「なんじゃこの不穏なタイトルは」
と思われた方はきっと健康です。おそらくこんな面倒なこと考えずに済む方が元気に生きていけると思う。
別に私にそういう病的な疾患があるわけじゃないよ。いまは。昔はお薬の世話になってたこともあるけどね。
でもこういう注意書きをしないと心配になっちゃうくらい、死について考えるのってなんか怖いイメージがあるし、わざわざそっちにばかり目を向ける必要もないと思う。ただ我々生命体全員、生まれ落ちた瞬間にいつか死ぬことが確定してるわけで、表裏一体の現象なのも間違いない。だから「どうやって生きていくか」=「どうやって死んでいくか」であって、両方の位置から物事を見るのってすんごい重要なの(繰り返すけどあくまで観念的な話だよ)。仏教なんかでもこのへん色々掘り下げられがちだよね。
死生観を意識するようになる契機って色々あると思うけど、私は3年前に家族の中で一番仲が良かった犬氏が亡くなって、その翌年にはおじいちゃんが、さらに翌年には昔お世話になった職場の優しいおじさんが立て続けにいなくなって、おまけに最近ネコの心臓に先天的疾患がありそうだと発覚して。遡れば5、6年前には同い年だった友人が自◯しちゃったこともあるし、大きな事件に巻き込まれて死にかけた友人もいるし。
ここまで続くともう普段の生活のすぐそばに自分の死もあって当然なんだと意識しちゃう。そんなこんな考えてるもんだから、毎晩お布団の中で「私、まだちゃんと生きてるな」ってはっきり自覚するようになってきたのがここ最近。
だからといって思考停止状態にはなってない。もちろんこれって脳の状態が多分に影響してる+身近に自分を助けてくれる人(これを読んでくれてるアナタも含めてね)がいるからと思うんだけど。
なにがいいたいかって、死を隣に置いて生きるようになってから毎日が妙にリアルタイムに感じるんですよ。なんとなく時間が無為に過ぎてると感じることが少ないというか。昔から行動力はある方だったけど、最近はそれに拍車がかかって「いつかやりたいなら今すぐやろう」っていう思考が癖づいてきた。食べたいものがあればすぐ食べるし、面白そうなことがあったらすぐ手を出すし(もちろん体力とお金の許す限り
で)。
で、こういう風に新しいこととか面倒くさいことをやってると、余計に「やっぱり私、まだちゃんと生きてる」っていう実感が強くなる。まだ死ぬまでに色々動き回る元気も時間も持ってるんだって思い出すんだよね。
子供の頃って自分の寿命とかタイムリミットみたいなことをほとんど意識しないからか、なにかしら楽しい記憶は残ってても不思議と今ほど充実はしてない。ただなんとなく気持ちよかったっていう情報の記憶だけ。「ありがたみ」の欠如っていうか。
うだうだ話してるけど、要するに世間でよく言われる「人生は有限だから大事に生きよう」って言葉に集約されるんだけどね。有限だから愛おしいし勿体ないと感じるんだろうね。なにもかも。そういう意識って死がすぐそばにいるのを知らないと芽生えないんだろうね。修行僧が朽ちゆく死体を見て死を身近に感じようとするのも、誰もいなくなった廃墟になぜか惹かれるのも、お葬式の文化ができたのも、いましっかり生きる気力をもらうためなんだろうね。
なんかお坊さんのブログみたいだね。そんなつもりじゃなかったのよ。
もしこういう話が好きな人は、「天」っていう麻雀漫画の16巻〜18巻を読んでみて。アカギっていうキャラクターが主役の話なんだけど、別に内容よく知らなくてもけっこう面白いよ。
たまにはこういう駄文もアリかなと思って。
またね。
瑞穂 仁
2023-10-02 11:41:05 +0000 UTCよね
2023-10-01 04:53:16 +0000 UTCうちうみ
2023-09-29 12:34:58 +0000 UTC