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あいつとシェアハウス 短編53

■あいつとグランピング 道中


「ふぅ……」


 木陰のベンチに腰掛けながら、俺は静かに息をついた。太陽が高く昇るに連れ、激しさを増していく日差し。顔を伝う汗をシャツで拭うも、そのシャツが既に汗だくでむしろ顔が湿ってしまうぐらいだった。


 疲労の溜まった足を伸ばしがてらストレッチに勤しめば、近場にいた子供が「すげーっ」と大きな声でこっちを指差してくる。隣の母親が「柔らかいお兄ちゃんねー」と言ったのが少し気恥ずかしくて、俺はすっとその場を離れた。


 少し歩けば順路近くにトイレがあったので、ふらりと立ち入る。瞬間、大きめの虫が耳元を飛んで行ったのに驚いて、うわ、と声が出てしまった。慌てて口を閉じるが、幸い中には誰もいなかったようで、安堵した息の音がどこかひんやりとした便所内に転げていった。


 見た感じ、山中にある割に、内部は意外と綺麗だった。やけに芳醇な芳香剤の香りにちょっと眉を顰めながら、俺は手洗い場のほうへ向かう。尿意は別になかった。おもむろに顔を洗って、何の気なしに鏡を見る。


「…………」


 なーにしてんだろうな、俺。先輩たちと楽しく回ろうと思ってたのに、気付いたら一人で第三チェックポイントまで来ちゃったりして。いや別に、どこかのグループに混ざろうと思えばできたんだろうけど、流石に空気を読んでしまった。


 明石先輩と赤木先輩はバカップルみたいで邪魔できないし、田折先輩と穂積先輩は熟練夫婦みたいで立ち入りづらい。宇田川先輩は話し掛けんなオーラがスゴくて近寄りがたいし、不破先輩と柚子原先輩はルートが違うのか姿を見かけなかった。


 そんで、部長……羽柴先輩は。正直ここに来た時点では話し掛けようとは思っていた。いつもの調子で、何気なくさり気なく、何でもないような風に。


 でもあの、ずっと物憂げな横顔を見てしまったら。絶対、俺のことで悩ませているんだと思い知ってしまったら。空気を読まずに突撃するなんて、流石に出来そうもなかった。先輩、顔恐いし。無意識なんだろうけど、あの眦に見据えられると慣れてきててもビビる。


 どうすっかなぁ、と鏡の前で首を回した。放った言葉の責任は取らねばと思うが。俺がべらべらと舌を回したところで、肝心の先輩に黙り込まれたらちょっとしんどい。やっぱ恋愛って面倒。それでも好きだなーと思う気持ちが止められないからこそ、困ってるんだけどさ。


 人生なんて、少しぐらい自分勝手なぐらいでちょうどいいとは思ってる。でも今回は、少しばかり自分勝手すぎたかもしれないとも思ってる。そもそもこの旅行において、俺は結構な異分子。これ以上部長の気でも害して、場を荒らすような真似は避けたい。


「…………」


 ぐしゃぐしゃと毛並みを掻き乱す。いつもならこういうとき、割とどういう風に立ち振る舞えばいいのか何となく分かるってのに。噂には聞いてたけど、恋愛感情は思考を曇らせるってマジだったんだなぁ、なんて。ホント、バカに出来ねえなこれ。


 木造りの建物の上のほう、壁と天井の間に空いた隙間から風と光とが俺の足元に降ってくる。蒼く沈んだ室内に対して、光の掠めた部分だけが、煌々と朱く筋を帯びている。他愛なくあちこち見回していると、鏡の中の自分と不意に目が合った。


 なんだか滑稽な気分だった。これまであんだけ不躾に部長に突撃しておいて、想いを伝えた途端に臆病になるとは。人生っつーのはなかなかどうして、こんなに難しい。


 ……いや、だってさ、先輩が悩んでるってことはさ、ワンチャン脈ありかもしれないわけだから。ここで余計なことしておじゃんになったら辛いじゃんか。俺って割と色んなことを卒なくこなせるけどさ、恋愛だけはマジで経験薄くて駄目だからさ。


「…………」


 そうこうしてるうち、トイレに備え付けの時計が十一時を告げた。もうそんな時間か。先輩方はもう一周し終わったんだろうか。第二チェックポイント以降は誰の姿も見てないから、状況が何も分からない。毛並みを手櫛で整え、気を取り直していると、外から声がする。


「お、あったあった」


 声色的に、田折先輩だろうか。せっかくだし合流させてもらおうか、と思った矢先、「ありましたよ先輩」との声。田折先輩が「先輩」と呼ぶだろう相手は一人しかいない。咄嗟に個室に駆け込んで、鍵もかけずドアに背中を預ける。そこで気付いたが、俺が入ったのは物置だった。できるだけ奥の個室に入ろうと思ったが、裏目に出たらしい。


「良かったっすね、近くにトイレあって」


「あ、ああ……」


 今日初めて聞いた、先輩の声。俺の気配がないところでは普通に喋ってることに安堵したが、同時に少し凹む。


「めっちゃ疲れましたね、ホント。俺、山道歩いたの初めてすけど、足がマジ棒になって」


「…………」


「でも景色もいいし、空気もいいし、ばっちり晴れてるし。良かったっすよね、色々」


「…………」


「どしたんすか先輩。トイレ来たのに、小便もしないで」


「む……いや、その……」


 部長はどんよりした雰囲気でそれきり黙ってしまった。何かを言い澱んでいる様子だった。何を言おうとしているのか。思わず息を潜めてしまう。


「……田折、は、他者から想われたことがあるか」


「え、他者……って、えっと」


「誰かと付き合ったり……という話だ」


「ああ、そういう。もしかして、その、恋愛相談っすか」


 一瞬、静寂。先輩は頷きでもしてるのだろうか、その後田折先輩の言葉が続く。


「何かあったんすか先輩」


「な、何かあったということはないんだが、その……」


 部長は焦った風に言う。愚直な性格のせいか、誤魔化すのも嘘をつくのも苦手なんだろう。本当に可愛い人だな、と心底思う。


「……分からないのだ」


「分からないって、何がすか」


「……なぜ皆、そうも簡単に付き合えるのだ」


「へ」


「俺は己に自信がない。誰かを想う資格も、誰かに想われる人格も持ち合わせていない」


「いや、そんなことは……」


「だからこそ思う。己のような不束者が、そういうことに染まっていいはずもないと」


「…………」


「本当に……分からんのだ。己が誰かと共に生きていくイメージが、全くもって湧かない」


「そんな、そこまで重く捉えなくても」


「だがその、誰かと付き合うというのは、生涯を共にするということだろう」


「あー……まぁ、それはそう……っすけど」


「俺は、相手の人生の責任を負うというのは、生半可なことではないと思っている。だが皆、それを物ともせずに想いを伝え合っている。それが俺には……」


 そこまで言って、部長は押し黙ってしまった。俺は出掛かった溜め息を飲み込んで、代わりに目を瞑った。嫌うとか断るとか以前に、そういう方向で悩ませてしまっているのは予想外だった。一人気まずさを覚えていると、田折先輩が声を上げる。


「俺も、先輩と同じようなことで悩んだこと、ありますよ」


「む……」


「俺、前は自分でドン引きするぐらい自己肯定感低くて。薄っぺらい恋愛繰り返したり、伝えてもらった想いを保留しちゃったりして」


「…………」


「でも……色々あって、考えが変わったんすよ。愛情って、双方向だから成り立つんだって」


「双方向……だと」


「なんつーか、相手からもらった分、自分も返していくというか。持ちつ持たれつ的な」


「…………」


「先輩は責任って言いましたけど。それって互いに持ち合うものなんじゃないかって」


 照れ臭いのか、豹の先輩は声のトーンを少し落として語った。部長は何も言わない。


「まぁそんで……えっと、先輩にもきっといつか、人生を分け合える相手が出来ますよ」


「…………」


 部長は黙ったままだったが、やがて穂積先輩が外から声をかけたらしく、二人は速やかに出て行った。俺も物置から出て、溜め込んでいた息を一気に吐き出す。


 底冷えの空気が、火照りそうだった脳裏をさめざめと醒ましていった。羽柴先輩は一体、何を思っただろうか。鏡の中の狼を見ながら俺は、足元の光をぐっと踏みしめた。


あいつとシェアハウス 短編53

Comments

いい成長っぷりで作者もニコニコです

日永

やっすんの成長が嬉しい🥲

しゃけ


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