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あいつとシェアハウス 短編65

■祭りの前


「……田折」


 バイト終わり。従業員室で帰り支度をしていると、突然先輩が話しかけてくる。今日の先輩はどこか不調なのか、それとも機嫌でも悪いのか、何となく近寄りがたいオーラを放っていたから、急に声を掛けられたことに俺は驚いた。


「なんすか、せんぱ……」


 振り返って見た顔は、恐ろしいほど凹んだものだった。そこでようやく、眉間に皺を寄せ不機嫌そうに見えていた表情は、実は単に落ち込んでいただけだということに気付く。


「どうしたんすか、その顔」


「実は……その、折り入って相談があるんだが……」


「え、いいっすけど、俺でいいんすか」


 羽柴先輩は小さく頷いた。突然の話で正直ビビったが、先輩がいつになく萎びた雰囲気を纏っていたので、放ってはおけなかった。着かけのジャンパーを脱いでそこらの椅子に置くと、先輩は「すまない」と前置きをしてから話し始める。


「以前……旅行のとき、相談をしたろう」


「あ、ああ、恋愛のやつですよね」


「む……そ、そう、恋愛、うむ……」


 先輩は気恥ずかしそうに俯く。薄々、というか敢えて考えないようにしてたけど、羽柴先輩、これ系の話題に耐性がなさすぎやしないか。俺とか善人も大概恋愛ウブな自覚はあるが、俺より大柄な先輩に生娘みたいな反応をされると、流石に面白味を感じてしまう。


「それで、だな……」


 先輩はあからさまに口籠った。これでもかと視線を泳がせ、落ち着きなく嘴まで触り始める。なんかこういう態度を目の前でされると、こっちのほうが照れ臭くなってくる。俺も善人や大智に悟のことを相談するとき、こんな感じだったんだろうか。


「以前……その、告……」


「こく?」


「……告白」


「えっ。告白って、先輩がですか」


「いや……したのではなく、された……というか」


「え、つまり、先輩が誰かに告白されたってことすか」


「…………」


 先輩はなぜか黙り込む。俺は内心まどろっこしくなった。人のことを呼び止めておいて、こんなにはっきりしない態度を取られてはこっちの立場もない。俺は溜め息をつく。


「あの、先輩。黙られるとその、俺も困っちゃうと言いますか……」


「す、すまない……。こういう話はどうにも、苦手というか、気恥ずかしくて……」


「気持ちは分かりますけど。ちゃんと聞きますから、ちゃんと話してくださいよ」


「む……そ、そうだな」


 よし、と意気込んだ先輩は、ひとつ大きく深呼吸をした。そして虚ろげだった目をカッと見開き、背筋を伸ばして嘴を開ける。


「不肖羽柴一路、先日告白されてしまい戸惑っている」


 思っていたより大きな声が飛び出してきて、若干仰け反ってしまった。先輩はそれに気付く余裕もないようで、引き続き声を張り上げる。


「相手は俺には勿体ないほどよく出来た人物だ。それゆえ引け目を感じ返事を出せずにいる。俺は一体、どうすればいい」


 先輩は一息に言うと、また深呼吸をして今度は目を瞑った。思ってた以上に大声だったから、俺は少し引いてしまう。確か店にはまだおやっさんがいたはずだけど、まさか聞かれてないよな。俺の話じゃないのに、なぜか俺のほうが焦ってしまう。


「どうすれば、って」


「…………」


「えーと……相手のことはその、好き、なんすよね」


「え、いや、それは……どう、なんだ。好き……なんだろうか」


「…………」


「だが好感はある……が、いや待て……しかしそれは好きとは言わない、よな……うむ」


 はっきりしてくださいよ、とは言えなかった。というか、俺にそれを言う資格はないように思えた。悟からの告白の返答を「まずは友人として」なんてはぐらかして、散々先延ばしにした挙句、いよいよ悟がいなくなるってタイミングで……。


「……やはり考えれば考えるほど、俺たちは互いのことをまだきちんと知らないのではないかと思うのだ。ここは順当に、しっかりと……その、友人関係の構築から……」


「え、それは絶対駄目っすよ先輩」


 先輩の発言に、脊髄反射で言っちまった。普通に考えれば、まずは友人から始めて、そこから互いのことを徐々に知っていくというのは、恋愛におけるセオリーだ。本来否定するようなことじゃない。


「む……これは駄目、なのか、田折」


「あ、いやその、あー……」


 でも俺は、それで失敗しそうになった。友人としての関係が深まっていくに連れて、多分、俺のほうが離れたくなくなってた。つーか実際そうだった。でなけりゃあんな、ボロボロの格好で縋りついて泣き喚くもんか。


「えっと、つまりっすね……」


 でも悟のほうはきっと、今にして思えば、待ち疲れてたんだと思う。そりゃそうだ。俺は一からスタートして、辿り着けるかもその気があるかも分からない百を目指していたけど、向こうはとっくに百の地点で待ってたんだから。


「…………」


 脈があるかも分からない相手を、道の向こうからやってくるかも分からない相手を、ただその影が見えるのを信じて待ち続けるのは、どういう気分だろう。待たせた側の俺には分からない。だけど、待たせてしまった罪悪感は知ってるから。急に黙り込んでしまった俺の顔を、不安そうに見てくる先輩の顔に、あのときの俺に必要だっただろう言葉を投げかける。


「……お互いを知るのって、付き合ってからじゃ駄目なんすかね」


「む……」


「前言いましたよね、相手の想いを保留したって。俺も前は……段階を踏まないといけないって思ってたんす。そうしないと、ちゃんとした関係になれないんじゃないかって」


「…………」


「でもそれで、相手が差し出してくれた手を、危うく掴み損ねるところだったんすよ。まぁ、俺はギリギリで間に合ったんすけどね」


「だが、それならば……」


 先輩の言葉を俺は、首を振って遮った。確かにそうやって上手くいく人たちも、大勢いるんだろう。


「運が良かっただけっす。たくさんの人に背中を押されて、たくさんの奇跡が重なって」


「……田折」


「だからこそ思うんすよ、きっと……間に合わなかった人たちもたくさんいるんじゃないかって」


「…………」


「俺は……先輩には無事に間に合ってほしいって、思うんで」


 それを聞くなり、先輩は微かに眉を顰めた。そのまま静かに目を伏せて、無言のまま嘴を擦る。妙に辛気臭い空気にしてしまったのを感じた俺は、笑いで誤魔化しながらなるべく声のトーンを明るくして続ける。


「偉そうに言っちゃったっすけど、どうするか決めるのは先輩っすから。どんな選択をしても応援しますし、どんな結果になっても尊重しますよ、俺は」


「そ、そうか……それはその、ありがたい」


「やっぱほら、成功も失敗も、自分の人生ですし。自分で選んだ道じゃないと、歩いてて楽しくないっすよ」


「自分で……」


 先輩は一瞬ハッとしたような表情を浮かべた後、俺から視線を逸らして何か考え事を始めてしまった。その意図が読めない俺の胸に、みるみる弱気な気持ちが芽生えてくる。


「そうか、俺は……」


「あー……えっと、俺なんかの話で、参考になりましたかね……」


 恐る恐る聞くと、先輩は不意に俺の両肩をガシリと掴んだ。そして俺の目を真っ直ぐ見据え、「感謝する」とだけ呟いた。急な行動に俺は当惑していたが、先輩はそんな俺を意に介さず、すれ違いざまに「助かった、田折」とだけ残し従業員室を出ていった。


「…………」


 俺は無言になってしまう。上手く……言えたよな。ちゃんと励ませたよな。余計なこととか、マズいこととか言ってないよな。先輩の感謝を素直に受け止められない俺は、自己反省しながら帰路に就こうと部屋を出て、そこでおやっさんに出くわす。「わ」と思わず叫ぶ俺。


「いやー、青春だねぇ……」


「ちょ……聞いてたんすか、おやっさん」


「いやだね、立ち聞きなんざしねーよ。ただ、なんか話し込んでんなー、っつって」


「もー……ってか、いるなら言ってくださいよ。ビビっちゃったじゃないすか」


「そりゃすまんな。若者同士の語らいに、おっさんが出張っちゃよくねーかと」


 おやっさんはヘラヘラ笑いながら、ふくよかな腹部を叩いてみせた。叩いた手とは別の手に持たれたチラシを見て、俺は反応する。


「おやっさん、それ……」


「ん、あ、これか。君らんとこの大学で文化祭あんだろ、あれに出店しようかと思って」


 言われて、そういや、と思い出した。文化祭にあまり興味なかった――というか、四人で出かけてるほうが楽しかったし、バイトとかもあったから機会がなくて――から、チラシを見るまで忘れてたけど。一般からの出店も募集してたんだっけか。


「でも、毎年出てなかったっすよね。今年はなんで急に」


「そりゃもう決まってんだろ。君らが卒業すっからだよ」


「えっ」


「正直うち、給料そんな高くないだろ。あの大学からも、これまで結構バイトの子来てくれたが、みーんなもっと割のいいバイトに移っちまって」


「……一、二年くらいでいなくなる人、多いっすもんね」


「そんな中でさ、君と羽柴君だけは四年間もいてくれたろ。だから宣伝も兼ねて、お礼参りってわけよ」


 ハハ、と笑うおやっさんに対し、俺は内心複雑な気分だった。実のところ、もっと高時給のバイトのほうがいいんじゃないかって思った時期はあった。気に入ってた本屋のバイトも、深夜の倉庫管理のバイトに変えちゃったし。


 でも、こっちは辞められなかった。悟を止めるために迷うことなく送り出してくれたおやっさんに、恩返ししなきゃって思ったから。そりゃ、お金のやりくりはちょっとキツかったけど、それも今となっちゃいい思い出だし。


「ま、人手はなんとかすっからよ。せっかくだから、文化祭の日は客として来てくれや」


「…………」


 四年間。その響きが改めて胸に木霊する。ここで働けるのも、卒業までのあと僅かな期間しかない。こうしておやっさんと喋るのも、あの綺麗とは言えない厨房で鍋を振るうのも、カウンター越しにお客さんと他愛ない会話をするのも。俺の口は自然と動く。


「……いや、当日手伝いますよ、俺」


あいつとシェアハウス 短編65

Comments

文化祭がもうすぐ始まりますね!一路先輩と玲太くん、坂東先輩と水地くんの問題も、文化祭で解決されそうですね。とても楽しみです!

黒澤 誠


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