ジャン=ジャック・ルソー。世界史の授業で一度は耳にしたことのある名前です。18世紀、おもにフランスで政治や教育を論じる思想家として活躍しました。「そういえばそんな人いたな」と思いになる方もいらっしゃるかもしれませんね。私もばっちりそうですけど。
彼の著作の一つに『告白』という自伝があって、その中でルソーはまさしくこんなことを告白しています。
10歳の時に父親が事件で失踪したため別の家へ預けられたが、悪さをするたびにそこの美人のお姉さんにムチでお尻を打たれているうちに快楽を覚えるようになり、わざわざ悪さを繰り返すようになった━━。
人は見かけによらないと言いますが、ルソーさんもその一人だったのかもしれません。肖像画を見るといかにも学者然とした聡明そうな顔立ちをしているけれど、そんなご趣味があったんですね。照れずに早く言ってください、ねえ? みなさんもそう思いませんか? SMがお好きならこちらのFANBOXに入ってくれればいいのにね。お待ちしてます。
日本と西洋とでは事情が異なると思うけれど、こと西洋のSMのルーツをたどるとき、ルソーのこの告白は一つの手がかりになるのではないでしょうか。ムチ打ちを介して自分のM気質に目覚めるというのは、昔の西洋ではわりと見られた事例のようです。ルソーからさかのぼること200年の16世紀にも、修道院などの世俗から隔絶された環境下に置かれた尼僧の人たちの中に、戒め、あるいは苦行の一環としてムチで打たれているうちに快感を覚えるようになった人がぽつぽついたそうです。中にはわざわざ両手を縛らせた上でピシッとしてもらい、「あっ♡」となってた人もいたんだって。
当時のそのような人たちに、ムチ打ちの最中、「私たちは今SMプレイをしている」という自覚があったかどうかは定かではありません。たぶんなかったのではないかと思います。自分だけの名も無きひそやかな行為として静かに消費されていたのではないでしょうか。やがて各人のその個人的な体験が共有され、その広がりが一定の範囲を超えたとき、それは方法と形式をそなえたセクシャルな遊戯として独立していったのではないでしょうか。
「実はムチとか革ひもとかで気持ちいいことをするのが好きなんです」
「おやまあ、実は私もそうなんですよ」
町の片隅でそんな会話があったかどうかは知りませんけど、点が線になってやがて面が形成されるようにして、SMという遊戯は私たちの歴史の中で産声を上げたのだと思います。誕生おめでとう!ᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ 今年で何歳?
ところでSM好きな私としては、ここで一つの疑問がわいてきます。「お尻をペシペシしたり縄で縛ったり、どうしてわざわざこんなことをするの?」っていう問いです。分析好きなルソーでさえ、『告白』の中でどうしてそんなことをするのかまでは記していません。しいていえば「大変に気持ちが良いからである」という理由が文章の行間からひしひしと伝わってきますが、それはどちらかというと感想だろうと思います。そうではなくて、今知りたいのはもうちょっと本質的な理由です。
少しへんなことを言うようですが、犬や猫はSMをするんでしょうか? あるいは私たち人間と行動様式が比較的近いと言われているチンパンジーやボノボならやっている?
もしかしたら私たちの知らないところで彼ら、黙々とやっているのかもしれませんけど…いやー、うん、ちょっと考えにくいですよね。見たこと(私は)ありません。もちろん彼らと人間とでは知性や体つきの面で条件が異なるので、そもそもSMという行為それ自体を彼らは実行することが出来ないということもあります。
でも、もし彼らと会話が出来て「SMやってみたい?」と聞いても「いや別にいいかな」とすげない態度を取られてしまいそうです。つまり物理的に実行出来る出来ないの観点からではなく、「欲求」としてそういうことをしたがっているものなのだろうかなあ、と想像してみても、どうも彼らには縁遠いお話であるように思えます。ではどうして彼らはそれをしたがらない(ように見える)のか。それは、「する必要性がない」、言いかえればこの世界で彼らが「満たされている」からではないでしょうか。
私たちは、原始的な野性から遠く離れることによって規則的で強固な人間社会を構築してきました。と同時にそれによって失ったもの・抑圧されたもの・去勢されたもの、そんなものが今の人間にはたくさんあるはずです。それはむき出しの欲望や渦巻いた狂気、我を忘れた熱狂かもしれません。
考えてみると私たちの人間社会には、どうしてわざわざそんなことをするのか自分たちでもよく分からない行為が多く存在します。たとえばボクシング、たとえばジェットコースター、たとえばお祭り。殴り合ったり、スピードにのめり込んだり、火を放ったワラの上を走り抜けてみたり(なんていうお祭りでしたっけ?)…。冷静になって考えてみると、これらの行為はただただ危ないだけです。一歩間違えれば死んでしまいますよね。それなのになぜそんなことをする必要があるのかと思ってしまいますが、それはやっぱり私たちが何かに「満たされていない」からではないでしょうか。
SMというのは特別な快楽をもたらす一方で危険な行為であることは否定できません。縛りつけたり叩いたり、愛好者以外の方からすれば、まさしく「えっと、そんな危ないことする必要ある?」という状態に違いありません。
でも今日だって世界のどこかできっとSMという行為は行われています。体に縄をはわせ、ムチを振りかぶる。それは私たちが、お行儀のよい理性的な生活の中で置き去りにしてきた荒々しい野性にほんの少しでも近づこうとする瞬間であるのかもしれませんね。おしまい。
ノン・ラズニッシュ
2020-10-25 03:58:13 +0000 UTCぶっちー
2020-10-24 14:05:19 +0000 UTCノン・ラズニッシュ
2020-10-12 07:03:15 +0000 UTCノン・ラズニッシュ
2020-10-12 07:02:13 +0000 UTCゆ〜
2020-10-12 00:18:49 +0000 UTCゆ〜
2020-10-12 00:16:09 +0000 UTC