■あいつとグランピング 黎明
朝が来る。夜明けが山の向こうから、じわじわとにじり寄ってくる。俺は軽く欠伸をしながら、用意しておいたインスタントコーヒーにお湯を注いだ。電気ポットまでついてるとは、グランピングにしてよかったとしみじみ思う。
芳醇な香りが、草原の風に運ばれて散っていく。少し早く起き過ぎたらしい。友人どころか他の客、スタッフの姿すら付近には見当たらない。木製のベンチに腰掛け、木製の一杯を嗜みながら、大自然の荘厳さを一人味わう。
大智と睦樹の快眠コンビと相部屋なら、不眠気味の俺でもそれなりに眠りを貪れるかとも思ったが、やはり俺に夢の旅人は向いていないらしい。まぁ別に、夜更かしも朝焼けも慣れている。実に黒馬に似つかわしい話だ。
グランピング。提案してみたときには我ながら、寝耳に水というか、眉唾というか、あまり現実味がないように思えていたが。こうして見れば、案外自分の突拍子のなさが功を奏することもあるものだと無性に愉しくなってくる。
「…………」
まさか自分が。冷静に振る舞いつつも、そう思わずにはいられなかった。友人を連れ立って、企画の立案に執行。あの、根暗で陰気で誰とも関わろうとしなかった自分が。いつだって、図書室に引き籠もって本の虫になっていた自分が、まさか。
本当に、人生とは思いもよらぬことで満ちているものだ。誰かと付き合うことだって、まさしく青天の霹靂だった。そういう意味でも、泰利には感謝しかない。大学であの剽軽で真面目で優男な豹に会っていなければ、ここでコーヒーを嗜むこともなかったのだから。
「…………」
ふと、立ち並ぶテントのほうを見やって、そのまま静かに目を伏せる。脳裏にちらつくのは、卒業の二文字。この旅行は、泰利のための思い出作り的な側面もあったが、何より俺たち皆にとっての最後の旅だった。
就活と、卒論。大学生活後半の二大イベントをこなしながら俺たちは恐らく、頭の片隅で形を成しつつある別れの気配から、ひっそりと目を背け続けていた。この時間は長くは続かない。残り僅かとなった寿命を細々と削って、その瞬間が来ないことを遠回しに祈ってる。
悠久はない。永遠もない。だからこそ美しいのだと理解していても、募る寂しさを上書きできやしない。偶然にも交わった旅路を経て、俺たちはバラバラの方角へとまた旅に出るのだ。数多の重荷を捨て去り、新たに増えた荷物を背負って。
「…………」
寝不足の頭で、何をセンチメンタルに浸っているのか。これではコーヒーの味もろくに分かりやしない。くだらないと断じるつもりはないが、この流麗な景色に包まれながら考えるようなことでもない。どうせ目を逸らしてきたことなのだ、もう少し逸らしたって――。
「悟」
「……っ」
不意に声を掛けられたせいで、飲みかけのカップをひっくり返しかけた。なんだかデジャヴのような感覚だ。そのときは確か、立場が逆だったが。
「早いな悟、おはよう」
「……ああ、善人、おはよう」
悪戯小僧のごとく笑んだ猫は、欠伸混じりに対面に座った。机に肘をついて、山嶺から降り注ぐ黎明を、俺と同じように眺めている。
「眠れなかったのか」
「なんか落ち着かなくてさ。ひと眠りはできたっちゃできたけど、正直仮眠レベル」
「大丈夫か。二日目も色々目白押しだが」
「そっちだって眠そうじゃねえか。途中でダウンするなよ、幹事」
「ふ、安心しろ。俺の人生の半分は眠気と付き合ってる」
「……それ、むしろ心配なんだが」
確かに、と笑えば、向こうも釣られて笑う。こういうやり取り自体、なんだか久方ぶりな気がしていた。それほどまでに俺たちの世界は、徐々に縮小を始めている。
「それで、さっきのは。いつかの仕返しか」
「ああ、そういえばそんなこともあったな。お前らが揃ってうちに突撃しに来やがってさ」
「……そうだな」
善人が懐かしそうに言ったので、俺の中に忘れようとしていたセンチメンタリズムが舞い戻ってくる。きっとこの夏が終わってしまえば、その先はあっという間なのだろう。それこそ、一晩の眠りのように。
「……なあ、善人」
「ん」
だからこそ、問うてみたくなった。この夢から醒めた後、それぞれがどこへ向かうのか。
「卒業後のこと、考えたことあるか」
「…………」
「俺は……泰利と運よく同じ会社に入れたはいいが、その先はまだ」
「そう、なのか。でもすげえよな、ホント。俺はまだ、あいつとは何も……」
言いながら、善人は目を細める。俺も朝日の眩しさに、ただ目を瞑った。薄明けの空と、足元までやってくる黎明。漂うコーヒーの香りを蹴散らして、風が毛先を撫ぜる。時間にして僅か数秒。その後、善人の口がおもむろに開く。
「……いつかは話さなきゃって、思ってはいるんだけどな」
「……ままならないよな、色々と」
俺たちは静かに笑った。大丈夫だろうと高は括れている。だが反面、未来が放つ他愛もない不安に、なんとなく心を揺さぶられていることもまた、事実なのだと思った。
この夢が終わったら。俺たちは、どうなっているのだろうか。