下で駅を、踵の下でロータリーを潰したらしい。 その間には僅かな空間があるはずだが、栞捺の莫大な体重によってブーツが地面に沈み込んだため存在していない。 「また、こんなことを……ん?」 栞捺は自分の姿勢を思い出す。 ショッピングモールを踏み潰した場所から動かずに駅を踏み潰したのだ。 当然、その間にも逃げている小人はいたはずだ。 つぎの瞬間、栞捺は駅を潰した右足を地面に付けたまま引き戻した。 靴底が高層ビルのように立ち上がり、音速を超える速さで動けば、巻き込まれた小人は瞬時に弾けるか敷き潰される。 下着を覗かれていたかもしない、その羞恥の念が栞捺に容易に虐殺を行わせたのだった。 ショッピングモールの周辺はまだ開発中だった。 だが、一部のマンション群だけは開発が完了し、入居が始まっている。 十二棟の中規模マンションが密集して生まれる生活空間。 中央の公園を筆頭に緑が多く取り入れられており、屋上にはソラーパネルが並んだ先進的な環境だった。 「あの、もしかしら聞こえてたかもしれませんけど、皆さんも踏み潰してしまうので、きちんとお別れを済ませてくださいね」 マンション全体に聞こえるよう、しゃがみ込んで話しかける栞捺。 しゃがんでもなお栞捺の頭はマンションの遥か上空にあった。 これだけの声量であれば姿勢など関係ないのだが、そんなことには気が付かない。 なぜなら栞捺はマンションの屋上にあるソーラーパネルに興味津々だったからだ。 「こんな感じなんですね~ 電気代がいらないなんて凄いです! こんなに小さいの……ひゃ!」 身を乗り出したのが良くなかった。 病院暮らしが長かった栞捺の筋力は完全には回復していない。 しゃがんだ姿勢からバランスを崩し、膝と両手を地面に付けてしまった。 タイツに包まれた膝はマンション群を蹂躙した。直接触れて半分を粉砕し、衝撃で残りを倒壊させたのだ。 とっさに付いた両手は公園とガソリンスタンドを叩き潰した。 「や、やっちゃった! ごめんなさい! わざとじゃないんです!」 栞捺のお詫びを聞ける被害者などいない。 お別れの時間すらあげられなかったことに申し訳なさを感じていると、 ガソリンスタンドだった手形から炎が噴き出した。 といっても、栞捺からすれば線香花火よりも遥かに小さいのだが。 「み、水は……! ないじゃないですか!」 正確には小さな川が近くに流れているが、 今の栞捺からしたら小さすぎて選択肢にも入らないものだ。 その場で立ち上がった栞捺は火を踏み消そうとしたが、買ったばかりのお気に入りにブーツを履いていることを思い出す。 砂より脆い建物をどれだけ踏み潰しても平気なのはわかるが、炎はどうだろうか。 念のため直接触るのをやめ、たったいま膝で叩き潰したマンションの瓦礫を足で動かした。 何百トンものコンクリートをいともたやすく動かし、瞬時に鎮火を完了した。 ズドンッ! ズドンッ! 栞捺は雪の上を歩くようにわざと力を込めて足を下ろす。 足元に広がっていた住宅街はすでに見る影もなく、220メートルの足跡に変わっていた。 ここはショッピングモールから数キロ離れた住宅街であり、ここまで至る道には数百メートルおきに巨大な足跡が刻まれていた。 一戸建て住宅の高さは十メートルもない。 1㎝の箱などどれだけ集まっても女の子のブーツには到底かなわないのだ。 一歩ごとに何十もの家が靴底で叩き潰され足跡に沈む。 「ふぅ。これで全部ですね」 栞捺の几帳面な性格が発揮され、住宅街は比喩ではなく一件残らず破壊されつくした。 ずっと足元を見ながら慎重に作業したので踏み残しはない。 何度も逃げ惑う小人の姿を見たが、気づかないふりをしてブーツを下ろした。 可哀そうだが、彼らにもちゃんと最後の時間はあげたのだからいいだろう。 そんな言い訳で慰められるほど栞捺の心は強くないが、感性がマヒしてきたおかげでなんとかなった。 住宅街を蹂躙し終えた栞捺は、途中から気づいていた体育館に向かった。 災害時の避難所である体育館には予想通りに多くの小人が詰めかけている。 住宅街から逃げる小人は一心にここを目指していたのだろう。 かなり大きめの体育館ですら全員を収容できず、その周囲に避難民が溢れている。 先ほどの駅と同じかそれ以上の数を足元に捉えるが、いざ踏み潰そうとすると躊躇いが生まれる。 その時だ。 避難民の一人が栞捺から逃れようと乗ってきたバイクで走りだした。 「あっ! ダメです止まってください!」 この人だけ逃げたら素直に踏み潰される他の人が可哀そうだ。 まったく理解できない理屈だが、栞捺の中の公平の感情は強くなっていた。 しかし呼びかけてもバイクは止まる気配がなかった。 最期の時間をあげることはできないが仕方ない。 栞捺は素早く足を動かし、瞬時にバイクごと小人を踏み潰した。 「ほ、他の人も逃げちゃダメですよ! みんな平等ですから!」 そう言いながら栞捺はブーツのヒールを使って地面に線を描いた。 幅20メートル、深さ50メートルの溝を新幹線より早く生み出す栞捺。 あっという間に体育館の周囲を溝で取り囲んでしまう。 孤立した小人たちに逃げる手段などない。 些細な希望すら残さない残虐な巨人はどこま満足げな表情で自分たちを見下ろしていた。 「これでよし! ちゃんと一分、時間をあげますから安心してくださいね」 不公平はないという意味で安心という言葉を使う栞捺。 当の小人たちは意味がわからず山のような巨人を見上げる。 まだ幼く可愛らしい顔つき。そして年相応の女の子らしい装い。 普段の生活の中でもよく見かける普通の子のはずだが、その大きさだけが桁違いなのだ。 一分という時間は人生を終える準備期間としてはあまりに短かった。 「時間になりました。怖がらせちゃってごめんなさい」 ズドンッ! 振り下ろされた右足が体育館と中にいる小人を叩き潰した。 その衝撃に眉を潜める間もなく、反対の左足が外に溢れる小人たちを踏み潰した。 一秒にも満たない時間で数千人を葬り去った栞捺のブーツ。 多少の砂埃を被っているものの、それは新品と大差はないままだった。 大きめの川を普段通りの歩幅で跨いだ。 川にかかる立派な橋を壊さないように注意しておいた。 もし、この先に町が復興するようなことがあれば、橋の有無で大きく違ってくるはずだ。 そんな日が来るかはわからないが。 まだ無事だった街並みをブーツで踏み躙り始める栞捺。 自分が動き始めてからもうだいぶ経っている。 これからは最期の時間を待ってあげる必要もないだろう。 小さすぎて破壊している感覚に乏しい住宅街などは流れ作業で破壊されつくした。 「あっ、これ学校だ……」 足元には周囲の住宅より何倍も大きな建物がある。 隣接する広い空き地にはネットが張られていた。 ちゃんと確認したわけではないが、おそらく校舎とグラウンドだろう。 小学校なのか中学校なのか、はたまた高校なのか。 真上から見下ろすことしかできない栞捺にそれはわからない。 「みんなの学校、壊しちゃいます。ごめんなさい……」 周囲と比較すれば大きな敷地であったが、真上に降臨したブーツのギザギザした靴底はそれを容易に覆い尽くした。 クシャ。 住宅を潰したときは異なり、それなりの感触があった。 町の名前が冠されていた高校は女子中学生に踏み潰されて消えてしまった。 特に意識されずに踏み潰された体育館には相応の数の避難民がいたのだが、栞捺は気づかなかった。 次に栞捺の目に入ってきたのは病院だった。 百以上の病床を持つ町で一番大きな病院は、巨人がもたらした大災害で傷ついた人を懸命に治療していた。 あまりに負傷者の数が多く十分とは言えない治療だったが、病院で処置をしてもらえる安心感は小人を勇気づける。 ベットはとうに埋まり切り、廊下や待合室にも負傷者は溢れている。 医師も看護師も非番や休みの人間を全て動員した総力戦。 一人でも多くの命を救うためのあらゆる努力が尽くされている。 そんな様子を二キロ以上離れて観察していた栞捺。 しばらく複雑そうな顔をしていたが、大きなため息をついて病院に向けて脚を動かし始める。 二キロをわずか四歩で移動して、病院の正面でしゃがみ込む。 小人の絶叫が響き渡り、小さすぎて聞こえるはずのない栞捺にも聞こえた気がした。 「あの、えっと…… 皆さんにお願いがあるんです」 小人の視線が栞捺に集まる。 いったいどれだけの人がいるのだろうか。 小人の姿は小さすぎて数えることができない。 しゃがみ込み膝を大きく開いて地上を覗き込む姿は、地面の害虫に向けてパンツを見せつけるかのようだった。 「私はとある事情で30万人の命を奪わないといけないんです。でも、出来るだけ被害を少なくしたくて……」 意味の分からない言葉を並べる巨人。 その声量は窓を破壊し建物を揺さぶる。 その場で気絶した者も少なくない。 女子中学生の声に比べれば、雷鳴ですら小鳥のさえずりのようなものだった。 「だから、その、えと、なんて言うか…… 元気な人より、怪我をしてる人のほうがマシなんじゃないかな~ なんて思ってます」 この巨人が何を言いたいのか察した。 小人たちは逃げ出そうとしたが、あまりの密集具合にうまく動くことができない。 怒号と悲鳴が病院の敷地に充満して狂気の世界が生み出された。 「で、でも大丈夫ですっ! 痛くないようにすぐ終わらせますからっ!」 なんの慰めにもならない言葉を残して、栞捺の顔が遠ざかっていく。 膝が閉じられ、愛らしい顔は完全に見えなくなった。 そのままタイツに包まれた脚が動き始め、関節が伸ばされていく。 単に立ち上がろうとしただけであるが、それは山が隆起するかのごとく超常の現象であった、 完全に立ち上がれば、買ったばかりのショートブーツでさえも、病院の屋上を軽々と見下ろしてしまえるのだ。 そして、そのショートブーツの爪先に力が集まり、真下の地面をどんどん沈み込ませていく。 数秒かけて集中した力は、なんと1,400メートルの巨体を宙に浮かせることができた。 思いっきり飛び跳ねた栞捺は、空中で脚を曲げて落下の位置を調整する。 五千人以上が命乞いを続ける病院に向けて、自分の全体重が掛かるように爪先だけで着地した。 ドゴォオオオオンンン。 同年代の中でも小柄で細身の栞捺。 そのたった一回のジャンプは半径一キロのクレーターを生み出した。 その範囲にあったものは全て消えてなくなった。 潰れたのか、吹き飛んだのか、どちらにせよ地図から永久に消え去ったのだ。 もちろん、直撃した病院など塵一つ残さず完璧に消えていた。 その惨状を見た栞捺はしばらく言葉がでなかった。 放心していた栞捺だが、スマートフォンの着信に気が付いた。 掛けてきたのは実沙だ。 もしかして、このあまりに非道な行為が終わるのだろうか。 淡い期待を胸に応答ボタンを押した。 『栞捺ちゃんお疲れ様~ 順調みたいだね~』 「も、もういいじゃないですか! 街なんてもう……」 『ちゃんと見てるよ~ もうグッチャグチャだね♪ 容赦ない栞捺ちゃん怖いなぁ~ キャハハッ』 「そんなことないです!」 『冗談冗談。怒らないで! さ、じゃあ次で終わりにしよっか』 終わりという言葉にホッとした栞捺だが、 次の瞬間にはあまりに不吉な予感が胸を駆け抜けた。 次、とはなんのことかを聞き返そうとした瞬間、栞捺の正面に光が溢れかえった。 あまりの眩しさに思わず目を閉じてしまった。 光が消えてようやく目を開けられたときには、目の前に黒いタオルが置いてあった、 「なに、これ……」 『この町の人たちだよ♪ ぜーんぶ集めてみました!」 独り言のつもりだったが、まだスマートフォンを耳に当てたままだった。 聞きたくもない正解を知ってしまった。 千倍サイズの人間にちょうどいいタオルなど存在するはずがない。 よくよく見てみれば、それは微かに生物的な動きをしているし、完全な黒などではない。 ちらちら見え隠れするのは着ている服の色なのだろう。 それは、人間を一切の隙間なく並べて作られた長方形だった。 『ハハハッ! 50万人くらいかな? 栞捺ちゃん、動かないから片足でサーってやるだけで皆殺しにできるよ♪』 「い、嫌! そんなことしたくない! なんで!? 最初に30万人って約束したのに!」 『うんうん! だからこっちと選んでいいよ♪』 少し離れた場所に再び光が溢れた。 だが、今回はさっきほどの光量ではなく、薄目を開けていることができた。 そこに現れたのはたった一人。 それは栞捺からすれば15センチほどの人形のような大きさだった、 部屋着と思われる厚めのスウェット着ているのは、栞捺の知った顔だった。 「す、澄玲?」 『そう! 小学生のときに引っ越していった栞捺ちゃんの親友、澄玲ちゃんだよ! この町に住んでたの知らなかった?』 「……あ、え、嘘でしょ」 聡い栞捺は状況を理解した。 電話口で楽しそうにしている女子高生は、自分に二つの選択肢を与えたのだ。 一つは見知らぬ50万人の虐殺。一つは友人の殺害。 あまりに非道で残酷で恐ろしい二択を当たり前のように突き付けてくる。 『あ、そうだ。栞捺ちゃん、ブーツを脱いでね』 「へ? どうして……」 『踏み潰す感触がないとつまんないでしょ?』 怖い。 実沙と出会ってからそんな感情を抱くのは何度目だろうか。 電話越しにいる人はおそらく、自分のことを気に入っている。 だから自分が酷い目にあったり、怪我をしたりすることはない。 安全であることを十分に理解してなお純粋に恐怖を覚える。 それは生物としての本能がそうさせるのだろう。 逆らうことなど考えても無駄だ。 栞捺はブラウンのショートブーツを脱ぎ、踵を揃えて丁寧に地面に下ろした。 220メートルの小さな足が大地に沈み込む。 タイツは厚手であるが流石に直接地面を踏んでいれば冷たさを感じた。 『さ。どっちにする? 私のオススメは贅沢な50万人の片足磨り潰しだよっ♪』 「もう決めてます。……そんなことは、しません」 栞捺は足元の大きな小人に視線を落とす。 只ならぬ気配を察した澄玲が大仰な身振り手振りを添えて話しかけてくる。 どうしてこんなことをするの、栞捺は優しい子だったじゃない、まだ死にたくないの、なんでもするから助けて。 力の限りの叫びは微かに栞捺の耳に届いていた。 だがそれを無視する。 命の価値が平等なら、その優劣は数で決めるのが当たり前だろう。 栞捺はあらゆる感情を押し殺し、無表情のまま足を持ち上げた。 真っ黒なタイツに包まれた足裏から砂が零れ落ちる。 最後の最後で友人を処刑することに躊躇ってしまった。 足を持ち上げたまま動かすことができない。 時間が経てば経つほど、記憶の中の澄玲の顔が鮮明になっていく。 これ以上はダメだ。 ズドンッ!ブチャッ! 220メートルの足が150メートルの巨人を踏み潰した。 千分の一の小人を踏み潰した時には感じなかった、湿った暖かさが足裏に伝わる。 足を持ち上げると友人だった肉片はまだかろうじて人の形を残していた。 「ひっ!」 それがあまりに不気味で、咄嗟に足を落としてしまう。 澄玲の無残な姿など二度と見たくない。 栞捺は原型がなくなるまで足を何度も何度も捻って、その身体を土と混ぜ合わせた。 大量の血痕と泥によってタイツの足裏が汚れてしまう。 再び足を持ち上げたときには、人型など微塵も残っていなかった。 そして通話状態のまま手に持っていたスマートフォンを耳に当てる。 「……これで満足ですか」 『ん~そうだなぁ』 「早く元に戻っ」 『うん。やっぱりもう片方もお願い♪」 「は?」 いま、なんて言った。 意識が急速に遠のく感覚を何とか堪える栞捺。 いっそそのまま気を失ってしまった方が楽だったかもしれない。 そうすればこの悪夢を続けることは必要なかったはずだ。 『な~んか思ってたより栞捺ちゃん嫌がらなくて面白くないんだもん』 「…………」 『面白くなかった罰だよ♪ さぁ、大虐殺いってみよー!』 栞捺は通話ボタンを切った。 そして崩れるようにその場に座り込む。 腕を回して膝を抱え混み、顔を脚の中に埋めた。 いかれてる。 あの女は間違いなくいかれてる。 人の考えることじゃない。 悪魔なんてチンケな存在では比喩にも及ばないだろう。 そして、その言いなりになって人を大勢殺した自分もいかれてるのだ。 そんなのもう、消えてしまうしかない。 栞捺の思考が自死の結論を導くまでそれほど時間は掛からなかった。 だが。 栞捺の弱い心は自らの死の恐怖を受け入れることはできない。 どんな生き物だって出来るはずがない。 死にたくない、なんて当たり前の欲求なのだから。 だからこそ、栞捺は数メートル先にいる五十万人に視線を向けた。 その時だ。 見計らったかのようなタイミングでの着信。 生気のない、幽霊のような手つきで電話を取った。 電話口の実沙は心底楽しそうな声音だった。 『迷ってるみたいだから良いこと教えてあげる』 「……なんですか」 『もし栞捺ちゃんが小人を皆殺しにしなくても、私がやっちゃうだけだよ』 「……」 『あ、それと! 言うこと聞かない栞捺ちゃんはお仕置き♪ 両足をグチャグチャにしてあげるね! 」 「この外道が」 『ハハハッ! それはお互い様だよ♪ ……目の前の50万人、栞捺ちゃんの股間で磨り潰してあげてね』 今度は実沙のほうが通話を切った。 言いたいことはもうないということだろう。 相変わらず恐ろしいことを平気で言ってのけるが、栞捺の心はほんの少しだけ楽になった。 実沙が脅してくれたおかげで、自分に言い訳ができるようになったのだ。 これは脅されてやるのだから仕方ない。自分は悪くないのだ。 そして自分がやらなくても彼らは助からない。結果は同じなのだ。 栞捺は体育座りの姿勢のまま、正面に伸ばした脚の力だけで移動を始めた。 まるで山が倒れこんでくるかのような迫力。 小人たちは満員電車以上の過密具合のまま直立不動を続けていた。 まったく体の自由が聞かず、辛うじて眼球だけを動かすことができる。 だが、動かしたところで大半は集団の中で他の人間の顔をみることしかできない。 例外なのは再外周部で外を向いていたものだけだ。 全体の一パーセントにも満たない彼らは、迫りくる圧倒的な巨体に諦めを抱いていた。 座ったままでも国内最大の建物より巨大な栞捺。 細い脚はV字に開かれたままでアーチを作り、タイツに包まれた足は小人の集団の左右に下ろされている。 両足を支点にして身体を前に押し出せば、栞捺の股間を守っている黒いタイツと白いパンツが小人を蹂躙する。 例えそれが50万人でも500万人でも大差はない。 身体を前に押し出す時間が数秒増える程度の差だ。 「皆さんは今から死にます。私が股間で磨り潰して殺すんです」 こんな話をして何の意味があるのか。 それは口を開いた栞捺にもわからない。 だが、次々に伝えたいことが増えていく。 「悔しいですよね。女子中学生の股間で潰れるなんて嫌ですよね。こんなのあんまりですよね」 「でもダメなんです。実沙さんがそうするって決めたから。皆さんはタイツとパンツのシミになるんです」 「今日までどんな人生でしたか? きっと色んなことを経験して、頑張ってきたんですよね」 「それ、全部無駄なんですよ。皆さんの人生はここで終わるんです。女の子のちょっとした気紛れで死ぬんです」 「私は悪くありませんからね。恨んだりしないでください。決めたのは私じゃありませんから」 「もうお別れです。一気には潰せないけど、二回やれば全員死んじゃいますね。皆さん小さいですから」 「バイバイ。小人さん」 栞捺は脚に力を込めた。 莫大な重量を持つ身体が大地を削りながら動き始める。 黒いタイツと白いパンツが何百、何千、何万の小人を次々に磨り潰していく。 どれだけ犠牲者を生んでも躊躇う気配はない。 どんどん突き進んでいき、凄まじい速さで小人を消費していく。 一度だけ、脚を畳みきってしまったので動きがとまった。 しかし、タイツに包まれた脚がすぐに持ち上げられて数百メートル先に踵を叩き付ける。 再び動き出す栞捺の身体。 一分もしないうちに、黒いタオルのようだった小人の集団は赤黒いタオルに変わってしまう。 誰一人として生き残ることはできない。 最後の小人を磨り潰した栞捺はようやく立ち上がった。 ワンピースもかなり汚れてしまったが、やはりタイツの股間部の汚れ方は酷すぎる。 あんまりに汚らしかったので、その場でタイツを脱いでしまった。 だが、タイツから浸透した血肉片は純白のパンツすらも汚していた。 どれほど小さくても50万人もいれば女子中学生のパンツのシミくらいにはなれるらしい。 素足になった栞捺の目に、川に掛かる橋が映った。 そういえば復興のためとかなんとかで残してような記憶がある。 「誰もいない町にあっても仕方ないですね」 忘れずにブーツを回収して手に持つと、橋まで無造作に近寄ってそのまま当然のように素足で踏み潰した。 爪楊枝のような鉄筋では栞捺の足を受け止めることはできず、 瞬時に破壊されて川の底に押し付けられる。 跳ね上がった川の水がワンピースに掛かるが特に気にすることも無い。 川から足を引き抜くとのと同時に栞捺の姿は消えた。 町だった場所は無数の足跡と赤黒い巨大な溝が残るだけ。 もちろんこの町に復興などあるわけもない。 心が壊れた栞捺が次の町を蹂躙するのはそれほど先の話ではなかった。


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