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サトー
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連載開始『鬼は内』1・2

新作小説です。一章と二章をお送りします。 ===================== (1)  まだ夢に見る。  職場のオフィスのど真ん中。  周囲の同僚の視線に晒されながら、俺は上司から罵声を浴びせかけられている。  俺自身の視点というよりは、俺と上司を第三者の視点から見ているようだった。  デスクに書類を叩きつける上司。  目の前で泣きそうな顔で突っ立っている俺。  遠くにあるはずの観葉植物の暗い緑が、夢によくある不思議な距離感覚で、やけにはっきりと浮かび上がって見えた。そこにゆっくりと自分の身体が傾いていくようなふわふわした感覚があった。  よく冷房の効いた室内なのに、俺はひどく汗をかいている。  喉がからからに渇いている。胃がきゅっと萎んだように鳩尾の辺りが痛んだ。  アアシニタイ、アアシニタイ。  頭の中をそんな空疎な言葉がくるくると空回りする。  ――何でこんなこともできねえんだ?  ――お前は今までどうやって生きてきたんだ?  ――本当にどうしようもねェ給料泥棒だな  嘲笑、かと思えば唐突な激昂、挙句の果ては物に当たる。  気がつけばあらぬ噂話を立てられている。 (あいつはダメだ。) (関わらない方がいい。) (馬鹿じゃん? カワイソー。笑)  先輩にも同期にも後輩にも、指を差される。  今思えば分かりやすいパワハラ、何と情緒不安定な上司だろうと思う。  だが当時の俺にとっては、それが当たり前の現実だった。  親に相談しても、 「それは、お前に悪いところがあるからだろ?」  と諭される始末。何も信じることができなかった。  会社とはそういうものなんだという絶望と、本当にそれが普通なのだろうかというやる瀬のない怒り。腹の底で、その二つがまだらに交ざり合った感情が渦巻いていた。 「……ふう」  俺は、布団で寝転びながらため息を吐いて起き上がった。  青っぽく発光するノートパソコンの液晶が、俺の部屋をぼうとゆるく照らしている。  外では相変わらず雪が降っている。電灯の明かりで、窓に積もった雪の影がクリーム色のカーテンに映って見えた。  寒かった。当然のように吐く息は白い。俺は布団から手を伸ばしてファンヒーターのスイッチを入れ、部屋があたたまった頃に裏起毛のパーカーを羽織って一階に下りる。両親を起こさないように物音を殺しながら、台所でカップ麺に湯を沸かして注ぐ。  厚手の靴下を履いていても床から這い上がる冷たい空気にぞくりとする。この家は古いせいか密閉性というものに乏しい気がする。 「――有里?」  振り返ると、母親が暗闇の中で台所の扉に肩を凭せ掛けてこちらを見ていた。  その皺の寄った細い目が、湯を注がれたばかりのカップ麺に向けられる。いかにも何か言いたそうだった。 「こんな時間に……」  母親はそれ以上は口をつぐみ、トイレの方へと消えて行った。  この家において俺の肩身は狭い。  なぜなら二年近く働いていないのだから。  いや、働いている時でさえ肩身の狭い思いをしていたから当然かもしれない。  もう二十歳を過ぎているのだから子供の好きにさせればいいという考えは彼らにない。恋人、業種、休日の行動、そのすべてが「お前のためだから」という言葉のもと両親の好みに沿うように求められる。  俺は今でも、特に父親と話すと心臓がバクバクとして落ち着かない。  子供の頃に殴られた恐怖感がよみがえるのだ。  殴られたのは一度や二度ではない。 (お前は駄目だ。) (何をやっても本当に駄目だ。) (辛いなら自殺すればいいんじゃないのか?) パワハラ上司に言われた家庭版の言葉を投げかけられることもままあった。とっくに成人した現在、腕力では父親とほとんど互角だろうと分かっていても、染みついた恐怖感はなかなか拭えない。  俺の自己主張が弱いことも関係しているとは分かっている。  分かっていても、相変わらず父親の言いなりになってしまう情けない自分がいた。  俺は二階の自室に戻り、ノートパソコンの前に寝転がった。  せっかくカップ麺を用意したのに、明日のことを思い出すと急に食欲が失せてしまう。  この村では、毎年《節分さん》と言って節分の日に行事を催す。  神社でよく行われる、鬼を追い払うための見世物のようなものだ。  しっかりとセットを作り込んで行い、当日は屋台や出し物や酒や豚汁の振る舞いなどがあるため、マイナーながらもちょっとした人気があり、近隣の村からもしばしば人が集まってくる。   今年は父親が《節分さん》を担当する役員に指名された。  俺は「家族だから協力しろ」という理由で、父親から祭りの鬼の役を指名された。  一か月後の《節分さん》の見世物に向け、これから毎週、月曜日と木曜日の夜にその練習が行われる予定になっている。鬼二人と毘沙門天が取っ組み合って戦う――簡単な芝居も必要なため、それなりに取り組まなければ完成できない内容だった。  話を聞くに、鬼を退治する毘沙門天の役は高校の同級生の兄らしい。確か名字は橋本だ。あまり仲の良かった同級生ではなかったから、その兄についても、兄という存在がいたという程度のことしか知らない。  ただ、少しでも自分と繋がりのある人間に、現在の自分のみっともない姿を晒すのは抵抗があった。ほとんど縁は切れてしまったものの、昔の友達にも俺が無職の引きこもりであるのが知られて馬鹿にされるだろうことが頭に浮かぶ(狭い村の話だ、もしかしたら、もうとっくに知られているのかもしれないが)。  だが親の脛を齧っている今の俺に、父親の頼みを断る権利などなかった。  前職は、上司からのパワハラで、ある日突然パニック障害になって退職した。医者から「一年ほどゆっくり休んだ方がいい」と言われたのもあり、それがずるずると延びて今に至る。両親のもとにいるストレスと、働くことに対するストレス。天秤に掛けた時、後者の辛さが上回った。  全ての職場が前のようないじめの延長にあるとは思わない。それでも、またパニック障害の発作が起きて台無しになってしまうのでは? あの最悪な日々が繰り返されてしまうのでは? という不安がたまらなく尾を引いていた。  《節分さん》に耐えるか、働くことに耐えるか。   「……はあ」  俺はまた深いため息をついて起き上がる。  すっかり伸びたカップ麺を啜り、布団で横になって目を閉じた。 (2)  今日から《節分さん》に向けた練習が始まる。  家族以外と顔を合わせるのはいつぶりだろうか? そわそわと落ち着かない感覚に見舞われる。胸の中で、ああ嫌だああ嫌だと繰り返しているうち、家を出る頃には吐き気さえした。  前職を退職した時に車を手放してしまった。民家と民家の狭い道を抜け、雪で真っ白に染まった田圃道を十五分ほど歩いていくと、保育園と神社に挟まれて公民館があらわれる。駐車場には除雪車が入っておらず、膝丈ほどある雪の中を長靴でザクザクと入っていかなければならなかった。  玄関扉に手を掛ける。駐車場に誰の足跡もないことから予想はできたが、鍵が閉まっていた。  またちらちらと雪が降り始めた。足先が凍えそうな寒さに震えながら五分ほど待っていると、遠くで今村さんが手を振っているのが見えた。  その後ろには、毘沙門天役の橋本の兄らしき男と、もうひとりの鬼役の大学生の加瀬らしき男の姿があった。俺は軽く頭を下げた。 「いやー、ごめんね、遅くなって、」  言い訳しながら、自治会の役員のひとりである今村さんは公民館の鍵を開けた。  ガラス張りの重い玄関扉の向こうには、学校を思わせる緑色のリノリウムの床が広がっており、今村さんは事務所に入って各部屋の照明とエアコンの暖房をつけた。  橋本の兄らしき男は身長が190センチ近くあるんじゃないだろうか? ガタイも大きく、口元にはどこか人を馬鹿にした笑みをうっすらと浮かべている。くっきりとした二重で、唇は薄く、モテそうだなという印象を受けた。何となく苦手な人種だと察し、俺は反射的に目を反らしてしまう。  加瀬もまた180センチほどの身長があり、橋本と兄弟なのではないかと思うほどのガタイの良さが共通していた。ダウンジャケットやコートを着込んでいても、肩幅の広さと身体の厚みははっきりと分かる。一重の切れ長の目で、眉毛が太く、どこか犬を思わせる雰囲気があった。  加瀬は、橋本とは打って変わった人懐っこい笑みを浮かべながら、事務所に入っていった今村さんに「先入ってますよー」と声を掛けた。  どのタイミングで初めましての挨拶をすべきかとモヤモヤしながら、俺は橋本の兄と加瀬とともに一階の十六畳ある和室に入った。まだエアコンの暖房は効いておらず、室内は冷え冷えとした空気が満ちている。窓の障子に神社に立ち並ぶ樹のシルエットが映っていた。 加瀬が部屋の真ん中に据えられた業務用ファンヒーターの電源を入れると、ピピッ、ピピッ、と灯油切れを示す電子音が流れた。 「ああ、今から入れるから待ってな」  今村さんはファンヒーターの前にしゃがみ、給油口を開けて灯油のポリ缶と手動のポンプを繋いだ。手の平で赤い膨らみが握られると、きゅう、と音を立てて透明な液体がポンプの管へとのぼっていく。 「今日はまあ適当にしようや。練習はまた今度でいいから」  そう言って今村さんはははっと笑う。だったら何のために呼んだんだよと思いつつ、今村さんの緩さにほっとしている自分がいた。 「友川君だろ? 祥平から聞いてたけどうっすいな~。まあ、よろしく」  橋本はダウンジャケットのポケットに手を突っ込んだまま言った。祥平とは弟のことだろう。「うっすい」とは何を意味するのか、とりあえず馬鹿にされているとは分かった。 「あ、はい」  頭の中にはたくさんの言葉が渦巻いているのに、いざ声を掛けられると真っ白になって間の抜けた返事しかできなかった。緊張で上擦った自分の声に落胆を覚える。 「友川さん、ですか? 初めまして、俺、加瀬友生って言います。仁さんはラグビー部のOBで、仲良くさせてもらってます」  加瀬は、礼儀正しく愛想の良い子だと思った。  俺は、「大学生なんだ」と言って、口を噤んだ。 「まあ、今度から本格的に練習してもらうけどな、」  と今村さんが沈黙を破った。 「やるからにはそれなりに良いモンにしてほしい気持ちがあってな。まあ、俺、もう若い子のことは分からんからあんま口は出さんようにするけど、今までやってきたことはなるべく教える」  ハイッ、と加瀬が威勢の良い返事をした。  面倒臭ェなあ、そう思いながら俺は黙って頷く。  橋本はじっと今村さんの横顔を見つめていた。 「今日はまあゆっくりお茶でも飲んでろ。菓子とか持ってきてやったから。まずは仲間同士で仲良くするのが大事、なあ?」  今村さんが加瀬の方に目を遣ると、 「大丈夫スよ。俺は」と、どこか含みのある言い方で橋本が割って入った。「友川君は、大丈夫か? 何か、すっげえ顔色悪くね?」 「あ、はい」  俺は突然話を振られたことに驚き、さっきと同じ返事を繰り返した。橋本は、俺のことを心配しているというよりは、まるでいじめてもよい相手を見つけたようなニタニタした下品な笑みを浮かべていた。  嫌な予感がした。  職場での喉が萎んだような息苦しさを思い出してクラクラした。一回目の練習――いや交流会を終えて家まで小走りで帰った俺は、着替えることもせずに布団に潜って目を閉じた。 「ああ、クソ、」  瞼の裏に、橋本のいやらしい笑みが張り付いていた。 つづく


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