■あいつとグランピング 遠景
「やー、疲れたね」
持参のタオルで汗を拭いながら、舌を出してベンチに凭れる猿に話しかける。第三チェックポイントは、山の中腹辺りにある小休止スペースのような場所だった。土産屋や食堂なんかもあって、ここまでの道すがらより遥かに雑踏が多かった。
「なんじゃ、こら、こんなんでへばってられっか……」
「水、飲む?」
「…………」
僕が差し出したペットボトルを、遊星は無言でひったくった。するすると喉に消えていく水を眺めていると、自分も喉が渇いてきた。リュックからもう一本水を取り出したところで、プハァ、というわざとらしい声が隣から聞こえる。
「あークソ……始めは楽しい思うちょが、軽い拷問じゃろこんなん」
「まぁでも、なんだかんだであと少しだし」
「そうは言うがなぁ……」
「ぱぱーっ」
へばる遊星を見て笑っていると、突然元気な子供の声が飛び込んできた。同時に太ももに抱き着かれる感触がして、心底びっくりする。見れば、ちょうど一番下の弟ぐらいの年齢の熊の子がいた。一頻り困惑していると、遊星がドン引きした眼でこっちを見てくる。
「睦樹……おま……」
「い、いや、いやいやいや、流石に僕の子じゃないよ……ってか、んなわけないでしょ」
慌てる僕の声を聞いたその子は、こちらを見上げ「あれ」という様子で首を傾げた。途端に泣きそうな顔をしてきたので、尚更僕は焦ってしまう。いよいよ声を上げて泣く、その間際で、人混みの中から糸目の熊が現れた。僕に激似。しかも、服装もそっくり。
「ぱぱーっ」
先ほどより強い声音を上げて、僕の脚から離れた子供。困惑していたはずだったのに、少し名残惜しさを感じてしまう。目線を上げれば、困り顔で弁明をする“ぱぱ”。
「あー、いたいた。すいません本当、人に押されて手が離れてしまいまして……」
「あ、いえ、えっと……大丈夫です」
お互い微妙な表情を浮かべ、お互いペコペコする。なんだか動作まで似ていて余計に気まずい。それは相手のほうもだったらしく、ペコペコしながら雑踏の中へ消えていった。ずっとニヤニヤしていた遊星が、すごくムカつく顔で話しかけてくる。
「いやー、ビビったビビった。睦樹、いつの間にパパになっちょうかって」
「もー、何笑ってるんだよー」
「言うかて、なぁ。ドッペルゲンガーか思うたがじゃ」
「ね、ホントだよ、僕もびっくり」
「なんつーか、アレじゃ、睦樹もいつかあんな感じになるんけえな」
「う、うん。そう……だよね、うん」
遊星はふざけて言ったつもりだろうけど、僕はなんだか現実味を感じてしまった。だって誰かと付き合うって、最終的にはそうなるわけで。色んな姿形があるだろうけど、そういう未来の可能性もあるわけで。自分の足元に纏わりついた子供を思い出して、目を細める。
弟たちの面倒を見てきたから、いつかそうなったとしても、漠然となんとかできるんじゃないかなーとは思っている。でも実際自分の子を目にしたとき、きちんと父親として振る舞えるんだろうか。あんな風に子供の手を……しっかりと引いて。
近くに川があるらしく、ざわめきに紛れてせせらぎが聞こえてくる。日差しの強さも足の疲労も忘れて、ちょっと自分の今後を想像してみた。大学を卒業して、就職して、交際も続けて……そのうち結婚、とか、したりして。それで、そのうち、子供が――。
「なんじゃ睦樹、ぼーっとしくさって」
「うわ」
急に話し掛けられたせいで、覗き込んだ子供の顔が遊星になっちゃったよ。流石に冗談でも勘弁してほしい。ちょっと不機嫌そうにしていると、遊星も口を尖らせる。
「人の顔見て悲鳴上げようが、失礼なやっちゃな」
「あー……それはその、ごめん。考え事してたら、ちょっとね」
「はぁ、考え事け。なんじゃ、パパになった妄想でもしとったんか」
「別にー」
適当に誤魔化すと、遊星はまた不服そうに顔を顰めた。こんな風に振る舞ってる遊星にも、いつかきっとそういう未来が来るんだろう。なんとなくだけど、面倒見がいいけど厳しい奥さんと、うちに負けないぐらいたくさんの子供に囲まれてそうな気がする。
「お、ありゃ……」
また呆けていると、遊星が往来の中に誰かを見つけたようだった。遊星が手を挙げたのを見て、向こうもこっちに気付いた。「よお、猫助」との声に、善人は眉を顰める。
「でけえ声で呼ぶなっつの」
「ほーん、猫助」
「別にいいじゃん、猫助」
ニヤつく水地と、相変わらずの大智。水地は正直皆と壁を作っているように思ってたけど、今日はその距離が縮まっているように見えた。道行く人々の邪魔にならぬようベンチの周りに五人集まったところで、大智が声を上げる。
「そういやここの宝、結構すぐ見つかったわ」
「は、ウソじゃろ。また謎解きか思うて怠くなっとったが」
「よく言うよな、ほとんど俺と水地で解いてたじゃねえか」
「えー、俺だって活躍したじゃん。あのほら、川の」
「おいこら、ネタバレすんなっつの」
「いや、言うてもらって構わん。こういうんはさっさとクリアするに限るがじゃ」
「えー、まさか遊星、あんだけ啖呵切ってたのに楽するつもりなの」
僕が煽ると、遊星は気まずそうに目を泳がせた。極めつけ、大智がにんまりと煽るような笑顔を浮かべたから、遊星は僕の持っていたパンフレットを奪い取って立ち上がった。横顔を見るに、どうやらムキになったっぽい。
「ぷ……猫助……」
「お前はいつまで笑ってんだよ、つーか今までも何度も聞いてただろうが」
「あー、この、じゃあかしゃお前ら。盛り上がってねえでヒント寄越せ、ヒント」
パーティが増えて、段々と騒々しくなってきた。そのうち、大智が隣に座り込んできたので、さっきあったことを何の気なしに口にしてみる。
「そういやさっき、子供にパパに間違われちゃって」
「え、子供に」
「そうそう、そのパパが自分にそっくりでさ。遊星に揶揄われ……って、どしたの」
「いや、なんか……身に覚えが……あるような……」
どことなく苦笑いの大智。首を傾げながらも、会話を途切れさせないよう話を続ける。
「なんかさ、僕らもいつか家族を持ったりするんだなーって思うと、感慨深いよね」
「家族……?」
「ほら、結婚とか、子育てとか。僕らもやるのかなって考えたら、色々と……」
今度は大智が首を傾げた。そこでようやく、こんな真面目な話を突然されても困るよな、と気付く。慌てて笑顔を作って、誤魔化すように二の句を継いだ。
「あ、その、ごめん……へへ。なんかちょっと、不安になっちゃって」
「…………」
大智は黙り込んでしまった。僕も少し感傷的になって、皆の足元で揺れる木漏れ日をぼんやり眺めながら、脳内自己反省会を始める。やっちゃった。いくら不安に思ったからって、楽しい旅行中に急にこんな話。軽く凹んでいると、大智の口が開く。
「そうだなー……やっぱ皆、色々考えてるよなあ」
「……やっぱってことは、大智も」
「まあ……ってのは嘘で、正直あんま考えてなかったんだけど」
面映ゆそうに笑って、大智は三人のほうに視線をやる。いつもと違う真剣そうな目つきに、僕は思わず目を丸くした。
「でも、俺も……考えなきゃいけないんだろうなって、思うから」
「…………」
それを聞いて、今度は僕のほうが黙り込んでしまった。きっと皆、表には出さないだけで、何かしら想いを抱えているんだろう。それぞれが思い浮かべる未来がきっと、皆の中にも。
眩しい日差しと、山中に賑わう喧噪。川の音と、頭上を抜ける風。辺りに満ちる非現実感と、迫り来る現実感。それぞれが抱く不安と、それぞれが描く未来。それらを脳裏に巡らせながら、今はまだ、この浮ついた熱が続いてほしいな、なんて思った。
しゃけ
2023-12-09 23:24:30 +0000 UTC