■あいつとグランピング 群青
新緑。木漏れ日。川のせせらぎ。まあまあな静寂に、まあまあな喧噪。普段は引き籠もり決め込んどるが、たまにこう自然に抛り出されれば、一面緑まみれなんも悪くないと思える。空気もまあウマい。色々とインスピレーションも湧きそうな、思索にええ光景や。
「次のチェックポイントどこだっけ」
「確か……げ、なんか階段ゾーンとか書いてんだが」
……なんでか知らんがわいの後ろにおる、このバカップルを除けば。
「喧しいな、自分ら。なしてついて来よん」
振り返って悪態をついてやれば、明石はともかく赤木は目を丸くしよる。
「ついてってるつもりはねーけど……なんかマズかったか」
「いや、別に。なんや後ろが賑やかで、昼間から祭りでもやっとんか思うたわ」
「お前なぁ……」
猫の目つきが更に不機嫌そうに歪む。その横、皮肉をイマイチ理解しとらん犬が難しそうに眉を顰めたが、それを見てわいは溜め息をつく。何もこいつらに構う必要性なんざこれっぽっちもあらへんが、とにかく虫が好かんのだからしゃあない。
「なーんか俺らに当たり強いよなぁ、水地」
呆れたまま歩き始めようとしたその背後で、赤木が平然と言いよる。本人は小声のつもりかしれんが、図体に違わず割かしでかい声。しかもちょうど往来の切れ目だったせいで、わいの耳にもばっちり届いた。へ、と鼻を鳴らし、無視して歩を進める。
陽の当たる林道と、地を駆け抜ける風。最初こそ「グランピングなんて、んな高尚な」とか思うてはいたが。いざ来てみりゃ、それなりに気分も昂るもんやな。連日のアクティビティで多少痛む足を逸らせて、整備された道をがしがしと行く。
ふと振り返れば、もうあのバカップルの姿はすっかり見えんようになっていた。け、と再び鼻を鳴らし、更に足を動かす。疲労のせいかぼんやりしてきおった頭ん中で、元カレに以前言われたことが不意に響く。
色々、ぎょうさん言われたわ。あん白虎、ほんま、好き勝手言いよってからに。お前は意外と寂しがりだとか、もっと周りを頼れとか、一人で生きるのは悲しいぞとか、余計なお世話やっちゅうねん。マジ、口うるさすぎてセカンド・オカンか思うたわ。
「…………」
……でも、好きやった。今まで付き合うてきた中で、多分、一番好きやった。風邪引いたときにはしれっと玄関先に食材と薬置いていきよるし、気ぃが落ちたときには朝方まで通話繋いでくれおった。だからまぁ、正直、それで甘えとったんもあるが。
そんであの、別れ話……っちゅうか、なんちゅうか。向こうから単に相談されたんを、わいが勢いで別れ話にしてもうただけなんやけど。
他に相手が複数おるんは知っとった。無論了承して付き合うた。そんときは別に、わいも前の男と別れたてやったから、手慰みぐらいの関係になりゃええか、程度にしか思っとらんかった。
でもあん白虎、異様に優しかった。年上のデキる男。身体でかいくせに紳士的で、頼り甲斐もある上に頭もええ。アプリでテキトーに会うた相手がここまで上玉なんは、流石に予想外やった。
結果的に、わいが惚れた。段々と、あいつの優しさに漬け込みよるようになった。週一じゃ物足りんくなった。やたら恋しくなった。愛情の一部だけ受け容れるっちゅうんが、ほんまアホらしくなった。
サシでええやん、って。あいつを否定するようなことを思う自分が嫌んなった。
「…………」
息が上がりつつあったところで、目の前に段差が出よる。土にこまい丸太を埋め込んで造られた、そこそこ高低のある山階段。それが結構な距離まで続いとって、見上げたわいは思わず首を痛めそうになった。手すりを掴み、静かに気合を入れる。
数段ほど登ったときは、案外いけるやん自分、なんて思うたが、二十段ほど登ったところでえらいキツくなった。日頃の運動不足のせいなんは、重々理解しとった。加えて足の疲労と、忘れとった喉の渇き。堪らず、途中にあった腰掛けられる切り株みたいなんに座った。
「…………」
やってもうた、と浅く呼吸をする。そういや、あん白虎が言うとったわ。登山のときは、ペースを守らんとアカンとかなんとか。あれこれ考えるん夢中で、自分の身体能力の低さを忘れとったわ。
頭上にある知らん顔の青空が鬱陶しく思えて、舌打ちをする。呼吸を整えながら、なんで別れたんやろなぁ、なんて色ボケじみたことを考えた。「ええわ、別れよ」とわいが口にしたときの、白虎の申し訳なさげな眼が、今でも脳の片隅に居座っとる。
きっと、だから別れたんやな。こんなイイ男、自分のガキみたいなワガママに付き合わせとるんが嫌で。こんなしょっぱい兎ごときが、こいつを縛り付けとんのが嫌で。相応しくもないくせに、まだ好きでいようとしよる自分の心が嫌で。
「…………」
別におセンチな気分っちゅうワケでもあらへんのに、わいの脳みそはバグり散らかしとる。ほんま、あいつらが悪いんや。所構わずイチャつきやがって。自分らはこの先どんな苦難も二人で乗り越えていけますー、みたいな顔しやがって。
ああ、マジ、くだらん嫉妬や。あいつらがガチでそういう仲なんかは知らんが――まぁ、十中八九そうやとは思うとるが――自分にないもんぜーんぶ持っとるくせして、一丁前に悩みやがって。
おまけに、あんクソ猫。何を気にしよんか、わいにいちいち構いよる。なんやアレ、ほんま。優越感か。自分にはこーんな素敵で理解のある彼ピくんがおるんでーっちゅうマウントか、ああ。そんで寂しそうな兎ちゃんにお情けをかけちゃろ的な、はあ、アホちゃうか。
くだらん、くだらん。邪念を振り払うように首を振るうと、疲労が悪化してきた。心なしか眩暈もしよる。もしや脱水か、なんて思ったときにはもう、息が上がっていた。こらアカンわ。重いからと荷物を置いてきたことを一人悔やむ。
「大丈夫か」
目元を手で覆ってれば、不意に声が聞こえよる。ぼんやりとしていたわいは、咄嗟に「先輩……」と言うてもうた。アホや、こんなとこにおるわけないのに。歯をぐっと噛み締め顔を持ち上げりゃ、案の定そこにはアホ面がおった。赤木や、追い付かれたんか。
「先輩?」
「……なんでもあらへん。ええからほっとけや」
「ほっとけねーって、めっちゃ具合悪そうじゃん。あ、善ちゃん、はよ、こっち」
赤木は振り返って手を振り始めた。急かすな、だの、飲み物がどうの、だのと喧しくやり取りをしとる。ほんまうっせえ、頭グラグラするわ。霞む視界に、ペットボトルが差し出される。
「ほら、水。多分脱水だろお前、ちゃんと飲んどけ」
「……要らんわ。誰が飲むか、お前らどっちかと間接キスとかきしょいわ」
「よく見ろ、未開封だっつの。つーか強がってる場合かよ」
「…………」
わいはペットボトルをひったくった。開けてすぐさま口をつければ、水さんがぐいぐいと喉を通っていきよる。一本飲み干す頃にはすっかり視界も晴れ、思考もクリアになった。大丈夫そうだな、と声が聞こえ、わいはバツが悪くなる。
「後で金、払うわ」
「いいって、別に。こういうのはお互い様だろ」
「…………」
思わず眉を顰める。ほんま嫌いや、こいつ。思えば明石とかいう猫は、昔からこんなんやった。物語の主人公面して、性善説を地で行ってますー、みたいな。自分かて割と息上がってるくせに。不貞腐れていると、赤木が不思議そうに目を丸くする。
「水地、なんでそんな俺らのこと嫌がってんの」
「…………」
こいつも、ほんま。赤木も昔からこういう奴やったわ。ボケたアホ面しときながら、こうやって核心めいたことをストレートに言いやがる。相手がどう思うかとか、場の空気や雰囲気がどうとか、そういうんを一切合切無視してこっちの心の柔いとこに突撃しよる。
「……ええよなお前らは、人の気も知らんで」
怒りのせいか、悲しみのせいか。ぼそりと零れた言葉に、二人は顔を見合わせる。
「何かあったのか、お前」
「なんや、何かあったら悪いんか」
「悪いってわけじゃねえけど。まぁ、別に無理に話せってこともねえし」
「皆色々あるよなー」
半ば八つ当たり気味の態度のわいに対し、二人はあくまで受容するような対応だった。こいつらがええ奴ムーブをすればするほど、わいのほうは惨めになってくる。お前は素直にしてれば可愛いのにな、などという白虎の声が脳裏に響いて、眩暈は加速する。
「……とにかく、金は払うわ」
それだけ言い捨てっと、奴らには目もくれずまた長い階段を上り始める。足は棒っ切れみたいで、息は相変わらずお上りさんや。水分補給のおかげか、さっきよりなんぼかマシな体調。だがしんどいには変わらへんから、わいの歩みは徐々にペースが落ちていく。
木がうるさい。風がうるさい。川がうるさい。空の青さも、一面の緑も、日差しも木漏れ日も土の色も全てが鬱陶しい。昔から感覚が他のヤツより過敏やった。そのせいかストレスも多かった。まー、ちゃっちい性格のせいかもしれんが。
「おい、大丈夫か」
ふらふら歩いてると、またあの二人が現れた。ほんで、擦るように背中に手を置かれる。正直振り払う気力もない。ほんまムカつくわ、こいつら。わいに優しくする理由なんざ、これっぽっちもないやろが。ほんま……こいつら、はぁ。
「頑張ろうぜ、もう少しで階段終わるっぽいから」
「……待て、大智、もうちょいペース落とそうぜ。俺もしんどい、足が死んでる」
「え、マジで。俺はこっからてっぺんのとこまで駆け上がれっけど」
「この体力バカ……お前と一緒にすんなっつーの」
わいの背を支える赤木。背後でぶつぶつ言いながら辛うじてついてくる明石。下を向いてただ歩く機械になる自分。ワケわからん構図のまんま、三人で階段を上る。やがて赤木が「あ、もうすぐ……」と言ったのを聞いて、思わず顔を上げた。
一歩、また一歩。踏みしめる度に、空が近づいてきよる。
目一杯の群青が、ずたぼろの身体に降り注いできよる。
木がさざめく。風が鳴く。川が歌う。そのうち足元の段差が無くなって、足先が平地を踏みしめているんが分かった。近くにベンチを見つけ、倒れ込むように身体を投げ出した。数刻遅れて、明石がその隣にどっかと座り込んでくる。ベンチの裏に立った赤木が「すげー」と空を仰いだのを聞いて、わいも釣られて首を持ち上げる。
「…………」
澄み渡る空。青々とした山並み。長閑で平穏な風景。かなり疲れとるせいか、ただ綺麗やとしか思わんかった。何も考えられへん。空っぽの頭、空っぽの心。普段有り余ってる体力が、クソみたいなことを考えるために消費されてるんやなって思い知った瞬間やった。
「…………」
明石も赤木も、何も言わんかった。あんな所構わずイチャコラしよる奴らが、こういうときにはしっかり無言決め込んで、空気を堪能する。ああ、ほんまこいつら、嫌んなるわ。悪意もねえ、外連もねえ。ずっとこうやって生きていくんやな、こいつら、二人で。
「いやー、キツそうなルート選んでよかったな、マジ」
「次は絶対付き合わねえからな……」
「これを機に善ちゃんも運動しようぜ。俺なんでも付き合うからさ」
「…………」
無言で眉を顰める明石。それを見ながらわいは、自分のくだらなさに内心呆れてしまった。そうやった、こいつらは昔からずっとこんなんやった。長いことずっと、二人の世界をちまちまちまちま積み重ねてきて、それでこんな感じなんやったわ。
はぁ、アホらし。嫉妬するだけ無駄やんか。次元が違うんや、次元が。筋金入りの幼馴染で、ドン引きするレベルで一緒にいるんやから。イラついていたはずの脳みそが、じわじわと群青色に染まっていく。空っぽの突き抜ける空さんと、おんなじ色に。
「……助かったわ」
目は見れんかったが、言いづらかったはずの言葉は意外と素直に口から出よった。二人は少し間を置いた後で、「おう」と小さく答える。
「お前らはそうやな、ああ……ほんま、そういう感じなんやな、ずっと」
「なんだよ、妙な言い方だな」
「別に。幸せそうでええなぁって、思うただけや」
「幸せ……って、んな唐突に。もしかして嫌味か」
「好きに捉えりゃええやろ」
「幸せかー。あんま意識したことないけど、言われてみればそうなんかも」
頭上で赤木の能天気な声が響く。隣の猫は溜め息交じりに言いよる。
「そんないちいち意識しなくてもいいだろ。疲れるだけだし」
「あー、確かに。いいよな、皆それぞれってことで」
「…………」
皆それぞれ、幸せもそれぞれ、ねえ。いつだかの白虎もそんな話をしてたわ。幸せの形っちゅうんは、他人からはよく見えよるが、自分からは上手く見えへんとかなんとか。そんときは「何スカしたこと言うとんやこいつ」なんて思うたが、今それなりに実感しとる。
「少し休んだら、行くか」
赤木が元気そうに言うた。わいと猫が「は」と声を上げたんは同時やった。口を尖らせて足を擦れば、一応まだ歩けそうな気ぃはしとった。数分して、赤木が先導したのに合わせ、わいも渋々立ち上がる。明石はいつも通り不機嫌そうやったが、不意に足を止めた。
「なんや自分、まだ休むつもりか」
「あ、いや……ちょっとな」
意味深に笑ったあと、おもむろに空を見上げたから、釣られて拡がる群青を仰いだ。眩しい光。静かな空気。緑と青のコントラスト。紛れもない、ええ景色。
「……わり、行こうぜ」
遠くで元気に手を振る黒犬のほうへ、明石は向かっていく。わいはまだこの群青を――なんとなくやが――目に留めていたい気分になって、少し立ち尽くしていた。
TrinoeWolf
2023-11-26 12:22:59 +0000 UTCしゃけ
2023-10-26 10:34:41 +0000 UTC