ご要望がありましたので、唐突ですが専門学校時代~pixiv初期までの未公開絵をアップしていきます。1度に纏めると多すぎてキリがないので分割するかもしれない。
■2004年
Leaf「アルルゥとあそぼ!! 」の Leaf side-B というイラスト掲載コーナーに人生初デジタル絵(マウスとフォトショ7(パス取り)で描いたやつ)を1枚描いてます。
Leafのエロゲに誰でも掲載されるということだったので大急ぎで兄貴と2人で描いた覚えがある。
■2005年
専門学校に入学するちょい前に描いた。そこそこ可愛く描けた覚えがある。その時はわからなかったが、長めのしっぽを曲げることによって隙間(トンネル)が増え空間に奥行きを増やしている技術だと思う。ただ乗算を使っているのがバレバレで、なぜこんなに彩度が高く且つ暗くなるのか理屈が分かっていなかった。
影を乗算で付ける人は、この理屈が理解できていない(色の範囲が狭くなる)人が多い。
■2006年
専門に入学したころ。
ポストカードを作るために描いた。年賀状にも使えないし、どういう理由で作ったのか覚えてない。
学校内開催のハロウィンのイラコン作品。校内4位だった記憶がある。ちなみにぼくの学校はイラスト科20名×2クラスで計40人だが、上位3位までウチのクラスの女子だった。入学当初からTOP3はこの10年でも類を見ないレベルといわれていて、男の立ち場なしだった。でも、ぼくは女子高生だけど。
学祭配布物のシールのためか、ブログの6000HIT記念のために描いた。どっちかわからん。当時コンビニのバイトをしていたが、制服の名札のとこに貼ってたら酔った客に「キメえんだよそんなシール貼りやがって」と喚かれて、「たしかに」と思った。
夏休みの課題で描いた。テーマは覚えてない。触角が流行っていたのは絵でわかる。ちなみに今でも触角が好きなので、触角に関しての懐かしさは皆無。
当時、学校でのあだ名がもえたろう(萌えキャラばかり描いていた上にそもそも萌えキャラ自体が珍しい時代だったため)だったので、端にその名が書いてある。防災ポスター企画で描いた絵。
講師に「これじゃ親子心中の焼死イラストじゃねえか」と言われた。火事と言えば、母親が息子をかばって心中する絵で決まりだと思っていた。
秋のイラコンの絵。巫女のエロゲにハマっていた。
構図の名前をすずなり式と教えられたが、調べても出てこない。
学祭の配布物のスティックポスター。当時、物体の奥に明るい色を入れて空気感を持たせるという概念がまだ業界全体ですら存在していなかった。
対面座位が好きだったので、ポートフォリオのエロ枠用に描いた。
講師に「男がなんで小さいんだ?」と言われて「何をいってるんだこいつは。同じ大きさだろうが。」とふて腐れていたが、今見たら完全におねショタである。
専門1年夏休み中にボカロが登場し、情報に疎かったせいで9/1の登校日にクラスメイトや講師が「初音ミクって知ってる?すげえよな!Packagedってのはオススメ」というような話で盛り上がっていて、(やっべ、出遅れた)と焦った記憶がある。
■2008年
エロゲの原画家志望で就活をしていたが、大手ばかりしか見えていなかったため、戦争だったエロゲ会社は悉く落ち、2009年に卒業した後、就職できずにバイトしながら初コミケに参加し、その時にネットで知り合った早稲田の政経に首席で合格したという人と知り合って、一緒にコピー本を売ったが、その本に入れた絵。在学中に描いたと思うが、めちゃかわいく描けた記憶がある。今見ても割とバランスはいい。髪を輪っかにしたせいで空間トンネルができ奥行きが(以下略
在学中に初の有償企画(コンペみたいな)を通過して描いた絵。実質の初商業作品。
もえちゃっとというサービスの初期の頃にイラストの応募企画があり、参加してみようと思ってイラストを送った。
「もえちゃっと」というのはVtuberの先駆けと言われており、声優担当とイラスト担当で構成され、登録されたイラストの差分を使って声優が課金(ポイント制)したユーザーと会話をするシステムとなっている。
ユーザー「今日はこの絵師のイラストで、声優は〇〇ちゃんにしようかな」という具合に利用する。ぼくは利用したことはないが・・。
ちなみに、アメーバωというペンネームで活動していた時期で、その後→ぶるぼんぬ→ぶるぼん→ぶんぼんという名前に変わっていく。
らき☆すたが放送されていた時期。当時の京アニブームは凄かった。オタクがアニメ会社というものに興味が出たのはこの時期だろう。ちなみにKanonという東映のアニメが京アニにリメイクされた時の異常な反響は今でも鮮明に覚えている。
リトバス(発売前)のイラコンに応募した棗鈴。クドのほうはビジュアルアーツのフリー雑誌(ビジュアルスタイル)に掲載してもらったが、こっちは落ちてしまった。
ボカロにハマっていた。
2008年のコミケに行った時にサークル配置図に書き込んだ計画ルート。壁の半分がエロゲの原画家だった。今でこそ島中でもフォロワー10万絵師とかがざらにいるが、当時の島中はマジで知名度ゼロ絵師ばかりだった。これはTwitterがないので当たり前の話で、ネット上にほぼ絵師検索機能がないため、新規絵師を見つけようにも転載画像掲示板の萌え.jpとか二次元ふたばとか萌え連に転載された絵に「詳細キボンヌ」と書き込んで親切な転載主からの回答を待機するとか、おえびで遭遇するくらいしか新規同人絵師を見つける手段がない。
途中からお絵描きJP、TINAMIという検索機能やランキングがある絵師総合サイトができたが、のちに出てきたpixivに一瞬にしてユーザーを取られることに。僕もこの初期に移動。なお、数えきれないほどあった萌え画像転載サイトがこのpixivのおかげで壊滅した。
学校中の学科、声優科やシナリオ科など合同で作った卒制作品のビジュアルノベルゲーム。左は東方やにじさんじのチビキャラ・陰毛絵で(今となっては)割と知名度のある友人Tが担当している。右はおしっこや浜風などで割と知名度が上がってきたように思う(今となってはだが)ぼくが担当している。
当たり前だが、15年も絵を描いていればお仕事を頂く機会が増えるし、あらゆる界隈で二次創作をやることになるため、絵の数も膨大になり、検索にヒットする確率も上がり、ある程度の同人的な知名度も上がってしまう。
今絵を描き始める人は、よく「いいねが増えない」だの「同人誌を作るなんて早すぎる」だの「仕事がくるかわからない・・」「絵で食っている未来がみえない」といっているが、結局絵の数が増えれば多少の画力は上がるし好きな作品やジャンルは増えるし性癖は増えるし人脈も増える。あまり今がどうとか考えずノンビリ描いていけばいいように、今となっては思う。
ぶんぼん
2022-09-25 11:15:18 +0000 UTCいつき
2022-09-23 21:57:07 +0000 UTCcosmo
2022-09-23 20:15:29 +0000 UTC