ザ・スティーヴ・ジョブズ・ビルディングという名称の建物がアメリカにあるそうです。
そう聞くと、トランプ元大統領のトランプ・タワーに代表されるような「成功者のきらきら輝く持ちビル」かと思ってしまいますが、そうではありません。アニメ制作会社・ピクサーの巨大な社屋がその名称なのだそうです。スティーヴ・ジョブズもピクサーもどちらも広く知られていますが、ピクサーを作ったのがジョブズさんであることはあまり知られていないのではないでしょうか。
私も両者がそんな関係にあったなんて、1冊の本を読むまで知りませんでした。『ピクサー流 創造するちから』は、ピクサーで長らく社長を務めたエド・キャットムル氏が同社の歴史とその波乱の舞台裏を深く紹介した本です。
この本によると、元々ピクサーはジョージ・ルーカス所有の映画会社でCG制作を担当する一部門だったらしいのですが(ここの一員だったのがキャットムル氏)、心変わりか気まぐれか、徐々にその部門に対するルーカスさんの愛情が薄れてしまった。愛情不足で沈没寸前のCG部門に救いの手を差し伸べたのがスティーヴ・ジョブズで、彼はそのCG部門だけを買い取り、独立させ、新たな会社を作った。それが今私たちがよく知るピクサーというわけです。
ジョブズという人は世間のイメージ通りというかなんというか、かなり独断的なところがあったみたいで、著者のキャットムル氏も知り合った当初は「正直苦手だった」と述べています。黒いものでも白と言わせ、いかなる異論も自分の信じる方向へ魔術のようにねじ曲げるジョブズさんに漂うその威圧的なオーラを、周囲の人たちは「現実歪曲フィールド」と呼んでいたそうです。すごいですね。ATフィールドとどちらが強いんでしょうか。それはともかく、キャットムルさんが「苦手」と言ったのもちょっと分かる気がします。
他にもこの本は━━ピクサー好きの私のひいき目が多少あるとは言え━━どこを読んでも楽しめるお話ばかりなのですが、中でもピクサーに所属する優秀なアニメ・スタッフがどのような思考回路で絵を描いているかをキャットムルさんが説明している部分は、私にとってはとても興味深いものがありました。
私は小さい頃から絵を描くのは好きだったのですが、一番よくごちゃごちゃと落書きをしていた中学生の頃に、友人からこんな質問を受けたことがあります。
「絵ってどうやったらうまく描けるの?」
今なんと? そんなの私が知りたい。
しかしながら日ごろ絵を描く習慣のない友人からすれば、授業中に架空のゆるキャラを落書きするような人間でもうまい部類に見えたのかもしれません。私は正直にこう答えました。
「分かんない」
ずいぶんと薄情な人間に映るかもしれませんが、これが本当にそうなのでどうしようもありません。何か有益な言葉を期待していたに違いない友人は、心底納得していない様子です。私は無い知恵をしぼってこう付け加えました。
「うーん、よく分かんないけど、見えた通りに描く」
「見えた通りにって、どゆこと?」
やっぱり納得していない。
その後も違う人から同じような質問を受けたことが何度かあるのですが、私の返答はいつも「分からない」か「見えた通りに」かのどちらかしかなく、その状況は現在に至るまで基本的にはあまり変わっていません。とにかく何をどう答えたらいいのか分からない。具体的に説明する言葉を探そうとすると、人語を喰らうケダモノが棲みついていそうな薄暗い森にたちまち迷い込んでしまいます。ところが、そこに━━少なくとも私にとって━━Mr.インクレディブルさながらに救世主としてさっそうと現れたのがキャットムル氏です。
キャットムルさんは言います━━絵が不得意な人は自分の「メンタルモデル」に従って描いている。
メンタルモデルというのは「一般化された概念」のことで(むずかしい)、たとえば「椅子ってどういう作りのものですか?」と聞かれた時に、「こうこう、こういう作りのものです」と答えたその内容のことです。座るところがあって、脚が4本あって、というふうに。
キャットムル氏はその思考(概念)が絵をうまく描こうとする際のさまたげになると指摘しています。試しに靴なんかを逆さまにしてデッサンをさせると、描き手は靴を靴だと認識せずに、その純粋な形状だけを頼りに描くようになる。するとうまくいく。すごーい。
と感心している場合ではないんですけど、つまり絵が不得意な人というのは、目の前の対象物をちゃんと目でとらえつつも、先入観や「自分が思うこんな感じ」で描いているということなんだと思います。逆に言えば絵が描ける人というのは、先入観や「こんな感じ」を頭の中からすべて排除して描いている。
考えてみると、私も多少なりともそんなふうにして絵を描いてきたように思います。それは小さい頃からそうで、お花を描くにしてもコップを描くにしても、お花だと思っていないしコップだとも思っていない。ただそういう形状の(名も無き)物がぽんと目の前にあるので、それを出来る限り精確にそのまま紙に写し取ろうとする。その物体の縦の長さはどれくらいか、横幅はどの程度か、薄さは? 丸みは? へこみは? 角度は? 比率は? 物体上の仮想の一点から次の仮想点まではどのくらい離れている?
もちろん小さい頃なので(そして今もそうですが)一つ一つ具体的にそんなふうに思考を整理しながら描いていたわけではないのですが、プロセスとしてはおおむねそういう手順で絵を描いていたように思います。機械的といえば確かに機械的だし、お花やコップならまだしも人を描くともなれば「人を人とも思っていない」心境で描くことになるわけで、なんだか「人でなしの所業」みたいなお話になってきます。こんにちは、人でなしです。
とはいえ、しばしば絵というものが現実を越える美しさやおもしろみを備えたりすることを考慮すると、絵を描くというのは丸っきり機械的な行為とも言えない側面があるのだと思います。現実とは異なる広がりを見せる絵というのは、描き手が機械のような人でなし(あくまで比喩!)から、ある瞬間思い出したかのように普通の真人間に戻って夢や理想を描きつけた結果なのではないでしょうか。「機械のように」だけでは味わいに欠け、「夢や理想」だけでは現実味に欠ける。
今さらのように言いますけど、絵って不思議だし、むずかしい。
ところでピクサーを作ったのはジョブズさんだと書きましたが、彼とアニメ制作会社という組み合わせは、相性が合っているような合っていないような、ちょっと意外な感じもします。もちろんアップル社の定番商品の数々を見ればジョブズさんがデザインのセンスにたけていたのは明らかだとは思いますが(ピクサー社屋のデザインはエントランスからトイレまで、すべてジョブズさんの手によるものだそうです)、こと映像や絵に関してはどうだったのでしょうか。
キャットムルさんによると、ジョブズさんは経営には大いに関与したが、アニメ映画の製作会議などのいわゆる「現場」には一切首を突っ込まなかったそうです。それ以外の場所でごくまれに何かを指摘をするにしても、「自分は映画作りについては素人だから、まったく無視してもらって構わないが」と必ず前置きを添えていたそうで、ある時などは、『モンスターズ・インク』監督のピート・ドクター氏に、
「もし生まれ変わったら、ピクサーの映画監督になりたい」
そうもらしていたそうです。
「現実歪曲フィールド」とおそれられたジョブズ氏ですが、26年間一緒に仕事をしてきたキャットムルさんは言います━━それは彼の極端な一面をいたずらに誇張しているに過ぎず、全体的な人間像はそれとはまったくかけ離れている。
あまりイメージだけで世の中をながめるのもよくないのかもしれませんね。
霜月
2021-12-17 13:33:43 +0000 UTCノン・ラズニッシュ
2021-12-16 13:02:00 +0000 UTC霜月
2021-12-15 18:07:55 +0000 UTCノン・ラズニッシュ
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2021-12-12 15:32:01 +0000 UTCak
2021-12-12 05:12:41 +0000 UTC