■変わりゆくもの
「ホント、かーわいーい」
ベビー布団の中、ふわふわとしたタオルに包まれお姫様のように眠る赤ん坊を見て、思わず溜め息を漏らした。横で洗濯物を畳んでいた垂れ耳の彼女が、「しー」と指を立てて言うので、少し微笑みながらベッドから顔を離す。
「あはは、すっかりお母さんだね」
「あ、ごめん、つい……」
「いいんだよ、葉菜」
昼下がりの日差しに目を細め、頼まれて買ってきた日用品を渡した。おむつの袋やら、肌に優しい柔軟剤やら、食材やらティッシュやらゴミ袋やら。ありがとうとレジ袋を受け取った彼女は、あたしの予想と反しテキパキとそれを片し始めた。思わず目を丸くする。
「すごい、あの葉菜がきびきび動いてる」
「えー、もー、私だってあの頃とは違うんだからねー」
「そりゃそっか、はは。子供がいるんだもん……ね」
手を洗った後ソファに座って、リビングの真ん中で陽だまりに覆われ眠る赤ちゃんをぼんやりと眺めた。視界の端でせっせと動き回る葉菜の姿に、徐々に胸がいっぱいになる。
昔はあたしに感謝を示すときは、ありがとーって言いながら抱き着いてくれたのに。何をするにも微妙に鈍臭くて、しょっちゅうあたしに泣きついてたのに。可愛く着飾って人形みたいにニコニコしてた彼女も今じゃ、髪を雑に結んでお皿を懸命に洗っている。
「手伝おうか」
「ダメダメ、いいの。買い物だってしてきてもらったんだし」
しばらくして水の音が止んだ。隣に座った彼女は、ふうと溜め息をついて遅めの昼食を口にする。あたしが買ってきたスーパーのサンドウィッチだ。卵が多めのやつが好きなのは、今も変わっていないらしかった。
「忙しいね」
「座ってごはんが食べられるだけいいよ。いつもならこの子抱えてお買い物もあるし、寝かしつけに手間取ってそのまま寝落ちしちゃうこともあるから」
「大変なんだね、お母さん」
「大変だけど……頑張りたいから」
そう言って、赤ん坊のほうへ視線を配る彼女。とても小さくてか弱い命が、愛くるしい寝息を立てている。十月十日を乗り越えても、優しい灯を絶やさないように見つめていないといけないなんて。
「大雑把なあたしには無理だろうなぁ、子育て」
「そんなことないよ。あなた面倒見いいし、頼り甲斐あるし、それに私より料理も得意でしょ、あとは――」
葉菜が懸命に『鹿江秋香がいかに子育てに向いているか』を語ってくれている横で、あたしは静かに笑うしかなかった。この子の脳裏にはきっと、いつかどこかで気高く“お母さん”をやっている鹿江秋香の姿が映ってるんだろう。
「――それでね、えっと」
「あーもう、いいからいいから。恥ずかしくなってきちゃうじゃん」
「え、あ、ごめん……私ただ褒めようと思って」
「いーの、知ってる。あたしは強くて可憐で最高だって、いつも教えてくれたじゃん」
そうだった、と笑う横顔。あたしが好きだったあの頃と同じ。でもきっと、内面は段々と変わっていってるんだろうなって思える。
だからかな、かつてあんなに惹かれた彼女の隣にいても、こんなにも心穏やかでいられる。
「あ、そうだった、何か飲む? ジャスミン茶……は、ごめん、今ないんだった」
「いや、大丈夫。赤ちゃんのいる家に長居するのも悪いしね」
「えー、いいのにそんな。てっきり夕飯までいると思って、パパにも話しちゃったし」
「ううん。いいの、ホントに」
極力穏やかに首を振って、そのままそっと室内を見渡した。棚の上に並ぶ素朴な写真立てと、家のあちこちに散らばる子供向け玩具。彼女の好きだった可愛らしい小物は、今はこの家のどこにも存在していない。
「私、これから予定あるから」
一息にそう言い切れば、彼女は大きい瞳を思い切り丸くする。ホントはあんまり、言うつもりなかったんだけど。このままじゃ押し切られちゃいそうで。
「え、あ、そう、なんだ」
「そ。だから急がなくちゃ」
「ごめんね、呼び止めたりして」
「いいよ、あたしも黙ってたんだし」
ソファから立ち上がったところで、不意に泣き声が響き始める。慌てて駆け寄り不器用ながら赤ちゃんをあやしつける葉菜の背中を見て、あたしはそっと微笑んだ。泣き止んだのを見届けてから玄関へ行けば、彼女は子供を抱いたまま見送りに来る。
「また、来てね」
「もちろん。あ、でも、家族の団欒を邪魔しない程度に、ね」
「……ありがとう、いつも」
「いいって」
じゃ、と手を振ると、両手の塞がった彼女の代わりに子供が手を振り返す。気を良くしながらドアを閉めて、約束した女性から連絡が来ていないか端末を取り出した。途端に目に入る、簡素で洒落っ気のない腕時計。そういえば替えたの気付かれてないな、全然。
「変わっていくんだよね、色々と……さ」
誰に聞こえるでもなく呟いて、また少し笑った。
ウート
2022-08-08 11:26:43 +0000 UTC