■夏の狼
常夏のオーシャンビューは、雑誌なんかで見るよりよっぽど眩かった。サングラス片手に浜辺へ佇めばそれだけで格好がつくほどに、足元ではブルーが澄み渡っている。喧噪はなく、ただ潮騒に身を委ねれば、軽々しい心ごと沖まで運ばれていきそうな錯覚に陥ってしまう。
「アズマ」
ふと俺を呼ぶ声に、少し勿体つけて振り向いた。シェパード種のエヴァンは、際どい水着でその肉体を見せびらかしながら歩いてきて、俺の肩に手を回す。
「どうだい、ウチのプライベートビーチは」
「いんじゃねーの。プライベートとか、エロい気配がムンムンっつー感じで」
「はは、そうかもね」
俺の首筋を指先で撫で回し、シェパードは満足そうに鼻を鳴らす。俺よりも高い身長と、ジム通いとスポーツで鍛えたであろう肉体。モテる自負と実家の太さから来る手堅く過剰な自意識に加え、実際に著名な大学で驚異的な若さで助教授を務めているという事実。
恐ろしいほど典型的な“デキる男”であるエヴァンとは、旅行先のカフェテラスで偶然知り合った。より正確に言うならば、ナンパされた。ゲイであることを何ら隠していないらしい。あっちのヤツらとは酷く対照的な存在だ。
「別荘にまで連れてきた男は初めてなんだ、ホント。しっかり味わってもらわないと」
「へえ、味わう。昨日のアレだけじゃ、セレブ様にはご満足いただけなかったかねえ」
「いやいや、昨晩は最高だった。でも最高ってのは何度あったっていい、そうだろ」
そう言ってシェパードは俺の頬へ口づけをし、海のほうへ歩いていった。視界には目にも美しい水平線と、目を見張るような上玉。最高にアガるシチュエーションには違いないが、イマイチ気分はノっていかない。
「…………」
数分ほど波と戯れていたエヴァンは、佇んだままの俺を訝しんだのか、やがて浜辺のほうへ戻ってくる。
「どうしたんだアズマ、どこか不機嫌そうだけど」
「不機嫌って、俺がか」
「そう見えるよ、目元とか特に」
「……さあな、軽いホームシックみてーなもんだろ多分」
ヘラヘラと笑って、岩陰にふらりと腰掛ける。照り付ける日差し、照り返す砂浜、海の靡く音、熱を帯びた風。およそいい景色には違いない。そうして目を細める俺の視界を、塞ぐようにエヴァンはしゃがみ込む。
「そういえば旅行の目的、訊いてなかったね」
「別に。強いて言や、自分探しってところか」
「ふーん。アズマは結構、芯がしっかりしてるように見えるんだけどなぁ」
「どうだかな。単に若いうちに、人生謳歌してみたくなっただけかもしれねぇし」
「へえ、謳歌って?」
「例えばこういうやつ」
言い終えるなり、シェパードの肩に手を回し持ち前のニヤケ面を近づける。これには少し驚いたようだったが、すぐに向こうも同じような表情になって俺を見た。
「出会ったときから思ってたけど、やっぱ君もこういうの好きなんだ」
「よく言うぜ、一夜の相手をプライベートビーチに連れてきた上、そんな格好しやがって」
「そりゃ誘うでしょ、好みだからナンパしたんだし」
「……へ」
鼻を鳴らし、そのまま無抵抗な身体を砂浜へ押し倒す。野外でするのは初めてということもないが、真昼の輝かしい海景色が背景というのも割かし乙なものだろう。どうせ俺が望む景色は、そういう類いのものではないのだから。
◆
夜になれば、別荘周りは一際静けさを増して暗がりに沈んでいた。漣の音が耳に遠い。潮風を頬に感じながら、やたら幅の広い車道を我が物顔でふらふらと歩く。どうせ車通りはほとんどないのだ、俺にもそういう遊び心があったっていい。
相手が寝てる間に立ち去るってのはまぁ、あまりお行儀のいい行為とは言えないだろうが。お互い余計な情が入る前に離れたほうがいいだろうさ。全ては一時の夢。それなりにいい時間を過ごしたってだけの白昼夢。そういう存在でいい、俺は。
「…………」
追い風に釣られて立ち止まるが、振り返りはしなかった。点々と延びる街灯。鼻先を掠める熱気。リュックを背負う背中に汗が滲み、俺は思わず舌を出す。
ただ、クソ狼が一人。茹だるような静寂を浴びて、夜更けの路盤を練り歩く。人気のない海岸線は、視界の端でどこまでも連なっていき、やがて空と同化して、行く宛のない星々をどこか遠くへ導いてるかのようだった。
……次はどこへ行くのやら。誰と出会おうが、何をしようが、この胸に満ちるものはさして多くもない。他人の幸福に依存していた狼には、それなりに妥当な展開と言えなくもないのだろうが。
「…………」
じっと手の甲を見て、呆れたように首を振った。結局のところ、あいつらと過ごしていた日々が一番自分らしかったのかもしれないなんて、俺にしては弱気すぎるだろうか。そのまま額の汗を拭って、また歩き始める。
次はどこへ行こうか。俺の旅はきっと、まだ始まったばかりだ。