トロピカルサンセット 旋牙闇霧 10年ぶりにグズマが帰って来たその日の夕方、村人たちのはからいで、ハラとグズマのささやかな結婚式が村の広場で執り行われた。 いびつな円形をした広場の中央に椅子と小舟が置かれ、小舟の中には海水と、グズマがのぼせないように村中から集められた氷が入れられた。 グズマが水風呂のようになった小舟に身を沈めると、村の女たちがプルメリアやハイビスカスの花を水面に散らしながら、花で作った冠や首飾りでグズマを飾り立てた。 「すごく綺麗」 「よく似合ってるわ」 「本当、こんな男前の花嫁さんをもらって、ハラのやつは幸せ者だよ」 日に焼けた村の女たちは、口々にグズマを誉めそやし、賛辞の言葉を送った。 女王の指導で十年間人間の言葉を学んだグズマは大意を理解すると、照れたような表情でアリガトウ、と女たちに礼を言った。 新郎新婦の席の向かいには、参列者のためにテーブルと椅子が数列並べられ、村で採れた果実や魚料理、そして大量のラムが振舞われた。 どれも村ではありきたりの食材だが、この降って湧いたハレの日のため、村人たちが腕を振るったご馳走だ。 リーリエは飲み慣れないラムを舌で舐めるようにしていただきながら、祭りのような賑わいを楽しんでいた。 結婚式にはおそらく村人全員が参加しているのだろう。母親に抱かれた赤子から、ほとんど服を着ていない子供たち、漁で鍛えられた筋肉が黒光りする男たち、恰幅のいい女たち、深い皺が顔に刻まれた老婆たち、みんな笑顔でハラとグズマを祝福している。自分が今まで追い続けてきた人魚が、今こうして結ばれる奇跡に、リーリエは目頭を押さえた。 「本当にいい式ですね、博士」 そう言ってリーリエはククイのほうを見ると、この式の雰囲気には似つかわしくない仏頂面で、ククイはラムをあおっていた。 テーブルにラムが並べられてすぐに飲み始めたのか、もうすでに彼の周りには空のジョッキがいくつも転がっている。 ククイの顔は浅黒く焼けた肌の上からでもわかるほど、酔いで赤く染まっていた。 「ちくしょー、グズマ君の繁殖態、滅茶苦茶綺麗だぜ」 とろんとした目つきで小舟から上半身を出し、村の女たちに取り囲まれたグズマを見る。 夢にまで見た人魚の繁殖態は、夢のように美しかった。 エクリプス態の時には無かった装飾鰭がドレスのように肩口や腕、下半身を彩り、白地に金の刺繍を施したかの如くきらきらと輝いている。 目の縁取りも赤く染まり、正に海の花嫁と言うにふさわしい華やかさだった。 「くそーっ!」 ククイが再びラムをあおった頃、着付けの終わったハラが村の男たちを引き連れて姿を現した。 白い貫頭衣の上から幅広のストラをたすきがけし、頭には緑の葉と山吹色のパンダナスの実で編まれたレイを冠したその姿は、島の男としての威厳に満ちていた。 厚手の帯を輪状にしたストラは村に代々伝わるもので、黄色を基調とした生地に鮮やかな糸で刺繍が施されている。パンダナスのレイは特別な日にだけ編まれるもので、終わりと始まりを意味するという。 婚礼衣装を身にまとったハラは一礼すると、花嫁の隣に置かれた木製の椅子に腰を下ろした。 「綺麗に飾ってもらったな、グズマ。よく似合っているぞ」 「ハラモ、カッコイイ。キラキラ、キレイ」 「はは、そうかそうか」 薄青い空がゆっくりと金色に輝きを変えていく。 「ちくしょー、ハラさんやっぱり滅茶苦茶かっこいいぜ」 ククイがもう一杯ラムをあおった。 新郎新婦が揃い、式は恙なく始まった。 相手が人魚だからといって記者や市長を呼んだり、特別なことはしないでほしいというハラの意向に沿い、いつも通りの村の結婚式と同じものが行われた。 村人たちが歌い踊る中、参列者は一人ずつ、ハラとグズマに祝福の言葉と花籠に入った花を一握り舞いあげて贈る。 賑やかな楽器の音と、甘い花の匂いが宴会場に満ちる。 グズマは村人たちが次々に持ってくる貝やエビにむしゃぶりつきながら、その初めて経験する色と音の洪水に酔いしれた。 その間ハラは隣でラムを飲みながら、いつも通り村の男たちの持ちかける相談や与太話に付き合った。 リーリエが祝辞を終えると、ククイは彼女から花籠を受け取り、千鳥足でハラたちの前に歩み寄った。 「うー、今日はぁ、お二人のぉ、ご結婚をぉ、このククイ、心よりお祝い申し上げます!」 「アー、ククイ」 「ありがとう。今日は珍しくずいぶん飲んでおられるようですな。 せっかくの祝いの席です、思う存分飲んでください」 「ありがとうございます! あのですねえ、もうこの際だから言っちゃいますけどぉ、ぼく、本当にハラさんのこともグズマくんのことも大好きなんですからねえ! だから、ぼく、二人のこと……」 ククイは肩を震わせ、手にした白いプルメリアが詰まった花籠を握りしめた。 「これからもずっとずっと研究させてもらいますから! なにせ人魚と人間の結婚なんて、史上初ですからね!」 「ああ、ありがとう。ククイ君」 ククイの頬を伝う涙を、ハラは太い指で優しく拭ってやった。 「わしも君のことが大好きだ。……これまですまなかった。本当にありがとう」 「……っ」 この人は本当にずるい。ぼくの気持ちを知っていて、それでも十年ずっと彼を待ち続けて、結局。 結局ぼくは、待ち続けている彼の背中に、それでもずっと恋をしていたのだ。 「本当に、絶対に幸せになるんだぜ! 二人とも!」 ククイは思いのたけを吐き出すようにそう言うと、手にした花籠を空に放り投げた。 「博士!」 「おお、これは……」 「ククイ、スゴイ! キレイ!」 ハラたちの頭上に、白いプルメリアの花びらが羽毛のように、雪のように降り注ぐ。 ククイは花籠をその場でキャッチすると、振り返らずに参列席へと戻っていった。 その後も宴は続き、小舟に入れられた氷が解けきるころには、空は菫色に染まり、薔薇色の雲が広がっていた。 「さて、それでは宴もたけなわではありますが、そろそろ式のほう、締めさせていただきますかな」 ハラが立ち上がり、参列者に向かって謝辞を述べる。 「今日はわしとグズマのためにこのように盛大な式を開いてくださり、ありがとうございます。これから夫婦手を取り合って、この村で生きていこうと思います。色々とご迷惑をおかけすることもありますが、村の一員としてグズマのことも見守って下さい。今日は皆さま、本当にありがとうございました」 ハラが一礼するのを真似て、グズマも一礼する。 温かい拍手の音が、広場にずっと鳴り響いていた。 「おーい、そろそろ片づけっからあんたも手伝ってくれよお、学者さん。いつまで飲んでんだ、式が始まる前から飲みっぱなしじゃねえか」 無精ひげを生やした筋骨隆々の漁師が、テーブルで酔いつぶれていたククイの肩をゆする。 その手を払いのけると、座った目でククイは普段なら決して見せないような悪態をついた。 「うるっせえなあ、ぼかぁ失恋して虫の居所が悪いんだ、邪魔するならケツにチンポぶち込むぜ」 その言葉を聞くと、漁師はそりゃあいい、と明るく笑った。 てっきり相手が激昂するだろうと思っていたククイは虚を突かれ、理性が脳の奥から引き戻される。 「俺も溜まっててよ、ハラのやつは嫁さん貰っちまったから、渡りに船だ! よろしく頼むぜ、学者さん」 「え? え? え?」 「なあに、心配いらねえよ。その様子ならこの後暇なんだろ? 俺の家でたっぷり楽しもうぜ」 そう言うと漁師はその逞しい腕でククイを椅子から引き剥がすと、 麻袋のように軽々とククイを持ち上げ、肩に担いだ。 「え? え? え?」 「いやあ、前から旨そうな体だと思って目ぇつけてたんだよなあ」 「え? リーリエ? リーリエ君、どこ? いやちょっと待って、リ、リ」 「海の男の良さ、たっぷり教えてやるからなあ」 「リーリエくぅぅん……!」 濃紺の夜空に、仔イワンコの如くか弱いククイの声がこだまする。 そのころ、リーリエはというと 「あら……?」 「どうしたんだい?」 「いえ、ククイ博士の声が聞こえたような……」 「学者さんならきっと酔っぱらって村の男たちに介抱されてるよお! 男なんてほっといてさ、今日は好きなだけ羽根を伸ばしなさいな! リーリエちゃんまだ若いんだから!」 「はい、ありがとうございます! それで、ここの続きはどうしたらいいんでしょうか」 「ああ、ここはねえ、こっちの下から糸を通して……」 「あっ、なるほど」 村の女たちと一緒に、集会所で村に伝わる刺繍を教えてもらっていた。 「これ楽しいですね……はまっちゃいそう」 「でしょー」 村の男たちが広場の片づけを終えたころには、夕方の活気が嘘のように鎮まり、桟橋の小屋にも静寂が訪れていた。 「今日は疲れただろう。ゆっくりおやすみ」 ベッドの上で祭服を脱ぎ捨て、じっとりと汗が滲むハラの上で花飾りをつけたままのグズマが笑う。 「ツカレル、デモ、タノシイ。グズマ、タノシイ。アー、ハラ、イッショ、ウレシイ 」 「人間の言葉が喋れるようになって驚いた。さぞや大変だっただろう」 「タイヘン。デモ、グズマ、ハラ、ハナス。ウレシイ」 「……ああ、わしもうれしいぞ」 ベッドに寝ころんだまま、グズマを抱きしめる。 十年ぶりの肌の感触に、ハラは言葉を詰まらせた。 「……この十年、何度こうしてお前を抱きしめる夢を見たことか」 「ハラ」 「……おかえり、グズマ」 「タダイマ、ハラ!」 シーツの上で、ハラとグズマの体が重なり合う。 互いに頬を手のひらで包み、どんな酒よりも強く、どんな花よりも甘いキスを交わす。 「……たくさん、交わろうな。わしの子を産んでくれ、グズマ」 「グズマ、ハラ、コドモ、ウム! コドモ、ツクル! スル! ハラ、ハヤク、スル!」 「ああ、今日も明日も明後日も、毎日しような。元気な子を産めよ、グズマ」 花が零れる。シーツが落ちる。 夜の帳(とばり)が二人を包む。 終わることのない蜜月は、今日から始まるのだ。 マーマンインザサン 了